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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことばかり
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18





理恵が亡くなったあとも、市原君と電話や対面で接する機会は何度もあったのに、私はずっと隠していた。

『工藤は元気?』

その質問に曖昧な返事をするたび、深い罪悪感が芽生えるのを抑えられなかったけれど、今日に至るまで隠し続けたのだ。


けれど市原君は潤んでいた目を閉じ、「ううん…」と首を振った。

そして再び開いた瞳には、先ほどまでの号哭の名残はほとんど見当たらなかった。



「なんか、あいつらしいや………」


グズッと鼻を啜りながら、市原君は正面の小さな理恵を眺めて。


「工藤は、いつもしっかりしてたから……。性格はあっけらかんとしてるくせに、仕事でも、仕事以外でも、きっちりすべきところは段取り組んでしっかり計画を立てるやつだった」


私も市原君に続いて理恵を見上げる。


「そうね……。私といるときも、いつもまるで母や姉のように世話を焼いてくれてたわ」


理恵が言うには、施設で年下の子供達と一緒に暮らしていたせいで、面倒見が良くなり過ぎてしまったらしい。

そう言ったときの、ネガティブなことなんかパッと跳ね返しそうな笑顔が、今も脳裏に鮮明に張り付いている。


そしてそんな私達の姿をしょっちゅう目の当たりにしていた市原君も、「ああ、そうだったな……」と懐かしむ声をあげた。

けれどそのあと、少しばかり肩を落として尋ねてきたのだ。



「ところで、その遺言書には、俺の名前は………出てこなかったんだろうな」


諦め混じりの、それでも1mmほどには期待を込めて、そんな感じだった。

私は正直に答えるだけだった。


「そうね。理恵は、文字通り最期まで、大和の父親の名前は明かさなかったから、遺言書にもあなたの名前は書かれていなかったわ」


「それもそうか……。それまで音信不通だったのに突然遺言に名前が登場したりなんかしたら、そいつが父親だって白状してるようなものだしな。きっと、工藤は、自分の死んだあとも誰が父親なのかは知らせたくなかったんだろう?」


「そうだと思う。理恵は、もし自分の身に何かあった場合は大和のことを頼むと、ずっと私に言っていたの。もちろん私もそれを了承してたし、それははっきり遺言書にも記載されていたわ。でも理恵は、その私にすら、父親が誰なのかは言わなかった。だからたぶん、市原君の言った通り、理恵は自分がこの世を去ったとしても、大和の父親は誰にも知らせるつもりはなかったのだと思う。だけど私は……昨日も少し話したように、大和の父親は笹森さんだと思い込んでいたの」


「それは……、ごめん、俺のせいだよな。俺が笹森さんと工藤のことで誤った情報を伝えたりしたから」


ごめん。

市原君は私に頭を下げてから、こちらを見守る笹森さんにも詫びた。


「笹森さんも、すみませんでした」


笹森さんは穏やかに「気にするな」と返した。

そして、


「だが、ようやく冷静に受け取れるようになってきたようだな」


上司というよりは、親しい先輩といった雰囲気で市原君を包み込んだ。

笹森さんが会話に混ざったことで、それまで漂っていた緊迫感や沈んだ空気が、ほんのりとゆるんだ気配があった。


「もう、工藤さんの気持ちを信じられないなんて言わないよな?」


笹森さんは優しく確認しながら、柔らかな足取りで進んでくる。

市原君は「そうですね」と肯定し、眼差しをスッと理恵に戻した。


「工藤がもうこの世界にいないのは、まだ信じられませんけど………」


「そんなの今聞いたばかりなんだから、当り前よ」


「でも、姉からの話で、半分は覚悟していたつもりだったんだ……」


秋山先生の親友(・・・・・・・)は、工藤さん以外にあり得ないからな」


笹森さんは市原君の真後ろまで来ると、私と同じようにそこに膝をついた。


付き合ってた当時の私の交友関係を把握している笹森さんに、市原君も「そうですよね」と納得顔だ。

そして蓮君は以前のように嫉妬めいたものを抱くこともなく、ただ静かに私達の会話を見つめていた。


すると、蓮君と同じように、ずっと私達のやり取りを黙って見守ってくださっていた園長が、はじめて声をかけてきたのだ。


「まあまあ、とにかくそんな床に座り込んでいたら、冷えてしまうわ。いくらストーブをつけているといっても、ここは古い建物だから、すきま風がぴゅーぴゅーでしょう?ほらほら、三人とも立って立って。椅子にどうぞ?北浦さんと和倉さんも。琴子ちゃんも、まだまだお話したいことがたくさんあるのでしょう?今何か温かい飲み物をお持ちしますから、みなさんお座りになっててくださいな」


言うなり、園長は奥にあるキッチンに向かった。


「どうぞお気遣いなく」


すぐに返事したのは、園長の近くにいた和倉さんだった。


「すみません、ありがとうございます」


私はいつもなら手伝いを申し出るパターンだが、今日は市原君と理恵を優先させてもらうことにした。

先に反応したのは私だったけれど、真っ先に動いたのは笹森さんだった。


「恐れ入ります」


膝を払いながら園長に軽く頭を下げた。


「ありがとうございます」


蓮君は私に手を差し出しながら言った。

私は恋人のあたたかな手に促されて立ち上がった。



「すみません……」


最後は市原君だった。

彼は小さな理恵から離れるのを惜しむように、やおら体を起こすと、先に席に着いていた和倉さんと笹森さんの隣り、より理恵に近い方の椅子に腰を下ろした。

テーブルの上にはハンドメイドのカバーを着たティッシュボックスがあり、市原君はそこから二枚ほど引き抜き、目尻や鼻に当て、涙の後始末をする。


私と蓮君は市原君の向かいに座り、蓮君は薄ピンクのブーケを膝の上に乗せた。

そして、


「秋山さん……」


最初に会話をリスタートさせたのは、市原君だった。



「さっきの続きを、聞かせてほしい。遺言書に従って、工藤の死は俺に伝えられることはなく、そして遺言に従って、秋山さんは大和君を引き取ることにしたんだね?」


「その通りよ。ここからは昨日話したことも含まれるけれど、どこまで話したのか曖昧だから、もう一度、理恵が亡くなってからのことを全部話すわね」


市原君は唾を飲み込むように頷いた。



「……遺言に書かれていたことと、こちらの園長や児童相談所の方が力になってくださったおかげで、私が大和の未成年後見…親代わりになることも問題なかったの。理恵は養子縁組を希望していたようだけど、それは私が未婚であることを理由に、一旦保留となったわ。それから、私と一緒に暮らすために、大和は私の勤める幼稚園に転園することになった。こちらの事情はすべてお話してあったから、みんながとても協力してくれて、はじめての ”子育て” もそれなりに順調だったと思う。でもだから、市原君のお姉さんにも噂がすぐにまわっちゃったのね」


「姉貴は、すごく褒めてたよ」


「ありがとう。私も、無我夢中だった。長年子供相手の仕事をしてるといっても、やっぱり寝ても覚めても子供がいるという環境ではなかったから、ほとんど毎日が反省の連続だったわ。でも、無我夢中で頑張った。大和を引き取ると決めた時点で、大和のためにできることは何でもすると誓ったのよ。だから(・・・)、実はここに来るのもずいぶん久しぶりなの。理恵が亡くなってからは一度も来てなかったのよ」


「え?………だから(・・・)?」


市原君の驚きが跳ね返ってくる。

笹森さんと和倉さんも声は出さずとも、似たような反応を見せた。

無理もないだろう。親友と名乗りながら、私は小さな理恵の元には一度も通っていなかったことになるのだから。

私はごく短い息を吐いて気持ちを整えてから、小さな理恵について聞いてもらうことにした。



「理恵はね、遺言の中で、自分の葬儀や遺骨の扱いについても言及していたの。それによると、自分の死去はごく少数にのみ知らせて、葬儀は最小のものを、そして遺骨は、大和がいつか母親の死について理解が追い付くまではこちらの園長に預かってもらうこと、お墓については将来的に大和が望まない限りは必要ないことなど、具体的な希望が細かに書かれていたわ」


「あいつらしいな……」


市原君が細めた目で小さな理恵を見つめた。

愛おしそうに。


「私は遺言通り、理恵の四十九日の後は遺骨をこちらにお願いすることにしたの。大和はまだ母親の死についてピンときてなかったようだし、その小さな入れ物に母親が入ってるなんて、混乱させてしまいそうだったから。それについては遺言の中の理恵のと同意見だった。それで、理恵をお願いする際、園長に伝えておいたの。私はこれからの自分の人生を、大和と共にするつもりだと。仕事以外の時間はすべて大和に使うつもりだと言ったの。それから、大和は理恵に連れられて何度もここに来たことがあったから、理恵との思い出深いこの場所にはしばらく大和を連れてこられない、だから、申し訳ありませんが私もしばらくは伺えません……って」


「ああ、そういうことか……」

「琴子らしい申し出だったわけだ」

「確かに幼稚園の先生をしてる琴子ちゃんらしいね」



三人が腑に落ちた顔をすると、蓮君も隣から穏やかな表情を向けてくれていた。











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