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しばらくして、廊下が騒がしくなってくる。
騒々しいわけではなくて、複数の人がこちらにやってくる気配音だ。
園長が扉口まで移動して出迎えの姿勢を見せた。
けれど私は、理恵の前から動くことができなかった。
蓮君も動かない私を置いて園長に倣うことはなく、二人、その場で訪問者を待っていた。
やがて―――
「こちらでお待ちです」
職員の女性が案内する声が聞こえたかと思いきや、気配がひと際大きくなり、扉口には長身の三人が現れたのである。
笹森さん、和倉さん、そして市原君。
順にダイニングに入ってくる。
案内役の職員は彼らを園長に引き渡すと、自分の持ち場へ戻っていった。
「はじめまして。今日は朝早くにお忙しいところ無理をお願いしてしまいまして、申し訳ありませんでした。私、笹森 和と申します」
先頭にいた笹森さんがまず園長に挨拶し、自身の名刺を差し出した。
そしてそれを見た和倉さんと市原君も、ほとんど同じタイミングで上着の内ポケットから名刺を取り出した。
「おはようございます。はじめまして、和倉と申します。琴子ちゃん、大和君とは同じマンションに住んでいます」
「まあ、そうなんですか?それは偶然ですね」
「ええ。仕事はそこにもありますように弁護士をしておりまして、本日は直接の関係者ではございませんが、弁護士として力になれることがあるかもしれないということで同席させていただくことになりました。よろしいでしょうか?」
「もちろんですよ。弁護士のお知り合いが来てくださるとは聞いておりましたので。心強いです」
「そう言っていただいてよかったです。そしてこちらが……」
「あの、はじめまして、市原 大輝といいます」
和倉さんから順番を回されるかたちで、市原君が名刺を差し出した。
園長はそれを受け取りながら、市原君の顔をゆっくりと見上げていく。
そして、
「あなたが、市原さんね……」
しみじみと言った。
もしかしたら、どこか大和に似てるところを探して、見つけたのかもしれない。
市原君は多少の戸惑いを浮かべながらも、園長の眼差しを受け入れていた。
すると笹森さんが部屋の奥にいる私と蓮君に軽く手を振ってきたのだ。
「琴子と北浦君も、おはよう」
若干ボリュームアップした笹森さんの声は、園長の注意を市原君から私達へと移させた。
笹森さんは穏やかに笑んでいて、隣の和倉さん、背後の市原君も、まだ小さな小さな理恵の存在には気付いていない。
私と蓮君がちょうど壁になって、彼らの視線を遮っているのだ。
「おはようございます」
「……おはようございます」
失礼にならない程度に頭を下げると、和倉さんも「おはよう」と片手を上げた。
そして、市原君も。
「秋山さん、今日は、ありがとう。工藤のこと、教えて――――」
セリフを途切れさせた市原君は、顔を強張らせていく……
その見つめる先は私ではなく、私の背後にあるものだった。
「―――――――――――工藤?」
私や蓮君など視界から消えてしまったかのように、市原君はそちらを見つめて、愕然と呟いた。
私は助けを求めるように蓮君を見上げてしまい、自ら動揺を披露したことには気付かなかった。
だが市原君は、
「秋山さん、ごめん、ちょっと、体を……移動してもらえるかな」
そう言いながらも、半歩ほど、こちらに進んでくる。
私の足は重たくなって、でも今日はそのために市原君にここに来てもらったのだからと、頭ではちゃんと理解していて。
そうしている間にも、市原君はまた半歩、そして半歩と、理恵に近付いてきて。
でも決して一歩にはならなくて。
その歩幅が、彼も動揺しているのだと教えてくるようで、それがさらに私を狼狽えさせて。
「秋山さん、教えてくれないか。そこにいるのは……………工藤、なのか?」
理恵の写真は私と蓮君の体でちょうど隠れてしまっているとしても、その周りに溢れんばかりに並ぶ食べ物や飲み物は、帰らぬ人への供え物にしか見えないだろう。
理恵と親しかった市原君なら、そこには理恵の好物が多いことも、理恵がファンだったバンド関連のものがあることにも、気付いているかもしれない。
きっと、気付いているのだろう。
笹森さんも和倉さんも、黙したまま動かずに見守っている。
そして市原君は、また半歩、真実に進んでくる。
「………姉貴から、聞いてたんだ。秋山先生は、亡くなった親友の息子さんを育ててるらしいって………」
また半歩、彼と理恵の距離が縮まる。
「それ聞いたとき、俺、まさかとは思ったんだ………。でも、そんなはずないって………」
また、半歩。
「だけど昨日、秋山さんの恋人に工藤がまだ会ってないと知って、そんなの、工藤と秋山さんの間でそんなの、信じられなかった………。だからもしかしたら、工藤の身に何かあったんじゃないかって………」
そして、半歩。
「そうしたら、姉貴の言ってたことが頭から離れなくなって………」
そこで、市原君はそっと足を止めた。
「………秋山さん、俺を、工藤に……会わせてくれないか?」
双眸は潤み、赤く切ない哀訴嘆願。
私は親友の顔を心に浮かべた。
理恵………
理恵、ごめんね……
しょうがないわね、心の中の親友は、そんな呆れ顔になった気がした。
すると蓮君がすかさず私の背中に手を当ててくれて、恋人の無言の想いを支えに、私はゆっくりと一歩、体を横にずらしたのだった。
「――――っ!」
市原君が、息を詰める音がした。
まっすぐに、理恵の写真を見据えて、それからみるみるうちに眉も目尻も頬も口元も歪んでいって―――――
「…………………………嘘だろ…………」
喉を締め上げるようにして吐き出された一言は、号哭のはじまりに過ぎなかった。




