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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことばかり
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お腹を空かせた大和と昼食をとったあと、私の母が大和を迎えに来てくれた。

今日大和を預かってくれないかと母に電話したところ、ちょうど外出中だったらしく、帰りに立ち寄ってくれることになったのだ。

父は別件で外出しているようで、私の部屋に来たのは母だけだったが、思いもよらない形で蓮君と初顔合わせとなったのだった。


緊張しきりの蓮君に対し、母は大喜びでやれ ”イケメン” だの ”かっこいい” だの繰り返していたが、最後には深々と頭を下げ「琴子と大和をよろしくお願いいたします」と告げた。

それに対し蓮君も真剣に「二人とも大切にします」と答えてくれて、私の涙腺はまた少しゆるんでしまった。

まだ結婚が決まったわけでもないのに気が早いと心の内で窘めるけれど、私の隣りで、わけもわかっていないはずの大和が大喜びするものだから、涙は一瞬で笑い声に変わったのだった。



そして大和と母を見送ってから1時間後、私と蓮君は連れ立って部屋を出たのである。



ついこの前訪れたばかりの高層フロアだったけれど、やはり少しも慣れておらず、緊張感は隠し切れなかった。

今日これから真相が明かされるわけで、その如何によっては私や大和の今後の生活が一変してしまう可能性もあるのだから、緊張しない方がおかしいとは思う。

それでも私は、市原君に大和と理恵のことをどう説明すべきか、あるいは知らせないでおくべきなのか、未だに決断できかねていた。


彼が既婚者でお子さんもいたのなら、きっと私は打ち明けていないだろう。

だが現実は違った。

もちろん、今は別の人と婚約している場合もあるだろうし、彼の状況を踏まえたうえで判断すべきである。

でも、もし市原君が大和の存在を知っても、大丈夫(・・・)なんじゃないだろうか……

ここで言う大丈夫(・・・)とは、独身である彼には奥様もいないので、そういう意味で迷惑がかかる可能性はないから大丈夫(・・・)という意味と、

独身の彼が大和を引き取りたいとは言い出さないだろうという、私にとっての大丈夫(・・・・・・・・・)だ。


そのうえで、大和の遺伝上の父親が市原君だと判明できたら、私にとってはすべてが丸く収まるかに思えた。

ただ………

自分のあずかり知らないところで子供が生まれていたこと、かつて親しい間柄だった人物が他界していること、いきなり衝撃的な事実を突き付けられることになる市原君には、配慮が絶対に必要で。



私は、考えなくてはいけないこと、選ばないといけないことが多すぎて、和倉さんの部屋に移動するわずかな時間がとても長く感じられた。

とにかく、なんにせよ、蓮君が一緒にいてくれて本当によかった。

私一人では、こうして考えるだけでも息苦しくなっていたかもしれないから。

そんな想いが漏れ出ていたのか、蓮君がスッと手を繋いでくれた。

見上げると、ふわりと優しい眼差しが降ってくる。

その笑顔に私が安心しきって、支えられて、励まされたそのとき、エレベーターはちょうど和倉さんの部屋のフロアに到着した。



「琴子さん。大丈夫。行きましょう」



蓮君の一言を合図に、私は一歩を踏み出した。







和倉さんの部屋には、すでに笹森さんと市原君も着いていた。

リビングで顔を合わせると、市原君は照れ臭そうにはにかんだ。

理恵の親友である私に秘密の関係がばれてしまったと、恥ずかしがっているのだろう。

それを見て、彼がまだ何も知らされていないのだと改めて確認する。

大和の存在も、理恵の不在も、まだ何も知らないのだ。



「ごめん、言うタイミングがなくてさ……。工藤には固く口止めされてたし、俺の海外出張が増えて秋山さんともあんまり会わなくなったから……」


市原君の感覚では、昔関係を持っていたことを相手の親友にばれてしまって少々気まずい、程度なのかもしれない。

横目で笹森さんを見ると、小さく首を横に振った。


するとそこで和倉さんが私と市原君の間に入ってきて。


「市原君、こちらは北浦 蓮君。琴子ちゃんの恋人だよ」

「え、そうなんですか?」

「今日これから聞く内容に彼もまったくの無関係というわけではないから、一緒に来てもらったんだよ。そうだろ?笹森」


市原君と和倉さんが面識あるというのは嘘ではなかったようだ。

二人は互いに打ち解けている態度だった。


「ああ」


笹森さんは頷いたが、私と笹森さんの関係を承知している市原君はどこか複雑そうに蓮君を向いた。


「どうもはじめまして。市原 大輝といいます。秋山さんとは共通の知り合いに紹介された飲み友達で……あれ?もしかして前にお会いしたことありますよね?秋山さんと小さなお子さんと一緒にいらした方じゃありませんか?」


会った、と言うには短すぎる対面だったけれど、市原君の記憶には残っていたらしい。

パッと晴れた表情に変わった。

蓮君も「そうですね。あの時はご挨拶もできませんで、失礼いたしました」と応じた。


「北浦 蓮と申します。大輝さん、と仰るのですね」

「はい。大きく輝くなんて、荷が重い名前を付けられてしまいました」


ハハハッと快活に声を上げて笑う市原君。


「……いえ、そんなことないと思いますよ。ほとんど初対面の俺にもこうして明るく接してくださるのは、まさにお名前の通りだと思います」

「そうですか?そう言ってもらえたら嬉しいです」


どこまでもマイルドに返した蓮君に、市原君も素直に喜ぶ。

仕事柄、人との接し方を心得ている蓮君にとっては、例え初対面の相手だったとしてもそれは大したハードルにはならないのだろう。



「市原」


笹森さんがソファに腰を下ろしながら呼んだ。


「北浦君は俺と琴子のことも知ってるよ」

「え、そうなんですか?」


市原君は驚いた反動か、手近にあったオットマンにドサリと腰を落とした。

つられたわけではないけれど、私と蓮君もひとまず前回と同じ席に落ち着く。

あの時と同じ、笹森さんの正面だ。

私は、蓮君を挟んだ向こうで驚き顔を解除しない市原君に、若干の申し訳なさが浮かんできた。


「……市原君、気を遣わせてしまってごめんなさい」

「あ、いや全然。俺こそ、何も知らないのに変な気をまわしてごめん。北浦さんも、なんかすみません」

「いえ…」

「別に謝ることもないさ。事情を知ってたら誰だって気を遣うだろうからね。ところで、飲み物は麦茶でいいかい?」


ぎこちなくゆらめいた私達の会話を整えるように、和倉さんが大きなペットボトルの麦茶と人数分のグラスを運んできてくれた。

私はいつも園児や大和にしているように、自然とグラスに手が動いてしまう。

けれど


「いいからいいから。これから大切な話がはじまるんだから、琴子ちゃんはそれに集中して、ここはホスト役の俺に任せておいて」


いつもの調子で和倉さんに制された。

そして空のグラスには順に麦茶が注がれていくけれど、すべてのグラスが満たされる前に、笹森さんが口火を切ったのだった。



「市原は、ずっと工藤さんのことが好きだったらしい」










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