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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことばかり
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それからの私と蓮君は、


近いうちに必ず連絡する――――


笹森さんのその言葉を信じ、ここ数日は以前と変わりない時間を過ごしていた。

いや、すべてにおいて変わりないというわけではないかもしれない。

笹森さんの一件があってから、私達の恋人濃度は目に見えて高まっていたからだ。


FANDAK(ファンダック)はクリスマスで賑わうシーズンで、つまりダンサーの蓮君にとってはすごく忙しいはずなのに、毎日時間を作って会いに来てくれたり。

呼び方も言葉遣いも以前のままなのに、触れ合う機会は段違いに増していたり。

共にいい年した大人なわけで、ベタベタするような触れ合い方ではなかったものの、ふとした瞬間、これまでにはなかった甘やかな雰囲気が流れることが多くなった。

軽いキスなんかはその代表例だろう。

もちろん、外や人前、大和のいるところでは控えていたけれど、二人きりのときには躊躇することはなかった。

恥ずかしさみたいなものはあっても、それがストッパーになることはあまりなくて。


夜のシフトの日なんかは、大和が眠ったあとにやって来て、一時間だけの短い逢瀬になることもあったが、蓮君はどんなに短くても私と大和の顔を見ると疲れが吹き飛ぶと言ってくれた。

彼が言うには、言葉足らずで行き違ってしまった日々を取り戻したいのだそうだ。

その点については私も同じ気持ちで、とにかく、これからはたくさん話をしようと心に決めていた。


蓮君も仕事のことを中心に、色んな話をしてくれた。

FANDAKのクリスマスツリーが綺麗でその前を通るたびに三人で一緒に見たくなるとか、今度お兄さんの結婚相手とはじめて会うのだとか、それから、例の約束のこととか。

年明け早々、蓮君はFANDAKの中にあるホテルの部屋を予約してくれたのだ。

本来なら、こんな差し迫った時期に人気ホテルの部屋が空いてるわけはないのだが、運よくキャンセルが出たらしい。

その知らせを受けた私は、一も二もなく頷いたのだった。

その日は幼稚園はまだ冬休み中で、実家もいつでも大和を預かると言ってくれていて、最初は渋っていた大和も大好きなおじいちゃんとおばあちゃんがFANDAKに連れて行ってくれると聞くと、とたんに180度変わってしまった。

そんな正直で純粋なところも可愛らしいと思うのは親バカだろうか?



とにかく、雨降って地固まるという表現が正しいのかわからないけれど、私達の関係は穏やかに進展していると感じていた。

そんな平和的なある土曜日のことだった。

土曜なので休園日ではあるが、午前中、来年度入園予定者の説明会が行われた。

私が勤めている幼稚園は私立で、運営する学校法人は複数の園や幼児教育関連施設を持っており、世間的にも知名度があることから入園考査の倍率は毎年高めだった。

今日はその入園考査を終え、入園が内定した保護者を対象にした説明会で、お子さんは不在ながら、参加された皆さん、お顔がとても晴れやかだった。

副園長の私は入園考査の面接に参加したが、理事長の方針で、”職員が入園考査に携わるのは勤務先以外の園のみ” と定められていたこともあり、実際の入園者と接するのは今日がはじめてだった。


説明会は滞りなく終了し、休日出勤の早番で準備担当だった私は遅番の職員に声をかけ、園を後にした。

今日は蓮君がオフなので、大和は蓮君が私の部屋で見てくれている。

クリスマス間近の土日はFANDAKの混雑も相当らしく、蓮君はトラブル回避のためにオフとなったのだ。

人気があるために人前に出られないなんて、複雑ではあるけれど、事故になってからでは遅いのだと私も蓮君も身をもって感じていたので、そこはやむを得ないという認識でいた。

でもそのおかげで今夜は三人でゆっくり過ごせそうだと、私の足取りは羽が生えたように軽かった。


ところが、園を出てしばらく行ったところで呼び止められてしまったのだ。



「あの、失礼ですが、秋山先生でいらっしゃいますか?」




私のことを ”先生” と呼ぶのは園関係者だけなので、私は急ぎ足をぴたりと止めた。

声をかけてきたのは、私と同年代に思える女性だった。

よく知っている人ではなかったものの、その顔には見覚えがあり、頭の中では大急ぎで記憶のノートを捲っていく。

そして該当のページに辿り着いたと同時に、相手の女性が自ら素性を明かしてくれたのだった。


「お急ぎのところ呼び止めてしまって申し訳ありません。園内でお声かけしていいものか迷ったものですから」


この女性は、今日の入園者説明会に参加してらした保護者の方だ。

確かお名前は………


「来年からお世話になります、市原と申します」


………そう、市原さんだ。

入園内定者の資料に目を通したとき、市原君と同じ名前だなと思ったのをよく覚えている。

そのときはまだ大和の父親は笹森さんだと思い込んでいたし、市原というのも別にそこまで珍しい苗字でもないけれど、偶然市原君と出会った直後だったせいで、妙に反応してしまったのだ。


「ご丁寧にありがとうございます。副園長の秋山 琴子と申します。本日はお休みのところ、説明会にご参加いただきありがとうございました」


頭を下げる私に、市原さんも同じ仕草で返してくださる。


「いえ、説明会を週末に開いてくださって、とても助かりました。こちらこそありがとうございました」


丁寧な人柄に好感を覚えた。

市原さんは初対面とは思えないほど愛想よく笑顔を浮かべて続けた。


「やはりこちらの園を選んでよかったです」

「どなたかからのご推薦があったのですか?」


そういうことはよくあるので、私は特に意識せずに尋ねた。

すると市原さんは「ええ、まあ…」と、答え方に躊躇いを滲ませたのである。

なんだか気になった私は、具体的な質問に切り替えた。


「差し支えなければ、どなたからのご紹介だったのかお教えいただけますでしょうか?」


市原さんはわずかばかりにタメを作ったあとで、少々言いにくそうに「実は…」と口を開いた。


「本当のところを申しますと、私が勧められたのは、こちらの園というよりも、秋山先生なんです」

「……私ですか?」


思いもよらない返答だった。

しかし、私をよく知る人物がこの人の近くにいたのだろうかと疑問が過ったとき、私は、ひょっとしたら……と心当たりを見つけてしまったのだ。

そして、だったらこの人は…………そう思うと、心臓にドクンと激痛が走った。



――――そんなまさか。

だって入園予定者の資料の中、保護者の欄に()の名前はなかった。

だけど母親の名前しか記載されていなかったので、記入漏れということもじゅうぶん有り得る。

でもそれなら、入園が内定した段階で()から電話の一本でもあるだろうに。


私は詳細を聞く前から、平生な態度が保てなくなっていた。

いや、いけない。

ここで私が動揺したりしたら、変に思われるかもしれない。

万が一、私の推測が当たっていたとしても、必要以上に驚いたりしちゃいけない。

自分に強く強く言い聞かせた。

市原さんはどこまでも人のよさそうな柔らかい表情で「そうなんですよ」と頷いた。


「息子をどこの幼稚園に通わせるか家族会議になったんですけど、とても優しくて思いやりのある先生がいるから、ここにしたらどうかと言われたんです。もちろん、秋山先生のことですよ?」


心臓が、絞り潰されそうに歪んでいく錯覚さえした。


「………それは、光栄です。それで、あの……いったいどなたが、私のことを……」


声は、震えてなかっただろうか。

私は市原さんの目をちゃんと見つめ返せているだろうか。

答えを知りたいのに、それを拒絶したがる私もいて、心の内側では緊張感が爆発しそうだった。



「市原 ダイキ です。昔から秋山さんとは親しくさせていただいてると聞いてます。この前も久しぶりに偶然お会いしたとかで」


ああ――――……


私は、どうしようもない感情でいっぱいになって、目を伏せてしまった。

やっぱりこの人は、市原君の……

どうしよう。

何ともない素振りをすべきなのに、どうすれば何ともない素振りになるのかさえわからなくなっている。

”そうなんですか、市原君の。偶然ですね” そう言っておけば怪しまれることはないだろうに。

なのに私は、こんな時にどうでもいいことが気になってしまう。


「ダイキ………。あの、どういう字を書くのでしょうか?」


的外れにも思われても仕方ない問いかけだったが、市原さんは気を悪くした様子もなく、「そうですよね、だいたい苗字しか呼びませんよね」と笑ってくれた。


「大きい小さいの ”大” に、輝くの ”輝” で大輝です。大きく輝くなんて、名前負けしてますよね」


大輝………

つまり大和の名前は、彼の ”大” という字をもらっていたわけだ。


市原さんは謙遜混じりに彼の名前をからかうけれど、それはいかにも身内ならではといった親密な雰囲気で、私は理恵や大和の顔が頭から離れなくなる。

けれどこの場はなんとかやり過ごさなくては……

その一心で、言葉を繋ぎ合わせた。


「………そんなこと、ありませんよ。市原君……ご主人は、とても明るくて社交的なので、お名前通りに大きく輝いてらっしゃると思います……」


どうにか違和感のない応答ができたと思う。

けれど、それを聞いた市原さんはスッと微笑みを消してしまったのだ。

そして、まるで私を睨みつけるようにして告げたのだった。



「―――――――――――――?」











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