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閉園間際の恋人たち  作者: 有世けい
取り返しのつかないことばかり
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「……琴子さん。情けないついでに、もう一ついいですか?」


視線は絡ませたまま、蓮君が言った。


「もちろん」


蓮君は繋いだ手にもう片方の手も重ねてきた。

その分、繋がりは濃くなったような気がした。



「俺……、大和君の父親が笹森さんだと聞いた時、もしかして琴子さんは、大和君が笹森さんのお子さんだから大切に育ててるのかも……って、そんな風に思ってしまいました」


「蓮君、それは…」


「もちろん、琴子さんの大和君への愛情が本物なのはわかってます。でも、もしかしたら琴子さんは笹森さんにまだ心残りがあるんじゃないかと……不安にもなりました。でもそれなら、大和君のためにも、俺よりも笹森さんの方が……って短絡的に考えてしまったんです。でもだからって、今すぐに琴子さんとの関係をどうこうさせるつもりはなかった。本当です。ただ、俺は笹森さんについての人となりを何も知らないから、知っておく必要はあると思ったんです。それで、和倉さんに仲介役をお願いしました」


「そんなこと……」


反論しようとした私に、蓮君はゆるやかに首を振った。


「これは俺自身の問題なんです。俺がこれ以上、もっと琴子さんを好きになって、取り返しがつかなくなる前にちゃんとしておかないといけないって、そう思ったから」


「取り返しがつかないって……?」


今日何度も出てくるフレーズだったけれど、蓮君が今それをどういう意味で使ったのかが測りかねた。

すると蓮君は私の手に唇を軽く当ててきたのだ。

そしてわずかばかりに唇を離して。



「……俺が今よりももっともっと琴子さんを好きになって、もう何がどうなろうと誰がどうなろうとそんなの関係なく、好きで好きで仕方なくて、琴子さんさえいればそれでよくなって、周りが見えなくなる………そんな風になってからでは、俺はきっと、琴子さんを手放せなくなってしまう。だからそうなる前に、できることはしておくべきだと思ったんです。理性がまだ稼働しているうちに……」


手の甲に感じる蓮君の息使い、吐息の艶に、ドキリとしてしまう。

けれど心が浮足立つ前に、どうしても伝えておくべきことがあった。


「蓮君は、今ならまだ手放せると思ったの?」


蓮君は私の手ごと、力なく腕を下ろした。


「……意地悪ですね」


言葉とは裏腹にほんのり笑みを見せる蓮君に、すかさず私は告げた。


「私は、手放せないわ。もう蓮君のいない毎日なんて想像もつかない」


「琴子さん……」


どちらからともなく、視線が熱を帯びはじめていく。


「俺だって、手放したくないです……」


やがて唇が重なるのに、そう時間はかからなかった。



目を閉じて、蓮君の温もりを追う。

それだけで、途方もない安心感と幸福感を得られた。

けれど、まるで会えなかった時間を補うように、重なるだけの口付けから交わるものへと深まりそうになってくると、私は理恵の写真がなんだか気になってしまった。


「………待って」


そっと、キスを止めて。


「………?どうかしましたか?」


唇は離れたが額同士はくっつけて、心細げに蓮君が尋ねてくる。

私は蓮君の腕の中からするりと右手だけを外し、テレビボードを指差した。


「理恵が……」


理恵に見られてる気がして、なんだか恥ずかしい――――

ただの写真にそんなことを感じるのはおかしいのだろうかと、返事に躊躇してしまうものの、蓮君は見事にその続きを掬い上げてくれた。


「ああ、そうですよね。ちょっと恥ずかしいですよね…」


フッと息を吐いて、囁くように同意してくれたのだ。

そして素早く小さなキスをすると、ぎゅうっと抱きしめてくれた。


それは、互いに互いを求め合っているのだとわかる、恋人の抱擁だった。

このぬくもりのままに、私達の関係が深まる予感が(ほとばし)るほどに。

ところが蓮君は、今度は私の耳元でかすれ声を転がしたのだ。


「今日は、これで我慢ですね………」



え………?


思わず声が漏れそうになって、ぐっと飲み込んだ。

けれど蓮君は、言葉通りに、ゆっくりと私の体を離していく。

遠ざかるぬくもり。

それを失いたくなくて、私は反射的に彼の服を掴んでいた。


「え……?」


声を発したのは、蓮君だった。

私自身も自分の行動に戸惑ってしまったけれど、キスが中途半端に終わってしまったのは事実だ。


「その……、我慢……って?」


恋人同士で、行き違っていた誤解も解消されたとなれば、抱き合うのを我慢する必要なんてないはずなのに。

今夜は大和もいない夜だし、お互いに気持ちが熱を持って高まっていたのは明らかなのだから。

10代の若い恋愛でもあるまいし、キスの先にあるものを避ける理由がどこにあるというのだろう。

けれど蓮君は、頬を赤めた苦笑いを見せてきた。



「これ以上琴子さんに触れていたら、俺の理性がもたなくなりそうなので……」

「どうして理性がいるの?」


蓮君はハッと目を見開いた。

そしてすぐ、嬉しそうに破顔する。


「琴子さんがそう言ってくれて、嬉しいです。俺と同じ気持ちだと聞けただけで、今夜はもうじゅうぶんです」


言いながら、私の耳たぶにそっと口づけた。

そして耳元にダイレクトに話しかけてくる。


「俺だって、本当は理性なんか放り出して琴子さんを抱きたいです」

「―――っ!」

「だけど、俺、琴子さんと愛し合うために少し勉強したんです」

「勉強……?」


問い返すと、蓮君は私の耳元から顔を上げ、慈しむように人差し指で私の頬を撫でてきた。

その手つきも、私を映す双眸も、とても柔らかで優しい。


「琴子さんの、体のことですよ」


ふわりと穏やかに答えてくれた蓮君に、私の胸が激しく揺さぶられた。


私の体のこと………確かにそれは、私達が愛し合う時に知っていて無駄になる知識ではないだろう。

いわゆる、一般的な女性の体とは少し違っているのだから。

けれど、事前に絶対に知っておいてもらいたいわけでもなかった。

蓮君側には何も不都合はないはずで、だから今後そういう機会を重ねていく途中で、もし蓮君に違和感が芽生えたり、それについて尋ねられたりしたら、そのときは正直に伝えよう……私の中ではその程度だったのだ。

それにもかかわらず、蓮君が予め気にしてくれていたなんて、そんなの、嬉しくて仕方ない。


「蓮君……。いつの間に……」


蓮君は少し恥ずかしそうにはにかんだ。


「調べたのは、付き合いだしてすぐです。琴子さんに訊いてもいいものかわからなかったので……。勝手にすみません」

「そんなの、謝らないで?私は嬉しいから」


今度は私が蓮君の頬っぺたに両手を当てた。

どうしよう、すごく愛おしい。

私が思っているよりもずっとたくさん、蓮君は私を想ってくれていたのだ。


「なら、よかった」


蓮君はホッとした様子で、だけどスッと私の手を外させた。


「でもだから……琴子さんと愛し合うためには、少し準備が必要だと知ってるんです。残念ながら今日は琴子さんと会う予定ではなかったので、俺はその準備をしてません。それに、もし………琴子さんがその準備をしてくれていたとしても、それは、何ていうか………」


途中で急にしどろもどろになった蓮君は、私に説明するのにしっくりくる言葉が見つからないようだった。


「とにかく、俺が準備したかったんです。だから今日は、これ以上のことはしません。我慢します。でも、その代わり……と言っていいのかわかりませんけど、今度、いつか、二人きりで過ごせる夜を一緒に計画立ててほしいです。大和君をのけ者にするわけではないんですけど、やっぱり一緒の家にいるときに初めて…というのは、ちょっと気が引けてしまうので……」


蓮君の声はボリュームもやや尻すぼみになっていく。

それすら愛しくて、大和のことを気遣ってくれているのが有難くて、私はより一層蓮君を好きになるばかりだ。


「わかった。年末年始にでも、大和を実家にお願いしてみるね。もともとお正月は実家で過ごす予定だったから、大和だけお泊りさせてもらうよ。大和は私の両親も実家だ大好きだから、たぶん大丈夫だと思う」


本音を言えば、蓮君が言っていた準備(・・)は、私の方で間に合うのだけれど、蓮君が自分で用意したいと言った気持ちも何となく理解できたから、私も、今夜は我慢することに決めた。



そのあと、色々話し込んでいるうちに深夜になってしまい、最初は帰ろうとした蓮君からもすっかりそんな気は失せて、結局明け方近くまで私達はキス止まりながらも甘やかな時間を過ごしたのだった。


話の合間、時折交わされる口付けが時間を追うごとに濃くなっていったのは、もしかしたら ”もっと欲しい” と願う私が、無意識のうちに誘っていたせいかもしれない……











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