ミュージカル俳優の取材
翌日18時、寒風が吹きつける中、敏雄はS駅近くの撮影スタジオの前に立っていた。
その場でしばらく張り込んでいると、件のミュージカル俳優がそこから出てきた。
「大澤さんですよね?」
敏雄はミュージカル俳優──大澤に歩み寄り、声をかけた。
「…はい」
敏雄の呼びかけに、大澤がゆっくり振り返る。
「週刊文士の記者です」
「…はい」
こちらの身分を明かすやいなや、大澤の幅広い肩がビクリと震えた。
なんということはない、突撃取材した際、大半の相手は決まってこんな反応をするのだ。
「大澤さんが昔、交際されていたヒサワレイコさんとのことについて、お話をお伺いしたいんです。この女性と、同棲されていた時期ありましたよね?」
「いやー、あの……事務所通してください」
女の名前を出した途端、大澤が気まずそうな顔をして目を泳がせ、やっと出した言葉がそれだった。
──こりゃあ、クロだな…
大澤の態度を見た敏雄は、咄嗟にそう判断した。
それでも、女の言っていたことが全て事実である確証はまだ無いため、アレコレ探ってみることにした。
「この女性が先日、あなたの自宅で自殺未遂したと聞いてますが」
「いや……」
大澤は口を開いたが、言葉が何も出てこないようで、陸に打ち上げられた魚みたいに間抜けな顔をして、口をパクパク動かすだけだった。
「首を吊ろうとしていた、とのことでお話を伺っています」
「…事務所を通してください」
大澤は明らかに動揺した様子で、さっきとまったく同じ、答えになっていない返事をした。
「……僕からは、何も言えないので…」
「否定はされない、ということですか?」
「いや、僕からは何も言えないので」
大澤は同じ答えを返した。
「妊娠させて、中絶させたことについては?」
「それも、何も言えないので…すみません」
敏雄の追及に、大澤は何故か謝罪を始めた。
いったい何に対する謝罪なのだろうか。
「彼女に手を上げて、アザだらけにしたことについては?」
「それも何も言えないので、事務所を通してください」
「心当たりはありますか?」
「それも何も言えないので…ごめんなさい」
大澤の返事は変わらない。
「わかりました」
これ以上なにか聞いても答えは同じだろうと判断した敏雄は、そこで取材を切り上げることにした。
「ありがとうございます、お疲れ様です」
こんな状況で、なぜ感謝の言葉など吐き出すのか。
大澤はひとまず安心といったような顔をして、軽くお辞儀をした。
「ええ、失礼します」
敏雄が引き下がると、大澤は杉の木みたいに長く伸びた脚をせかせかと交互に動かして、逃げるようにその場を去って行った。
──みっともねえ背中だな
大澤が着ているダークグレーの厚手のロングコートが、風に煽られて柳のように揺れる。
敏雄は侮蔑と諦めを含んだ眼差しで、その様子を見つめていた。
──最近、こんなヤツばっかだ…
こんな反応をするのは、大澤に限ったことではない。
しかし、何度もこんな経験をすると、虚しい気持ちばかりが芽生えてくる。
後日、大澤の所属事務所が本人に確認したところ、事実であったということを述べ、相手の女への謝罪文と、大澤との契約を解除した旨も発信した。
その大澤への取材から数日後。
今日の仕事を全て終えた敏雄と横居は、職場近くの居酒屋に向かった。
この居酒屋には日頃からよく行っていて、横居とカウンター席に並んで座って、仕事の愚痴をこぼし合うのが常だった。
人様から見たら、軽薄な印象のパーマヘアの若い男と、40半ばにもなる貧相な男が並んで座っている様は、何とも異常であろうと敏雄は考えている。
それこそ、初めて横居とここへ来たとき、「いらっしゃいませ」と歓迎の挨拶を告げた店員は、不思議そうな顔をしながら席に通してくれた。
「伊達さんがマークしてたアイツ、アカウントに鍵かけましたよ」
枝豆をチマチマつまみながら、横居がスマートフォンの画面を見せてきた。
そこに写っていたのは、自身の宣材写真をアイコンに設定してある大澤のSNSのアカウントで、投稿やコメントは全て非公開に設定してあった。
少し前までは、投稿内容もコメント欄もしっかり公開してあったのだろう。
さわやかな笑顔の宣材写真が、今はただただ痛々しい。
「やっぱり、ぜーんぶクロだったみてえだなあ」
言って敏雄は、カシスオレンジをあおった。
「取材したとき、アイツはどんなカンジでした?」
皿の上にあった枝豆を全て食べ切った横居がビールを口に含むと、上唇に泡が残った。
「ずーっと「事務所通してください」「何も言えないので」の一点張りだったよ」
それを見かねた敏雄が、横居の口についたビールの泡を指で拭ってやった。
「うーん、逆ギレでもしてくれりゃあ、絵的にもインパクトあってウケると思うんだけどなー」
横居はなんの抵抗もせずに敏雄に唇を拭かせて、「なんだガッカリ」と言わんばかりの顔をした。
「まあ、今回も結構に注目されたし、話題集めにはなったから、良しとしようや」
敏雄は指先についたビールの泡を舐め取ると、苦虫を噛み潰したような顔をした。
敏雄はビールはあまり好きではないから、毎度毎度こんなものをガブガブ飲める横居に、奇異の目を向けたくなる。
「そっすねー……」
口先ではそう言うものの、横居はどこか納得していないようだった。
「それと、例の中学校の記者会見はどうでした?」
大澤の取材に行く数日前、敏雄はいじめにより自殺者が出た中学校の記者会見に向かっていて、話題はそちらに切り替わった。
「被害者の女の子、自殺する6日前にトイレに連れ込まれて、同級生たちに自力で立ち上がれなくなるくらいにボコられてたらしいわ。それを知った別の子が、「いじめがありました」って担任に報告してたそうだ。そこをな、「その日から亡くなるまでの間にいじめの確認はしましたか?」って聞いてみた」
「どうでした?」
「校長曰く「今となっては、まったく気がつかなかった、というのが事実です」だとよ。ぜんっぜん答えになってねえわ」
敏雄は串に刺さったつくねの塩焼きを、前歯でもぎ取るようにして口に入れた。
「オレは会見に行ってないから断言はできないですけど、たぶんクロですよねえ。そのへん掘っていったら、もっとヤバいもん拾うことになりそう…」
「ああ、たぶん、学校側はまだ何か隠してる。何なら、今ごろは隠蔽工作に必死かもなあ」
記者会見での校長の歯切れの悪い口ぶりを思い出す。
──あの様子だと、もう少し切り込んだ方が良さそうだな…
今後の取材についての計画を頭の中で練りながら、敏雄は咀嚼したつくねを胃に流し込んだ。
「ありえますねえ。ところで、この後はどうします?ホテル行きます?また伊達さんの家?それとも、オレの家?」
横居が敏雄の膝に手を置いてきて、意味深に撫でさすってきた。
「昨日の今日でまたヤるのか?」
「イヤですか?」
横居は含み笑いを浮かべると、敏雄が履いているズボンのファスナーのスライダーを、指先でピンと弾いた。
「別にいいけどよ」
敏雄は「おイタが過ぎるぞ」とばかりに、横居の手をやんわり払いのけた。
「じゃ、もう出ましょうよ。ここからだと、オレの家が近いから」
横居が唇を敏雄の耳に近づけて囁いた。
「わかったよ」
横居に急かされて、会計を済ませてから店を出ると、12月初旬の寒風が耳や頬を突き刺してきて、敏雄は身震いした。
──アレも12月のことだったな…
20年前にあったことを思い出しながら、敏雄はコート越しに右腕の傷跡を撫でさすった。