case2 ダブルブッキング2
当ての外れてしまった翌日の昼。
不肖の弟子。雨宮カナタに任せられないとなれば、正直断ってしまいたい依頼である。なにせ護衛対象は金持ちの爺様。ロマンスなどあろう筈もなく、俺の興味は失われてしまっていたのだ。
しかし依頼自体は昨夜のうちに受諾済みである。
一度受けたら完遂する。特殊探偵という狭い業界だと、受けた依頼を途中で投げ出したなどという噂は電波よりも早く伝播してしまうからな。それが当たり前だし、それが出来なければ下手すりゃ村八分になりかねんのだ。
なので渋々。嫌々。不承不承。
俺は護衛対象たる、法ヶ院トシゾウの屋敷とやらに向かうことにしていた。
だがその前に、俺には寄るべき場所があった。
それは馴染みのシガーバー『LosAngeles』である。
ちなみにシガーバーというのは葉巻を楽しむ為の店のことだ。
やはりハードボイルドといえば煙草は欠かせない。そのように思いはするのだが、国産の紙巻煙草は数十年も前に生産が中止されてしまっている。電子タバコというものもあるにはあるが、少し味気ないしな。
そのように思う愛煙家達が集い、今や骨董嗜好品などと呼ばれる葉巻を思い思いに楽しむ店。シガーバーとはいわば社交場的な存在なのである。
もっとも今日そこを訪れる理由は別にあった。
丁度俺の相棒。対魔銃『カミーラ』を修理に出していたので、それを受け取る為である。
ニューポートセンター街の外れにある一見怪しげな小さな店舗。
厚めのスモークガラスで覆われた店内は外からではまったく覗うことが出来ず、閉店しているようにしか見えない。
その木製扉を押し開くと、カランコロンと古めかしい鈴が鳴り響いた。
「いらっしゃい……おや旦那ですか。噂をすれば、ってやつですねぇ」
カウンターの奥で出迎えたのはこの店のマスター『ドン・ベイパー』という男である。もちろん本名ではない。
真っ黒に日焼けしているが彼は生粋の日本人だ。これまた真っ黒いサングラスを常にかけているので、ジャズミュージシャンに見えないこともないが。
「ブツを受け取りに来たんだが、噂ってのは?」
カウンター席に腰掛け、俺は炭酸飲料を注文した。
一応ここは表向きシガーバーなので、残念ながら匂いの強いコーヒーは扱っていないのだ。
アルコール類はあるのだが、俺はこのあと護衛対象の下へといかねばならない。それに昼間っから酒を呷るほど自堕落なつもりもないのでね。
「ちょうど旦那の話をしていたところでしてね。っと、まずはコレ」
そう言って、ドンはカウンターの奥から見慣れた相棒。俺の対魔銃を取り出した。
「ご要望通り、グリップの採血針を交換しときました。あとは照準ですね。無茶な使い方をしてるんでしょう? 結構ズレていやしたぜ?」
受け取った銃を握ってその感触を確かめる。
この銃はかなり特殊で、使用者の血液を吸い取り、それを弾に変換して撃ち出す仕組みとなっているのだ。
その為グリップには小さな針がついており、握るとそこから血液を吸い取る。最初の頃は痛みに驚いたが今はもう慣れたものである。
俺はそのまま銃口をあちらこちらへと向け、照準を合わせてみた。
「大事に使って下さいよ? 大きな声じゃ言えやせんが、コイツは横流し品なんですから。部品の調達も一苦労ってもんなんですぜ」
「その分は料金に上乗せしてる筈だが?」
真っ黒い男は「へへっ」と下卑た笑みを浮かべ悪びれもせずに「そりゃそうでした」と言うと、今度はアゴをしゃくって奥の席。今は見知らぬ女が一人で座っている場所へと俺の視線を誘導した。
「誰だ?」
ドンにだけ聞こえるように、声を潜めて問いただす。
「さっきの話。なんでも旦那の事を探しているみたいですぜ」
「ほう? 美人か?」
「そりゃあもう」
答えに満足し、さっそく俺は席を立って彼女の下へと向かった。
「俺に興味があるのかい?」
見上げた女性は二十代前半。猫科を思わせる瞳にぷっくりと柔らかそうな唇。それが小顔の中にバランス良く収まった、可愛い寄りの美人顔であった。
なにより俺の目を引いたのは豊かなお胸。タートルネックのセーター越しにこれでもかと存在を主張しているそれは、今すぐ手の平で弄んでみたいほどに柔らかそうである。
つまり、俺の好みにドストライクというわけだ。
彼女から見えないようにドンへグッジョブサインを送り、俺は女性の前の席へと腰を下ろした。
「俺は龍ヶ崎トウマ。俺の事を探していたと聞いたが?」
幾分いつもよりダンディーな声音で問いかけると彼女は品定めをするように、下から上へとゆっくり視線を動かした。
「この辺りでは有名な探偵だと聞き及んだものですから」
「その通りだ。有名さにおいてはこの辺りで随一。有能さにおいてはこの国で随一といっても過言ではないな」
なるほどと彼女は頷き、改めて視線を合わせてきた。
少し黄色掛かった瞳はまるで黄水晶のように美しく。だがそれは心配事でもあるのか。今は憂いを帯びて、霞んでいるように見えた。
「探して欲しい人がいるのです」
普段なら袖にするような話である。探偵という言葉から人探しもその領分だと思ったのだろうが俺は特殊探偵。魔物絡みですらない依頼など基本的にはお断りだ。
しかし受けたい。
人として、困っている人間を無碍にあしらうなどあってはならない。
などと自分を正当化してはみたが、俺の視線は彼女の胸へ固定されてしまっていた。
「どんな奴だ?」
胸へ問いかけるとそれを受諾ととったのか。安心したように彼女は息を吐き、つられてお胸がぽよんと揺れた。眼福である。
「年齢は私より二つ下。身長は百七十センチくらいの痩せ型。額にバツ印のような傷がありますが、他にこれといった特徴は……」
随分と答え慣れているところを見ると、自分でも聞き探して回ったのだろう。よく見れば、目元に若干クマもある。探し疲れて俺へ辿り着いたといったところか。
「男なのか?」
「弟です。ジャ……ある人物を探すと言って、家を飛び出してしまい……」
よし。
百七十センチと聞いて嫌な予感はしたが、弟ならばなんの問題もないな。むしろ弟想いの良いお姉さんだと評価は鰻登りなくらいである。
「写真か何かは?」
聞いては見たが、どうやらそれは持っていないらしい。彼女は「いいえ」と短く首を横に振った。
「人探しは専門ではないが、まぁやってみ――」
『よう』と続けかけて、俺の動きはフリーズしてしまった。
いかん。俺はすでに、法ヶ院とかいう爺様の護衛依頼を引き受けている。
もちろん目の前の美女と金持ちの爺。どちらを取るかと聞かれたら、爺を踏み台にしてでも俺は美女を取る。
であるのだが、特殊探偵という仕事を始める前に俺とオッサンの間で取り交わされた約束事。複数の依頼を同時に受けてはならないという鉄の掟があるのだ。まぁ信用問題でもあるし、至極当たり前の話なのだが。
「あ、あの……?」
心の葛藤が態度に表れてしまっていたか?
拳を握り締め、食い縛った顔で天を見上げていた俺に、彼女が心配そうな声をかけてきた。
「受け……たい……っ!」
「だ、大丈夫ですか龍ヶ崎さん!? なんだか目から流血しそうになっていますが?」
「大丈夫……だっ!」
くそっ! なぜカナタはこんな時に限って仕事なのだっ!
というか大和スズヒからの依頼。あれが昨夜のあのタイミングでなければ、受けなどしなかったのにっ! なんて間の悪いっ!
……待てよ?
確かに今カナタは本業に出張っているが、一時的とはいえ彼女は龍ヶ崎探偵事務所の助手だ。
ならば法ヶ院の依頼を受けたのは俺なのだから、目の前の女性からの依頼はカナタが受けたということにしてしまえば良いのではないだろうか?
俺はその代理だ。これならばダブルブッキングにならない。
うむ。これだ。
一部の隙も見当たらない完璧な理論である。
良かった。天才で良かったぜ俺。
「よし、受けれられる事になったぞ」
「事になった……?」
「あぁ、そこは気にしなくていい。とにかく、弟さんは俺が見つけてやるってことだ」
そう宣言すると、パッと花が咲いたように彼女が微笑んだ。
「ありがとうございますっ!」
「ふふん。その言葉は、見つけた後に取っておいてくれ。そう時間はかからないと思うがな」
自信満々にそう言うと、俺は内ポケットからサッと名刺を取り出した。
「ここに事務所の住所や俺への連絡先が書いてある。何かあればいつでも連絡してくれ。いや、何もなくても連絡してくれて構わないぞ」
「重ね重ねありがとうございます。あ、私の連絡先もお渡ししますね」
幾分態度を軟化させ、胸の豊かな女性はスラスラとメモ用紙に名前とメールアドレスを記載してくれた。
「リスラ……? 日本人離れした美しさだとは思ったが、なるほど。ハーフかなにかか」
「お上手ですね」
「いやいや本音だ。俺の口は真実しか話せないんでね」
その後も口説き文句を浴びせかけ、恐らくノックアウト寸前なのだろう。リスラは「よろしくお願いします」と頭を下げると、フラフラと店を出て行った。
「おや旦那。人探しなんて引き受けたんですかい?」
リスラの姿が見えなくなったのを見計らったのか。すっかり話を聞いていただろうに、わざとらしくドンが茶化してきた。
「受けると思ったから紹介したんだろう?」
「へへっ。お見通しでしたか」
ばつが悪そうに笑いながら、ドンがカウンター越しに手を伸ばす。
「ん? なんだ」
「とぼけちゃあいけませんや旦那。紹介料」
「ちっ」
抜け目のない男である。
だからこそ信用しているという側面もあるのだが。
「ならついでに調べてもらいたいことがあるんだが」
「今の弟さんの件ですかい?」
「いや別件だ。法ヶ院トシゾウという人間について、少し調べておいてくれ」
これがドン・ベイパーのもう一つの顔。いわゆる情報屋である。
真っ暗な店内で、真っ黒に日焼けして、真っ黒いサングラスをかけている。どこからどう見ても胡散臭いこの男。
その実は、非合法な銃の修理を請け負い、どこからか情報を集めてくるという掛け値なしに胡散臭い男なのである。
「そりゃあ構いませんが、旦那。知らないんで?」
「金持ちの爺さんだってことは知ってるぞ」
するとドンはサングラスを指でずらし、訝しむようにこちらを覗きこんできた。そして俺の言葉が真実だと知ると、今度は呆れたように肩を竦める。
なんだと言うのか。
「法ヶ院トシゾウと言えば、この国を代表する大企業。THテクノロジーの創業者ですぜ?」
「……なんだと?」
THテクノロジー。
それは我が探偵事務所に突然送られてきて、今も居座り続けているあのポンコツ。ミューを作った会社じゃないか。奇妙な因縁めいたものを感じるが……。
「偶然……か?」
「は?」
「いや、なんでもない。もう少し詳しく知りたいんで、ちょっと探ってみてくれ」
そうして手をモミモミするドンに高額の報酬を約束し、俺はシガーバー『LosAngeles』を出た。
向かうはもちろん法ヶ院の屋敷である。
ただの護衛。いつもの仕事。
にも関わらず、大きなうねりの中に放り込まれたような。
得たいの知れない気持ち悪さを抱え、俺は法ヶ院の屋敷を目指すのであった。