case2 ダブルブッキング1
《2078年2月10日》
「そっち行ったぞ」
「うるさいわねっ! ちゃんと見えてるわよっ!」
雨宮カナタを仕事に同行させるようになって今回で5回目。
魔物と対峙することにも慣れたのか、彼女の戦い方は大分サマになってきていた。
「せいっ!」
使われていない廃ビルの中。埃と粉塵を巻き上げ猛スピードで駆け回る魔獣を相手に、カナタは得意の得物。特注で作ったという対魔刀『血桜』を振り下ろす。
「奥義――桜花散華――ッ!」
俺には聞こえないように……まぁばっちり聞こえているのだが。しかしそうとは気付かず、彼女は声を潜めて銀閃を右上から左下へと走らせた。
「グルァァァァッ!!」
魔物の勢いをも利用した見事な袈裟斬りが、鋼の体毛ごと華麗に獣の身体を切り裂く。
十分な手応えを感じていたカナタは残心。後にヒュッと空を裂いて血払いすると、彼女は魔物がどうなったのかを見る事無く納刀していた。
もちろん仕損じたなどということはない。
彼女の背後では斜めに両断された魔物が、ズルリと崩れ落ちた。
「おぅおぅ。見事なもんだ」
茶化しながら俺は獣の亡骸へゆっくりと近付く。この分ならば確認するまでもないが念のためちょんと足先で突っつき、反応がないのを確かめてからその額に手をあてた。
「んじゃいただきますっと」
瞬間ポワッとした光が魔物の額から浮かび上がり、それは俺の手の平へと吸い込まれていく。魔魂喰らいの能力を使ったのである。
これで聖杯に貯まった魔魂は十四個目。大分余裕が出来たといって良いだろう。
「そうやって魔魂だけ取られると、なんだか貴方の為に戦わされている気になるわ」
緊張感を解き放ち、リラックスしたカナタが皮肉気に肩を落とした。
「お前に戦い方を教えてやってんだ。このくらいの役得はあって然るべきだろ」
と言っても、教えてやれることなどほとんどないんだがな。
精々が俺の同行のもと、安全に実戦を重ねさせてやる程度のものだ。
「ま、いいけどね」
そう言うカナタの表情はいつの間にやら柔らかいものとなっていた。
当初の刺々しさ。触れれば切れる、刀身のような鋭利さは影を潜めるようになったのだ。
「貴方、今日はこの後暇かしら?」
「お? デートのお誘いとは珍しい」
「馬鹿?」
とはいえ間違っても男女の仲などということはない。俺にその気はないし、それはカナタにしても同じだろう。だからこんな会話も、初めから冗談だと互いに分かりきっている。
「これから先輩のところに報告に行くのよ。そのまま夕飯をご馳走になるから、たまには貴方も顔を出したらどう?」
「オッサンのとこか。そういや最近顔も見てないしな。怪我はもう良いんだろ?」
「えぇ、すっかり完治しているわ」
衣服についた埃を払い、荷物を纏めながらカナタは左腕のリストバンドに触れていた。恐らく仕事が終ったのでこれから向かうと、オッサンに連絡しているのだろう。
「なら邪魔するか。久しぶりにあの笑い声も聞きたいしな」
俺の返答に少しだけ微笑み、カナタは先立って歩き始めた。
もう一ヶ月もすれば春の兆しも見えてくるだろう。この雛鳥が俺の下から飛び立つ日は、そう遠くない気がした。
……。
「おぅ、今日は坊主も一緒かぁ。すっかり仲良くなっちまってなぁ」
オッサンこと渡利嶋カズオの家に到着すると、さっそく俺とカナタは居間へと通されていた。和風の室内にはコタツがあり、そこで冷えた足先を暖めていると、書斎に篭っていたオッサンが冷やかしながら現れた。
「別にそういうわけでは」
即座に否定するところが可愛げない。まぁ今となっては腹も立たないが。
そんなカナタの様子に肩を竦め、俺はオッサンの奥さん。確かサヨコさんといったか? 彼女のお酌でコップをビールで満たした。
「まぁなんにせよ順調そうでなによりだ」
オッサンもよいしょと掛け声をかけながらコタツへ潜り、その後ろにサヨコも腰を下ろす。亭主関白のように見えるが、実はサヨコはアンドロイドである。なので見た目は二十代のまま変わらないのだが、連れ添ってもう三十年になるらしい。
しかし三十年前のアンドロイドとなればすでに型落ちもいいところ。正規のサポートは終了しているし、あちらこちらとガタがきていた。なので買替えないのかと聞いたことがあるのだが、オッサンは『いいじゃねぇか。一緒に歳を重ねてるみたいでよぉ』と、気恥ずかしそうに笑っていたことを思い出す。
「順調であることは同意です。そろそろ独り立ちしてもよい頃合かと」
「ばぁか。そりゃ調子に乗りすぎだ」
横から俺が口を挟むとカナタはキッと睨んできた。こういうところは相変わらずおっかない女である。
「本当に順調そうでなによりだ!」
何を勘違いしたのかワハハと豪快に笑うオッサン。久しぶりにその笑い声が聞けて、思わず俺の頬も緩んだ。
そんな和やかな空気の中、コタツの上でグツグツと煮えたぎる鍋が食べごろになる。それに箸を伸ばしつつ、オッサンは感慨深そうに漏らした。
「雨宮君が独り立ちとなりゃ、これで俺も楽隠居かぁ」
「なんだオッサン。本当に引退するつもりだったのか?」
俺の言葉にカナタも固唾を呑んでオッサンの反応を待っていた。彼女としても、そういう気配は感じていたのだろう。
「現場はな。事務の方は、もう二年ばかし辞めさせてもらえんらしいが」
「なんだそりゃ。なんかあるのか?」
「さぁてな。上の考えることなんて下っ端の俺らにゃ分からんよ。宮仕えの辛いところだな」
ともあれ、オッサンの中で第一線を退くことは規定路線のようである。僅かに寂しさが声音に乗っていたものの、思いの外さっぱりしたものだった。
あの怪我を負ってから数ヶ月。彼の中でも色々と葛藤があったのだと窺える。
「そうですか。寂しくなりますね。先輩には、まだまだご教授頂きたいことがたくさんあったのですが」
カナタの方も覚悟は出来ていたようだ。言葉の端々に引き止めたい思いが残ってはいるが、オッサンの引退を仕方ないと割り切っているらしい。
「その為に坊主んとこに行ってんだろ? ちゃんと学べよ?」
「それはそうですが……」
一瞬。室内に静寂が流れた。
異能を持たず魔物と戦い続けてきた男。それが異能を持つ俺やカナタの心をどれだけ支えてきたのか。寂しくないと言えば嘘になるのだ。
「なんだよ。俺だってそろそろ楽したっていいだろぉ? それに、これでも俺は喜んでるんだぜ?」
言いながら、オッサンは後ろに控えたサヨコを見た。
その顔には、普段俺やカナタに見せない柔らかさと愛しさが浮かんでいる。
「コイツにゃいつも心配かけてたからな。危険な現場から退けるってんなら、ようやく安心させてやれるってもんだ」
妻はその言葉を受けても口を開かないが、頬がやや上気したように見えた。こうして見ていると、人とアンドロイドの垣根を越えて、本当に中睦まじい夫婦なのだと感じられる。もっとも見た目は父と娘以上に離れているので、やはり犯罪臭は否めないが。
「そんなわけだから、あとは頼んだぞお前達」
煮えたぎる鍋の湯気。その向こう側で軽く頭を下げたオッサンが、俺にはやけに老けて見えたのだった。
……。
夕飯をご馳走になり、いい感じに酒も回った午後二十一時。
雑居ビルの地下にある龍ヶ崎探偵事務所に俺が帰宅すると、こんな時間だというのに客が来ていた。
「お待ちしておりました」
見た目は上品そうな身なりの女性。年齢は俺と同じくらいだろうか。ふわりとした柔らかそうな髪の毛を揺らし、彼女は丁寧にお辞儀をしてきた。
「えぇと……どちらさま?」
頭に疑問符を浮かべつつミューを見やると、彼女はエメラルドグリーンの瞳を輝かせ、事も無げに言い放つ。
「依頼人ですマスター」
「はぁ!?」
このポンコツは馬鹿なのか!? 馬鹿なんだろうな!!
依頼人といえば客だ。ならばさっさと俺に連絡するなり、日を改めて来てもらうなりするのが普通の接客対応だろう?
だが見たところ、この女性は黒いダウンコートをハンガーに掛けてすっかりくつろいでいるご様子。
ここに来てからすでに三十分。いや、ひょっとしたら数時間は経過しているのではないか?
なんと常識知らずなアンドロイドなのかと視線で咎めると、それを察したのか。依頼人と紹介された女性は「あ、いいんです」と俺とミューの間に手を差し入れてきた。
「私が待つと言ったので。あまり彼女を責めないであげてください」
「いや本当にすまない。そうと知っていれば、もっと早く帰ってくることも出来たんだが」
何故だかアンドロイドであるミューを庇った女性に謝罪し、俺もソファへと腰を下ろす。
「改めて。俺が特殊探偵の龍ヶ崎トウマだ」
「はい、初めまして。私は大和スズヒと申します。こちらこそ突然の来訪。申し訳ございません」
若いながらもスズヒの対応は実に丁寧である。どこぞのアホドロイドにも見習って欲しいものだな。そんな感想を抱きながら、俺は彼女に来訪の理由を訊ねた。
「ここに来たということは、魔物絡みの依頼ということでいいのか?」
一昔前であれば、探偵を頼る場合は大体が浮気調査だったりペットの捜索だったりしたものらしい。
だが今の時代。人間同士の結婚というのは稀だし、ペットにはGPS付きの首輪が義務付けられている。なので、そのような依頼はめっきり聞かなくなっていた。
第一うちはただの探偵事務所ではない。特殊探偵という、魔物絡みの事件を専門に扱っている探偵だ。
ならば訪れる依頼人は、当然そういった事件に巻き込まれていると考えるのが妥当なのである。
しかし当の依頼人から返って来た返答は、どうにも煮え切らない答えだった。
「はい。どうやらそのようです」
「見たわけじゃないのか?」
「目撃したものはいますが、私は見ておりませんので」
実に不可解な返しである。
これではまるで、依頼人は事件の当事者ではないような……。ないのか?
「あんたが狙われている、というわけじゃないのか?」
訊ねるとスズヒは「あっ」と口を押さえ、申し訳なさそうに顔を赤らめた。
「申し遅れました。私、法ヶ院様のお屋敷でお仕えしているメイドでございます。魔物に狙われているのは、旦那様。つまり、法ヶ院トシゾウ様なのです」
若い女の依頼人に浮き足立ちかけたが、どうやらこの依頼は俺の理想から遠く離れたもののようだ。
しかも法ヶ院というのは金持ちらしい。この世で俺の嫌いな人種トップ三に入る奴等である。
ならば断るかと考えたが、しかし待てよと思い直す。
相手が金持ちならば報酬もそれ相応。
そして今ならば、なにも俺がいかなくとも巣立ちを控えた雛鳥に任せてしまえば良いのではないだろうか? うむ。実に名案である。
「よし。引き受けよう」
そんな邪な考えのもと、俺は二つ返事でこの依頼を受けることにしたのだ。
本業の方が忙しいのでしばらく行けないと雨宮カナタから連絡があり、思わず俺が天を仰いだのは翌日の昼のことであった。