case1 残酷な依頼7
「それで、殺したの?」
龍ヶ崎探偵事務所の中。
ソファーに座る俺と向かい合い、来客用の椅子に座った雨宮カナタが話しの先を促してきた。
若い女が口にするにはいささか物騒な話題だが、彼女とて対策課の刑事だ。忌避感はないのだろう。
「あぁ殺した。そういう依頼だしな」
気負うことなく、俺はあっさりと認める。
あれから数日。結局カナタはオッサンの言いつけ通り。律儀にうちへ通うようになっていたのだ。
実際に事件でもあれば場数を踏ませるために連れていくが、生憎と今は依頼がない。なので教訓として話始めた過去の事件。白石邸の結末を、俺はそう締めくくったのである。
「そう。さすがね」
根が真面目なのか。真剣に聞いていたカナタは、淡白な感想を漏らした。
「嫌味か?」
「そんなわけないでしょ。素直に受け取りなさいよ」
相手が魔物とはいえ、娘を殺して母との仲を引き裂いたと言ったのだ。にも関わらず賞賛されてしまっては、言ったこちらが困惑してしまう。
「意外? でもないでしょう。それが仕事だもの」
感情の困らない声で、カナタはぴしゃりと断じた。
「境界線は正義と悪の間だけに敷かれているわけじゃないわ。人と魔物。そこにも、絶対にして揺るぎない境界があるのよ。だから貴方の行動は正しいし、私でも間違いなくそうする」
言い切るカナタだけに、それを危ういと俺は感じた。
判断基準を曖昧にせず行動に戸惑いが入る隙を予め排除する。それ自体は正しいかもしれないし、公的機関で働く者。特に対魔などという狡猾な敵と戦うことを常とする者ならば猶更だ。
だがそれでは時に臨機応変な対応が出来なくなるし、何よりも現場を知らない机上の空論に過ぎない。
あの母娘を見て、それが魔物だからと躊躇なく引き金を引ける。そんな人間は、むしろ魔物と変わらないのではないか?
「オッサンが俺に預けるわけだ」
「……なに? どういう意味よ」
咎めるようなカナタの視線をかわしてミューを見やれば、アンドロイドは俺の意を汲み取ったようだ。すぐさまコーヒーカップに新たな湯気が立ち昇った。
「お前、客が居る時はちゃんとアンドロイドしてんのな?」
「マスターの為だけに、私はここにおりますから。常にマスターの意を汲むのは当然です」
「外面だけ良いアンドロイドなんて聞いたことねぇ……」
澄まし顔のミューを一瞥すると、彼女は空々しい笑顔を見せていた。モニターに選ばれてしまった俺としては『これは売れん』と太鼓判を押したい気持ちに駆られてしまう。
と、まぁそれはさておき。
カナタに向き直り、俺は話を戻すことにした。
「とにかくだ。愚直にもオッサンの言いつけを守って俺の下で学ぶつもりということだな?」
「残念ながらね」
「ふんっ。なら引き続き俺の数え切れない武勇伝を語り聞かせてやってもいいんだが……お前はどう見ても実戦派だろうしなぁ」
「それは侮辱?」
目を細め、カナタは口元をきつく引き結んだ。それを見て俺は肩を竦める。
「そう思うのは少なからず思い当たるから。即座に怒りを表すのは直情的な証左。理論派とは言えんだろう?」
「くっ……」
自身でも自覚くらいしているのだろう。論及されれば反論する余地もなく、カナタは悔しそうに視線を落とした。
「まぁ依頼があれば同行くらいは許可してやるさ。もちろん依頼人が許可すればだけどな。そのかわり公僕たるそっちの都合は鑑みないので、そっちはそっちでなんとかしろよ?」
「それはもちろん」
ホッとカナタが薄い胸を撫でおろしたのは、これで渡利嶋に合わせる顔が出来たといったところか。
今までの横柄な態度とは一変して、彼女はスッと頭を下げた。
「よろしくお願いします」
緩くウェーブをかけたセミショートが揺れると、龍ヶ崎探偵事務所では嗅いだことのない優しい柑橘系の匂いがふわりと香った気がした。
そこにほんの少しだけ異性を意識し、誤魔化すように俺は話を進める。
「んじゃさっそくだが、知っておきたいことがある」
「……異能?」
「あぁ。お前がどんな力を使えるのかは、事前に知っておきたい」
魔物と対峙する場所は比喩でもなんでもなく戦場。生き死にを賭ける場所である。望むにしろ望まないにしろ、新兵を連れて行くと決めたのならば彼女の命に一定以上の責任を持つ覚悟が必要だ。ならばいざという時に守るためにも、カナタの力。異能は知っておく必要があると俺は考えたのである。
「いいわ。でもあんまりたいしたものじゃないわよ?」
そう言うと、なんのつもりかカナタはコインを一枚取り出した。そしてそれを俺へと差し出してきたのだ。
「表と裏になにか文字を書いて。もちろん私に見せないようにね」
訝しみながら言われた通りにし、それをカナタへ返す。すると彼女は受け取ったコインをピンッと親指で弾き飛ばした。
空中でコインはクルクルと高速で回転し、やがて重力に引かれて落ち始める。
――と
「貴方馬鹿じゃないの?」
空中でコインをキャッチし、そのまま握りしめたカナタ。だが手を開くことなく、彼女は呆れとも軽蔑ともとれる眼差しを俺へ向けていた。
「まさか見えたのか?」
俺が驚くと、彼女は勝ち誇ったように。ニヤリと口角を吊り上げた。
「表が『胸』で、裏が『尻』」
「動体視力……いや、異能と言うからには、それでは足りないか?」
ではなんだと思考すると、彼女は自嘲気味に説明してくれた。
「周りがゆっくり見えるのよ。体感時間がスローになるとでも言えばいいかしら? 私はそれを『鈍界』と呼んでるわ」
「たいしたことないだと? お前、それ最高に使い勝手がいい異能だぞ?」
「そ、そう?」
褒められたと思ったのか。カナタの態度がやや軟化したような気がする。
「でも私が速く動けるようになるわけではないし、本当にゆっくり見えるだけよ」
「それでもだ」
武士の時代。剣の達人と言われる者達は、他者の動きがゆっくり見えていたという。
それは本人の集中力だったり、研ぎ澄まされた感覚がそう錯覚させたのだろうが、戦いの場において高いアドバンテージを得られることに違いはない。
つまりカナタは、その異能一つで達人の領域へ達している。そういうことなのだ。
それに気づいていないあたりが、経験の浅さとも言えるのだが。
「次は貴方よ。まさか私にだけ披露させるつもりじゃないわよね?」
「お前の異能と比べたら、それこそ大したことはないぞ。おいそれと使えるものでもないしな」
言いながら俺は自分の首元をグッと引き下げ、左胸を露出した。
「ちょっ!? いきなりなにしてんのよ!!」
突然の予期せぬ行動に慌て、カナタは手の平で顔を覆いながら罵倒混じりに糾弾してきた。だが当然こちらからすれば『異能』の説明の為でしかなく、やましい気持ちなど一切ない。「これだから経験のない奴は」と呆れていると、手の平の隙間から覗き見るカナタと目が合った。
「なにって異能の説明に決まってんだろ。いいから普通に見ろよムッツリスケベめ」
「……杯のタトゥー?」
「聖杯と呼べ。それが二つ見えるな?」
「えぇ。けれど一つはほとんど満たされていて、一つは空っぽのように見えるわ」
彼女がそれを確認してから、俺は襟を元に戻す。
「俺の異能は『魔魂喰い』と呼んでる。魔物が持つ第二の心臓。魔魂については知っているか?」
胸元が見えなくなって落ち着きを取り戻したのか。カナタが鼻を鳴らした。
「馬鹿にしているの? これでも対策課だし異能者よ?」
「そりゃ失礼。んで俺の能力は、その魔魂を取り出して喰らうことが出来るってものだ」
説明を聞くと、カナタは首を傾げた。
「それだけ? 戦う上でなにかの役に立つとは思えないのだけれど」
「それだけならな。喰らった魔魂は聖杯に貯蔵される。一つの聖杯を満たすのに十個。今は一つがほぼ満タンで、一つは空になっているから、俺が貯蔵している魔魂は全部で九個ということになるな」
「溜めてどうするのよ」
それこそが肝心な部分である。
「満たされることでようやく聖杯は使うことが出来る。その効果は、俺の魔物に対する能力を永続的に底上げし、なおかつ自分が負っているあらゆる怪我を瞬時に治すってものだ」
「レベルアップして全回復? なんだかゲームみたいな能力ね」
「分かりやすい例えだが、お前がゲームをやったことあるってのは意外だ」
「いいでしょ別に。……でも、確かに使い勝手は良く無いわね。たくさん魔魂を集めればその分強くなれるんでしょうけど、そんなに魔物が溢れていたら世界はパニックになってるわ」
まったくもってその通りだと首肯しながら、俺はコーヒーを口へ運ぶ。
「それに満たされていないと使えないっていうのも面倒ね。せいぜい緊急時に一回だけ命拾い出来る。そんな使い方しか出来ないから、最低でも一つは常時満たしておく必要がありそう……ちょっと待って。もちろん馬鹿そうな貴方でも、そのくらいは考えている筈よね」
「馬鹿そうとはなんだ。俺の身の回りには一言多くしなければ気が済まない奴しかいないのかよ」
言いながら横目でミューを見ると、アンドロイドは不敵な笑みを浮かべていた。……ように見え、俺は思わず肩を落とした。
「なら、なぜ聖杯に溜まってる魔魂は九個なのよ。それって、一つ使ったばかりってことじゃない?」
「鋭いじゃないか。そうだ。使ったばかりだ」
カナタがゴクリと唾を飲み込んだ。
自分より場数を踏んでいる異能者。その俺が聖杯を使わなければならなかったのであれば、それだけ強大な魔物と戦いを終えたばかりだと解釈したのだろう。
まぁ事実は多少異なるんだがな。
「確かに使い勝手が良いとは言えないし、使用して能力が向上するといっても微々たるもんだ。だが時にその微々たるもんで、直前まで届かなかったものに手が届くようになる。そういうこともあるんだよ」
どういう意味かとカナタが首を傾げたが、俺は誤魔化すようにコーヒーを啜った。
最初に彼女に投げかけられた質問。
『殺したのか』という問いに、俺は『殺した』とそう答えた。
それに嘘はない。白石リンを名乗った魔物は確かに死んだのだから。
そしてその魔魂は今、俺の聖杯を満たす一つとなっている。
「お前さ。自分の親しい人間が突然獣の姿になってしまった時。それでも愛情を込めて、名前で呼んでやることが出来るか?」
「……は? なんの話よ」
「母は強しって話だ」
正直な話。俺はあの夜、白石リンを殺すつもりだった。
娘を想う母の気持ちを利用した残忍な魔物。同情の余地はない。
だからリンが部屋にやって来た時、俺は迷う事無く彼女を撃ったのだが、途中で事情が変わってしまった。
『……リン?』
白石アカネは魔獣の姿になった娘を見てもなお、確かにそう呼びかけていたのだ。
それで俺は気付いてしまった。
初めは失った娘の代わりでしかなかったのかもしれない。
だがあの時。白石アカネは間違いなく、白石リン本人を娘として愛していたのだということに。
そして白石リンもそれに気付いた。いやもっと前から、リンは母から向けられる愛が本物だと知っていたのだろう。
ダイニングに飾られていたのは赤いゼラニウム。
花言葉は『君ありて幸福』
アカネにとって、『君』とは間違いなくリンのことだったのである。
だから助けたくなった。どうにかしてやりたくなった。
例え貴重な聖杯を、一つ消費してでも……。
これから二人がどう生きていくのか。
それは俺の知るところではないし、関与するべきことでもない。
だが仮初だった親子の愛情が本物に昇華しているのならば、きっと悪い結末にはならないだろうと思え……。
「今日のコーヒーは一段と旨いな」
俺は少しだけ優しい気持ちで、ミューにそう伝えたのであった。
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