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last case 明日の約束4

 逃げ出した魔物の跡を追い、廃村の外れから俺は山を登り始めていた。

 一切月明かりの届かない獣道。しかも所々が凍結しているため、一歩間違えれば滑落してしまうだろう。

 世界を守る為に参上した男、山から滑り落ちて死亡。

 冗談にもならないオチである。


 そんな愚を冒さぬように、かつ魔物から目を離さない程度に急ぎ足で、ようやくと山の中腹辺りまで辿り着いた時。

 目の前に少し開けた空間が現れ、中央には崩れた鳥居と朽ち果てた神社が見えてきていた。

 先んじてそこに辿り着いた魔物は、しかしどういうわけだかグルルと喉を鳴らし、その神社を威嚇している。


 と


「ギャッ!」


 直後に魔獣が燃え盛る炎に包みこまれた。

 熱と痛みから、無様に地面を転がりまわる魔物。その姿が炭と化すまで、だいたい十秒ほどだっただろうか。

 辺りには肉の焦げた臭いがたちこめ、存分に魔物を喰らい尽くした炎は、嘘のようにフッと消え失せた。

 すると


「よう逃げんと来たな。そこは褒めたるわ」


 場に似つかわしくない可愛らしい声が聞こえてきた。その方角へ視線を向けると、神社の影からツインテールがぴょんと飛び出す。


「やっぱりお前も来てたかチビッ子」


 声の主に思い当たり、久しぶりだなと声をかけると、トラに跨った幼女は「ハンッ」と鼻を鳴らしながら、月明かりの下へと姿を現した。


「一世一代の大舞台。ウチが来るんは当然やろ」


 ある時は法ヶ院邸のメイド長。またある時は鬼を払う古の退魔師。

 つまりは不敵なチビッ子、神楽コナデであった。

 思えば、大鬼門なんて物の存在を初めて俺に教えたのは彼女。

 その本人が、今この時、この場に現れない道理はないのだ。


 とりあえず燃え尽きてしまった魔物に手を翳してみるが、魔魂は浮かび上がってこない。

 どうやら魔魂ごと燃え尽きてしまったようだ。恐ろしい幼女である。


「そうやって血を濃くしてるん?」

「血を濃くしてんのかどうかは知らんが、まぁ似たようなもんなんだろうな。もっともこんだけウェルダンだと、それも叶わねぇみたいだ」

「そら悪いことしたな」


 トラの上で横座りに座り直したコナデは、たいして悪びれもせずに燃やした魔物を見やっていた。

 慣れない山登りで疲れた俺は、彼女に正対するように腰を下ろす。

 尻からヒンヤリとした冷たさが駆け上がってきたが、まぁ我慢してやろう。


「お前一人か? リスラとボドウェーはどうした?」

「ジャルジャバを追ってったわ。京でばっちり特訓したったから、今の二人なら大丈夫やろ。もっとも、当のジャルジャバは相手にせず、THテクノロジーの工場を片っ端から襲っとるみたいやけど」


 あぁ、トシゾウ本人を見つけて説得するのは無理と判断し、力づくで空間歪曲装置を探し回ってんのか。

 実在するって情報は俺が教えちまったからなぁ。悪いことをしちまった。


「他の異能者は? トシゾウの手紙には、全国から集める的なことが書いてあったと思うんだが」


 そう聞くと、コナデはもう一度鼻を鳴らし


「七割は信じとらんのやろ。二割は信じたからこそ逃げ出したってとこや」

「残りの一割は?」

「参加しとるよ。もっとも、こっちには来とらんけど」


 こっちには来ていない?

 だが大鬼門とは間違いなくあの山頂に見える不気味な光のことだろう。

 ならどこにいるんだよと首を傾げると、コナデの視線が遥か東。ニューポートセンターの方角へ向けられた。


「どうにも大鬼門から出てくるっちゅうのは鬼どもの親玉らしくてな。その気配を感じた鬼どもは、放っておくと続々こっちに集まりよるんよ」

「まぁこんだけ派手な光だからなぁ。さしずめ誘蛾灯ってとこか」


 山頂の禍光を見ながら溜息をつく俺だったが、そんな俺にコナデが目を見開く。


「――見えとるんか?」

「そりゃ見えるだろ」

「見えへんわボケ」


 俺の視線を追ってコナデも山頂付近を睨みつけるが、しかし俺と違ってその視線は右へ左へと彷徨ってしまう。

 どうやら本当に見えていないらしい。ってことはなんだ? 俺がおかしいのか?


「聞いたことはある。まだ退魔の血が薄まる前のご先祖さん達の中には、薄っすらと鬼門を目で見ることが出来た人もおったって。それを兄さんは『派手な光』やと?」

「そりゃ大鬼門ってくらいだから、いつにもまして演出を頑張ってんじゃねぇの?」

「んなわけあるかボケ。――しかしそうか。これがトシゾウはんの言っとった可能性……」


 またその言葉か。

 ったく、俺なんかの可能性に賭けなきゃいけないとは、いよいよ切羽詰った世紀末感満載だな。


「ほんなら予定出現位置への案内はいらんな。こっからは兄さん一人で行きぃ」


 どことなく寂しげな顔で山頂を指差すコナデに、俺は慌てて聞き返した。


「いや付いて来てくんないのか? 俺一人とか無茶振りもいいとこだろ? 寂しいと死んじゃうウサギ系男子だぞ俺は」

「アホなこと言うとる余裕はあるみたいやん?」


 ただの強がりだ。そのくらい察して欲しい。

 しかしコナデは、歯を噛みしめながら首を振ってしまう。


「ウチが行っても足手まといになるだけや……」

「んなこたぁ――」

「ある。それに、ウチにはウチの仕事があるんや」


 この大一番を控えて、他に重要な仕事ってなんだよ。

 文句が出そうになるが、幼女に詰め寄るというのも格好がつかない。

 生き死にを賭けた場でも世間体を気にしてしまう、ちょっと小者な自分が恨めしいぜ。


「そない詰め寄んなって。うっとおしいわ」


 まぁそれでも詰め寄ったがな。

 そりゃあそうだろう。人類の命運を握る一戦に、あろうことか俺一人で挑めなんて、はいそうですかと頷ける筈がない。猫の手も借りたい状況なのだ。トラの手くらい貸してくれてもバチは当たらないだろう?


 だが小さな肩をガシッと握った手は、あっけなく振りほどかれてしまった。


「言うたやろ? 京へは準備の為に戻ったて」

「言ってたな」

「それと、魔物の姉弟の魔魂を、抑え込むことも出来るって」

「それも聞いたな」


 そこまで言って、コナデは懐から何枚かの札を取り出した。

 というか今更気付いたが、今日の彼女は巫女さんみたいな服装だ。

 これが退魔師としての正装なのかもしれない。

 ちんちくりんなので、下手すりゃお遊戯発表会的な雰囲気もあるが。


「――えらい失礼なこと考えへんかった?」


 見ればグルルと、トラのルンちゃんが喉を鳴らしてしまっていた。


「全然まったく考えてないぞ。で、その札はなんなんだよ」


 なので咄嗟に話を逸らす。素晴らしい判断力に自画自賛したい。

 もっともそれを見透かしたようで、コナデは嘆息しながらジトッとした目を向けてきていたが。


「まぁええわ。――今この山には、退魔師が五十人ほど集まっとるんよ」

「そりゃあいいな! 全員で出て来る化物を袋叩き作戦ってわけか!」

「ちゃうわ。ウチですら足手まといなんやから」

「じゃあなんのために来てんだよ」


 正直心が折れそうだ。

 コナデの話を聞く限りじゃ、化物さんと俺は一対一でのご対面。しかも下手すりゃ即効ゴメンナサイされちまう。あまりにも無慈悲である。


「しゃあないんや。その鬼は、魂を喰らって力を増す」


 どこかで聞いた能力だな。


「それも兄さんみたいな不完全なものやない。喰えば喰うだけの即効性。そして、人でも魔物でも選別なく、や」


 選り好みしない雑食性かよ。

 それなら確かに戦うのは最少人数が好ましいし、他の魔物が来ないようにするのも理解出来てしまう。


「勝てんのかよそれ……」


 そして、俺ですらこの一年で相当力を増している。

 コナデ曰く、古の退魔師よりもさらに血が濃くなっているそうなのだから。

 それを喰えば喰うだけ力を増す悪食なら、どれだけ途方も無く強いのかは、想像に難くないのだ。


「普通なら無理やろな。その為の五十人や」

「というと?」

「魔物の姉弟に施したような、一時的に魔を封じる術。これを五十人がかりで行う大規模結界術。それが、今日のために準備した秘策や」


 秘策というわりに、語るコナデの語気は弱い。


「ただし、それでどんだけ効果があるかは分からんし、そう長くも持たへん。鬼が現れた瞬間に発動しても、精々が十五分。それが兄さんの……世界の命運を握る時間や」


 そう言うと、トラの上からぴょんと飛び降り、コナデは俺に近寄ってきた。

 至近距離まで近寄られると、ツァイナと同程度の身長なので頭頂部しか見えなくなる。

 しかしグッと胸倉を掴まれ、俺の視線が無理やり下げられた。


「分かっとるか?」


 俺を掴むコナデの手はブルブルと震えていた。

 きっとそれは、寒いからでも怖いからでもない。悔しいからだ。

 ならば『分かってるか』の意味は――


「分かってる」


 今にも泣き出しそうなほど顔を歪めて見上げるコナデ。その瞳に強く頷き返し、俺はニコッと笑ってみせた。


「大丈夫だ。全部俺が喰らってやるさ」


 彼女の気持ちに応えてから視線を移せば、山頂から立ち昇る禍光が、ゆっくりとその輝きを増していた。




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