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last case 明日の約束2

 《2079年12月17日》


 事務所で和やかに遅めの昼食を済ませ、今は食後のコーヒータイムである。

 トシゾウからの召集状には『現地に十九時集合』と書いてあったので、まだ余裕はあるだろう。

 もっともニューポートセンター街からだと、西の住宅地を突っ切り、さらに車で二時間程。

 現在時刻は十五時なので、たっぷり時間が余っているというほどではない。


 何をするでもなく、俺はゆったりとソファに腰掛けて最後の一時を過ごすことにした。

 ……いや、最後って何だ。最後なんかにするつもりはないぞ?

 どうにも弱気に流れている気がする。

 さっきから膝が忙しなく揺れているし、チラチラと時計ばかり気にしてしまっているのだ。

 こんなことではいかん。戦う前から呑まれてしまっては、勝てるものも勝てなくなるじゃないか。


 こんな時は深呼吸だ深呼吸。


 スー、スー、ハー……。

 スー、スー、ハー……。


「なにしてんのトウマ。出産準備?」

「惜しい。出撃準備だ」


 などと馬鹿な真似をしながら、どうにかこうにか心を落ち着ける。

 死ぬ前――などと思いたくはないが、確かに上等な葉巻の一本も吸いたくなってきた。

 死地へ向かう前の最後の一服。

 かなりハードボイルドっぽくて良いのだが、残念なことに俺の手元には葉巻が残っていない。

 シガーバー『LosAngeles』だった場所が、今や風俗案内所と化してしまっているからだ。

 かの店なくして、俺に葉巻を購入する宛ては存在しなかったのである。


「ねぇ」


 ふと気付けば、ミハネは俺の隣に座っていた。

 反対側にはツァイナが座っているので、草臥れた小さなソファは定員オーバー。体がかなり密着してしまっている。


「なにしてるミハネ。狭いんだが?」

「そこは喜ぶところじゃなくって?」

「今更お前にくっ付かれたところでなぁ……。ほんの少ししか興奮しないぞ?」

「少しするんだ」


 一体何を考えているのか。

 付き合いも長くなったことだし、今更襲ってどうこうなどとは考えていない。

 だがこうあからさまにスキンシップを取られると、どうにも変な気分になってしまうではないか。

 反対にはツァイナもいるんだから、教育上よろしくないことになりかねんぞ?


 などと考えていると、やけに真剣な瞳と目が合った。


「そんなに行きたくないなら止めたら? お爺様には、あとで私からも言っておいてあげるからさ」

「後で……か」


 口にだしてみると、なんとも遠い気がする言葉だった。

 だが、だからこそ。

 俺を気遣ってくれる奴のために、俺はその『後で』を作りに行かなければならない。

 そう思い至れば


「年が明けたら三人で旅行でも行くか」


 自然とそんな提案が口から零れていた。

 それがよほど意外な言葉だったのか、ミハネは目をパチクリさせた。コテンと首を傾げてしまったツァイナに至っては、ひょっとしたら旅行がよく分かっていないのかもしれない。


「日頃の感謝を込めて、ってやつだ。温泉なんかどうだ? 疲れを癒すにはちょうど良いだろ」

「なにそれ。年寄り臭いよトウマ」


 なんとも失礼な奴である。

 しかしジトッとした目で俺を見てきたミハネだが、本心は満更でもなかったのか、顎に指をあててう~んと何やら考え始めていた。きっと夢想しているのだろう。雪が降り積もる露天風呂の景観や、情緒溢れる温泉街を。


「温泉……ですか?」


 一方でツァイナはやはりよく分かっていない。そもそも異界に温泉という文化がない可能性もある。少し説明してやるか。


「あぁ。いってみりゃでっかいお風呂だ。足を伸ばせるし、泳ぐことだって出来るぞ」

「ちょっとトウマ。ツァイナちゃんに変なこと吹き込まないでよね。……でも温泉かぁ。それいいかも」


 そうだろう? 自分で言い出しておいてなんだが、確かに悪くない提案に思えてきた。

 明日のこと。来年のことを考えれば、自ずと震えがおさまっていたのだから。


 落ち着いたところで、チラッと再び時計に目を向ける。

 十五時三十分。

 いい頃合かもしれない。


 俺はぎゅうぎゅうのソファからおもむろに立ち上がり、着古したコートに腕を通した。

 脇にはもちろん、ここまで共に戦ってきた相棒。カミーラを携えて。

 すると


「帰ってくるよね?」


 玄関に向かう俺を、ミハネとツァイナが追いかけてきていた。

 普段はそんな大仰なお見送りはしないのだが、不安そうな視線を背中に感じる。

 なんとなくこそばゆいが、こういうのも悪くないもんだな。

 それを顔に出すのは癪なので、絶対にしてやらないが。


「当たり前だろ。お前と混浴する約束があるんだから、ちゃんと帰ってくるさ」

「こ、混浴だなんて聞いてないんだけど!? ちょ、ちょっとトウマ!?」


 慌てふためくミハネの姿に頬を緩ませながら、俺は玄関を出た。

 階段を昇って外へ出ると、灰色の空からは雪が舞い落ちている。

 はぁーっ、と手に息を吹きかけ、西へ向かって歩き出しながら


「ちゃんと帰ってくるさ」


 誰に聞かせるでもない言葉。それは雪と一緒に地面に落ちて、解けて、消えた……。



 ……。



 自動タクシーを走らせ、待ち合わせ場所に到着したのが十八時三十分。

 山間の廃村というから心霊スポット的なものを想像していたのだが、ついこの間まで人が住んでいたと言われても不思議じゃないほど、村内は綺麗なものだった。

 というか、ひょっとしたらこの為に住民を強制的に引っ越させたのかもしれない。

 なにせ国も周知している事態だ。前もって知っているのだから、そのくらいはするだろう。


 当然ではあるが、周りには人の気配がまったくない。

 いや、なさ過ぎて困惑するほどだ。


 トシゾウは、今日という日のために異能者を全国から集めたのではなかったのか?

 それに直接魔物と対峙するではないにしろ、バックアップに自衛隊くらい出動していても良さそうなものだろう。

 それが人っ子一人いない状況。

 よもやここまできて全部嘘でしたってことはないだろうが……。


 そんなことを考えてしまったのがいけなかった。


「グルルッ」


 今日が世界の分水嶺であることは嘘じゃないと、まるでそう示すかのように、廃屋の影から複数の魔物が姿を現したのだ。

 今までの経験上、魔物というのは基本的には単独行動を好む。というか、団体行動しているところには、ほとんど出くわしたことがない。

 なので、この状況が異常だということはすぐに分かった。


 すでに日も落ち、正確な数は分からない。

 だが暗闇に光る真っ赤な双眸を見れば、三匹、四匹ってこたぁないだろう。

 少なく見積もっても、ざっと十匹以上はいそうだ。


「熱烈な歓迎で恐縮だな。こんなとこで何してんだお前等」


 言語を話せる奴がいるかと期待して声をかけたが、返ってくるのは飢えた獣の唸り声ばかり。

 どうやらほとんど大型犬タイプのようである。


「ま、準備運動にゃちょうどいいかもな」


 コキリと首を鳴らして睨みつけると、それが合図。獣達が一斉に飛び掛ってくる気配を感じた。

 ぶつけられるのは、濃密な殺気の嵐である。

 タン、タンと軽やかに地面を蹴る音とともに、どんどん唸り声が近付いてくる。

 その程度で今の俺を慌てさせることなど出来やしないがな。


 プシュ、プシュ、プシュ――


 冷静にカミーラを取り出し、挨拶代わりの三連射。

 魔物の姿をはっきり視認出来ているわけではないが、闇に浮かび上がった眼の輝きから、大体の位置は把握出来ているのだ。

 それにこの一年の経験で、ある程度なら動きを予測出来るようにもなっている。


「グルォォォォォッッ!!」

「ギャンッ!!」


 断末魔は二つ。二発命中、一発は避けられたってところか。

 手応えを確認した直後、俺はすぐさま身を翻す。

 と、生暖かい風が真横を駆け抜けて行った。


「残念だったな。お前等じゃあ俺に傷一つ付けらんねぇぜ?」


 魔獣が俺に飛び掛ってきていたのだ。もちろんそんなことは予測済みだったので、ヒラリと避けてみせる。


 ズザッと背後で急ブレーキをかける音は、今しがた避けた魔獣のものだろう。さらに前方からは、また数匹の魔物が向かって来ていた。

 それらの動きを冷静に見極め、俺は一つ一つを事務的に処理していく。


 プシュ、プシュ……プシュ、プシュ、プシュ――


 カミーラが間抜けな射出音を放つたび、獣が呻き、倒れていった。

 今や俺の対魔物力は、急所にあてなくとも簡単にそれを屠る力があるのだ。


「これで最後か?」


 仲間達が手も足も出ず倒れていく様を見て冷静さを失ったのか。

 頭を振って涎を振りまきながら、最後の一匹が突っ込んできた。

 その顔面を足裏で受け止め、大人しくなったところでカミーラを押しつけ引き金を絞る。


 プシュッ――


 終ってみれば、総数十七匹。

 想定外の大群ではあったが、雑魚ばかりということもあり、なんの問題もなく処理し終わっていた。


 もちろん魔魂の回収も欠かさない。

 なんら危うげない勝利だったため、俺が負った怪我は精々かすり傷程度だが、それでも聖杯を一つ消費して余す事なく全て頂いておく。

 これでまた、一歩『可能性』を底上げ出来ただろう。

 新たに溜まった魔魂を合わせると、今は全部で二十八個。

 最低限は担保してある。


 と、せっせと魔魂を回収していると、突如ガタリと物音が聞こえた。

 慌ててカミーラの銃口を物音がした方向へ向ければ、一瞬だけ輝いた赤い眼が、すぐさま踵を返して山の方へと消えていく。

 今すぐ追うべきか否か。

 逡巡しつつ魔物が消えた方角を見やると


「なんだありゃ……」


 異様なものを見つけてしまい、俺は呆然と立ち竦むしかなかった。

 山頂付近に、気味の悪い光の柱が立ち昇っていたのだ。

 赤、黒、紫。それらをごちゃ混ぜにしたような、見るからに不吉そうな色合いの光。


 見た瞬間に鳥肌が立ち、同時に確信してしまう。

 あれが目的地。


「大鬼門……」



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