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case7 何の為に、誰の為に6

 真実を知ることは出来た。

 ドンが残したメモと土間から聞いた話を統合すれば、奴等が行ってきた所業は、確かに世界を守るという大義の下に行われたことなのだろう。


 兼ねてより反対する声の大きかった人口調整計画。

 これの真の目的は、異能者を作って魔物を倒せる人材を育成したり、SOLTに耐性のある者を造り出すことにあった。

 しかしそうだと公言することは出来ないので、反対意見を封殺する為に新興宗教『海の子供達』を利用し、国民感情を誘導したのだ。


 その事実を知る者。知ろうとする者は、余さず闇へと葬られる。

 宮園マイや、ドン・ベイパーのように。


 じゃあ、なんで俺は殺されなかったのか。

 いや、一度は殺そうとした筈だが、ここにきて土間は俺を見逃したのだ。

 ジャルジャバの奇怪な行動がなければ、あの場で俺を始末することは可能だったのだから。


 可能性――。


 ひょっとしたら、来年出てくる強大な魔物に対抗する駒として、俺は認められてしまったのかもしれない。

 もちろん奴等の本命は、空間歪曲装置を使ってのゲート破壊だろう。

 だがそれが叶わない場合。

 つまり、79派であるトシゾウの行方を捕まえられず、THテクノロジーから空間歪曲装置を手に入れることが出来ない場合の保険なのだ。


 俺は戦うのか?

 あのジャルジャバですら、裸足で逃げ出すような化物と。


 ブルっと背筋が震えた。

 冗談じゃあない。さすがに手に余る話だ。

 恐らくトシゾウは他の異能者達にも声をかけ、出来る限りの戦力を整えるつもりだろう。

 だからといって、勝算のある話には聞こえなかった。


 ならば俺もトシゾウを探し出し、空間歪曲装置とやらを土間に渡すよう説得するか?

 三十年もあれば、SOLTの治療方法だって見つかるかもしれない。

 少なくとも、あと一年後に世界が滅びるよりずっとマシな選択肢じゃないのか?


『必要なことだから』


 くそっ!

 分かってる。本当は分かっているっ!


 未来を知ることが出来るというトシゾウが、113派ではなく79派になっている理由。

 それは、それが必要なことだから。

 SOLTとかいう災厄を乗り越える為には、来年開くゲートを固定させることが必須条件なのだ。


 だがトシゾウ自身も悩んでいた。

 未来を変える為にはどうしたらよいのかと、奴はずっと悩み続けていたのだ。

 だから可能性。

 少しでも未来を変えられる可能性を、トシゾウは俺に見出したのかもしれない。


 ……無理だ。

 そんなこと俺には出来っこない。

 だってたかだが路地裏の特殊探偵だぞ?

 こそこそと嗅ぎまわって、チンケな魔物を狩るのが精々だろう?


 世界を守る?

 とんでもない化物に立ち向かう?


 俺はヒーローなんかじゃないんだ。

 そんなことは、どこかの正義感溢れる奴に任せろよ。

 例えばコナデなんてどうだろう。

 見た目チンチクリンな女性に丸投げというのも格好つかないが、少なくとも俺よりはよっぽど信念ってやつを持っているように見えた。

 それか雨宮カナタ。

 俺よりも強力な異能を持ち、対魔物、対人間問わず、彼女は優位に戦うことが出来るじゃないか。


 ……くそっ!


「くそがっ!!」


 ガキンと金属質な音が夜のしじまを引き裂き、拳から僅かに血が滲んだ。

 だが気にしない。気にならない。

 そんなことよりも、自分の不甲斐なさに腹が立って仕方ないのだ。


 いつから俺は、女の影に隠れてやり過ごそうなんて卑怯者になっちまったんだよっ!

 どっちみち、その魔物を倒せなければ世界は終るんだろ!?

 だったら死ぬ気でっ! いや、死んでも戦うのが、俺の憧れたハードボイルドな生き方じゃねぇのかよっ!


 ――ガンッ! ガンッ!


 自分を叱咤するように。

 自分を殴りつけるように、拳が何度となく鉄扉に打ち込まれる。


 しかしそんなことでは、震えた膝も、萎れた心も、何も奮い立ってはくれなかった。

 こんな事実を、トシゾウや土間は何十年も抱え続けてきたのか。

 もちろんだからと言って、宮園マイやドンを殺した土間を許すことは出来ない。

 だが、それを知らずにのうのうと生きてきた俺に、奴を罵倒して断罪する権利があるのだろうか?

 現実から目を逸らし、戦いを女子供に丸投げしようなんて考えてしまった俺に。

 はんっ! 何様だよ龍ヶ崎トウマっ!


 ――ガンッ! ガンッ!


「くそっ! くそっ!」


 もうそれ以外の言葉は出てこなかった。

 ただ無力さに打ちひしがれ、無能さに呆れ、弱さに咽ぶ。

 そうして幾度目かに振り上げた拳は


 ――パシっ


「駄目だよトウマ。血が出てるじゃない」


 優しく受け止められていた。


「ミハネ……」

「そんなに激しくノックしなくたって、ちゃんと起きて待ってたよ? お肉も残ってるからさ」


 どうやらいつの間にか、俺は事務所の前まで戻って来ていたようだ。

 無意識に殴りつけていたのは玄関の扉で、その音にミハネが様子を見に出てきたのだろう。


 だが――。


 何を言ってるんだよ。

 そんな事はどうだっていいんだよっ!

 俺の様子が、それどころじゃないって分かんねぇのかよっ!!


 胸中にドス黒い何かが溢れ出し、視界が真っ黒に染まっていた。

 自分に向けていた筈の怒りは制御出来なくなり、ミハネに受け止められた拳を無理やり引き剥がし、もう一度振り上げたところで


 ――ぽふ


 突如柔らかな感触に包まれた。

 ミハネが突然、俺を抱きしめていたのだ。

 なぜ? 訳が分からない。

 混乱する耳元に、彼女は優しく諭すように囁いた。


「まずご飯食べてゆっくり休も? それから考えればいいよ」


 あ……そうか……。


 彼女は分かっていたんだ。

 無論、俺が何に悩み、何に怒っていたのかまでは分からないだろう。

 それでも、俺の心が完全に砕け、どうにもならなくなってしまっていたことに、ミハネはちゃんと気付いてくれていたんだ。


 抱きしめられたまま、ミハネの肩越しに心配そうなツァイナの紅い瞳と目が合う。

 こんな小さな子供にまで心配をかけ、一体俺は何をやっているのか。

 それに、ゲートを固定化すれば、ドンに託された少女を家に帰してやることも出来るじゃないか。


 世界だなんだなんて考える必要はなかった。

 この少女を異界へ帰す為に。

 俺を抱きしめてくれている、ミハネを守ってやる為に。

 姿を見せなくなったカナタに、ガッカリされない為に。


「……ありがとうミハネ。もう大丈夫だ」


 そっと肩を押し返すと、彼女は覗き込むように俺を見てくる。

 心配そうに、不安そうに。それでいて、エメラルドグリーンの瞳には、少し涙の跡が見えた。


「難しいことじゃない。やるべきことは、簡単なことだったんだ」


 だから安心させる為に言ってやると、何のことか分からないミハネはコテッと首を傾げる。

 しかしもう俺が大丈夫だということは伝わったのだろう。

 一度目を閉じ顔を伏せ、再び顔を上げたミハネの表情は、いつも通りの彼女に戻っていた。


「うん。ならご飯にしよ? 私もツァイナちゃんも待ってあげてたんだからね!」


 そう言って室内に戻ろうと背を向けたミハネに、俺は


「ありがとう」


 もう一度礼を述べた。


 一人じゃなくて良かった。

 こうやって心配してくれる誰かが今この場に居てくれたことに、心から感謝したかったのだ。


「ん~、良く分からないけど、早く来ないとお肉なくなるよ?」


 そんなこんなでいつも通りに戻った我が龍ヶ崎探偵事務所。

 もう間もなく今年も終わり、そして運命の2079年がやって来る。

 せめてもう少し、この穏やかな日々に浸っていたい。


 かつては想いもしなかった考えに苦笑しながら、俺もミハネに続いたのであった。




      case7 何の為に、誰の為に  complete



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