case7 何の為に、誰の為に1
《2078年12月4日》
年の瀬も近付き、寂れたニューポートセンター街にもジングルベルが鳴り響くこの時期。
ようやく大望の情報が、俺のもとへと届いた。
「すっごく苦労したんだからね」
えへんと胸を張り、エメラルドグリーンの瞳を輝かせるのは、未だに居候を続けているお嬢様。法ヶ院ミハネである。
兼ねてより俺は彼女に、とあることを調べて貰っていたのだ。
何かを調べるとなれば、もちろんあの男。情報屋のドン・ベイパーが頼りになるのだが、今回に限ってはミハネに頼むほうが確実性が高かった。
というのも、調べてもらった内容。それが、THテクノロジーに関係することだったからである。
第一、ドンはここ一ヶ月程店を開けていない。まぁ寒さに弱そうな見た目をしているからな。大方南国にバカンスにでも行っているのだろう。
「会長に溺愛されてる孫娘なんだから、もうちょいパパッと調べられなかったのかよ」
「無茶言わないでよ。顔見知りの役員はたくさんいるけど、だからって機密情報を簡単に教えてくれるわけないでしょ」
「まぁそりゃそうか。てか、機密情報扱いだったんだな」
「そりゃあね」
いかにも『大変でした』オーラを出しつつ、こめかみをトントンと叩いてデバイスを操作するミハネ。同様に、俺にもデバイスを開けと手振りで指示してきた。
言われた通り左手首のデバイスを開くと、即座にミハネからファイルが飛んで来る。
「結構な量だな……」
それらを片っ端から開いて、俺は目を走らせた。
「政府案件……これか」
そして目的のものを発見すると、それを注意深く読み解いていく。
これこそが、俺の探していた情報。
土間ゲンジロウが官房機密費とやらを使い込んでまで、THテクノロジーに発注したものの正体である。
最初はただの裏金という線だったのだが、ミハネに調べてもらった結果、どうやらそれが本当らしいと判明したのだ。
その時は発注したものの正体までは分からなかったため、こうして調べ続けてもらっていたというわけである。
「ワープバブル……負のエネルギー……? なんじゃこりゃ」
しかし読んでみても、さっぱり内容が分からなかった。
なにやら計算式とか聞いた事のない横文字が並ぶばかりで、専門的過ぎるのだ。
いかに俺が優秀な探偵といえど、知らないものは知らない。
どれだけ頭を捻ったところで、脳から出てくるのは煙がいいところだろう。
そんな俺を見かねて、ミハネが講釈を垂れ始めた。
「ここに書かれているのはワープドライブ航法に関するものね」
「だからなんだよそれ」
「要は光速を超えた移動方法ってこと。物体を動かすんじゃなくて周りの空間を動かすことで、光速の十倍の速度が出るとかだったかな。将来的には、遠い宇宙の果てまで旅が出来るようになるかもね」
「土間は水星にでもバカンスに行くつもりなのか?」
もちろん分かっている。そんな馬鹿げたことに、機密費なんて使わないだろう。
だいたい光速の十倍? 現実離れし過ぎている。
「そうでもないよ? 研究自体は1990年代から始まっているし、かなりいいところまで進んでいるみたいだから」
「だとしてもだ。そんなものに土間が興味を持つ理由がないだろ」
「本命はこれらしいけど」
そう言って、ミハネが次のファイルを渡してきた。
「空間歪曲装置?」
「うん。さっきのワープドライブ航法を実現する過程で、周りの空間を動かす必要があるでしょ? それを単体で煮詰めたものがこれ」
土間が発注したものは、どうやらこれで間違いないらしい。
だが、やはり分からない。空間なんぞを歪めていったい何がしたいのか……。
「まぁ奴が喉から手が出るほど欲しがっているものがこれだってのは分かった。これだけでも十分交渉材料にゃなるだろ。助かったぞミハネ」
褒めてやると、ふふんと彼女は鼻を鳴らしていた。
ここ数ヶ月で、ようやく俺もコイツの扱いになれてきたのだ。慣れたくなんかなかったけどな。
「あとは土間に渡りをつけて、話を聞いて、事と次第によっちゃあその場でぶん殴るっと」
「な、なんか物騒なこと言ってない?」
「アイツがやってるだろう事を考えりゃ、この程度可愛いもんだ。それより、土間にコンタクト取る方法も頼んでいいか?」
「ま、まぁ、たぶんTH経由でなんとかなると思うけど……。相手は大物代議士だよ? あんまり無茶しないでよね?」
ミハネは咎めるような視線をこちらに向けながら、両手でコーヒーカップを包み込んでいた。
あまり厄介なことになると、THテクノロジーに。ひいては自分に多大な迷惑がかかる。それを危惧しているのかもしれない。
俺もそれは重々承知しているが、だからといって引く気などさらさらなかった。
正直、どうしてここまでこの話に突っ込んでいっているのか自分でも分からない。
当初は宮園マイがなぜ死ななければならなかったのか。彼女の想いを少しでも汲み取ってやれたら。そういう思いと、そしてなによりも、再び自分が狙われる可能性を考えての予防策だったのだ。
だがあれから随分と時間が経つが、今のところ誘拐されたり監禁されたりどころか、身の回りに不審な気配は感じられない。俺への追撃は、ないと判断しても良い時期にきている。
なのにこちらから探れば藪蛇。それこそ宮園マイの二の舞になりかねないだろう。
それでも。
それでもだ。
「人体実験。作られた子供達。異能者。どうにも俺の出生に絡む話だしなぁ」
気持ち悪いことこのうえない、というのが本当のところかもしれないなと、俺は苦笑しながらコーヒーを啜った。
そんなことのために命を張るなど馬鹿げているが、しかし知りたくなったら調べるのが探偵というもの。
もはや逃れられぬ性なのである。
「んま、代議士先生もお忙しいだろうから、とりあえずは魔物でも狩りながら待つしかないな」
「依頼も増える一方だもんね。他の異能力者は何して……あ」
依頼の内容を精査し、受けるか断るかの判断はミハネに一任している。
相変わらず俺が依頼を受ける判断基準は『十八歳から二十七歳の独身で、特定の彼氏がいない女性に限る』と極限定されたものだが、それでもここ半年は仕事が途絶えていない。
それほどに、魔物の出現頻度が多いのだ。ひょっとしたら、これも法ヶ院邸の憎たらしいメイド長。神楽コナデが言うところの『大鬼門』とやらの影響なのかもしれない。
それに、今この辺りを管轄している警察の対策課は、人材不足にあえいでいる筈だ。なにせ優秀な人間がひとり、辞職して行方をくらましているのだから。
ミハネが言いよどんだのも、恐らくそのことだろう。
カナタがいなくなったことで、彼女は俺が消沈していると思っているのだ。
「別に気にしなくていいぞ? アイツにもアイツなりの考えがあるんだろうしな」
「それはそうかもしれないけどさ……。やっぱり私のせいなのかな……」
どうやら消沈しているのは俺ではなくミハネの方だったようだ。
抱えたコーヒーに視線を落とし、エメラルドグリーンに陰りが差しているように見えた。
二人の間で何があったのかは知らないが、面倒な奴等である。
「お前が気にするようなことでもないだろ。言いたいことがあるなら面と向かって言ってくるし、気に食わなきゃ刀を振り回すような女だぞ?」
一応慰めのつもりだったのだが、なぜかミハネにギロリと睨まれてしまう。
「それはトウマに対してだけなの。なんでそれが分からないかなぁ」
「俺に対してだけ刀を振り回すとか、アイツは俺を試し斬り用の藁か何かと勘違いしてんじゃねぇのか?」
「……もういい。そろそろ寝る」
怒りとも呆れともとれる溜息を吐き出しながら、ミハネは自分の居住スペースへ転がり込み、シャッとカーテンを閉めてしまった。
何が悪かったのかいまいち判然としない俺は、やれやれと頭を掻きながら、同じく自分のベッドへと転がり込む。
初めはヒヤリと冷たい布団だったが、すぐに温かくなり、やがて俺の眠気を誘った。
土間にアポイントを取り、空間歪曲装置を餌に人口調整計画について問いただす。
割に合わないことをしている自覚はあるが、まぁそれも悪くない。
もう一度やれやれと頭を掻くと、意識はゆっくり眠りに落ちていったのだった。
……。
「トウマ。ねぇトウマ。起き――きゃっ! ちょっと! なんで腕を引っ張って布団の中に引きずり込もうとしてるの!? ダメっ! そんな場合じゃないんだって!」
まだ夜中だというのに、なぜだかギャーギャーとうるさい。
せっかく投網漁に参加する夢を見ていたのに、これでは台無しである。
しかし覚醒し始めてしまった脳は、すでに夢から手綱を離してしまっている。
非常に残念だが、起きるしかないだろう。
俺は渋々と、恨みを込めて目を開いた。
「……お前、俺の布団に潜り込んで何してんだ? さては夜這いか?」
「トウマが引きずり込んだんでしょっ!! ってそれはどうでもよくて、いいから起きて」
なぜか目の前にミハネの顔があり、ほんの少しだけドキッとしてしまったが、彼女はなにやら怯えた様子で、俺を起こそうと躍起になっていたのだ。
「なんだよ一体。今何時だと思って――」
――コンコン
時間を確認しようと時計に手を伸ばしかけた時。
不意に玄関の鉄扉が鳴り、俺は思わず動きを止めてしまった。
横を見ればミハネも同様に硬直しており、視線は玄関に縫い付けられたようになっていた。
「こんな寒い日のこんな夜中に来客なんて絶対おかしい。ありえないって」
「じゃあ今のはなんだってんだよ」
「……お化け?」
「お前は馬鹿か? せめて魔物とかなら――」
――コンコン
「こんな礼儀正しい魔物がいるわけないじゃん!」
「お化けなら礼儀正しくてもいいのかよ! つうかリスラは礼儀正しかったぞ?」
と言ってはみたものの、扉を叩く何者かは、真っ当なモノではないだろう。
俺はカミーラを握り締め、音を立てないようにゆっくり扉へ近付くことにした。
背後では、口に手を当てミハネが固唾を呑んでいる。
――コンコン
再びのノック。
ドアノブに手をかけ、一度ミハネを見やると、彼女はコクリと頷いた。
それに頷き返し
「誰だっ!!」
勢いよくドアを開け放ち、すぐさまカミーラの照準を何者かに合わせ……おや?
照準が合わない。というか、俺の視界に誰もいないのだ。
「……こんばんわ」
「おわっ!?」
思いも寄らない下からの声に驚き、一歩後ずさりながら視線を下へずらす。
と、そこには、小さな子供が立っていたのだ。
頭まですっぽりフードで覆われているが、今の声。そしてフードから溢れている金色の髪の毛。間違いなく女児だろう。
リンという前例もある。
コイツが魔物じゃない保証はどこにもないが、しかしそれでも俺は銃口を外した。
魔物ならば、わざわざノックなどしないだろうしな。
「どうした嬢ちゃん。迷子にでもなったか?」
とはいえ不審人物に違いはない。
警戒は解かぬまま、俺は静かに語りかけた。
すると女児は寒さでかじかみ、震えた指先で俺の服を掴む。
「助けて。おじちゃんを助けてあげて下さい」
「おじちゃん? そのおじちゃんが、お前をここに来させたのか?」
コクリと頷き、俺を見上げたのは深く紅い瞳だった。
金色の髪。紅い瞳。真っ白い肌。外国人だろうか?
「幼女のデリバリーを頼んだ覚えはないんだがなぁ。おじちゃんってのはどんな奴なんだ?」
女児の様子から、おじちゃんとやらは助けが必要な状況らしいが。
しかし一体どこの誰なのか。
考えているうちに、幼女はフードの中から何かを取り出し俺に渡してくる。
「名前は分からないけど、真っ黒い優しいおじちゃん。お願い助けて」
「まさか……ドンか?」
渡されたのは葉巻。
そして真っ黒いという容姿。
優しいが当てはまるかは首を捻りたくなるとろこだが、しかし該当する人物は奴しかいない。
ここ一ヶ月ほど店を閉めていると思ったら、女児を送り込んでくるとは。
何をしていやがるんだアイツは。
「場所は分かるか?」
聞いてみると、女児と俺の間に突如地図が表示された。
いつデバイスを起動したのか分からなかったが、地図に表示された光点はそう遠くない。
「ミハネ! この子を頼んだぞ!」
まだ毛布を被って怯えていたミハネに幼女を預け、俺は肌を刺すほど寒い夜空の下へと駆け出したのであった。




