case6 死に至る病7
全ての瞳が俺を見ていた。
降りしきる雨よりも大量の涙を流すカナタ。
邪魔されたと憎悪を燃やす、蜘蛛の化物。
そして、俺を見ることすら出来なくなった男。首から上を地面に置き忘れてしまっているが、見覚えのある身体つき。間違いない。間違いないのだ。
「オッサン……なのか……?」
確信を持っている。
だがそれでも、俺は問わずにいられなかった。
信じられない。信じたくないのだ。
『ワハハっ! 湿気た面してんじゃねぇぞ坊主!』
そんな幻聴が聞こえた瞬間、心がスーッと冷めていった。
「てめぇか?」
ガシャガシャと八本の足を互い違いに動かした魔物は、ニタァと口を歪めてこちらを見ている。
「てめぇかって聞いてんだよ蜘蛛野郎ッ!!」
プシュ、プシュ、プシュ、プシュ……
照準を合わせることもせず、俺はただ怒りに任せてカミーラの引き金を絞り続けた。
我ながら酷い戦い方だ。だが止められない。内から内から溢れ出す憤怒の炎が、俺の体を勝手に動かしてしまっているのだ。
プシュ、プシュ、プシュ、プシュ……
「当たらないよ下手糞ぉッ!」
図体はでかいが、奴の動きは素早かった。
八本の足を自在に操り、時には口から吐き出した糸を障害物にぶつけ、体を引き寄せるような動きまで見せる。
「食事の邪魔をしたんだ。相応の覚悟は出来ているんだよねぇ?」
食事の邪魔?
奴はカナタに向かって歩いていた。
なら、コイツが狙ってる獲物ってのは
「ざっけんなよっ! カナタにまで手を出そうなんて見過ごすわけねぇだろっ!!」
カミーラを乱射しながら、俺は位置を調整する。
茫然自失になってしまっている彼女を背中に庇うように。
「トウマ……先輩が……先輩が……」
「いいから立てっ!!」
なんとかカナタの位置までやってきたものの、彼女に戦う意志は見られない。
いや、立つことも出来ないのだ。
泣きじゃくり、オッサンの亡骸を抱え、うわ言のように先輩先輩と呟くだけ。
そこにいつもの毅然とした姿は欠片もなく、あまりの痛々しさに俺は目を背けた。
目の前にいる蜘蛛の魔物は、そんな俺達の様子を楽しげに見つめてくる。
「美味そうな絶望だろぉ? しかも希望から急転直下の、とびっきりの絶望だぁ。これを仕込むのにどれだけ時を使ったか分かるかい? なのに土壇場でテーブルひっくり返そうなんて、そりゃあ許せないよねぇ?」
カタカタと、蜘蛛の口が不気味に蠢いていた。
口内は糸なのか涎なのか分からない粘り気で満たされ、おぞましさに鳥肌が立つ。
「あぁ、でもさぁ。君が来て少し絶望から回復しちゃったってことはさぁ……? 君を先に殺したら、彼女はより深く堕ちてくれるんじゃないかなぁ?」
「やれるもんならやってみろよっ!」
するとグワッと蜘蛛の身体が起き上がり、前足の四本が鋭く頭上から降り下ろされた。
間一髪でそれを避けると、地面深くまで穿たれた跡が見える。
あれに当たれば人間の体など容易く貫通するだろう。
プシュ……プシュ……
避け様に一発。
さらに体勢を立て直してからもう一発。
いくらか冷静になった俺は、しっかりと銃口で蜘蛛を捕らえていた。
放たれた血弾はぼっこり丸い蜘蛛の胴体へと吸い込まれ、ガシャガシャ足を慣らしながら奴は後ずさった。
「痛いなぁぁぁぁッ!!」
瞬間。
「ぐあッ!!」
何故か俺は横から吹き飛ばされた。
なんだ!? なにが起きたっ!?
地面を転がりながら視線を向けると、そこには魔物。
新手か? もう一匹いやがったのか?
そう思うが、どうも様子がおかしい。
そもそも魔物は、首から上がなかった。いかに魔物といえど、それで生きているとは考えられないのだ。
となれば
「てめぇが操ってんのか!?」
「せいか~い。すぐに見破るなんて凄いねぇ。どこかのお嬢さんとは大違いだ」
よく見れば、魔物と蜘蛛の間に細い糸が繋がっていた。
平時であれば見逃すほど、肉眼では捉え辛い細い糸。
だが今日は雨。糸に当たった雨が、キラキラと輝いていたのだ。
「え……? じゃあ今までのは全部……?」
しかしカナタは奴の言葉に目を見開き、わなわなと唇を震わせていた。
「そうさぁ! 全部ぜぇんぶ、僕の人形劇っ! 全ては君を美味しく煮込むためのねぇ! そして最後の材料は、そこに転がってるオジサンってわけさっ!」
「私の……せいで……?」
俺はここまで詳しい事情を知らずに戦っていた。
魔物を追ってオッサンとカナタが戦い、その戦いでオッサンがやられてしまった。
精々がその程度の認識だったのだ。
しかし今の言葉。そして状況。
全てのピースがはまってしまう。
だから
「聞くなカナタっ!!」
叫びながら、俺は魔物に向かって走り出した。
ダメだ。コイツの言葉をこれ以上カナタに聞かせるわけにはいかない。
普段は毅然としていて傲岸不遜にも見える女だが、根っ子は違う。
本当は寂しがりで、臆病で、優しい奴なんだ。
そんなカナタの心に、今間違いなく亀裂が走っている。
これ以上余計なことを吹き込まれたら、それはあっけなく砕け散るだろう。
「んなことさせるかよぉっ!!」
カミーラが血を噴き上げて蜘蛛に襲い掛かる。
だが奴は魔物の死骸を盾に使い、カシャカシャと忙しなく動き続けていた。
当たらない。
早く奴の口を閉じさせたいのに、当たってくれないっ!!
「さてぇっ! 新食材もそろそろ調理してやろうかなぁ!」
魔物の死骸を盾にして、今度は真っ直ぐ奴が俺へと向かってきた。
速い。だが動きは単調だ。
直前で避け、横っ腹にカミーラぶち込んでやるっ!
そう思い、十分に奴を引き付けたところで
「んなっ!?」
動けなかった。足が地面から離れないのだ。
瞬時に気付く。やられた。
アイツは闇雲に避けていただけじゃなく、地面に糸の塊を地雷のように設置していたのだ。
俺は今、まさしく糸に絡められた獲物。
なら次の瞬間には――
「死ねぇぇぇぇっ!」
突き刺さった。
鋭い蜘蛛の足の先端が、俺の腹に突き刺さっていたのだ。
「ご……ッ!」
そのままズブリと内臓まで穿たれ、突き抜けた。
蝶の標本みたく、俺の身体は地面に磔にされてしまったのだ。
「ト……ウマ……。いや……イヤァァァァァァッッ!!!」
「ひやぁぁぁぁはっはぁぁぁぁぁっ!! 最高だぁっ! 最低で最高の絶望だぁぁぁぁっ!!」
耳を劈くのはカナタの絶叫と、蜘蛛の狂喜。
「私が……私のせいで……ッ!!」
「そうだぁ! 君のせいで、みんなみぃんな死ぬんだよ」
ズブリと俺の身体から足を抜き、カシャカシャと蜘蛛が向きを変えた。
醜く愉悦に歪んだ口を大きく開き、カナタを喰おうとしているのだ。
だがカナタは動かない。動けない。
自分のせいでオッサンが死に、そして俺も死んだ。
深い深い絶望に捕らわれ、自分の命を投げ出そうとしているのだ。
馬鹿がッ!!
――ブシュッ、ブシュッ、ブシュッ
立て続けに三連発。
べったりと血を塗りこみ、最大威力で放たれたカミーラの血弾を、蜘蛛の腹にぶち込んでやった。
「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁッッ!! 痛いぃぃぃぃぃぃぃッッ!!」
あまりの痛みから足を制御しきれなくなったのか。
統制の取れない足でよろめきながら、右へ左へと蜘蛛は慌てて逃げ惑う。
「ト、トウマ……?」
痛ててと腹を擦りながら、俺は立ち上がってカナタに近付き
――パチン
思いっきり……ではないが、頬に平手を張ってやったのだ。
「……え?」
「自惚れんなッ!!」
雨と涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ポカンとカナタが見上げてくる。
覇気のない。まったく生気の感じられない顔で。
まったくコイツは、何を考えてやがるのか。
呆れながらも、俺は説教をたれてやる。
「お前のせいで俺が死ぬ? 馬鹿かっ! お前みたいなまな板のせいじゃ死んでも死にきれねぇだろっ!!」
もっとも、本当にさっきは死に掛けた。
聖杯が一つ溜まっていなければ、間違いなく死んでいただろう。
まぁそれはそれだ。
「オッサンもだっ! お前オッサン舐めてんのかっ! お前のせいで死ぬほどオッサンの人生は軽くねぇんだよっ!!」
「だ、だって……」
「オッサンはいつだって死を覚悟して戦ってきた。いつ死んでもおかしくなかった。それが偶々今日だった。それだけのことだっ!!」
詭弁だ。
だが、確かにそう思ってもいる。
あの蜘蛛がカナタを獲物に選ばなければ、現役を退いたオッサンが殺されることはなかったかもしれない。
それでも、もし街中で魔物を見つけてしまったら。
オッサンは我が身を省みず、身体一つで魔物に立ち向かうだろう。
決して本望と言える最後じゃなかったかもしれない。不本意な死だったかもしれない。
それでも、その死が誰かのせいだなんて、オッサンはそんなこと絶対に認めはしないのだ。
だから
「お前のせいじゃねぇ。オッサンのおかげで、俺達はあの蜘蛛野郎をブチ殺す機会を得ることが出来てんだっ!」
そう言って、俺は無理やりカナタを引き摺り立たせる。
「武器を持てっ! 敵を見ろっ! 異能を発動しろっ! お前は誰だっ!!」
いつか二人で魔物と戦った日々。
鬼教官ぶっていた俺が、口をすっぱくして言い続けてきた台詞だ。
それを思い出し、カナタの瞳に少しだが光が戻る。
ブラリと持っていた刀の切っ先が、僅かに持ち上がる。
そして足がしっかり大地を噛み、ジャリっと小石が鳴った。
「私は対策課の異能者、雨宮カナタ。魔物を狩る者よッ!!」




