case6 死に至る病6
****** 龍ヶ崎トウマ ******
その日は一日雨だった。
だから俺は外へ出たくもないんだが、ミハネの奴がしつこく俺を外へ引っ張りだそうとしやがる。
「一緒に買い物行こうって言ったでしょ?」
「言ったな。確かにお前はそう言った。だが俺は行くなどと一言も言ってないぞ? あぁ~いつかなぁ~って答えただけなのを忘れたのか?」
「いつかが今日じゃないなんて聞いてないもん」
なんという屁理屈なのか。これだから箱入りお嬢様って奴は始末に終えない。
とはいえ、俺にはミハネに強く出られない理由があった。少しばかり用事を頼んでいるので、あまり彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないのだ。
「あ~あ。トウマが一緒に行ってくれないと、頼まれてた事に身が入らないなぁ~」
これである。
これだったら、まだミューのほうがマシだった。
そう頭を抱えるが、こいつが住み着いてから早三ヶ月。
いい加減なれなければいけないのかもしれない……理不尽だ……。
「それにこのビルも古くなってきたしなぁ~。お爺様に言って、そろそろ取り壊しかなぁ~」
「お前ホントいい性格してやがんな。ロクな死に方出来ねぇぞ?」
言いながら、渋々と俺はジャケットに腕を通す。
こいつが急に一緒に買い物へとか言い出したのは、恐らくアレが原因だろう。
ニューポートセンター街に最近オープンしたとかいうカフェ。そこのモンブランが話題らしいのだ。
「やぁっと行く気になってくれた?」
「行く気にはこれっぽっちもなってねぇからな! 行かなきゃいけない気にしたのはお前だろうがっ!」
「はいはい、いいから行くよ~」
あぁ、お元気でしょうか、我が愛しきハードボイルドな日々よ。
随分お会いしていませんが、いつ頃お戻りになるのでしょう?
……帰れない? あぁそうですか……残念です……。
そんな寸劇を心の中で繰り広げながら、ミハネと共に今日の買出しを先に済ませる。
彼女はミューと入れ替わるため、一通りミューと同じ料理を作ることが出来た。
これだけは、褒めてつかわせるところである。
最寄のスーパーに到着し、所狭しと並べられた野菜の山を見ながら、俺達は今日の献立を一緒に考える。
今日は雨も降っているし肌寒い。
なのですき焼きはどうかとミハネが言い、俺は材料をせっせと籠へ放り込む。
もちろん支払いは俺。
別に食費が二人分になろうとも困りはしないのだが、コイツの分を支払うのは納得出来ない。
いずれ法ヶ院邸に請求書を送りつける所存だ。もちろんたっぷりと利息をつけて。
そして買出しが終ると、俺は気付かぬフリをしてさっさと事務所へ向かおうと歩き出した。
だがそうはさせじと横にぴったり寄り添い、ミハネが袖を引いてくる。
ぐぬぬ……。
「あのお店知ってる?」
いけしゃあしゃあと、彼女はそんなことを言ってきたのだ。
「あぁ知ってるぞ。店内は雨漏りが酷かったり、ゴキブリが走り回っていたりと、最悪な店らしい。それがどうした?」
「そっかぁ。そんな酷いなら見てみたいなぁ」
「嘘だぞ。実は怪しい宗教がセミナーを開いている怪しいお店だ。近寄ると勧誘されるぞ」
「へぇ~。どんな宗教か興味あるなぁ」
そんなアホなことを言い合いながらも、俺の身体はズルズルと例のカフェへと連行されてしまうのだ。
この世に魔物がいるのなら、神や仏くらいいてくれても良いだろうに。
そう世界を呪わずにはいられない俺であった。
全身から不機嫌オーラを周囲にばら撒きながら、ブスッとした表情で俺は席に着く。
しかしまったくもって空気を読まないミハネは、そんな俺に構う事無くモンブランを一つと紅茶を頼んでいた。
ほどなく運ばれてきたモンブランにフォークを伸ばし、あむっと頬張ると、ミハネは「ん~!!」と恍惚とした表情で天を見上げている。
それを横目に、俺は雨のニューポートセンター街を眺めていた。
と、なにか慌しい気配に気付く。
「美味しいよ~? トウマも食べる?」
「ちょっと黙ってろ」
軽くあしらい、慌しさの原因を目で探る。
どうやら何人もの人間達が、あちらこちらへと走り回っているようだ。
しかもあの雰囲気。素人じゃない。警察か?
「なぁミハネ」
「なに~? トウマも食べたくなった?」
「それはいいから、ちょっと調べろ。今警察で何か変な動きはないか?」
俺の剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、はたまた相手にされなさ過ぎて協力する気になったのか。
ミハネは人差し指をこめかみにあて、カチカチっと何かを操作した。
すると彼女のエメラルドグリーンの瞳が輝きを増し、俺からでは分からないが、そこに何かが表示されている。
ついこの間聞いた話だが、彼女のデバイスは最新式のコンタクト型なのだそうだ。
「ん。警察の無線に割り込めた……ほぅほぅ?」
なにやら物騒なことを言っているが、そこは気にしない。
そもそも俺が頼んだことだしな。
「人探し……どうやら警察の人が魔物に攫われたみたいだね」
「警察が?」
あぁなるほど。
そりゃ躍起になって捜索するわけだ。
あいつ等は、こと身内にはとことん甘いからな。
「ん? これ、応援要請してる人……カナタさんかも」
「なに?」
最近顔を見せなくなった不肖の弟子だが、アイツが応援を頼んでる?
魔物は確かにアイツの課が受け持つ仕事だが、それでもあのカナタが応援を要請するなんてよっぽどのことだ。
「……行くの?」
ガタリと椅子を鳴らした俺を、ミハネがフォークを咥えながら見上げてきた。
「あぁ。ちょっと行ってくる」
「分かった。あんまり遅くなると、お肉なくなっちゃうからね?」
「そこはお前、家主に気を使って残しておけよっ!」
「家主より大家のほうが偉いんだよ?」
ぐぬぬと歯軋りしながらも、見送るミハネに背を向けて、俺は走り出した。
嫌な予感がする。
魔物に連れ去られた警察の人間。そしてカナタからの応援要請。
どうにも俺の探偵としての勘が、良く無いことが起きているとガンガン警鐘を鳴らしていたのだ。
……。
あちらこちらと走り回り、ついにはニューポートセンター駅の駅裏にある再開発予定地。
俺は、そんなところまで足を伸ばしていた。
この辺を探していなかったら諦めよう。
なぁに、警察が総動員で走り回っているのだ。
予期せぬ悪いことが起きていたとしても、そう滅多なことにはならないだろう。
そう考えると、なんだか雨の中を駆けずり回ったのがアホらしくなってくる。
何をやっているんだかな俺は。
雨宮カナタの名を聞いて、つい咄嗟に走り出してしまうなんて。
肩どころか頭まで雨に濡れ、苦笑しながらそろそろ帰るかなんて思っていた時だった。
突然、地の底に響き渡るような慟哭が聞こえてきたのは。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
女の声。
いや、今のは間違いない。カナタの声だ。
はっきりと認識した直後。俺の足は全速力で声のした方へ駆け出していた。
今の声はただごとじゃない。
なにがあった? なにが起きている!?
工事中と書いてあるフェンスを強引に乗り越え、敷き詰められている小石をジャリジャリと蹴飛ばし。
そして俺の目に飛び込んできた光景は、俺の想像を超えるものであった。
カナタがいる。
雨宮カナタが、雨でびしゃびしゃになった地面の上に、ペタンと尻をついて座り込んでいたのだ。
それに彼女は何かを抱えていた。大事そうに。大切そうに。何かを胸に抱えながら、悲痛な叫びをあげているのだ。
だが、俺の目を最も引き付けたものはそこではない。
カナタの背後。
そこに、男がゆっくりと忍び寄っていたのだ。
いや、男ではなかった。
俺の見ている前で、男の背中がスーツを破ってボコリと盛り上がる。
さらに、どこから現れたのか足。鋭く尖った足が八本、いつのまにか生えていた。
魔物。
どうやら珍しい蜘蛛型のようだ。
その魔物が、じわりじわりと雨宮カナタの背後に近付いていく。
口を大きく開き、尖った牙をむき出し、ダラダラと節操なく涎を垂らしながら。
だがカナタは気付いていない。
何も見えない。何も聞こえない。
まるでそう言うかのように、ただただ慟哭しているだけだ。
「くそっ!!」
懐からカミーラを抜き、俺は魔物にむけて引き金を絞った。
――プシュ
間抜けな音だが、こと魔物に対しては効果絶大の対魔銃。
それは俺の血液を弾と替え、まっすぐ魔物に向けて発射されていた。
「ゴアァァァァァッッ!!」
痛みから絶叫し、こちらへ振り返る大きな蜘蛛。
「邪魔をするなよぉぉぉぉぉッ!!」
奴は人の言葉で俺に敵意をぶつけ、ついでに口から何かを吐き出した。
あまり攻撃力は高くなさそうだが、嫌な予感がして咄嗟に身を転がす。
バチャバチャと泥に塗れてしまうのはいただけなかったが、避けた箇所を見てホッとした。
あれは糸だ。しかも、かなり粘着力が高いようである。
あんなものを喰らってしまったら、身動き出来なくなってしまうだろう。
あとは餌食だ。あの牙と爪の。
そう身震いし、蜘蛛に向き直ると
「……トウ……マ?」
見たこともない程顔を歪めたカナタと目が合い。
そして、彼女が抱えていたものがなんなのか、俺にも見えてしまったのだった。




