case5 依頼のない依頼4
一撃のもとに魔物を屠り、その死骸を見ながら俺は事の顛末に思いを馳せていた。
最初から、魔物に狙われているのは俺ではなかった。
奴は俺が事務所にいる時は一度も来なかったのだから、自然とそういう結論になる。
では誰を狙ったのか。
この事務所にいるのは、俺以外だとミューだけである。
以前はカナタも入り浸っていたが、ここ最近は顔を見せないしな。
さて。となるとおかしな点に気付かざるを得ない。
ミューはアンドロイド。人間ではない。
それを、魔物が間違えて標的とするだろうかという点だ。
答えは否だろう。
法ヶ院邸を襲ったジャルジャバは、きっちりとアンドロイドメイドだけを破壊して去っているのだから。
コナデは重傷を負っていたが、ジャルジャバに逃げる余裕があったことから、初めから人を殺すつもりはなかったのだと推測出来る。
まぁアンドロイドならともかく、人を殺してしまったらその後に交渉の余地がなくなるからな。
ジャルジャバの裏にいる土間ゲンジロウは、そう考えて人を殺さないようにと伝えておいたんじゃないだろうか。
とにかく。
魔物の本能か何かは知らないが、奴等が人とアンドロイドをしっかりと見極められるということならば、アンドロイドであるミューを狙う理由がない。
となれば答えは一つ。ミューはアンドロイドではないという話になるのだ。
もっとも俺は、ミューの態度に以前から違和感を覚えていた。
あれは俺が監禁されて殺されかけた後だったか。
彼女はまるで本当に呼吸しているかのように、俺に向かって溜息を吐き出していたのだ。
「なら、ほとんど入れ替わった直後から気付かれていたってことになっちゃう」
魔物の死骸の横で淹れ直したコーヒーを啜り、法ヶ院ミハネは天を仰いでそう嘆息した。
完璧に入れ替わったはずなのに、最初から見破られていた。そのことが、彼女の矜持を傷つけたのだろう。
「まぁ普通の人間なら気付かないかもな。実際俺も、おかしいとは思ったが確信には至らなかった」
正確には、確信するに至れる筈がない、である。
そもそもミハネがミューと入れ替わる計画。これが最初から仕組まれていたというのは、今となっては明白だ。
最新鋭の家庭用アンドロイドだというのに、何かを思い出す時には人間臭い動きを見せて時間をかけるミュー。
性的接触は不可能だと言い、自爆機能などという脅し文句まで備えている不自然さ。
この辺りは、入れ替わった後で気付かれない為の処置だろう。
それにミューは、俺との距離を意図的に空けていた。
あまり好かれすぎないようにというのは、好意を持たれないようにということだったのかもしれない。
極めつけは、ミューの太ももにある火傷跡。
ミハネの火傷跡を模倣した理由は、まさにこの時の為だったと言い切れる。
ここまで徹底した計画。
だからこそ、俺は確信に至れなかったのである。
なぜなら、これだけの計画を立てられるということは
「法ヶ院トシゾウは、未来を知っている――」
ということになるからだ。
果たしてそんなことがあるのだろうか。
しかし、そんな馬鹿げた仮説を立てることで、全ての不自然な状況に説明がついてしまったのだ。
「そう。お爺様は、未来を知っている」
俺の言葉に、ミハネが同調した。
法ヶ院邸で初めて会った時から、トシゾウは俺に敵意を剥き出しにしていた。
それが、今日この日を知っていたからだとすれば、なるほど。溺愛する孫娘と一緒にシャワーを浴びる男。罵声を浴びせたくなるのも当然か。
あの屋敷で俺からミハネを遠ざけたのも、ミューと瓜二つの姿を先に見られることを避ける為だったのだ。
「しっかし、そうだと分かっても解りたくねぇな。てか信じきれねぇ」
「だよね。だから、証明してあげる」
証明? 未来を知っているということを、どう証明するつもりなのか。
「私の言う通りに動いてみて。あと十秒後、一歩左へ……五、四、三、二、一、今」
それでどう証明になるのかは分からないが、俺はミハネの言う通りに一歩左へ動いてみる。
――ヒュン
「なっ!?」
瞬間、俺が元いた位置を何かが過ぎった。
いや、何かじゃない。扉だ。破壊されて吹き飛び、床に転がっていた筈の扉がいきなり飛んできたのだ。
慌てて振り返れば、死んだと思っていた魔物。
奴が動き出していた。
「しつけぇと嫌われるぜ?」
すぐさまカミーラを抜き、俺は魔物の眉間を狙って引き金を絞る。
――プシュ
いつも通りに間抜けな音を鳴らし、俺の血弾が発射された。
それは寸分違わず獣の眉間へと吸い込まれ、今度こそ奴は絶命する。
いや、さっきも絶命していた筈だ。何故?
「その魔物、自己再生するらしいよ」
「なんだそりゃ。厄介な奴もいたもんだな」
しかしそうと分かれば話は早い。
奴が魔物たる所以。魔魂さえ抜いてしまえば、もうおかしなことにはならないだろう。
そう考え、俺は左手を奴の額に当てた。
するとポワッとした光が浮かび上がり、それは俺の手へと吸い込まれていく。
「これで完了っと」
そうしてからミハネを振り返る。
彼女は得意げに腰に手をあて、どうだと言わんばかりの視線を俺に向けていた。
「あぁ分かった。信じるよ。信じてやるさ」
魔物の反撃を事前に予測したこと。
これは、未来を知らなければ到底不可能な神業である。
「しかしだ。未来を知ってたんなら、コナデが重傷を負うことは避けられたんじゃないのか?」
「必要なこと。お爺様はそう言ってた」
またそのフレーズかと俺は肩を竦めた。
だがそうか。そういうことだったのか。
あの爺様は全てを知っていて、そのレールから外れないために、色々と画策してくれてたわけだ。
「で、今の未来予知。お前も未来を知っているのかミハネ」
「残念だけど私が知ってるのはここまで。ここから先は教えてくれなかった。自由に生きろ。レールなんて見なくていい。道は、お前が歩いて作ればいいってさ」
良い事言っている風だが、そう言う爺様こそが未来に縛られているんじゃないか?
まぁ爺様のことだ。それも必要なことなんだろう。
今回のことにしてもそうだ。
コナデがリスラとボドウェーを連れて京へ戻っているという状況ではあるが、だからといってミハネを守る役目が俺である必要はない。
他にも特殊探偵なり異能使いというのはいるのだから、わざわざ嫌っている俺に。しかも入念な準備をしてまで預ける必要はなかったのだ。
俺が見えている範囲では、だが。
全ては爺様の都合。トシゾウにとって、これが必要なことだということだ。
「なんだか手の平で踊らされるってのは気持ちの良いもんじゃねぇな」
「そんなに便利なものじゃないみたいだけどね。未来を知るっていうことは」
「そうか?」
便利すぎるだろうと反論しかけて、俺は口を噤んだ。
以前に法ヶ院邸でやった爺様との問答を思い出したのだ。
『どうしてもそれを避けたいと思ったなら、どうするべきかの』
決められた未来を避けようともがくトシゾウ。
あれは、そういうことだったのだろう。
なんにせよ、依頼されたわけではないが、俺はトシゾウの依頼を無事に達成したらしい。
やけに落ち着いているミハネは変わらずコーヒーを啜っているが、事は済んだのだ。
これでミューが戻ってくる必要もないし、悠々自適の一人暮らしが俺の手に返って来たというわけである。
「っしゃ。そう考えれば悪いことばかりでもないな。よし、帰っていいぞ」
そう言って手をヒラヒラと振ってやる。
まずは部屋の片付けか。ミューがいた頃のような清潔感までは求めないが、扉が吹き飛んだままというのはよろしくない。
俺の事務所を訪れる客が激減してしまうからな。
次に……ん?
「帰っていいぞ? なんなら自動タクシーでも呼んでやろうか?」
「ん~、その必要はないかな」
なにやら物色するように室内を見渡すミハネに、俺は嫌な予感がしていた。
「ここのスペースを貰おうかな」
「何の話だ何の。いいからとっとと帰れ」
追い出そうとするが、ミハネはどこ吹く風。ミューの備品として買った服やらを、すでに自分の物と決めたスペースに持ち込み始めていた。
「人間だってバレちゃってるからね。プライバシーは尊重しなくちゃ」
そうして布やらタオルやらをカーテン代わりにし、室内に区切られた小部屋を造ろうとしているのだ。
何を考えているのか。そんなこと考えるまでもない。
「ダメだダメだ! 住まわせんぞ!」
「もう決めました。あ、そういえば知ってた? このビルのオーナー。うちの傘下なんだよ」
なん……だと……?
というか、今のは明らかな脅しじゃねぇか!
住まわせなきゃ、住めなくなるのは俺の方ってか?
と、ギリリと奥歯を噛み締めるものの、当のミハネはすでにベッドメイキング中。
時間も時間なので、さっさと寝てしまおうとしていやがるのだ。
「じゃ、おやすみ。あと、改めてこれからよろしくね」
「ふっざけんなよっ!!」
俺の文句が、魔物に荒された龍ヶ崎探偵事務所で、虚しく響き渡ったのであった。




