case5 依頼のない依頼2
「いやぁお待たせしてしまって申し訳ない。なにぶん忙しい身分でね」
二日後。
高山田コウスケの事務所を訪れた俺は、さっそく応接室へと通されていた。
こじんまりとしているが、防音性の高い厚手の扉で仕切られているこの部屋での会話なら、外に漏れることはないだろう。内装は質素で、テーブルとソファ。壁には高山田の選挙ポスターが並んでいた。
そこで二杯目の緑茶を飲み終わる頃、ようやく若い男が現れた。
しかし若いと言っても俺よりは少し上。あくまでも、国会議員として若いといった年齢だ。
キッチリとしたスーツにネクタイ姿。髪もビシッと固めているが、なんとなく軽薄な印象を受ける男だった。
「いえいえ。お忙しい中お時間を割いて頂いて恐縮です」
使い慣れない敬語で挨拶をしながら、俺は立ち上がって名刺を差し出す。
「夕刊チザクラ政治部? 聞き覚えのない夕刊紙だけど、随分と物騒な名前だね。是非とも改名をオススメするよ」
そりゃあそうだろう。
なにせその名の刀を持っているのは、名前よりも物騒な女なのだから。
と、偽の身分に気付かない男は俺の対面に腰を下ろし、すぐさま指を組んで俺を覗ってきた。
「で、何が聞きたいのかな? ってそりゃあ汚職のことに決まってるか」
はははっと自嘲気味に笑うコウスケ。秘書とは違い、あまり疑惑を重く受け止めていないのかもしれない。
俺はまず、そこから探りを入れることにした。
「地元の建設会社からワイロを受け取ったということですけど、それは本当ですか?」
「まったくの出鱈目だね。どこからそんな話が出てきたのやら。まぁ予想はつくけど」
「リークした人物に心当たりがある?」
するとコウスケは瞳をギラリと輝かせた。
「土間先生の側近だろうさ。僕に身辺を嗅ぎまわられて、よほどお腹が痛いと見える」
出てきた名前に、俺は小躍りしたくなる心境だった。
どうやってそこに話を持っていくか。いくつかシミュレートはしてきたが、こんなにあっさり土間に行き着くとは思っていなかったのである。
俺は、ここぞとばかりに話を切り込むことにした。
「そういえば高山田先生は土間代議士と政策で食い違いを見せていましたね。敵対と言ってもいいほどに」
「あぁそうさ。人口調整計画? あれはさっさと止めるべきだと僕は思っているよ」
彼が土間との意見を違えている理由。それが人口調整計画によるものだということは、事前に調べてある。
だから欲しかったキーワードに驚きもせず、俺は話を進めた。
「とはいえ、かの計画が始動してからすでに三十余年。出生率は安定し、平均学力も高い水準で維持されていることから、成功していると言えるのではないでしょうか?」
「数字の上ではね。そういえば君は、年齢からいって人口調整計画の施設で生まれたのかい?」
「えぇ」
海の子事件に巻き込まれて放り出されたが、とは言わないでおく。
土間を追い詰める情報としては黄金の価値を持つネタだが、証拠もなにもないのだ。
限りなく確信に近い憶測。今はまだ、誰かに話すべき時ではない。
「そうか。何か体に異常は? 他人と違うと感じたことは?」
しかし突然の言葉に、俺はギクリとせざるを得なかった。
他人と違う。それは異能の事を言っているのだろうか?
何故彼がそれを知っている? まさか土間の息がかかっていた?
いくつかの推論が頭を駆け巡ったが、そのどれもが違うと、次のコウスケの言葉で知れた。
「あの施設は何かおかしい。僕が思うに、人体実験場なのではないだろうか」
「人体実験? 何故そう思われるのですか?」
「見たんだよ、僕は。あの施設をお忍びで視察した時にね」
だから彼は、俺の体に何か異常はないかと気遣ったのか。
しかし人体実験とは穏やかじゃない。
一体コウスケは、そこで何を見たというのか。
覗き見るように彼を見やると、コウスケは組んでいた指を忙しなく動かし始めていた。
まるで、何かに怯えているように。
「人口受精の技術について、僕は門外漢だ。詳しいことは分からない。でも、あれが正常な行いではないということくらいはピンときたよ」
そう前置きして始まった話は、実に興味深いものだった。
受精卵に何かを注入していた。
それも、一人一人に違う何かを。
確かに話を聞けば、実験という言葉が頭を過ぎらざるを得ない。
そして、注入するものの元になっていた物。そこに記されていた言葉に、俺は聞き覚えがある言葉を連想したのである。
「瓶のラベルには、たしかマシュマロ族だかなんだかって文字が書いてあったね。まったく聞き覚えのない言葉だったようにも思う」
マシュマロ族?
違う、そうじゃない。
きっとそれは『マシュラ族』だ。
「それが、高山田先生が土間代議士の政策に反対する理由ですか?」
「それだけじゃないさ。あの施設。出生率は確かに安定して必要数を満たしているけど、実は出生数と施設から出てくる人数に食い違いがあるんだ」
「生まれた子供と、施設から社会に出てくる人間の数が合わない?」
「足りないね。およそ一割。毎年足りなくなっている」
確かに不可解な話だな。
百人生まれたのに出てくる時には九十人に減っている。
普通であれば、事故や病気が原因でそういうこともあるだろう。
しかしあそこは国が管理している施設だ。俺も九歳まではそこで過ごしていたので分かるが、運動、食事、かなり徹底した管理下にあった筈である。
生まれつきに不治の病を持った子供もいたかもしれないが、それでも一割減るというのは異常。
消えた子供達は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
「理由は分からなかった。でも、何か異常なことをやっているってのは、今の話だけでも分かってくれたと思う」
「……そうですね」
今コウスケが俺にこんな話をしているのは、それを記事にして欲しいということなのだろう。
ちゃんと調べて、土間が言い逃れ出来ないほどのスキャンダルを掴め。そうして奴を追い詰めろ。彼はそれを願っているのだ。
それを理解したうえで、俺はその心を利用することにした。
「もし事実であるなら、汚職疑惑など軽く吹っ飛ぶほどのスキャンダルです。いや、大事件と言えるでしょう」
「あぁ、そうなんだ! 僕のワイロ疑惑なんて、これに比べたら道端の小石程度の価値もないさ」
……おや?
こいつ、さては本当にワイロを受け取りやがったな?
コウスケの態度から、なんとなくそういう印象を受けてしまう。
あぁ、だからそれを知っている秘書は、形振り構わず俺みたいな怪しい男のアポも受けたのか。
ますますもって、コウスケの疑惑は確信へと近付いた。
しかし、それを明らかにすることが俺の目的じゃない。いっそ、どうでもいい話だと割り切れる。
そう考えをリセットし、話を土間へと戻すことにする。
「しかし、人口調整計画は土間代議士一人の政策ではありません。彼がどこまで関わっているのか。誰が関わっているのかを探り出すのは容易じゃないでしょうね」
「そうなんだよ。恐らく土間派と言われる先生達なんだろうけど、数が多いし派閥も多岐に渡っている。下手に突けば国家のスキャンダルにもなりかねない……」
土間派。
その言葉は、ドンからも聞いていたな。
「土間派というのは?」
それをすっとぼけたフリをして聞いてみることにした。
何か知っているかもしれない。
「さて、僕も詳しくは知らないよ。所属させてくれなかったものでね。でも派閥どころか違う政党の先生も所属しているし、ご高齢の方ばかりのところをみると、あれはただの老人会みたいなものだろうね。あ、今の発言はオフレコにしといてくれよ?」
「え、えぇ。それはもちろん。しかし老人会ですか」
「対抗して79派なんてのもあるみたいだけどね。何を争っているのか僕は蚊帳の外だよ」
それは初耳である。
79派? 確か土間派も113派という別名があった筈だ。
79と113。その数字に意味があるのだろうか?
思わぬ情報に考え込んでいると、コウスケは焦れたように身を乗り出してきた。
「そんな話より土間先生の話を詰めよう」
「他にも何かあるのですか?」
「ある。さっきまでの話と違い、これは土間先生だけのスキャンダル。先生のアキレス腱になりえる話だ」
コウスケは目を輝かせているが、正直なところ胡散臭い。
彼の思惑は、土間を追い落として自分にかかる疑惑を有耶無耶にしたい。そんなところだろう。
ならばあり得ない話をでっちあげて、自分から目を逸らそうとするくらいのことはしてくる。
政治家とはそういう生き物なのだから。
それにガセネタだったとしても、記事にするのは聞いたこともない夕刊紙の記者。
そいつがどうなろうと、痛くも痒くもないと彼は思っているのだ。
俺がそこまで見透かしているとも知らず、敵将の首を掲げるように誇らしく。声を潜めてコウスケは耳打ちしてきた。
「僕にかかっている汚職疑惑。そんなものよりも、遥かに大きな金額を不正に使ったという噂があるんだ」
「不正に使った? 受け取ったではなく?」
「官房機密費というのを知っているかな? 合法的に使途を明かさなくて良いお金なんだけど、土間はそれを使い込んだ形跡がある」
ありがちな裏金疑惑か。
土間を追い詰めるには良いネタなのだろうが、俺には興味のない話だった。
その程度の話であれば、政治家なら大体当てはまるだろうからな。
これ以上聞ける話もなさそうなので、俺は話を切り上げようとする。
だが無視して帰るわけにもいかないので、一応は体裁を整えなければならない。
仕方なくと、彼に話しの先を促した。
「土間先生はそのお金をある企業に流し、何かを発注したらしい。もちろんそんなのはブラフ。ただの裏金だろうね。なにせ未だに納品されてないんだから。一応納品を急かすフリはしているみたいだけど」
「なるほど。で、その企業というのは?」
我が意を得たりと、コウスケがニヤリと口元を歪めた。
そして口にした企業名に、俺の背筋がヒヤリとする。
「THテクノロジーさ」




