case4 異能力者VS異能力者6
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《2078年6月5日》
ニューポートセンター街のメイン通りから外れた、昔ながらの商店街。
もっとも、現在ではほとんど全てにシャッターが降りていて、まともに営業している店舗はほんの数店しかない。
その中の一つ。
雑誌に取り上げられたりネットで話題だったりとそういうことはないけれど、知る人ぞ知る老舗の洋菓子店『パトラ』を窓から監視しながら、私は向かいにある喫茶店で紅茶を啜っていた。
こんなことをして何になるのか。
そもそも対策課である自分に、ここまでする理由があるのか。
一つは矜持。傷つけられたプライドは、二百倍返しにして返さなければ気が済まない。
もう一つは、他にするべきこともないから。
本分である魔物絡みの事件は鳴りを潜め、今のところ出動しなければならない事案は起きていない。
かといって、コーヒーの香りが漂うビルの地下へは、少し行きづらくなっていた。
「別に喧嘩したわけじゃないし」
自分に言い聞かせるような言い訳が口から漏れてしまったことに、ハッとなって周りを見回す。
大丈夫。聞かれていない。
他に客は一組しかいないし、店主は奥に引っ込んだままなのだから。
「なにやってるのよ私」
そんな自分の態度にも嫌気がさし、ついつい愚痴が零れてしまう。
本当に。どうにも最近、私の調子は狂わされっぱなしな気がする。
以前はこんなではなかった。
渡利嶋先輩は尊敬する人物だし、色々教えて頂きもした。
だから先輩に対する私の態度はかなり柔和だと自分でも自覚しているけど、他者に対しては違う。
弱みを見せないように。感情を悟られないように。
私は他者との間に濃くて太い線を引き、決してそこを踏み越えないように、踏み越えさせないようにしていたのだ。
そのせいか、影で『氷の女』とか『能面』とか陰口を叩かれていることも知っている。
だけど構わないし、仕方ない。そんな生き方しか出来ないのだから。
なのにここ半年。
その線をあっさり乗り越えられてしまった。いえ、乗り越えたのは自分からだったか?
とにかく彼との間にあった線は消滅し、いつしか距離は息がかかるくらいに近付いている。
そして、それを悪くないと思っている自分もいるのだ。
初めて会った時から考えれば想像も出来ないことだけど。
『これからは雨宮君が坊主の面倒を見てやってくれ。頼んだぞ』
内勤に移ると決まった時、先輩は私にそう言付けた。
なぜ先輩がそこまで彼を気にしているのか分からないけど、断る理由は特にない。
私としても、あの危なっかしい男を放っておくのは心配なのだから。
『これでやぁっと肩の荷が下りたってもんだ』
了承した時に先輩が見せた笑顔は、とても自然で、数十年の重みを感じさせた。
それをこれから私が背負っていく。
不安がないわけじゃないけど、楽しみでもある。
そう思っていたのに
「ちょっと言い合ったくらいで会い辛くなるなんて……」
こんなに自分が弱い人間だったかと、正直驚いている。
……違う。
まともに人付き合いをしてこなかったから、経験値が不足しているのだ。
喧嘩も、心配も、信頼も。一人では経験出来ないことなのだから。
とはいえ。
どちらが悪いかと言えば、それは間違いなく向こう。龍ヶ崎トウマだ。
私の知らないところで勝手に危険に巻き込まれ、なんとか助けることが出来たと思ったのに懲りていないのだから。
自分が死に掛けたということを、彼はちゃんと自覚しているのだろうか?
いっつもどこかの女。それも、たぶん胸の大きな女に現を抜かし、命を危険に晒す大馬鹿。
先輩に頼まれてはいるけれど、これ以上は面倒見切れないわ。
「まったく。何してるのよアイツ……」
なのに口は、勝手にアイツを心配するような言葉を吐き出してしまう。
本当に私はどうしてしまったのか。
まぁいい。
とにかく土産話でも作って、それをアイツに自慢しに行ってやろう。
そのために今、私はお腹がたぷたぷになるほど紅茶を飲んでいるのだから。
しかし今日で三日目。
来るかどうかも分からない待ち人は、やはり今日も現れる気配はない。
そろそろ街灯が灯り始めたから、このお店も向かいのお店も、シャッターが降りる時間だろう。
また空振りか。
捜査方針を変えたほうが良いかもしれない。
そう考え、私が席を立ちかけたその時だった。
男が一人。向かいの洋菓子店へ入っていったのは。
――ゾクッ
鳥肌が立つ。
待っていた。彼が来るのを待っていたのだ。
でもそれが、いざ本当に現れたとなると、思わず背筋に冷たいものが走ってしまう。
応援を呼ぶべきか?
いえ、いくら人が増えても無意味だろう。
むしろ油断してもらうためにも、私一人のほうが都合が良い。
なぜなら彼。東雲キョウヤには、異能の力があるのだから。
「ごちそうさま」
カウンターに紅茶二杯とチョコレートケーキ分の代金を置き、音を鳴らさないように私は外へ出る。
そしてすぐさま物陰へと身を隠した。
すると、それほど待つまでもなく、東雲キョウヤは横長の箱を二つ携えて店から出てきた。
中身はきっとシュークリームだろう。
大して当てにしたわけではない情報だっただけに、内心驚きを隠せない。
しかし見張られているとは思っていない男はよほど嬉しいのか。ホクホク顔で来た道を戻り始めた。
逃がさない。
刑事魂とでもいうべき感情が燃え上がり、私は彼を尾行する。
だが相手は裏世界で一目置かれる大物。そして異能力者だ。細心の注意を払うが、緊張は隠しきれない。
どくんどくんと心臓が跳ねる音。薄っすらと額に汗が滲む感覚。
心拍数が上がっているが、呼吸を荒げるわけにはいかないのだ。
ゆっくりと。
しかし見失わないように確実に。
私は彼の影となるよう、ただ静かに追い続けていた。
やがて辺りからは人気がなくなり、民家はあるものの空き地が目立つ風景へと変わってくる。
黄昏時。
せめて帰宅する会社員が多ければ良いのだけど、生憎そういった人とすれ違うこともない。
そしてついに、私と彼以外の人間がいなくなってしまったのだ。
これ以上の追跡は不可能。
振り返られたら間違いなく気付かれる。
そう判断し、次の曲がり角で別れよう。そう決断していた。
――が、遅かった。
「ここらでいいだろぉ?」
立ち止まり、東雲キョウヤがそう言ったのだ。
振り返りはしないものの、それは間違いなく私に言った言葉。
だから私は、愛刀『血桜』の柄にそっと手を伸ばして鯉口を切った。
「気付いていたなら異能を使って逃げれば良かったのに」
彼の異能は瞬間移動。
戦いではもちろんのこと、こういった場面でもいかんなく力を発揮する恐ろしい力だ。
しかし彼はゆっくり振り返り、小馬鹿にするような視線でこちらを見下ろす。
「必要がねぇだろぉ? そっと一撫ですりゃあ、払える程度の火の粉相手によぉ」
「甘く見られたものね」
抜刀。
薄暗い小道で街灯に照らされ、抜き身の血桜がギラリと刀身を光らせた。
だが彼に気負った様子は見られず、あくまでも余裕の態度を崩さない。
「お仲間は待たねぇのかぁ? 無理だぜ? てめぇ一人じゃあよぉ」
「誰も呼んでないわ。貴方相手じゃ人数だけ増やしても無意味でしょう?」
「ぶはっ! 違いねぇ。懸命だなぁオイ。けど寂しいんじゃねぇか?」
寂しい? 何がよ。
「四十と九日。一人で裁きを待つにゃあ、ちっと長ぇぞ?」
「貴方が熱心な仏教徒だとは意外ね。神も仏も信じないクチかと思ってたわ」
「魔が跋扈するような時代だぜ? 何が居たっておかしかぁねぇだろぉよぉ」
箱からシュークリームを一つ取り出し、それにむしゃぶりついたキョウヤ。
はみ出して手首を伝うカスタードクリームをペロリと舐め上げると、彼はそう茶化し。
そうして言った。
「肩を殴ってくれた借りも返してぇしな。んじゃ、殺るか」




