case1 残酷な依頼3
ファミリーレストランを出た俺は、白石リンと連れ立って彼女の自宅へと向かっていた。
その道中。詳しい経緯を聞き出そうと隣を歩くリンに話かけているのだが、傍から見れば仲の良い兄妹。いや、年齢差を考えれば父娘か? それが楽しく散歩をしている微笑ましい光景に見えることだろう。
もっとも、当の本人。俺が仏頂面でなければの話だが。
「なら冬を越えたら三年生か」
「うんっ!」
だがリンは楽しそうである。俺が何か質問をするたびにニコニコと俺を見上げ、元気な答えを返してきていた。
ようやく母親を助ける目処がたった。そういった希望を見出しているからかもしれない。
こちらとしても、会話が途切れるのはよろしくないので非常に助かる。なんといっても歳の離れた男と幼女だ。仲睦まじく見せておかねば、下手をすれば誘拐の真っ最中。不審者として通報されかねないからな。
遺憾ではあるが、父娘に見えるように体裁は整えておかねばならないのである。
しかし次の質問で、リンの表情が翳ってしまった。
「学校は楽しいか?」
「……どうだろ」
即座に失言だったと思い至る。
そもそも今の時代の学校とは、2000年代初頭とは意味合いが違うのだ。
恋愛を経て結婚に至った男女が子を産み、育てる。そういった時代は、とうの昔に過ぎ去った。
人口調整、学力の平均化。それらを目的として、子供を産み育てるというのは国の事業となって久しいのだ。
なので人工的に子供を生産し、十六歳を向かえるまで国の施設で教育を施す。それが健全かどうかはさておき、今の学校とはそういうもの。
リンのように普通の男女が夫婦となり、そして生まれてくる子供というのはとても珍しい存在となっているのである。
となれば、当然リンの周りにいるのはそうして産まれてきた子供達だ。同年代といえど疎外感は否めないだろう。友達など出来よう筈もない。
俺自身も学校というものをほとんど覚えていないため、そのことを失念していたのだ。
「でも楽しいよっ! 毎日ママと一緒にいられるしっ!」
半世紀も前ならばおそらく当たり前だった台詞。今は違和感しかない言葉だが、それがあたかも俺の失言を誤魔化してくれたようで。幼いながらも健気に俺を気遣うリンに、俺は思わず目を細めた。
と、そのリンが突如とてとてと走り出し、一軒家の前で立ち止まって俺を振り返る。白を基調とした二階建ての家には『白石』と表札が掛かっていた。
「ここだよっ! お兄ちゃんもどうぞっ!」
いつの間にか目的地へと到着していたらしい。
街の喧騒を遠く離れた住宅街。玄関を開けて元気に帰宅を告げたリンが俺を手招きしている。『お兄ちゃん』という呼び名に戸惑いつつ応じようとした矢先、今度は家の中からパタパタとスリッパを鳴らして若い女が出迎えに出て来た。
「おかえりなさいリンっ!」
母親なのだろう。
彼女は出て来た勢いそのままにリンを抱きしめ、頬ずりまでし始めている。まるで戦地から帰った夫を出迎える妻のような愛情表現だ。下校するたびにこれというのは少し過剰ではないかと思うが、実子というのはそういうものなのかもしれない。
とはいえ慣れない光景に苦笑していると、リンがこちらに視線を送ってきた。
「ただいまママ。探偵さんも一緒だよ」
「探偵さん?」
そこでようやくこちらを見止めるリンの母親。
年齢はリンの申告通りに二十六くらいだろうか? 少し肌艶に衰えは感じるものの、目元のホクロと相まって未亡人の妖艶さを醸し出している。
家事の邪魔にならないようにか黒く長めの髪の毛を一つに纏めた女性は、名残惜しそうに娘から顔を離し、訝しむような視線を俺へと向けてきた。
「……どちらさまですか?」
少し棘の含まれた声音に、自分が招かれざる客なのだろうと感じられる。今しがた娘を溺愛した女とは思えない程、彼女の態度は冷ややかだった。
「龍ヶ崎トウマ。特殊探偵だ」
「……特殊?」
その言葉を聞き、彼女は再び娘へと視線を戻した。だが先ほどまでと違い、愛しい愛娘へ向ける眼差しではなくなっている。不安と恐怖を声に乗せ、母は娘を問い詰めた。
「どういうこと?」
「ママ、狙われてるんだよ?」
そういうことかと得心し、それでも彼女から向けられる視線が柔らぐことはなかった。
しかし玄関先で立たせたままというのも世間体が悪いのだろう。客用のスリッパはすぐに準備された。
「……どうぞ」
短く言い背を向けた女に肩を竦めると、見上げるリンと目が合う。幼いながらも気遣いが出来る幼女は、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべていたのだ。
それに片眉を上げて応え「お邪魔するぜ」と告げてから俺も玄関を上がることにした。
……。
日当たりの良いダイニングに通され、腰を落ち着けていた俺。
だが出されたインスタントのコーヒーには手を伸ばす気になれず、室内をキョロキョロと見回していると
「……なにか?」
不躾な態度をリンの母。白石アカネに咎められてしまった。
「いや随分綺麗にしているんだなと思ってな。見たところアンドロイドも居ないようだが」
親子二人で暮らすには十分な広さの白石邸。であれば家庭用アンドロイドも当然いると思ったのだが、その姿を確認することはできなかった。
「もういません。家事くらい一人で出来ますから」
ダイニングに隣接したキッチンには赤いゼラニウムの花が飾られている。それを見ながら、俺は出掛かった言葉を飲み込んだ。
『もういません』という言葉に例えようもないほど暗く澱んだ何かを感じたのだ。
だが俺の仕事はあくまでも魔物からの護衛だ。人様の家庭の事情など、立ち入っても面倒ごとが増えるだけに決まっている。
そう思い直し、俺は今の会話を頭から叩きだして話を進めることにした。
「さっそくだが仕事の話をさせてもらおう」
居住まいを直し真っ直ぐアカネに相対すると、彼女も面倒そうにではあるが応じてくれるらしい。
その隣にはリンもおり、こちらは期待を込めた眼差しを俺に向けてきていた。
「魔物に狙われているということだが、それは間違いないのか?」
「そんな事実はありません」
「あるよっ!!」
即答した母に、即座に娘が噛み付いた。
「ママのお部屋ちゃんと見たでしょっ!? すっごく荒されてたよね!?」
「ただの泥棒さんよ」
二人の意見はすれ違っているようだ。片や魔物の仕業だと断定し、片や泥棒かなにかだと気に留めていない。
事前に『母は魔物を信じていない』とは聞いていたがここまで頑なだったとはな。自分の目で見たものしか信じないという人間は一定数いるが、白石アカネはそちら側の人間のようだ。
俺がそんなことを考えている間も母娘の不毛な言い合いは続いている。
それに辟易し、俺は意を決して立ち上がった。
「現場を見りゃ分かる。案内してくれるか?」
すぐに「それは……」とアカネが引き止め掛けるが、それを遮るように「うんっ!」とリンが割り込み、俺の手を引いて急かしてきた。
だが例えその小さな手が依頼者のものであっても、ここの家主はあくまで白石アカネ。了承をとるべきは彼女のほうだろう。
そう考え、俺はアカネと視線を合わせる。すると彼女の方もその意図を読み取ってくれたのか。諦めたように
「……二階です」
と小さく呟いたのだった。
……。
リンの案内で二階へと上がる。
俺の後ろからはやはり気になるのか。白石アカネも静々と着いて来ていた。
「こっちだよっ!」
階段を上りきると廊下の突き当たりでリンが手を振っている。あそこが現場。白石アカネの寝室らしい。
細い廊下には他にもいくつか部屋がある。恐らくリンの自室や、いなくなったという旦那の部屋もあるのだろう。何の気なしに俺はその一つに手を伸ばして――。
「そこはっ!!」
ドアノブを回した直後、後ろから白石アカネに飛びつかれてしまった。
「勝手なことはしないでっ!」
「あ、あぁ。すまない」
いや自分が非常識なことをした自覚くらいあるが、正直そこまで怒られるとは思っていなかった。
ちょっとした茶目っ気のつもりだったのだが、ひょっとしたら人には見せられない派手な下着でも転がっていたか?
ほんの少しだけ隙間から見えた景色を、全力で思い出してみる。
赤茶化けたカーテン、仏壇、供えられた花、ぬいぐるみ。それから箪笥、写真立て。
うむ。つまらんものしかない。
あれだけの慌てようだ。他になにかある筈。
そう考え、さらに記憶の海へ潜ろうとしたところで
「ねぇ早くっ!!」
焦れたリンの声に中断を余儀なくされてしまった。
幼女は廊下の突き当たり。白石アカネの寝室の前で、待ちきれないと手を振り回していたのだ。
「今行く」
苦笑しつつリンの下へ向かうと、今度は後ろから声が聞こえた。
「散らかってますが……」
白石アカネだ。彼女は先ほどの慌て振りを醜態と感じて恥じ入っているのか。振り返れば、俯き加減の未亡人と目が合った。
俺は「構わない」と目線で交わしてからドアノブを捻る。そのまま押し開けば、今まで見てきた屋内とは一転して荒され、散らかった室内の光景が目に飛び込んで来た。まるでここだけ台風が通り過ぎた。そんな妄想をしてしまうほどの有様である。
「とはいえ、言うほどじゃあないな」
平然と入室する俺にアカネが「え?」と驚いたが無理もない。
なにせ割られた窓ガラスの破片が飛び散ったままだし、ベッドはズタズタに切り裂かれている。フローリングの床は一面に小物やら化粧品が散乱しているのだ。
この状況のどこが「言うほどじゃない」のかと、彼女の顔が言外に訝しんでいた。
しかしそれも当然のこと。
あのポンコツが来るまで俺の事務所はもっと酷い状況だったのだから。そう考えればミューも役に立っていないことはないのかもしれない。認めたくはないがな。
「何か獲られた物は?」
ミューに対する感謝を振り切るように、俺はしゃがみこんで床を見渡しながら訊ねた。だが背後でアカネが首を振る。掃除はまだのようだが獲られた物があるかどうかくらいは確認済みということか。
「ほらやっぱり! 何も獲らない泥棒さんなんているわけないよ!」
獲られた物がないと認めたアカネに、リンがここぞとばかりに詰め寄った。
「でもね。命も獲られてないのよ? 犯人が魔物ならそれもおかしいでしょう?」
「溜まってなかったんだろうよ」
次に反論したのは俺だ。
殺されなかったのだから魔物の仕業ではないというアカネの意見は短絡的過ぎる。いや、むしろ専門家として意見を言わせてもらえば、この状況こそが魔物の仕業だと言い切れるほどに不自然なのだ。
だがそんなことは知らない白石アカネ。俺の言葉に違う意味を見出したのか、顔を赤らめつつ咎めるような視線をこちらに向けてきた。腕で娘を抱き寄せている態度から「子供の前でなんの話しを」と言いたいようである。
「あ~、違う違う。誤解させたんならすまん。そういうことじゃないんだ」
立ち上がってから振り返り、俺は正しい意味を彼女に説明してやることにした。
「魔物にはいくつか特徴的な習性がある。よく知られてんのは、一度獲物を定めたら、それを食うまで他には見向きもしないとかだな」
一般人にとって魔物というのは身近な存在でも『いる』と確定出来る存在でもない。オカルトの範疇を出ない『いるかもしれない』噂話程度のものだ。
だがその習性には彼女も聞き覚えがあったのだろう。まだ疑わしい視線を向けつつも、アカネは静かに頷いた。
「んでさっきの話。魔物ってのは、獲物をただ喰らうだけじゃ満足しない。これは固体差があるんだが、例えば『獲物の心が恐怖を溜め込んでから』食べるタイプ。『獲物が絶望のどん底に落ちてから』食べるタイプ。その他にも色々ある。つまり、獲物の状態が好みになるまで喰わない傾向が強い。いってみりゃ味付けだな」
「味付けって……」
独特の表現に見えている世界の相違を感じ取ったのか。アカネは眉を顰めたが、それでもなんとか俺の言葉を解釈しようと頭を捻り、そして思い至ったように顔を上げた。
「調理中?」
「ご名答」
あえて俺流の言い方に合わせた言葉をチョイスした彼女に、俺はグッと親指を立ててみせる。
そして同時に、先ほど床で拾った物を見せ付けた。
「それは?」
「魔物の体毛だ。ほれ。そこらの犬猫と違い、とてつもなく硬いだろ?」
言いながらピンと両側を引っ張って見せるが、丈夫な体毛はビクともしない。
その様子を下から見上げていたリンが、感激したようにぴょんと飛び跳ねた。
「ほらねっ! 魔物のしょーこだよママっ!」
そう。これは確かな物証である。
魔物は部屋をズタズタに荒すことで白石アカネに恐怖を植え付けようとし、さらにこれ見よがしに体毛を残していった。
間違いなく、コイツは『獲物の心が恐怖を溜め込んでから食べるタイプ』なのだ。
――しかし。
困惑顔の白石アカネと、魔物の存在が証明されてはしゃぐ娘。
どうにもしっくりこない状況に、俺の脳細胞は更に加速していく。
時刻は午後十四時二十三分。
予報通り、外では雨がパラつき始めていた。