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case3 捕らわれの探偵8

 東雲(しののめ)キョウヤ。

 俺や大和スズヒと同じく海の子事件の被害者だった彼は、しばらくの間を俺と共に行動した後、一人行方を眩ましていた男だ。


 まだ十歳になるかどうかという年齢。それが親も家もなく、一人で生きていくなど到底不可能である。

 だから警察などに保護してもらうか、誰かに拾われるか、どこかで野垂れ死ぬか。それがあの事件の被害者たる子供達に与えられた選択肢であった。


 ――普通ならば、であるが。


 俺とて詳しい経緯までは知らない。ただ風の噂で、何度かキョウヤの名前は耳にしていた。


 例えばそれは、どこかの街で悪ガキ共を従えている男の話だったり。

 例えばそれは、裏稼業の人間に雇われた、偉く態度のデカイ異能力者の話だったり。

 例えばそれは、政財界の人間を殺してまわる、ネジのぶっ飛んだ危険人物の話だったりである。


 俺の耳に届く彼の名前は、常に血生臭い風と共にあるようだった。

 しかしその頃になると俺の方は随分と落ち着いていて。もうキョウヤと関わろうとは思っていなかったし、また関わることなどないのだろうとも思っていた。


 しかし今。

 その東雲キョウヤの足を掴み、俺は力任せにぶん投げてやった。

 だが奴は猫のようなしなやかさでクルリと着地し、ヘラヘラと半笑いを浮かべながら小馬鹿にするような口調で言ってくる。


「んだよトウマ。もう死んでんだろぉソレ。んなもん踏まれたくらいで怒ってんじゃねぇよ」

「お前が踏んだのはソレじゃない。宮園マイという人間であり、その尊厳だ」

「くっだらねぇなオイ。良い子ちゃんか? てめぇ刑事に飼いならされて良い子ちゃんになっちまったってかぁ?」


 さも可笑しそうにキョウヤはゲラゲラと笑う。

 その姿にどうしようもない怒りを感じ、俺の胸中をドス黒い感情が埋め尽くしそうになった。

 まるでそれは十五年前。突然山の中に置き去りにされ、オッサンと出会うまでキョウヤと共に悪事に手を染めていた頃のように、無知で無謀で無鉄砲で。

 無感情で無道徳だった自分に戻ったような、そんな感覚だった。

 俺のそんな変化を見止めたのか。

 キョウヤは愉悦に口を歪め、腰を曲げて覗き込んできた。


「おぉ? いいぜぇその目。ちったぁマシになってきたかぁオイ」

「何をしているのっ!!」


 だが、そんな俺の心に広がりかけていた闇を、銀閃のごとく鋭い声が切り払う。

 雨宮カナタだ。彼女は腹部へのダメージから立ち直り、俺への檄と共に、血桜をキョウヤへ向けて横薙ぎに薙ぎ払ったのだ。


「ってぇなオイッ!」


 それに気付いたキョウヤは飛び退いていたが、血桜の切っ先が僅かに彼の腕に届いたのか。

 ハラリと袖が割れ、その下に赤い筋が一本走っていた。


「龍ヶ崎トウマ! 貴方と彼がどんな関係かは知らないけど、少なくとも言われたままに心を乱す貴方ではないでしょっ!」


 そのまま俺を庇うかのようにキョウヤと俺との間に割って入ったカナタ。その背中は、あたかも俺に立てと言っているように見える。

 いつものように、飄々と、あんな男の見え透いた挑発など受け流せと。そう叱咤しているのだ。

 となれば、対魔の師匠として無様に俯いているわけにはいかない。


「すまない……いや、違うか。ありがとうカナタ」

「い、いいからっ! 立てるならさっさと立ちなさいっ!」


 素直に礼を述べられるとは思っていなかったのか。頼もしかった背中が、若干揺れてしまっていた。

 まったくこれだから経験の――とは言ってやるまい。

 今日だけで、すでに二回も彼女に助けられているのだから。


「話は後だ。まずはコイツをなんとかするぞ」

「えぇ」


 返事をしながらカナタは俺に対魔銃とリストバンドを渡してきた。どうやら他の部屋で見つけてきてくれていたらしい。

 それを受け取り立ち上がる俺の胸に、もうドス黒い感情はなかった。今はただ、カナタと無事にここを出る。出来ることなら目の前の男に首輪を付けた上で。俺は、そう決意を新たにしていたのだ。


 そんな俺達の様子を眺めていたキョウヤは、ヘラヘラとした半笑いの表情はそのままだったが、瞳にだけは明らかな不快の色を滲ませていた。


「なんとかする……ねぇ? 二人ならどうにか出来ると、しちまったかぁ? 勘違いをよぉ!」


 憤怒の声と共に、キョウヤが近くにあった木箱を蹴り上げた。すると劣化していたのか腐っていたのか。あえなく木箱は破壊され、その木片が宙を舞う。

 が、それこそが奴の狙いだった。

 飛び散った木片が一瞬キョウヤの姿を隠し、次の瞬間には彼の姿がどこにもなくなっていたのである。


「またっ!? これは異能なのっ!?」


 同じくキョウヤを見失ったカナタが絶句した。

 それはそうだ。俺とは違い、彼女は異能を使用中。それでも彼の姿を見失うとなれば、それはただ動きが素早いなどという次元ではない。異能の力を使われたことに間違いないのである。


「正解。瞬間移動ってやつだ」

「ぐっ!」


 直後。俺の横から現れたキョウヤの拳が、フック気味に俺の顔面を襲ってきた。

 それをモロに喰らってしまった俺ではあったが、だが――


「捕まえたぜ」

「てめっ!!」


 殴られながらも俺は耐え、そのまま奴の右手を捕らえていたのだ。

 こう何度も見せられれば当然警戒する。そして警戒したならば、攻撃を受けるという心構えが出来る。

 いつどこから攻撃されても耐えられるように、俺は全身に力を漲らせていたのである。

 あまりスマートな方法とはいえないが、まさに肉を切らせて骨を断つというやつだ。


「離せっ!」

「離すわけねぇだろ馬鹿がっ!」


 掴んだ右手をグッと引き寄せそのまま頭突き。

 さらにもう一発お見舞いしようとしたところで


「そのまま掴んでてっ!」


 カナタが大上段から血桜を振り下ろしてきた。

 が、今度は逆にキョウヤが俺を引き寄せる。俺を盾にしようというのだ。


 しかし彼は分かっていない。

 雨宮カナタの能力を。


 カナタは血桜を振り下ろしつつ、俺が盾にされてしまった状況をしっかりと鈍界の中で視認していた。

 なので無理やり刀の軌道を変え、俺の身体で隠れきっていないキョウヤの左肩へと狙いを変えたのだ。

 カナタの剣術と、鈍界という異能が合わさって出来る芸当である。


「ぐぁっ!!」


 峰打ちではあるが、その剣先はきっちりキョウヤの肩を捉えた。途中で軌道を変更したため威力は落ちてしまっていたが、それでも鉄の塊で殴られたのだ。傷は浅くないだろう。

 しかしそれを感じていないかのように、今度はキョウヤが俺の背中を蹴り飛ばす。あの状態から、すぐに反撃が来るとは思っていなかった。意表を突かれ、俺は抵抗することも出来ずにキョウヤの腕を離してしまった。そしてそのまま吹っ飛ばされる。


「なに離してるのよっ!」

「いいからどけっ!」


 カナタのいるほうへ蹴り飛ばされ、衝突を回避する為に叫んだのだが時すでに遅く。俺と彼女は激突してしまっていた。

 相手が彼女でなければ相応のクッションがあった筈なのだが、それをカナタに望むべくもない。勢いそのままに、俺と彼女は倒れこんでしまっていた。


「ちょっと変なところ触らないでっ!」

「変なところが無いからこうなってんだろ馬鹿っ!」


 文句を言い合いながら体勢を立て直したが、すでにキョウヤの姿は見えなくなっていた。

 次はどこから攻撃されるのか? そう身構える俺とカナタだったが、何もない空間から声だけが聞こえてくる。


「てめぇらとは陣営が同じみてぇだからよぉ。今日はこの辺にしといてやるぜ。だが女ぁ。この肩の痛みは忘れねぇからな」


 そう言い残し、キョウヤの姿はそれっきり現れなくなってしまった。

 だがそれは油断を誘う罠ではないのか? そんな疑心暗鬼に捕らわれてしまっていて。

 俺達が息を吐くことが出来たのは、それからたっぷり一分後のことであった。


「本当にいなくなったみたいね」


 ようやく納刀してそう呟いたカナタ。しかし鯉口はくつろげたまま柄から手を離さない。つまり、いつでも抜刀出来る体勢を維持しているということだ。

 そんな彼女に倣って俺も最低限の警戒は保ったまま、再び出口へと向かって歩き出すことにした。


 しかし出口へと向かうにつれ、俺達の注意は違うところへ引き寄せられてしまう。


「凄ぇなこりゃ。全部アイツがやったのか?」


 何人もの男達がナイフを心臓に突き立てられていたのだ。こいつらは俺を拷問してくれた、あの初老の男に付き従っていた奴等だろう。

 そして殺ったのは、まず間違いなく東雲キョウヤだ。


『誰も戻ってなんて来れねぇからよぉっ!』


 アイツが言っていた言葉はこういう意味だったのか、と俺は思い出す。まったく恐ろしい男である。

 それを再認識し、ついに出入り口まで差し掛かった頃。

 俺の目に、いくつもの赤色灯が輝いているのが見えてきた。警察が到着しているのだ。


「お前が呼んだのか?」


 隣を歩くカナタに確認すると、彼女は呆れながら肩を竦めた。


「違うわ。たぶん原因はアレね」


 そう言って彼女が指差したのは出入り口の扉。

 車の搬入口にもなっていた倉庫の出入り口は、大きな扉が原型を留めないほどに木っ端微塵となっていたのである。


「あの時の爆発音か。お前、なかなか大胆なことするな」


 あれだけ派手な爆音だ。近隣の誰かが通報したのだろう。キョウヤの引き際の良さもそれを見越してのことかもしれない。去り際に残していった台詞は気になるがな。

 そんなことを考えていた俺の隣で、カナタは慌てて弁解を始めた。


「わ、私じゃないわよっ! あの男でしょ、こんな馬鹿げたことをするのは」

「それはそれで面白くないんだよなぁ」


 そう。この爆発がなければ、奴等の注意を引きつけることは出来なかったのだ。

 つまり俺は、間接的にキョウヤにも助けられてしまったことになる。それは認めたくない事実であった。


「まぁともあれ。散々な夜だったが、なんとか無事に乗り越えられたか」


 随分と久しぶりな気がする外気を肺いっぱいに吸い込み、空を眺めれば青嵐(あおあらし)が吹きぬけた。

 それにセミショートをなびかせるカナタは、同情顔で俺を覗き込む。


「なに言ってるの? これから事情聴取。夜はまだ終ってないわよ?」


 げぇ~っと落とした俺の肩を、彼女は微笑みを浮かべながらポンポンと叩くのであった。


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