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case3 捕らわれの探偵7

「まったく。私が来なかったらどうするつもりだったのよ」


 俺を先導して走るカナタは、周りを警戒しながらも呆れたように小言を繰り返していた。助けられた身である俺としては、実に肩身の狭いところだ。


「来てくれると信じていたけどな。お前、俺の襟首に発信機を取り付けてただろ?」

「気付いてたの」

「ついさっきな」


 トイレに連れて行ってくれた監視の男が言っていたのだ。『襟首についていた発信機も外した』と。

 だが残念なことに、そんなものをつけた覚えが俺には無い。そこで思い出したのだ。俺の襟首を掴むような恐れ多い真似をした奴がいたなぁと。


「私に隠し事なんてするからよ」

「お前と付き合いでもしたら、怖くて浮気なんて出来そうにないな」

「な――っ!?」


 敵地のど真ん中で呑気に言い合いながら進む俺達。しかし突然。先導するカナタの手を引いて、俺は横道へと足先を変えた。


「ちょっと? 出口はそっちじゃないわ」


 当然ながらカナタは抗議してくる。

 それはそうだろう。どうやって敵の気を引いたのかは知らないが、逃げ出すなら今は千載一遇の好機。寄り道などしている暇はないのだ。

 だがそれでも


「もう一人助けたい奴がいる。それに取られた物も取り返したいしな。すまないが、手伝ってくれるか?」


 俺はそう言って、カナタに頭を下げたのだった。

 その態度に、彼女はふぅっと息を吐き出す。


「まさか貴方に頭を下げられる日が来るとは思わなかった。……いいわ、手伝う。私も警察官の端くれだしね。で、どんな外見の女性なの?」

「女だとは一言も言ってないが?」

「貴方が命がけで助けたいと思う男性が、この世にいるとは思えないもの」


 随分と辛辣な物言いだが、あながち間違っていないのもどうかと思ってしまうな。

 まぁいい。とにかく彼女も手伝ってくれるというのだ。

 俺は宮園マイの特徴をカナタに伝え、手分けして片っ端から部屋を(あらた)めていくことにした。


 カナタの話では、どうやらここは港に近い倉庫。そして俺の推理通り、その中でも冷蔵用として使われていた倉庫なのだそうだ。

 ならばそれほど部屋数は多くないはず。

 それに幸いなことに、先ほどの爆発音でほとんどの人間が現場へ急行したのか。俺の監視で残されていた男以外に人気はなくなっていた。


 それでも注意しながら一つ一つ部屋を調べて周り、四つ目の扉を開いた時だった。俺の視界に、横たわる宮園マイの姿が映ったのは。


「おいっ! 大丈夫かっ!?」


 すぐさま駆け寄り抱き起こす。

 すると彼女は「んぐ……ッ」と小さく呻いた。生きている。そのことに安堵しかけたが、直後にそれは早計だったと思い知る。

 抱き起こすべく彼女の背中に回した俺の手の平。そこに、べっとりとしたぬめる感触があったのだ。


「お、おい?」


 恐る恐る声を掛け続けながら、注意深く宮園マイの身体を観察する。

 衣服はボロボロにやぶれ、あちこちに乾いた血痕がこびりついていた。

 右腕は肩を外されてしまっているのかだらりと不自然な方向へ垂れ下がり、左足首は明後日の方を向いている。

 なにより顔。幼さの残る可愛らしい顔つきだった筈の彼女だが、何本も歯が折られ、目元はドス黒い痣だらけで、鼻は潰れてしまっていた。そのため鼻呼吸は出来ないようで、今は空気の漏れるような音がかろうじて喉から聞こえている。恐らくそれも、すぐに聞こえなくなってしまうのだろうけれど。


「――ッ!!」


 正視に耐えないマイの状態に、俺は叫びだしそうになる気持ちを必死に押さえ込む。叫ぶわけにはいかないのだ。叫んでしまえば敵に気付かれる。何より僅かに意識を取り戻したマイが、俺に何か伝えようと唇を震わせていたのだから。その声を聞き逃すなど、あってはならないことなのだ。


「ゅ……、さん……」

「あぁ、ここにいるぞ」


 僅かな口の動きからそれが俺の名を呼んだのだと感じとり。俺は耳を彼女の口元へと近づけた。微かに届くのはヒューヒューと頼りない掠れた風の音ばかりだったが、それでもなんとか聞き取れた文字を繋ぎ合わせ、頭の中で文章にする。



『お父さんのしたことは間違いだったの?』



 宮園マイの父親がしたこと。それは海の子事件のことを言っているのだろう。

 国が子供を作り育てるという政策に反対し、その子供達を解放するつもりだった海の子の信者達。子供達を自由にするという理念は間違いだったのか。彼女はそう聞いているのだ。


 しかし結論は出ている。

 あの事件は結果として多数の子供が亡くなった。それが事実だ。決してあれは正しい行為だったなどと、そんなことを言うことが出来る者はいないだろう。


 ――この俺を除いて。


 そう。俺だけは。

 あの事件の被害者で今も不幸とは言えない人生を生きている俺だけは、世論と違う答えを与えてやれるのだ。


「あの日初めて俺は自由を得た。あの日初めて、俺は世界を知った。そして今、あれから出会えた色んな奴がいるこの世界で、少なくとも不幸だなんて思っちゃいないぜ」


 そうして出来る限り優しく手を重ねると、ほんの少しだけ。いや、実際には気のせいだったかもしれないが、俺には確かに、彼女が笑ったように見えた。


 と、直後。背後で物音がして振り返ると、そこには雨宮カナタが息を切らして立っていた。


「見つけたのね? なら急ぎましょう。見たところ怪我も酷いみたいだし、早くお医者様に連れて行かないと」


 その言葉に静かに首を振り、俺は宮園マイをそっと横たわらせる。


「いや、その必要はない。置いていくのは忍びないが、今は生きている(・・・・・)俺達のほうが先決だ」


 一瞬怪訝な顔を見せたカナタだったが、すぐにその意味を悟ると同時。視線が俺の拳に吸い寄せられて、彼女は息を飲んだ。


「貴方……その手……」


 言われて気付いたが、どうやら加減を忘れて握り締めていたらしい。爪が肌に食い込み、僅かに血が滴り落ちていた。


「なんでもない。気にするな」


 カナタは「でも」と言い掛けたが、結局それ以上は何も聞いてくることはなく、ただ首肯して目を伏せた。


「行こう。いつ奴等が戻ってくるか分からない」

「はっ! 心配すんなよトウマ。誰も戻ってなんて来れねぇからよぉっ!」


 カナタに掛けた言葉は、突然響いた聞きなれない男の声に遮られる。

 その出所を探し、俺とカナタが同時に辺りを見回した。しかし誰もいない。それはそうだ。この部屋には、俺とカナタ以外誰もいなかった筈だ。いや、いなかった筈なのに(・・・・)――。


「久っさしぶりだなぁオイ。元気してたかぁトウマ?」


 俺とカナタの間に挟まれた空間に、突如として男が現れていたのだ。

 カナタに背を向けこちらを向いていた男は、場違いなほどに明るく無邪気な声で、そう俺に語りかけてきた。


「誰っ!」


 すぐさまカナタは抜刀し、その切っ先を油断なく男に向けていた。

 恐らく彼女はすでに使っているだろう。全てがスローモーションに見えるという彼女の異能『鈍界』を。

 戦場で予期せぬ事態が起きた時、まずはそれを使えと口を酸っぱくして教えてきたのだ。それがどれだけ生存率を高めるか。カナタも十分に理解しているだろうから。


 ――にも関わらず。

 俺とカナタは、男の姿を見失っていた。


「……え?」


 思わず間抜けな声を漏らしたカナタは直後に戦慄する。

 男の背中に向けていたはずの対魔刀『血桜』

 その切っ先が、いつの間にかカナタに正対していた男に掴まれてしまっていたのだ。


「感動の再開シーンなんだからよぉ。乳臭ぇメスガキは引っ込んでろよなぁ? 弁えてよぉっ!」


 そのまま繰り出された男の蹴りがカナタの腹部に直撃し、彼女は踏鞴を踏んで膝を着いた。刀を手放さなかったのはさすがと言えよう。だが不意打ち気味に入った蹴りは彼女の鳩尾を捉え、一瞬呼吸が出来なくなったのかカナタは苦しげに呻いていた。


「しっかしターゲットを始末しに来たらお前がいるなんてなぁ。情報にゃなかったが、あるもんだな。奇妙な偶然ってのは。まさか俺のこと、忘れたなんて言わねぇよなぁ?」


 そんなカナタを興味なさそうな目線で見下ろし、俺に背を向けたまま。

 突然の闖入者は、そう俺に問いかけてきた。


 コイツが誰なのか。

 あぁ、知っているさ。覚えているとも。

 十五年前のあの日。万引きの最中にドジを踏んだ俺を見捨て、一人で逃げて行ったこともな。


『ぶはっ! ダッセぇ! 捕まってんじゃねぇよトウマ』


 仲間意識があったわけじゃない。

 ただ同じ境遇。同じ事件の被害者として生きていかなければならなくなった者同士として、奇妙な連帯感は持っていた。そして、コイツもそれを持っていると思っていたんだ。

 だから俺が捕まるのを安全地帯から見下ろして、そんな台詞を吐いていなくなったこの男の背中に、俺は悔しさと怒りと、そして僅かな悲しみを感じたのである。


「つぅかなんださっきのは? 少なくとも不幸だなんて思っちゃいない? だっから甘ぇってんだよトウマは」


 そう唾を吐き捨てた男は、再び俺とカナタの目の前から忽然と消えた。俺は奴の行方を探す為慌てて立ち上がったが、しかし探すまでもなかった。

 奴は俺の目の前。宮園マイを足蹴にしながら現れたのだから。


「この十五年をよぉ。俺抜きで勝手に総括してんじゃねぇっての! 俺から言わせりゃ最低最悪。コイツの親父は史上最低の極悪人だろうがよぉっ!」


 マイはもう事切れている。だから頭を踏まれようと腹を蹴られようと、反応することもないし痛みに呻くこともない。

 だがそれでも


「なんだぁこの手はよぉ?」


 もう一度蹴り飛ばそうとした男の足を、俺は掴まずにはいられなかったのだ。


「女を蹴ることしか出来ないような足ならな。俺が喰らってやるぜ、東雲(しののめ)キョウヤ!」


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