case3 捕らわれの探偵6
「断るっ!」
むき出しのコンクリートに四方を囲まれた部屋に、俺の声が反響した。
当然だ。見知らぬおっさんに痛めつけられて喜ぶような趣味はないのだ。そういうプレイがしたいなら、他をあたって頂きたいものである。
「断れる立場でもないだろう?」
だが半笑いの男に動じた様子はない。どうあっても俺を甚振りたいらしい。初老の男は、ニヤニヤと口元を歪めていた。
「ならこうしよう。俺の知っていることなら雨宮カナタの体重から大和スズヒのスリーサイズまで、どんなことでも話してやる。だから痛いのとか苦しいのはナシ!」
「ははっ。愉快な男だ」
ちっとも愉快そうな顔をみせず、男はゆっくりと俺に近付いてきた。
どうやら拷問は確定事項らしい。いっそボコボコにされ、放置されてから聖杯を使い、なんとか逃げ出すという手が使えれば良いのだが。しかし残念なことに、俺の聖杯はまだ一つも満たされていなかった。これでは奇をてらう事も出来やしない。
「まぁしかしだ。こちらの質問に正直に答えるならば、苦しむ時間は多少減るかもしれないぞ?」
「だからなんでも答えると言っているじゃないか」
言いながら、俺は周りにも視線を配る。
この部屋にいる人間は全部で六人。目の前にいる初老の男がボスのようで、他の人間は部屋の隅に配置されていた。しかも全員が武装しているのか、不自然に左脇が盛り上がっている。全員をぶっ倒して逃げ出すというのは現実的な選択肢じゃなさそうだ。
「だいたいなんで俺なんかを追っかけてんだよ。白昼堂々尾行までしやがって」
すぐ近くで加齢臭を漂わせる男に言ってやると、奴は顎を撫で擦りながら一枚の写真を見せてきた。そこに映っていたのは
「宮園マイ。知っているな?」
「知らん仲ではない程度だぞ」
やはり宮園マイを付け狙っていたのもコイツか。
「そうではあるまい? 身を挺して助けたそうじゃないか」
「偶々だ。人通りのない暗がりで若い女が襲われていたら、助けるのが男ってもんだろ」
「なるほど。なかなか正義感溢れる人物というわけだな、君は」
と突然。
俺の右腕に激痛が走った。スタンガンを押しつけられたのだ。
「ぐあぁぁっ!!」
思わず身を捩って逃げようとするが、身体は椅子にガッチリ拘束されている。
首を振り足をばたつかせても、逃げるどころか動くこともままならなかった。
スタンガンが離されてもなお、俺は痛みに呻き声を出すことも出来ない。そんな俺の髪を掴んだ男は、無理やり顔を上げさせてくる。
「正直に話すのではなかったかな?」
「話しているだろっ!」
「……まぁいい。その時彼女から、何か聞いたか? もしくは何か渡されたでもいい」
俺から手を離し、もと居た位置へと戻っていく男。その手には警棒タイプのスタンガンが握られており、俺を威嚇するようにパシパシと手の平で叩いて見せていた。
「何かってなんだよ。具体的に言われなきゃ答えようもないだろ」
「そうか。なら具体的に聞くが――」
「待った! それを聞いてしまったら、生かして帰すわけには行かなくなるような事か?」
それは困る。聞いたら帰れなくなるような事ならば聞きたくないぞ。
と思ったのだが、男は驚いたようにわざとらしく目を見開いた。
「生きて帰れるつもりだったのか」
「出来ることならそうして頂けると大変ありがたいですなぁ」
「ははっ。まだ自分の立場が分かっていなかったとは恐れ入った」
言いながら男はスタンガンを構えて近付いてくる。
「嘘っ! 今の嘘っ! 大丈夫ちゃんと理解し――っでぇぇぇぇッ!!」
再び俺の腕を焼くスタンガン。バチバチと弾けるような音をたて、引き攣るような激痛が右腕を間断なく襲ってくる。
それが終るころには、俺は息も絶え絶えになっていた。痛みとは、なにより体力を奪うのだ。そしてその後正常な判断力を奪うものである。
そうなる前に、なんとか生き残る突破口を見つけ出さなければならない。時間は限られているのだ。
とはいえ暴れてなんとかなる状況ではないし、そもそも拘束が硬くて暴れることすら出来ない。今の俺に出来ることは、考え、そしてはったりをかますこと。奴に俺を殺せないと思わせるために。
「み……宮園マイから聞いたことか……」
「何か思い出したか?」
奴はそう聞いてくるが、実際のところ彼女は有益な情報を俺に漏らしていない。
だがあのネタ帳。そこに書かれていた内容こそが、コイツの知りたいことなのだろうと推測出来る。
なぜならあそこに書いてあったことと、料亭でコイツ等がしていた会話。そこにはいくつか符号する点があったのだから。
「卵……」
ピクリと男の眉が跳ねた。ビンゴ。正解だ。
しかしここまででは、俺の生存に繋がらない。むしろ逆効果だろう。
正直卵がなんなのか分かってはいないが、俺ははったりをかますべきはここだと判断し、無理やりこじつけてみることにした。
「この俺が有用な卵じゃないと言い切っていいのか?」
「なんだと?」
あの料亭で、確かにコイツ等は言っていた。
有用ではないから潰してしまっても構わないと。裏を返せば、有用なら潰すわけにはいかないということだ。
「卵がなんのことか知ったうえで言っているのだろうね?」
男は慎重だ。俺のはったりを見抜こうと、その意味を確認してきやがった。
卵。エッグ。目玉焼き……。
くそっ! 情報が少なすぎるっ!
他になにかなかったか?
SOLT……? 塩がどうしたっていうんだ。
「……知っているさ。俺を殺せば、土間ゲンジロウの立場が危うくなることくらい」
手札は切った。あとは意味の分からない単語だけで、どう使っていいのか分からないのだから。
そんな俺を訝しむように、男は俺の瞳を覗き込んでくる。
そして――
「出任せだな。第一君の異能は『魔魂喰らい』だろう? その程度の能力が、アレに対抗する切り札になるとは到底思えん。無論SOLTをどうにか出来るともな」
アレに対抗する切り札? SOLTをどうにか出来る? いったい何を言っているんだ?
それになぜ、コイツは俺の異能の力の内容まで知っている?
……待てよ?
ひょっとして、全て繋がるのか? だとしたら……。
「俺の能力は魔魂喰らいだけじゃないぞ?」
すると男の動きが止まった。そのことまでは知らなかったようだ。
俺の死線がアレやらSOLTやらに対して有用なのかどうかは知らないが、そういう力があることは本当だからな。奴としても予想外だったのだろう。
そう俺は思ったのだが、俺の予測に反して男は唐突に笑い出した。
「は、ははっ! 語るに落ちるとはこのことだなっ! そんなわけがないだろう? そんな風には作っていないのだからなっ!」
「なっ!? いや、本当だぞ!?」
今度は俺が狼狽する番だった。
信じないのはいい。言われて『はいそうですか』と納得するほど、この男は愚かではないだろうから。
しかし今の否定の仕方はおかしい。そんな風に作っていないとはどういうことだ? それではまるで――
「もういい。何も知らないならそれで構わないが、これ以上君とのおしゃべりに時間を費やすのも馬鹿らしいのでね」
俺が思考の迷路にはまっている間に、俺の命運は決してしまっていた。
男はもう会話をする気がないと言い、そうして部下から拳銃を手渡されている。
「なかなか興味深い男だったが、女運がなかったな」
言いながら銃口をこちらにむけ、男はハンマーを起こした。
「まったくだ……。来世ではもう少しまともな女に寄って来て欲しいものだな」
万事休す。
もはや念仏を唱える間もなく、俺の命は儚く散るだろう。
最後に強がりを言い、奴が引き金を引く瞬間にせめて飛び掛ってやろうかと足に力を溜める。
そうしてその刻を待っていると
――ドォォォンッ!!
突如として爆発音が鳴り響いた。
音と共に振動が伝わってきたことから、そう遠くない場所のようである。
「何事だっ!」
「侵入者ですっ! 上の入り口を爆破されましたっ!」
「ちっ! こんなところまで嗅ぎつけてきたか。一人以外は着いて来い! その男は逃がすんじゃないぞ!」
初老の男は事態に対処するため、慌しく部下の男達を連れて部屋を出て行った。
残されたのは俺と監視役の男が一人。絶好のチャンスのように見えるが、実は状況はたいして変わっていない。なにせこちらはガチガチに拘束されており、監視している男は銃で武装しているのだから。
例え何かの間違いで拘束が解かれたとしても、丸腰の俺では再び捕らわれるのは火を見るより明らかだろう。
しかし好機に違いはない。何かないかと辺りを注意深く見回していると、不意に天井の蓋がずれた。
「まともな女じゃなくて悪かったわね」
スッと降り立ったのは雨宮カナタである。彼女は降り様に残っていた男を峰打ち、一撃のもとにその意識を刈り取って見せていた。
「いやいや謙遜するなって。お前、最高に良い女っ! 天井から降りてくるところなんて天使かと思ったぞっ!」
「馬鹿じゃないの?」
呆れながら俺の拘束を解き納刀したカナタと共に、俺は脱出を試みるのであった。




