case3 捕らわれの探偵3
宮園マイが去り、再びミューと二人きりになってしまった龍ヶ崎探偵事務所内で。
俺はやるべき事もなく、ゴロンとソファの上で転がっていた。
「依頼受諾の条件を一時的に緩和されてはいかがですかマスター。このままではマスターの背中に苔が生えてしまうかと存じます」
「そんなわけねぇだろポンコツ」
二人っきりになった途端コレである。やけに仕事をさせたがるのは、家に居て欲しくないからか? そんな邪推をしてしまうほど、ミューは仕事をしろと俺に勧めてくるのだ。
マスターの生活をサポートするためだと彼女は言うが、余計なお世話も甚だしい機能である。
と、マイが寝ていた辺りを掃除していたミューが、突如その動きを止めた。ついにバッテリーが切れたかと期待を込めた眼差しを送るが、どうやらそうではなかったらしい。ミューの手に、見慣れない手帳が握られていたのである。
「それは?」
「宮園マイの私物かと思われます。恐らく寝ている間にポケットから落ちてしまったのでしょう」
「見せてみろ」
受け取ったピンク色の革手帳は手の平サイズで、開いてみるとビッシリ文字が書かれていた。文字の記録媒体として手書きの手帳を使っているのは古風だが、記者らしくもある。デバイスを操作すると、少なからず音や光が出てしまうからな。その点手書きならば、秘密裏にメモを取りたいときなどに便利なのだろう。
書かれているのは芸能人のゴシップや流行の店。それでこれはマイのネタ帳なのだと推測できた。
さして興味もないが、生憎と俺は彼女の連絡先すら知らない。これを届ける為の手掛かりを探すため、後ろめたくはあるもののパラパラとページを捲ってみることにした。すると中ほどを過ぎた頃。書かれている内容が、突如意味不明のものになっていることに気付く。
「卵。SOLT。水。なんだこれ。料理のレシピか?」
「スクランブルエッグでしょうか。水や牛乳を入れて水分を増やすことで、柔らかく仕上げることが可能です」
「それを命よりも大事なネタ帳に書くもんなのかねぇ」
呆れながらさらに捲ると、今度は人の名前が羅列されている。その中に何人か顔見知りの名前を発見し、俺の興味をひいた。
「大和スズヒ。現在は法ヶ院トシゾウの邸宅でメイドをしている。お、スリーサイズまで書いてあるじゃないかっ! その他には……東雲キョウヤ……」
思わず俺の声が低くなったことに気付いたのか。ミューが小首を傾げて俺を覗き込んできた。
「お知り合いですか?」
「……余計な詮索すんな。黙ってろ」
幸いなことに、ミューはそれ以上踏み込んでくることはなかった。さすがにそのくらいの判断は出来るらしい。
東雲キョウヤという名前を見た瞬間に過ぎった過去の思い出を頭から追い出すため、俺はさらにネタ帳を読み進める。と、俺の目が再びある人物の名前で止まる。
「土間ゲンジロウ」
法ヶ院トシゾウにちょっかいをかけているという代議士の名前だ。なぜこいつの名前が急に出てくるのだろうか。
「113? なんの数字だ?」
背筋を嫌なものが伝う。宮園マイ。いったい彼女は何を追いかけているんだ?
「ミュー。ちょっと出てくる」
「かしこまりましたマスター。お仕事頑張って下さい」
「仕事じゃねぇよ。つうか知ってて言ってんだろ」
隙あらば皮肉の棘で突き刺そうとしてくるミューを睨みつけ、俺はジャケットを羽織ったのだった。
……。
カランコロンと古めかしい鈴の音を鳴らし、シガーバー『LosAngeles』の扉を開く。
相変わらず暗い店内の奥では、いつものようにドン・ベイパーが下卑た笑いを浮かべていた。
「いらっしゃい旦那。本当に暇そうですねぇ」
「おかげさんでな」
言いながらカウンター席に座り、さっそく俺は切り出した。
「集めて欲しい情報がある」
声を潜める必要はない。なにせ店内には俺とドンしかいないのだから。
「そりゃ構いませんが、ようやく依頼でもあったんですかい?」
カウンターの向こうにいるドンは、俺の依頼状況まで把握しているらしい。あまり敵にはしたくない男である。
「そういうわけじゃない。個人的なことだ」
「そうですかい。ま、金さえ貰えりゃどんなことだって調べてみせますよ」
胡散臭い男は、それでも自分の仕事に矜持があるようだ。どんなことでも調べると言い切ったドンは、サングラスの奥で瞳を輝かせていた。
「宮園マイ。それから土間ゲンジロウだ」
だがその名前を聞き、ドンの動きがビクリと固まる。
「土間ゲンジロウ……。代議士の?」
「その土間だ。なにか不都合か?」
「不都合ってほどのことじゃありやせんがね……」
どうにも歯切れが悪い。彼は心を落ち着けるためか、中ほどまで吸って火の消えていた葉巻に再点火し、ぷかりと噴かしてから言葉を続けた。
「安くないですぜ? 土間って男は用心深く、荒っぽい話もちょいちょい聞いてますんで」
トシゾウを襲った魔物が、本当に土間ゲンジロウの差し金だったのならば。確かにゲンジロウという男は危険な人物なのだろう。海千山千の政界を生き抜いているのだから、然もありなんといったところだが。
「触りだけでいい。危なそうなら撤退しろ」
「それでいいんなら」
ドンからホッとした空気が感じられる。この男にそこまで警戒させるとは余程のことである。それをたかだか記者風情。それも若い女が追っているとは、大丈夫なのだろうか?
「宮園マイはこの間旦那の情報を売ったタブロイド紙の記者ですね。その様子だと接触があったようで?」
「まぁな。どうせ隠しても調べてくるんだろ?」
「仕事ですんで」
へへっとドンは悪びれずに口端を歪める。
「ちょっと面白そうな女なんでな。俺からも少し調べてやろうって、そういう算段だ。深い意味はない」
「とはいえ大した話は出て来ないと思いやすぜ? 接触があったんならもう聞いているかもしれやせんが――」
「父親が海の子事件の実行犯ってことか?」
先んじて言えば、ドンはそれを認めるようにぶわりと煙を吐き出した。
「なら彼女が海の子事件の被害者を探しているのは、父親の変わりに贖罪でもしているつもりか?」
「宮園マイは、あの事件を父親の仕業だとは思っていないみたいですねぇ」
父親の仕業だとは思っていない?
狂信者の暴走だと言った俺に『違うよっ』と噛み付いたマイの姿が思い起こされる。あれはそういうことだったのか。
しかし、ならばなんのために被害者を探し回っているのだろう。
「ま、宮園マイについてこれ以上は出てこないと思いやすね。それでも調べますか?」
「……一応な」
「探偵の性ってやつですかね? 難儀なことで」
そう笑いつつドンが了承したのと同時。背後でカランコロンと、俺以外に鳴らすことのない音が響いた。
「なにこのお店。貴方、私に隠れて違法な事をしてるんじゃないでしょうね」
いきなり辛辣な事を言い始めたのは、不肖の弟子兼俺のお目付け役らしい雨宮カナタであった。彼女は真っ暗な店内に物怖じすることもなく、ズカズカと店内に踏み入ってくる。
「だ、旦那? なんですあの不躾なのは」
「あぁすまんな。あれはああいうものなんだ。気にするな」
その間にもカナタは歩を進め、いつのまにやら俺の後ろで仁王立ちしていた。腕を組み、クイッと俺を見下ろしてきている。
「依頼も探さずこんなところで油を売っていたわけ? 信じられない」
「あのなカナタ。署で爪弾きにされてるからって、それを俺に当たるなよ」
「そんなんじゃないわよ馬鹿っ!」
どうやら図星だったらしい。憮然とした態度から、恐らくまた嫌味の一つや二つ言われてきたのだろう。
「それに、急にこっちに応援要請がきたのよ。あれだけ嫌味を言ってきておいて、今更どういうつもりなのかしら!」
言いながら椅子に座り、砂糖たっぷりのコーヒーを注文するカナタ。だがこの店にコーヒーはない。ドンがそう言うと、彼女の視線がドンを射抜いた。キリッとしたスーツ姿で帯刀しているカナタは、どこぞのエージェントといった風体である。それに凄みのある睨みを効かせられれば、ドンがカウンターの隅へ身を隠すのも仕方ない。
「だから当たるなって」
「嫌よっ!」
嫌なのかぁ……。そこを否定されてしまっては、こちらとしても二の句を継げない。とにかくカナタは、憤懣やるかたないといった感じらしい。
「んじゃまぁオッサンの家にでも行ってみるか?」
「先輩のとこ?」
以前とは違い事務仕事ばかりになっているオッサンこと渡利嶋カズオ。なので出勤するのは平日のみ。幸いなことに今日は土曜日なので、まず間違いなく家にいるだろう。
そう思い、気分転換がてら俺はカナタを誘ったのだ。
「それも悪くないわね。先輩にも愚痴を聞いてもらいたいわ」
「お前オッサンにも当たるつもりかよ……」
肩を竦めてカナタを見やれば、彼女は俺の提案に乗り気なようである。吊り上げていた眉尻を少しだけ下げ、善は急げと俺を急かすように袖を引っ張ってきた。
「んじゃドン。さっきの件頼むな」
カウンターの奥へ引っ込んだ男に声をかければ「へいへい」とやる気のない声が返る。それに満足し、俺はカナタとともにカランコロンと鈴を鳴らすのであった。
外へと出れば日は傾きつつある。
時刻は十六時半。土曜日ということもあり、昨日同様に人通りは多い。
「先輩は家に居るそうよ。来ても構わないって」
俺を先導するように右斜め前を行くカナタが、左手のデバイスを操作しながら振り返りもせずに言ってきた。
「おぉそっか。オッサンも暇してるだろうから丁度良いな」
彼女の言葉に軽く返したのだが、直後。僅かに歩を緩めて俺の隣にきたカナタは、険しい表情を作っていた。もちろんその理由については俺も分かっている。視線を変えず、声を潜めて彼女に告げた。
「尾けられてるな」
カナタもこういう場合の対応を心得ているのだろう。同じく視線はそのままに、頷くこともしない。ただわずかに口を引き締めたことから緊張が見て取れた。
「貴方のお客?」
「さて。心当たりがありすぎて分かんねぇや」
世間話のように交わす会話。もちろんこちらが尾行を察知したと知られないためである。
「巻くか?」
「いえ、それよりも」
と、突然カナタが振り返って屈んだ。どうやらハンカチを落としたので拾ったらしい。一連の動作には一切淀みがなく、ただハンカチを拾った。そのようにしか見えなかったのだが
「男が三人。三人とも脇が膨らんでいるわ。恐らく銃を携帯しているわね」
平然とまた歩き出したカナタが、幾分緊張感を増した声で俺に言ってきたのだ。
「あの一瞬でそこまで……あぁ、使ったのか」
「便利でしょ? 私の異能」
フフっといたずらな笑みを見せたカナタ。しかし相手は銃を持った男が三人か。なんとも物騒な話だ。
「次の角を曲がったら、その先で隠れて待ち伏せ。いい?」
そして彼女は、それを撃退してみせるらしい。尾行相手よりも隣にいる女のほうが物騒なのではないか? そんなことを考えながら、俺とカナタは角を曲がった直後に身を隠すのであった。




