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case3 捕らわれの探偵2

 居酒屋『五平』で朝掘りのタケノコなど旬の食材を楽しみ、若干足元が覚束なくなった午後二十二時。

 週末ということもありそれなりに賑わいを見せているニューポートセンター街の雑踏を、俺はふらふらと泳いでいた。


 依頼の来ない鬱憤を、酒で流し込むのも上手な生き方というもの。こんな夜もたまには悪くない。不満があるとすれば、酌をしてくれる女性がいなかったことくらいか。


 そんなことを考えながら裏路地へと踏み入る。

 人混みを抜けたからか、それとも酔いが覚め始めてしまっているからか。五月の夜風に一瞬肩を震わせ、帰ったらこのまま寝てしまおうとそう思った時だった。くぐもった声が聞こえた気がしたのは。


「――んんっ!!」


 辺りは暗い。周りのビルに明かりは灯っておらず、人気もないのだから当然だ。だから周囲を見回してもなんの異常も確認出来ない。聞き間違いか? そう思い再び歩きだそうとして


「助け――っ!!」


 今度ははっきりと、女性の声が耳に届いたのだ。

 どこだ? と声の出処を探してみると、路地の一角。暗がりの中で影が蠢いた。


「なにしてやがるっ!」


 俺の声にハッと振り返った顔は三人。男が二人に女が一人だ。どうやら男達は、女を無理やり車に押し込めようとしているところらしい。


「ナンパにしては悪質だな。今日日魔物だってもうちょい礼節を重んじるもんだぜ?」


 言いながらやおら男達に近づいていくと男の一人。女の足を持って車に押し込もうとしていた奴が、突如俺に向かって突進してきた。


「っと」

「うおっ」


 それを避けつつ足を引っかけて転ばせてやる。バランスを崩した男はそのまま転倒し、ゴミ捨て場のビニール袋に頭から突っ込んだ。


「何者だっ!?」


 女を後ろから羽交い絞めにしてその様子を傍観していた男は、今の動きで俺を素人ではないと見抜いたのだろう。声に緊張感を乗せ、俺の素性を確認してくる。


「若い女と、たまに正義の味方。通りすがりのただの天才探偵ってとこさ。魔物専門だけどな」

「魔物……特殊探偵かっ!」


 ほう? 知っているなら話は早い。

 特殊探偵という言葉と異能者という言葉はセットだからな。知っている者ならば、異能者を相手に喧嘩をしようなどと思わないのである。


 にも関わらず、転ばされていた男は起き上がると、今度は油断なく構えをとった。どうやら()る気らしい。しかも手には特殊警棒。伸縮する鉄の棒である。あんなもので殴られたら、俺の天才的脳細胞が何億個死滅してしまうか計り知れない。


「ならこちらも、それ相応のお相手をさせてもらうぞ?」


 平時であっても魔物はいつ襲ってくるのか分からない。対魔銃を持ち歩くのは特殊探偵として当然の嗜みだ。あまり人間相手にひけらかすのは気が咎めるんだがな。そう嘆息しつつ、俺はショルダーホルスターからカミーラを取り出した。

 効果は覿面のようである。それを見た男達は「ちっ」と盛大に舌打ちし、女を諦め車へと乗りこんだのだ。

 突然暗がりを切り裂いたヘッドライトに一瞬目を閉じ、次に目を開けた時には走り去る車の音だけで、その姿は消えていた。

 俺はカミーラを懐に戻し、地面にへたり込んでいた女の側へゆっくりと近づいていく。


「大丈夫か?」

「あ……うん。ありがとう……」


 今しがた拉致されかけたという事実を実感しているのだろう。肩を震わせ、女性は立ち上がることが出来ない。その足に力が戻るまで数分待ち、彼女を休ませるため、俺は一度事務所へと招き入れてやることにしたのだった。



 ……。



「ホントにありがと。もうダメだと思ってたよ」


 擦りむいていた肘の怪我などをミューに処置してもらい、淹れたてのコーヒーで一息ついたのか。来客用椅子に背を預けた女性が改めて頭を下げてきた。


「気にしなくていいぞ。通りかかったのは本当に偶々だ。自分の幸運に感謝しときな」

「幸運……ホントそうかも」


 包み込むようにコーヒーカップを持ち、椅子の上で体育座りをした女。彼女はうんうんと噛みしめるように頷き、やがて顔を上げて俺に視線を合わせた。


「あなた、龍ヶ崎トウマさん……でしょ?」

「俺のファンだったか? なんなら握手くらいしてやろう」

「あなたを探していたの」


 冗談混じりの返答にも動じず軽そうな言動に似つかわしくない真剣な眼差しを向ける彼女は、そうして自分の名前を名乗ったのだ。


「あたしはマイ。宮園マイよ。海の子事件の被害者で間違いないよね?」

「……タブロイド紙の記者だったか」

「っ!? 知ってるの?」

「探偵だからな。頭に天才と付くほどの」


 ドンが俺の情報を売った相手が目の前の女性だと知り、俺はまじまじと彼女を観察してみる。

 年齢は二十歳くらいだろう。ボブカットの髪型にスポーティーな服装から、恐らく行動的な女性なのだろう。まぁ記者なんてやっているくらいだ。そうでなければ務まらないしな。

 顔は幼さが残っており、ドンが評した通りに綺麗よりも可愛いと言ったほうが適切か。


「なぜ今更十五年も前の事件を追っている? アレは狂信者達の暴走。そういうことで決着がついたと思っていたが?」

「違うよっ!!」


 ギュッと目を閉じ俯くように吐き捨てた強い言葉。その姿から『違う』ではなく『違うと思いたい』のだと、そう俺は読み取った。


「なにが違う。実際に信者達により事件は起こされ、そして多数の子供達が命を落としたじゃないか」

「……それは……そうなんだけど」


 言い淀み膝を抱えるマイ。固く引き結ばれた唇に嘆息し、俺はコーヒーに手を伸ばす。

 しばらく続いた沈黙は、絞り出すようなマイの言葉で破られた。


「海の子事件の実行犯に、私のお父さんもいたの……」


 口にし終えたマイは、俺の一挙手一投足に注視していた。俺が少し身じろぎするだけでビクリと体を震わせていることから、彼女は恐れているのだろう。

 実行犯を父に持つというカミングアウト。それを被害者たる俺の前で話すことがどれだけのリスクか。

 詰られ、殴られ、唾を吐きかけられ。そういう可能性を考えたうえで、それでもマイは俺にそのことを話してきたのである。


 疑問はいくつもある。

 なぜそれを俺に話すのか。そもそもなぜ海の子事件を追っているのか。そして先ほどマイを連れ去ろうとしていた男達。あれはなんだったのか。

 だがそれらより先に、俺は彼女の出自について訊ねたのだった。


「君は自然児か。母親はどうした?」


 海の子事件については、俺も大人になってから少し調べたことがある。自分が関わっている事件なので当然ともいえよう。

 加害者。つまりテロの実行犯の中に、宮園という苗字はなかった筈だ。ならば宮園は母親の性なのだろう。

 実行犯は全部で二十名。中には捕まった者もいるが、そのほとんどが逃亡中に死亡している。

 宮園マイの父親が捕まったのか死亡したのかは分からないが、残された母娘の境遇が決して良いものではなかったというくらいは容易に想像出来た。


「あたしが十七の時に……。肉体的にも精神的にも限界だったんだと思う……」


 側に控えていたミューが、そっとマイにハンカチを手渡す。「ありがとう」とそれを受け取り、マイは目尻を拭っていた。

 ただでさえ子供を育てるのは大変なのに、それを女手一つで。しかも世間からは白い目で見られ、海の子の他の信者達からは蔑まれながらだ。

 その苦労はどれほどのものだったか。


「大変だったんだな」


 それを思えば、それ以外の言葉は出てこなかった。だがマイは意外そうにこちらを見上げる。


「なんで……? 恨んでないの?」

「お前に責があるわけじゃないだろ。親の罪まで背負って生きる必要はないんじゃないか?」

「そんな簡単に割り切れるものじゃないよ。周りにとっても、あたしにとってもさ……」


 言って再び、マイは視線を落とした。コーヒーがカップの中でちゃぷりと揺らめく。それはマイの心境をそのまま反映しているように見えた。


「それに散々皆に悪し様に言われちゃったけど、やっぱり私にとっては大事なお父さんだし」


 まるでカップの中に在りし日の光景が見えているかのように。薄く微笑みながら、マイはいつかあった優しい日々に思いを馳せているようである。

 と、過去を懐かしんでいた宮園マイの視線が、不意に俺の視線とぶつかった。瞳に懇願の色を滲ませ、彼女は俺に尋ねてくる。


「龍ヶ崎さんはあの日。お父さんを見なかった?」


 しかしそう問いかけられても、当時はまだ九歳である。それに、わけも分からず連れ去られたのだ。あの時の自分に周りを気にする余裕などある筈もなく、俺は静かに首を振って答えた。

 その反応にマイは落胆を隠さなかったが、同時に分かってもいたようで。「そっか」と自分を納得させるかのように呟く。


 そうして少しの間。あまり好ましくない沈黙が流れてしまい、俺は空気を換えようとマイに問いかけることにした。


「さっきの男達は信者か?」


 海の子供達はあの事件以降かなり規模を縮小している。一時は数百万と言われた信者数も、今では十万いるかどうかだ。

 国が推し進めた『国家人口調整計画』は人々に容認されるようになり、自然児でなければならないという考えが次第に薄れていったからである。


 なのでテロを起こした狂信者の家族を恨み、そこに復讐の刃を向けるというのは考えられないことではないのだ。それが、意味のある行為だとは思えなくとも。


「分かんないよ。そもそもあたしはもう信者じゃないからさ。そうだったとしても判別は出来ないし」

「案外ただのナンパかもな?」

「あ、やっぱり? あたし可愛いもんね」


 俺の軽口に軽口で返し、幾分陽気さを取り戻したかのように見える宮園マイ。空元気かもしれないが、今はそれでいいと俺も頬を緩める。


「調子に乗んなよ?」

「お兄さんもそう思ったから助けてくれたんでしょ?」

「馬鹿め。俺は若い女なら誰にだって紳士だ。第一暗くて顔なんて見えやしなかっただろ」


 そうして場の空気が和んだところで、俺はひとつ咳払い。真剣にマイを見据えた。


「大変珍しいことだが、今の俺はとても暇を持て余している。お前が望むなら、ボディーガードのような依頼も受け付けているぞ?」


 今の言葉の意味をマイはちゃんと理解出来ただろうか? 俺はこう言っているのだ。『あれはナンパなどではなく、お前は誰かに狙われているんだぞ』と。

 俺の僅かな動きから、即座に素人ではないと判断した慧眼。手にした特殊警棒。特殊探偵という言葉を知っていた知識。

 あの男達はたまたまマイをナンパしていた男でも、逆恨みしている信者でもなく。どこかに雇われたプロだと俺は推測しているのである。もちろんその理由までは知りようも無いが。


「大丈夫。さっきは油断しちゃっただけだからさ。こう見えても、あたし逃げ足には自信があるんだ」


 そう言って、マイはジーンズの太ももをパンパンと叩いてみせた。

 こちらとしても無理強いすることではない。気にはなるが、所詮は成り行き上助けただけの女である。ただ


「これも何かの縁だ。本当に困ったら、遠慮なく頼れよ」


 その程度の気遣いは、してやろうと思えた。


「あれ? あたしに惚れちゃった?」

「調子に乗るなと言った筈だが?」


 立ち上がってその額にデコピンを食らわせてから、俺は掛け布団をマイの頭から被せてやった。


「今日は泊まっていけ。まだあいつらが外をうろついているかもしれないからな」

「え、いや……でも」


 マイの返答を待たず、ミューに指示して彼女の寝床を準備させる。ミューはその本分を活かし、てきぱきと準備を始めていた。


「足。まだ震えてるぞ」


 強がってはいたが、やはり拉致されかけた恐怖はそう簡単に消えるものではないのだ。

 俺の指摘したとおり、宮園マイの足はずっと小刻みに震えたままなのだから。


「……えっち」


 それを、ずっと足を凝視されていたととったのか。マイが舌を出しながら冗談めかした。


 ともあれ宮園マイは一晩俺の事務所に泊まることとなったのだが、翌朝目覚めるとその姿はもうどこにもなかった。

 テーブルの上には「ありがとう。ちょっと元気出た」とリップマークの付いた書置きが残されており、俺は少しだけ彼女の無事を祈ってやることにしたのであった。



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