case2 ダブルブッキング8
真冬の月を穿つように、魔獣の絶叫が天を貫いた。
俺が放った血弾が、ジャルジャバの額を寸分違わず捕らえたのだ。
「グオォォォォッ!!」
両手で額を押さえながら悶絶し、殺意の篭った恨みがましい視線を俺にぶつけてくるジャルジャバ。おそらく『瀕死だった筈なのに何故?』と問いたいのだろう。
答えは簡単だ。俺はすでに異能を使っていたのだ。
使った直後に思わぬ闖入者があったため予定を変更し、瀕死の状態を装っていただけのことである。
そして油断したジャルジャバが近付いたところでズドン。正に俺の思惑通りというわけだ。
で、あるのだが……。
聖杯を使って能力の向上した俺の血弾を急所に受けて尚、魔物は絶命に至っていなかった。呆れるほどのタフネスである。
「トドメだぁっ!」
しかしそこを勝機と見たのか。ボドウェーがジャルジャバの背後から襲い掛かった。
たまらず膝を付きかけていたジャルジャバだったが、その気配を察知すると一転。振り向きざまに極太の腕で空を薙いだ。
「がぁ――ッ!」
鋭い爪が易々とボドウェーの腹を引き裂く。
血飛沫が飛び散り、小柄な魔獣の身体はあえなく地面を転がされてしまっていた。
「ったく、とんでもねぇ化物だなおい」
その様子を見ていた俺には、これっぽっちの油断もない。
奴の間合いの外から照準を合わせ、まずは動きを封じるためにその両足を立て続けに穿つことにする。
プシュ、プシュ
「グォォォォッ!!」
痛みに咆哮する魔獣。怒りに満ちた眼光は、それだけで殺されてしまいそうな迫力だ。
だが気圧されるわけにはいかない。荒れ狂う殺気をそよ風のごとく受け流し、俺は一度銃口を下げてからジャルジャバに問いかけた。
「死ぬ前に一つ教えろよ。お前ほどの強い固体が、どういうわけで人間に雇われてんだ?」
その言葉で魔獣はビクリと耳を震わせ、好奇の眼差しを俺へ向けてくる。そればかりか、痛みに呻いていた筈の声はいつしか笑い声へと変わっていた。
「クハハッ! この俺が人間ごときに雇われているだと? なにを根拠にそのような戯言を」
「初めからおかしいとは思っていたんだ。爺様に恐怖を与えるためだけにしては、お前は暴れすぎだとな」
「あの尊大な老いぼれに恐怖を与えるためには、そのくらい必要だという考え方もあると思うが?」
「尊大で面の皮の厚い横柄で高慢ちきな糞ジジイってとこは同意だが、それは違うな」
口から獣臭い白い息を吐き出し、魔物はニヤニヤと俺を見ている。
まるで俺が答えに至るのを望んでいたかのように。
「あの爺様が恐れていなさそうなのに、こうして襲ってきたこともそうだが。最初にここを襲った時。お前は招かれて屋敷に入った筈だ。いや、お前のご主人様がと言ったほうが適切か?」
俺は確信をもってそう言い放った。
俺がこの結論に達したのは、あの応接室を見た時である。
スズヒの考え通り、応接室で大暴れしたコイツがそのまま窓から逃げ出したのは間違いないだろう。であれば、侵入経路はどこだったのか?
そこに至る廊下に荒された形跡は一切見当たらなかった。ならば静かに応接室へと忍び込み、そこで突然暴れ出した? 館内にはアンドロイドのメイド達が常に歩き回っている。この巨体でそれは難しいだろうし、そもそもそんな事をする理由が見当たらない。となると忍び込んだのではなく、招かれてあの部屋へ入ったと考えるのが自然だろう。
だが例え人型に化けていたとしても、身元の定かではない魔物。日本を代表する大企業の会長宅に、ホイホイと招かれるとは考えづらい。となれば、招かれるに足る人物と一緒にやって来た筈なのだ。
つまりこういうこと。
トシゾウの顔見知りが、招かれたか訪ねて来たかで応接室へと通される。その傍らにはジャルジャバ。恐らくボディーガードとでも説明されたのだろう。
話がこじれたのか初めからそうする予定だったのかは知らないが、とにかくジャルジャバはそこで大暴れをする。当然ながらそこにはトシゾウもおり、主を守るため側に控えていたメイド長が応戦。さらにアンドロイド達も加わり、ジャルジャバは自分の主を連れて窓から逃げ帰った。
これが、俺の導き出した真相である。
「そうなんだろ爺様よ」
いつの間にかロビーを見渡せる位置に、スズヒに付き添われたトシゾウの姿があった。
爺様は俺の推理を聞き、不敵な笑みを見せる。
「伊達に有能などと自称しているわけではないということか」
「自称じゃねぇよ。で、どうなんだ?」
そう問いかけるとトシゾウは笑顔を引っ込めて。尊大な態度で一つ頷いた。
「概ねそのとおりじゃ。そやつの雇い主は、ワシの良く知る男であった」
「ったくよぉ。企業間の争いなのかなんなのか知らねぇが、魔物絡みとはいえそういう面倒ごとに巻き込まないで貰えないかねぇ」
「そのような瑣末事ではないのじゃがの。真実を隠していたことは謝罪しよう」
全く悪いとも思ってなさそうな顔を一瞥し、俺はジャルジャバに向き直った。
あとはコイツにトドメを刺すだけである。
と突然。
瀕死と思われていた魔獣が一息に飛び上がり、二階へと駆け上がってしまった。
「またいずれ」
そんな捨て台詞を吐いた魔物に、俺は慌てて銃口を向ける。だが時すでに遅し。
ジャルジャバは二階の窓を蹴破って、そのまま闇夜の中へと飛び去ってしまったのだ。
「くそっ!」
完全に油断していたっ! まだあんなに動けるとは思っていなかったのだっ!
あの魔物は、俺の想像を遥かに凌駕する力を有していたのである。
その背中を追いかけようと走り出しかけたが
「よいっ!」
俺の足はトシゾウの一喝で止められてしまった。
何故邪魔をするのかと不満顔で爺様を睨みつける寸前。俺には見えてしまった。俺のもう一つの能力。『死線』が。
直後。仮にジャルジャバを追いかけていたら恐らく俺がいたであろう位置。そこに猛スピードで瓦礫が飛んできた。
奴の置き土産だろう。ジャルジャバは、追われないようにと逃げ様に瓦礫を投げつけていったのだ。
止まっていなければ今頃俺の頭は割られたスイカのようになっていたかもしれない。そのことに背筋が凍りついた。
驚愕と共にもう一度トシゾウを振り返れば、俺の視界に忘れかけていたもう一つの事が飛び込んで来た。ジャルジャバに腹を抉られ、息も絶え絶えとなっているもう一体の魔物である。
「さてと、ボドウェーと言ったっけ?」
名を呼べば、弱々しい視線が返って来た。
コイツは魔物だ。本来ならば俺は瀕死のコイツにトドメを指して、ついでに魔魂を頂戴する。
それが当たり前のことなのだが……。
「爺様よ。俺に騙したことを詫びるなら、コイツを治療してやっちゃくれないか?」
「ほぅ? こやつはどう見ても魔物じゃぞ?」
「知ってるよ」
言いながら俺はボドウェーに近付き、その額に手を当てた。だが魔魂を頂くためではない。確認するためである。
「やっぱりお前にもあったか、バツ印の傷跡」
「なんの……つもりだよ……」
懐疑的な眼差しに、俺はふっと笑みで返す。
「両親の仇を討つために遥々異界からやってきて、ジャルジャバに狙われていた爺様を見張っていたんだな?」
ボドウェーの瞳が驚愕で見開かれた。
「なんで……?」
「美人の姉ちゃんが心配してたぞ? それにお前にそのつもりがなくても、助けられたことに変わりは無いしな。だがいいか? 助けてやるんだから姉ちゃんにはよろしく伝えておけよ?」
こうして電子のお城で繰り広げられた激闘は幕を閉じ。
二つの依頼は期せずして、同時に解決することになったのであった。
……。
お屋敷の一階。東館にある治療室には、簡易治療ポッドが設置されている。
今その中にはボドウェーが寝かされており、医療用ナノマシンによる治療が施されていた。
重体ではあったが魔物を医者に連れて行くわけにはいかず、このような処置になったのだ。もっとも魔物は人間よりも遥かに自己治癒力が高いらしく、これで十分だそうであるが。
「ボド……」
昨夜のうちに事のあらましをリスラに報告したところ、彼女は今朝早くに電子のお城を訪れ、今は治療ポッドの横で傷ついた弟の姿を見守っていた。
「なにぶん人間用なんで時間はかかるかもしれないが、命に別状はないそうだ。一か月もすれば歩けるようになるってよ」
心配そうに瞳を揺らしていた姉を俺はそう元気付ける。すると彼女は振り返り
「ありがとうございました。本当に……本当にありがとうございました」
と僅かに声を震わせた。
それに笑顔で応えつつ、俺は気になっていたことをリスラに訊ねておくことにした。
「額にバツ印の傷があるという特徴を教えたのは、あわよくばジャルジャバをも見つけて欲しかったからか?」
その言葉に、リスラが僅かに狼狽した。
「騙すような真似をして申し訳ありませんでした……。ただ、ジャルジャバの居場所が分かれば、きっとボドもそこに現れる。そういう考えもあったのです」
実際ボドウェーが雪を踏み固めてしまうほどこの屋敷を見張っていたのは、ジャルジャバらしき魔物が出たという噂を聞いたからか、それともジャルジャバの臭いが残っていたからなのだろう。だからリスラの思惑はあながち間違いじゃない。まぁそれならそうと、先に教えておいて欲しかったという思いはあるが。
「ジャルジャバは、倒した魔物の額に自分と同じ傷を残すのです。そうして自分と同じ特徴を持つ者を量産して追っ手を撹乱し、好き放題暴れているのだと聞いたことがあります」
なんとも狡猾な魔物である。
カナタが言っていた対策課で追っている魔物というのも、恐らくはジャルジャバのことだろう。いずれ再び対峙することになるかもしれないという漠然とした予感が、俺の背中をゾクリと震わせた。
ついでにもう一つ。俺はリスラに訊ねることにする。
それは、あの戦いの最中でジャルジャバが口にしたこと。俺の既成概念を根底から揺るがす言葉である。
「君達魔物にとって、ここは異界なのか?」
俺の考えでは、魔物というのはこの世界で自然発生する災厄。物に魂が宿ったり、歳を経た猫が変化したり。そういった怪異妖怪の類だと思っていたのだ。
しかしジャルジャバがもたらした『異界』というワードはそれを否定する。
この世界とは別に世界があり、彼等はそこからやってきている。そういう意味の言葉なのだから。
問われたリスラは否定するでもなく、それどころか少し首を傾げて
「そうですが?」
事もなげにそう言った。
ボドウェーに聞いた時も反論がなかったので確信はしていたが、あっさり認められると俺は少なからず動揺してしまう。
「ま、待て。ちょっと待ってくれ。ひょっとして君達の中では、異界があるというのは常識なのか?」
「そうですね。広く知られていることだと思います」
時折ボドウェーの様子をちらちらと気にしながらも、リスラは真っ直ぐに俺を見てそう答えてくれた。
だがその答えは、俺にとってあまりに衝撃的だった。
「なら君達は、こちらとそちらを自由に行き来できる?」
そして一番肝心なのはそこである。
魔物達の中でジャルジャバがどの程度の強者として位置しているのかは分からない。しかし仮に、もっと強い魔物がうじゃうじゃいるようならば……。それはこの世界にとって、危機以外の何者でもないのだ。
「いえ、自由にとは参りません。ゲートは……あ、世界を繋ぐ揺らぎを私達はそう呼ぶのですけど、それは酷く不安定ですし、いつどこに出現するのか分からないのです。それに、潜り抜けてしまえば帰れる保証もないですから好んでゲートを通ろうと思う者はいませんし、戻った者もほとんどおりません」
なるほどと相槌を打ちながら、俺は密かに安堵する。
いやしかし、考えてみれば当然か。彼等が魔物と呼ばれる前。怪異妖怪の話はそれこそ何百年、何千年も前からあるものだ。
それが今日まで世界の危機と認知されていないのだから、被害はあっても極小規模。まれに百鬼夜行や国を滅ぼした化物の伝承などが残ってはいるものの、基本的には問題視するほどのことでもないのだろう。
そう結論付けようとしたのだが、続くリスラの言葉に再び心が寒くなった。
「ですが昨今。こちらとあちらの距離がかつてないほど近付いていると長老がおっしゃってました。実際にゲートの目撃例も異常なほど増え、いたずら半分で世界を渡る者もいるそうです」
彼女の話ではそういったことが過去にも何度かあり、その度にこちらの世界に多大な影響を及ぼしたそうである。
例えば遥か昔には、こちらの世界へと渡った強大な魔物が美しい女に化けて国を滅ぼしたり。
あるいは何体もの魔物達が暗躍し、戦争の火種を引き起こしたり。
そして、かつてないほど異界とこちらの世界が接近しつつある今。
それらに匹敵する。いや、それらを凌ぐ大事件が起こっても不思議ではないと、そう考えられるのだ。
とはいえ、俺に出来ることなど多寡が知れている。
精々が増え続ける魔物絡みの依頼を粛々とこなし、たまに美しい女性の尻を追いかける。その程度のものだろうさ。
やや沈黙が続き、重くなってしまった空気を振り払うため。
俺は今後の話をリスラに振った。
「ボドウェーが快癒するまで、君はどうするんだ?」
彼女はピンと背筋を伸ばし、その反動で豊かなお胸がぷるんと震えた。
「法ヶ院様のご厚意で、こちらにご厄介になることとなりました」
「そうなのか。なんならうちでご厄介になってもいいんだぞ?」
「弟の恩人にそこまでご迷惑は掛けられません。それに、弟を側で見守りたいですから」
あのスケベ爺めっ、と先手を打たれた思いがするものの、離れたくないというリスラの気持ちも尊重しなければならない。
俺は渋々それを了承し
「その後はどうする? やはり二人で向こうに帰るのか?」
当然そうするだろうと思い確認を取ったのだが、彼女は首を振った。
「先ほどもお話した通り、ゲートはいつどこに現れるか分かりませんし……。それに、ボドはまだそれを望まないと思います」
両親の仇討ち。『まだ』という言葉には、それを成すまで弟は帰らないだろうという諦めにも似た親愛が感じられた。
ならばと、俺はリスラに提案する。
「君もこちらの世界に残るなら、君の魔魂を貰おうか? 魔物の本能が疼いてしまっては大変だろうし、なによりそうなってしまったら、俺は君を討伐しなければならなくなるかもしれん」
「そんなことが?」
「可能だ」
その提言を受けてリスラはしばし長考し、やがて頷きつつ顔を上げた。
「弟が目覚めたら、二人でどうするのか考えたいと思います。その時は、お力になって頂けますか?」
「当然だ。美人の頼みは断らないようにしているんでね」
ようやく彼女は笑顔を見せ、その笑顔に満足して、俺も頬を緩めるのであった。




