case2 ダブルブッキング3
ニューポートセンター街から西へ行くと在来線が南北に走っている。
その線路を越えて更に西。そこにはいわゆる高級住宅街が広がっており、その中にあっても別格の存在感を放つ、大きな洋風の屋敷があった。
広大な庭にはホログラフィの花々が咲き乱れ、同じく立体ホログラフィの噴水が七色に輝く。
ITと機械工学の分野でのし上がったTHテクノロジーを象徴するようなこの屋敷は、近隣住民から『電子のお城』などと呼ばれているらしい。
ニューポートセンター駅で自動タクシーを拾い、ようやくその電子のお城へ到着した俺。
出迎えてくれたのは、直接の依頼人である大和スズヒであった。
「お待ちしておりました龍ヶ崎様」
丁寧な物腰は、メイド服で身を包むことによって一層優雅さを増したようだ。
仕事中だからか。ふわりとした柔らかそうな髪は一つに束ねられており、その上に白いカチューシャがちょこんと乗っかっている。
「引き受けちまったからな。しばらく厄介にならせてもらうぜ」
着替えなどを詰め込んだバッグを掲げて見せるとスズヒは恭しくそれを受け取り、俺を邸内へと案内してくれる。
御付きとまではいかないが、こうして生身の女性に世話をされるというのも悪くないな。爺様の護衛と聞いて失せていたやる気が少しだけ回復した気がした。
数分毎に色彩を変える噴水を見ながら広大な庭を抜け、正面玄関の石段を上がって邸内へと足を踏み入れる。
見渡す限り真紅の絨毯が敷き詰められた一階ロビーには天井から高そうなシャンデリアがぶら下がっており、城という例えはあながち間違っていないと辟易させられた。
そのまま白い手摺の階段を登って客間へ案内されるまで。俺達の横を通り過ぎていくメイドが余りにも多く、ついつい視線で追いかけまくっていると
「私とメイド長以外は全てアンドロイドですけれどね」
大和スズヒがそう説明してくれた。
一般家庭ですらアンドロイドは一家に一台が当たり前の時代である。人を雇うより遥かに経済的なのだろう。特にここは、そのアンドロイドも製造している会社の会長宅だ。ひょっとしたら自社製品のテストも兼ねているのかもしれない。
「あんなポンコツを製品化しちまうくらいだ。大して意味のないテストな気もするがな」
頭の中でミューを思い浮かべつつ毒を吐いたところで、これから数日を過ごすことになる客室。俺に割り当てられた部屋へと到着していた。
「夕食は十九時を予定しております。その時には旦那様も同席されますので、詳しい話はその時にお願い致します」
「それまでは邸内を自由に歩き回っても?」
「構いません。あ、ですが一階の北西にあるお部屋。そちらには近付かないようにお願いします」
「なにかあるのか?」
行くなと言われたら行きたくなるのが人情である。それでも行くなと言うならば、せめて何があるのかは知りたい。そう思い訊ねたのだが、スズヒは困ったように顎に手を当てた。
「申し訳ございませんがお答え出来ません。どうしてもとおっしゃるなら旦那様にお聞き下さい。私も理由を知らされておりませんので」
ということは、行ってはならないと決めたのは護衛対象の爺様か。そしてどうやら、近付くことが許されていないのは俺だけのようだ。実に不可解である。
「まぁ分かった。とりあえず、爺様に話を聞くまでは我慢してやるさ」
不満には思うものの、ここで駄々を捏ねたところでどうにもならないだろう。本人に直接聞きただすまでは近づかないと約束し、俺はスズヒに頷いた。まぁ納得のいかない答えならば強行突入も辞さないがな。隠されたものを暴くのは探偵の性なのだ。
「お願い致します。それと、何か御用がございましたらいつでもお呼び下さい」
そう言って左腕のデバイスを操作し、スズヒはなにかのアプリを俺のデバイスにインストールする。
「このお屋敷の見取り図とメイドの呼び出しボタン。それからお食事のメニューなどが閲覧可能です」
「さすがは電子のお城だな。専用のアプリまで作ってあるとは」
いちいち庶民離れしていることに呆れながら、俺はスズヒの去った部屋でさっそくベッドの寝心地を確かめた。
ふかふかである。うちのソファーなどと比べるまでもなくふかふかである。
「あ~気乗りしねぇ……。なんだよこのザ・成金みたいな屋敷は」
どこまでも沈みこみそうなベッドで仰向けになり、よくわからない絵が描かれている天井を眺める。
と、連絡を取らなければならない相手を思い出し、俺は起き上がって左腕のデバイスを起動した。
「……ちっ。久しぶりに自分でメールを作成すると、思いの外面倒くせぇな。ここんところ、ミューに任せっきりだったからか?」
送りたいメールの内容をミューに言えば、彼女はそれを文章にして送ってくれるのだ。それは確かに便利で、なるほど、家庭用アンドロイドが普及するのも自明の理である。
「っと、まぁこんな内容でいいか」
とはいえミューが来るまでは自分でやっていた事。すぐに勘を取り戻して文章を作成すると、俺はそれを送信した。
急ぎのことではないので返信はのんびり待つつもりだったのだが、予想外に早く反応は返ってきた。
『は? どういうことよそれ。詳しく説明しなさい』
メールを送った相手は雨宮カナタ。我が探偵事務所の助手である。
送った内容は人探しを頼むというものだったのだが、返ってきたメールは字面からも不機嫌さが滲み出ていた。目を吊り上げる彼女の顔が容易に想像出来てしまう。
『詳しくもなにもさっき送ったとおりだ。額にバツ印の傷がある、身長百七十センチくらいの男を捜せ』
『だから、なんで私がそんなことをしなければならないのよ』
『お前の仕事だろ!』
『知らないわよ!』
うぬぅ。なんと強情な女なのだ。
師匠たる俺がやれと言っているのだから、二つ返事で了承すれば良いだけのことではないのか?
『いいから捜せって!』
『こっちだって忙しいんだから嫌よ。せめて理由くらい言いなさい。そしたら考えてあげないこともないわ』
『引き受けちまったんだよ』
『何を?』
『人捜しの依頼。巨乳の美女からだったので仕方なくな』
――ピルルルルル
言い合いのようなメールを送ったところで今度は着信があった。左腕のディスプレイには『胸の貧しき民』と発信者の名前が表示されている。メールでは埒が開かないということか? 仕方なく、俺は応答してやることにした。
「もし――」
「馬っ鹿じゃないの!?」
――プツ……プープー……。
室内に鼓膜が破れるかと思うほどの怒声が響き。それっきり雨宮カナタは音信不通となってしまったのだった。
……。
国家権力に頼ることが出来なくなり、どうしたものかと悩んでいたら。いつの間にか大分時間が経っていたようだ。
窓から見える景色はすっかり暗くなり、時計の針は十八時五十分を指している。
確か夕食は十九時からと言っていたなと思い出し、俺は一階にある食堂へと向かうことにした。
途中で呼びに来たスズヒと合流して食堂へ入ると、長いテーブルの上座に座っている、白髪をオールバックにした老人。法ヶ院トシゾウと目が合う。
「お主が龍ヶ崎トウマかっ!」
初対面の筈なのだが目が合うや否や。なぜか怒りを燃やしてこちらを睨みつけるトシゾウ。だがまったく身に覚えがない俺は年寄りの勘違いかなにかだろうと推測し、飄々とした態度のまま席に付くことにした。
「ぐぬぬっ! なんと小癪な小僧じゃっ! やはり気に食わんっ!」
おや? 勘違いではないのか?
「確かに俺が龍ヶ崎トウマだが、いきなり依頼人に食って掛かられる覚えはないぞ?」
「うるさいわいっ! なんでこんな奴が……っ!」
理不尽にも程があるだろ。というか、コイツが俺の依頼主だよな。どういうことだ。
「こっちに覚えはないが、気に入らないならそれで構わん。帰っていいか?」
「駄目じゃっ!」
いやいや。意味が分からない。理不尽を通り越えて支離滅裂である。
「なぁ爺さん、教えてくれよ。あんたは魔物に狙われていて、それで特殊探偵に依頼した。それで間違いないか?」
「間違いない」
「んで、なぜだか俺を嫌っていて、それでも俺に依頼してきた。他にも特殊探偵はいるだろうに、それは何故だ?」
そう聞くと、トシゾウの気勢が弱まった。いや、内心ではまだ怒りが燃えているようだが、それを理性で押さえ込んでいる感じか。ますますもって不可解である。
「……必要なことだから仕方なくじゃ。とにかくっ! お主は黙って魔物をなんとかしてくれればそれで良いっ!」
「と言われてもな。肝心の護衛対象がこの態度じゃ、守れるもんも守れないだろ。守られる側にだって、協力はしてもらわなければ」
至極当たり前のことを言ってやればトシゾウは苦虫を噛み潰したような表情になり、今にも倒れそうなほど血圧を上げていた。そのまま「帰れっ!」とでも言ってくれれば話は早いのだが、そう上手く事は運んでくれなかった。
やがて沈静化したトシゾウは、やはり俺への依頼を取り下げるつもりはないらしいのだ。不愉快そうな態度までは改めなかったが、黙って食事を始めていたのだった。
「なんなんだよ一体」
あまりに理解の範疇を超えた状況に困惑しつつ、仕方なく俺も食事を始める。
出されたメニューはオーソドックスながら手の込んだコース料理。スープ、前菜と始まり、メインディッシュが終るまで。食堂には、カチャカチャと銀食器の音だけが鳴り続けた。
最後にデザートのフォンダンショコラが運ばれてきたところで、ようやくトシゾウが再び口を開いた。
「魔物が現れ始めたのは一週間ほど前から。奴は自分の存在を主張するかのように庭を荒し、調度品を破壊し、被害はアンドロイドにまで及んでおる」
「へぇ。ならいつもの『恐怖を喰うタイプ』かもしれんな。で?」
「お主には、その撃退を頼みたい」
ナプキンで口元を拭い、こちらを見据えた老人。皺だらけの顔ではあるが、どこか凄味というか威圧感がある。年老いたとはいえ、一代で会社を日本有数の企業へと躍進させた傑物。その片鱗を見せ付けられたようだった。
「依頼自体はすでに受けちまってる。あんたが取り下げてくれない限り、俺は一応やり遂げるつもりだ」
その言葉に安心したのか感心したのか。僅かにトシゾウが目尻を下げた。
「だがそのために、いくつか質問に答えてもらうぞ。嫌とは言わないよな?」
「答えられる範囲であればな」
この段になっても隠し事は貫くご様子だ。守られる意識が欠如していると言わざるを得ない。
と腹は立つものの、そんなことを言っていても仕方がないな。俺はトシゾウの態度を諦め、気になっていたいくつかの事を聞き出すことにした。
「じゃあまず一つめ。警察や他の特殊探偵ではなく、なぜ俺なんだ?」
「ふんっ。素行や性格抜きに言えば、お主が優秀だというのは本当らしいからの。より有能な者に仕事を任せるのは当然のことじゃろ」
いちいち引っかかる物言いだ。素行や性格? まぁ金持ちの爺様のことである。俺に依頼をする前に調べていたとしても不思議ではないか。
それにしても、先ほど言った『必要なこと』というニュアンスとは少し異なる気がする。問いただしてもいいが、恐らく納得出来る答えは返って来ないだろう。
俺はそれを聞きだすことを諦め、次の質問へと移ることにした。
「まぁいいだろ、次の質問だ。一階の北西。そこには何がある?」
「なにも」
「何もないってこたぁないだろ。俺には『行かせるな』と命じているそうじゃないか」
トシゾウは気付かれぬ程度に目を逸らし、しばし考えてから
「機密書類などが保管されておる。どちらにせよ今回の依頼とは関係のないことじゃ」
そう言ったのだった。
だがそれが嘘だと、俺はすぐに見抜いた。本当に機密書類の保管庫であるならば厳重に鍵を掛けている筈なので、言うまでもなく入ることなど出来はしない。それに他のメイド達にだって入室許可など下りない筈である。
つまり、そこは入ろうと思えば入ることが出来、なおかつ大した秘密のない部屋。
……だとは思うのだが、それにしても俺に入るなというのはやはり不自然だ。
「もう良いか?」
どういうことかと思考を巡らせていると、そんな俺の邪魔をするように、焦れた老人の声が投げつけられた。
俺としてもこれ以上トシゾウと会話のキャッチボールを楽しむつもりはない。というかキャッチボールになっていない。奴は結局、なにひとつまともに投げ返してこないのだから。
そう嘆息する俺の態度で会話の終了を感じたのか。トシゾウは立ち上がって食堂を去ろうとする。
その背中にもう一つ聞くべきことがあったと思い出し、俺は唐突に切り出した。
「ミューを家に送りつけたのはお前の仕業か?」
ピクリと老人の動きが一瞬止まる。しかし次の瞬間には、トシゾウは何事もなかったかのように立ち去ってしまった。
やれやれ。本当に面倒な仕事を引き受けてしまったものだ。
そう溜息を零し、俺はフォンダンショコラを口に押し込むのであった。




