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王国物語   作者: SYO
1/1

サーカス編

手軽な気持ちで読める王道ファンタジーというのが個人的な展望

1話完結型のオムニバス形式


サーカス編のテーマは出会い

人が紡ぐ物語

王とは何か


ある人は答える、国の頂点であると。

ある人は答える、人を導く存在であると。

ある人は答える、人々の為に人として死んだ存在なのだと。


これは王とそれを取り巻く人々の物語。



【王国物語】


汝、何者であるか

突き落とされた世界の果てで見たものは、幻想を詰め込んだかのようなあまりにも不可思議な光景だった。

青い空に白い雲が浮かぶ。

そうして白い雲と同じ様に、島が重力を無視して浮かんでいる。

島の間を飛び交う鳥の大きさは、鳥と称してしまうにはあまりにも大きい。

浮かぶ雲は白くも有、そうして、雲以外に浮かぶ煌きもまた白を内包する。

「ああ、そうか」

風が通り抜ける音があまりにうるさく、それ以外の音を消していった。

空に向かって手を伸ばし、雲を掴めないものかと男は手のひらを広げる。

青が広がる果てのない空に向かって。

真っすぐに、手を伸ばした。

「ありがとう」

ふっと目元を緩ませて、彼は音を生み出す。

それは風の中に消えてなくなる、小さな、小さな音だった。


-----飛翔と落下の違いを感情にて示すとするなら彼は飛んでいた-----


第一幕:サーカス編



陽気穏やかなスタットリア地方。

人が行きかう活気の中、サーカスの一団が街を訪れた。

さらなる賑わいが街を彩る。

サーカスの一団が街に入る時には、ファンファーレが響いていた。

今年もやってきた!

その姿を目に収めようと、家を飛び出す人々。

少年の持っていたボールが石畳を転がっていく。



トランペットの音が街に鳴り響く。

今日から始まるサーカスの公演に、子どもたちが歓喜の声をあげた

「ほぅ!サーカスか、なぁカヤ」

「駄目です、シンタロー」

青い空、白い雲、そうして風にはためくカラフルな旗。

風船を持ったピエロが子どもたちと談笑をし、笑い声で街を彩る。

配られるチラシを1枚拝借して、青年、シンタローはにっと笑みを浮かべずにはいられなかった。

対して隣に立つ女性、カヤは無感動のまま表情を差分程にも動かさない。

2人はつい先ほど街へとたどり着いたばかりだ。

初めて訪れた街での賑わいは心を躍らせ、シンタローは語り掛ける様にカヤを振り向く。しかし、カヤは向けられた視線に対してすぐそっぽを向いた。

まだ何も言い出さないうちから制止を掛けるようなカヤの反応に、シンタローは大げさに慄く。

そうして両腕を広げて、カヤに語り掛ける。

「待ってくれカヤ、まだ何も言っていない!」

「声を抑えて下さい、シンタロー」

「うん?この賑やかさだからさほど」

「私の耳障りです」

「はっはっは!カヤは手厳しいなぁ!

いや違う、違うぞカヤ。まずは聞いてくれ」

「嫌です」

言い切ったカヤはシンタローに構うことなく市場へと向かい歩き出した。

シンタローとカヤがこの街に立ち寄ったのは旅の物資の補給、そうして換金を行うためだった。

まずは目的を果たさなければならないから、油を売っている暇など存在しない。

背を向けて歩き出せばシンタローも諦めて追いかけてくるだろう、と、ふんだというのに…。

シンタローはカヤを追いかけることなく、顔に笑みを浮かベたまま風船を配る青年へと近づいていった。

振り返ったカヤはこめかみを揺らす。

しかし、そのことにシンタローは気が付かない。

意気揚々と片手を掲げ、大きく息を吸い込んで、そして大きな声での挨拶。

「やぁ!サーカスの方かな!」

「こんにちは!」

返事の声もまた軽やかなものだった。始まる会話は互いに活気がある。

カヤは青筋を浮かベながらも、踵を返してシンタローの背中に近づく。

シンタローの膝に対して恨みの感情をこめて足蹴にしたところで、カヤの力では彼はびくともしなかった。

カヤはため息を零して、そのままシンタローの背中の影へと収まる。

大きな背中から伺った人物は、白銀の髪を揺らしながら柔らかな笑みをこぼす青年だった。

華やかな衣装を身にまとい、手にはチラシが束ねられていた。

「賑わっているな!公演はいつから行われるのだ?」

「明後日から2週間の予定です~」

広場を彩るカラフルな旗と、旗に囲まれた大きなテント。

サーカス団の掲げた看板は華やかで、公演を待ち望む声で広場は溢れていた。

チケット売り場には列が作られており、サーカスの人気ぶりがうかがえる。

「随分と盛況だな」

「以前もこちらで公演をさせて頂いたことがありまして、そのおかげでしょうか。

また来ることが出来て僕たちも嬉しいです」

「ああ、なるほど。街の皆も楽しみにしていらっしゃったのだろう。

俺たちもぜひ拝見したいな、なぁ、カヤ!」

「駄目です」

「…なんと」

シンタローはカヤを振り返って答えを求めたが、しかし冷たい言葉にあからさまに表情に落胆を覗かせる。

青年は2人のやり取りに対して、変わることなく柔らかな笑みを浮かべていた。

尚もカヤの淡々とした言葉は続く。

「いいですかシンタロー、まず私たちはここで宿を探さなくてはいけないというのに、貴方という人はそうしてふらふらふらふらと。

あなたはどこでも眠ることが出来るのでしょうけれど、私はそんなの絶対に嫌です、お断りです」

「いやいや、そんなことは思っていないのだが、だがカヤ!

こんなに面白そうなのに」

「だから何だというのですか。

今急いでいるという事実に対しては何の関係もないじゃないですか」

2人がこの街を訪れたのはほんの少し前のことだ。

必要な用事もあり、数日間滞在を予定している。

早めに宿を確保しなければならず、市場と宿屋探しを最初の目的としていたはずなのに、シンタローは賑やかなものを見つけてはそちらへと足を向けてしまう。

いつまでたっても辿りつかない事実に、カヤの我慢はそろそろ限界を迎えていた。

しかもカヤでは大柄なシンタローを無理やり引きずっていくことは敵わない。

寧ろシンタローが容易くカヤの手を引いてしまうのだから、カヤにはどうしようもない。

「君はサーカスに興味はないのか!」

「ぜひご覧ください!」

「そういうことじゃありません」

「くぅっ…!すまない、えぇと、君」

シンタローの視線を感じて、ああ、と顔をあげる青年。

その笑みは変わらず緩やかだ。

「僕はリオンといいます」

「リオンくん!

俺はシンタロー、彼女はカヤという」

「シンタローくんにカヤさんですね!

よろしくお願いします」

「ああ!宜しく頼む

またぜひショーは拝見させてくれ!だが、だが今日はすまない!」

「いえいえ、お時間あるときにぜひお越しください」

「行きますよ、シンタロー」

「カヤ!つれない、あまりにつれないぞカヤ!

ではリオンくん、失礼する!」

指先まで力を込めた手で、シンタローは空を仰ぐ。

大げさではあるものの気持ちのいい行動に、リオンもまたシンタローに答えるようにして礼を示した。

そうしてシンタローは踵を返し市場へと向かうカヤの後を追っていく。

「不思議な2人でしたねぇ、旅の方でしょうか」

街で過ごすには少しばかり重装備とも呼ベルかもしれない2人の装い。

ゴーグルを頭につけたまま、少しばかりすすけたジャケットを身にまとう男性と、そうして厚手の丈夫そうな茶色のケープをまとう女性。

日常生活だと言われれば首をひねり、外からやってきたのだと口にするのであれば、なるほどと納得をする。

そうして口にしていた宿を探すという言葉から、住居がないこと、住人でないことはうかがいしれた。

リオン自身もまた旅のサーカス団に所属している。

訪れた街の住人たちが過ごす普段を熟知しているわけではない。

市場へ消えゆく2人の後ろ姿を見送って、リオンはまたチラシ配りを再開した。


不満を如実に出し、カヤは先々と歩いていた。

「カヤ、待ってくれカヤ!」

「シンタローのせいです。

これはシンタローのせいなので、あなたは責任をとらなければいけません」

「いやはや、参ったな。

まさか悉く宿が満室になっているとは」

サーカスの公演があるためなのか、街全体が賑わっていた。

結果滞在可能な宿が見つからず、2人は途方に暮れていた。

少しばかり条件を変えれば見つかるかもしれないが、せっかく栄えた街に訪れることが出来たところだ。

旅の最中では我慢を強いられていたことを、今日こそはと思っていたのだ。

期待を裏切られ、八つ当たり対象が目の前にいるのだからカヤの態度も悪くなる。

空は茜色に染まり、宵闇が少しばかり顔をのぞかせていた。

交じり合う空の元、人混みをかき分けてカヤは進む。

その小さな背中をシンタローは追いかけていた。

しかし、その足がふと止まる。

「カヤ!すまない、本当の意味で待ってくれ!」

「本当の意味とは、シンタロー?」

「おい、君たち!」

「シンタロー!」

カヤを追いかけていたシンタローだが、声をかけてから追いかけるのを止め、そして方向転換を行う。

大きな声をあげて近づいた先では2人の人物がきょとんとした表情で立っていた。

抱え上げようとして叶わなかったのか2人の間には荷物があった。

「えっ、あ、あの…っ」

「何」

「いや何、お困りかな!と思った次第だ」

青い髪を持つ細身の青年と、亜麻色の髪を揺らす華奢な女性。

女性は明らかに怯えた様子でシンタローを伺い、青年は無感動な視線を向けていた。

「別に」

「店先にいられちゃあたしゃ迷惑なんだけどねぇ!」

「…す、すみません…」

「ふむ、荷運びの任か、請け負おう!」

「え、えぇっ!?」

シンタローを追いかけたカヤは、またその背中に隠れた。

不満と憤りを込めて拳を握り、ぐりぐりとシンタローの腰におしつけるが、やはりびくともしない。

2人の男女は明らかに華奢で、とてもではないが荷運びに適しているとはいいがた背格好をしていた。

そのせいもあって、店先で運び方を試案していたのかもしれない。

店主の女性がなかなか店先から動かない2人に苛立ちを募らせていることは明白だった。

「はっはっは、任せてくれ!

失敬レディ、このあたりの結び方は変えても構わないだろうか。

紐を拝借できるとありがたい」

「あいよ、へぇ、なるほど。

あんた慣れとるねぇ」

「ちょっと…」

「任せてくれ!」

「あ、あの、あのぉ…っ」

店主の女性と話をしながら、シンタローは荷物を担ぎ上げる。

2人には抱えきれなかった大きな荷物も、シンタローにかかれば軽いものだった。

怒りをにじませていた女性店主もシンタローと会話しながら、いつの間にかにこやかに笑みを浮かべていた。

「さぁ、行こうか!案内してくれ」

「話聞く気あるの?あなた誰」

「俺か、シンタローという!こっちはカヤだ」

「…そこの2人、いいから助けられてください…。

この人は話を聞きません。

私たちは急いでいます、いえ、私が急いでいます」

「え、で、でもご迷惑では…その…」

「…。なので早く案内してください」

「どちらまで運べばいいのだ?」

「え、えぇ…」

亜麻色の髪の女性は困惑を浮かべ、どうしたものかと青年を仰いだ。

そうして青年は自分の腕を見る。

軽く一息。

「分かった、案内する」

「…、ロエルさん…?」

「いつまでも帰らないのも、留まるのも迷惑になるから…」

「そ、れもそう、ですが…、あの」

「はっはっは、心配は無用だ。

ああ、でも安心を促せるものも持ち合わせがな。旅の途中でなぁ」

「あなたは見た目に威圧感があります」

「大きさのせいか!?

成程、そうすると、カヤが安心感と説得感を」

「いいから行きますよ」

行きますよと口にしたところで、行き先をカヤが知っているわけではない。

促されているのだと気が付いて、青髪の青年、ロエルと呼ばれた彼は自分の手荷物だけを抱えて先頭を歩きだす。

そのあとを女性が追いかけ、シンタローとカヤも続いた。

「あ、あの、申しわけありません…」

「いや何、通りかかったついでだとも。

君たち、名は?」

「めぐると申します。彼はロエルさん」

「よい名だな、して、行き先はどちらまで?」

「広場へ向かいます」

「広場、と、サーカスの一団がテントを構えていたように記憶しているが」

昼間通りかかった賑わいを思い出しながらシンタローは記憶を口にする。

サーカスという言葉で、緊張をにじませていためぐるの表情が少しばかりほころんだ。

「ええ、そうです。私たちのサーカス団です」

「成程。君たちは団員の方たちなのだな」

「そう」

「サーカス団をご存じでしたか?」

「今日広場を通りかかってなぁ。

ぜひ公演も拝見させていただきたいと団員の方と話をさせていただいたぞ!」

「あっ、ぜ、ぜひ…!」

そうして話はサーカス団のことになる。

公演は明後日から開催される。

明日からは公演に向けての最終確認とチケットの販売を行う。

キャラバンを作り、裏方含めて20名程で構成されているらしく、公演を前にして今は大忙しなのだとか。

力仕事に不向きだと明らかに知れ渡っている2人が買い出しに出ていたのも、結局のところ皆が忙しすぎてということが原因だ。

「ピエロたちが来るべきだったのに」

「皆さんお忙しそうでしたから」

「ピエロたち?」

「とても力自慢で頼りになるので、お買い物はよくご一緒させていただくのです。大柄、というわけではないのですけれど」

「なるほどなるほど!頼りになる方がいるのはいいことだ」

「とても楽しい方たちなので、ぜひお話ししてみてください。

明日もチラシや風船を配っているはずです」

「ふむ、だとすると」

もしや?とシンタローが一つの考えに至ったところで溢れかえる広場の賑わいが耳に届く。

活気と賑わい、期待に満ちていた昼間とは若干異なり、すこしばかりせわしなさもにじんでいた。

「あら、お帰りなさいませ、ロエルさん、めぐるさん!」

「ただいま」

「ただいま戻りました、団長」

「あら、そちらの方は?」

「お初にお目にかかる、俺はシンタロー、そして連れのカヤだ」

カヤはシンタローの背中から少しだけ顔をのぞかせて、小さく会釈をする。

ロエルとめぐるの姿を見つけ、喧騒から抜け出して近づいてきたのは一人の女性。

柔らかな赤い髪を風になびかせ、愛嬌のある表情にそばかすが浮いていた。

すらりと長い体躯と手足、ここにいる誰よりもシンタローの目線に近く、声には出さない驚きが零れた。

彼女のまっすぐな視線はシンタローに向き、続いて抱えている荷物に目がいく。

「まぁ!もしかしますと、お手伝い下さいましたの?

そうですわね、もう1人つけるべきでしたわ」

「はっはっは、気になされるな、通りがかった船だ」

「何かお礼を」

「あれー!昼間の旅人さんじゃないですか」

女性の声を遮ったのは、柔らかでありながらも意志のこめられた声だった。

軽い足取りで近づいてくるのは、昼間も広間で相対した彼、リオンだ。

昼間とは違い、手にあるのはチラシではなく段ボール箱だった。

大きさからいうとそれなりの重量を感じさせるものだったが、彼はこともなげに運搬をしていた。

「おや、リオンくん。昼間ぶりだな!」

「お知り合いですの?」

「今日お昼にお会いしました!宿は見つかりましたか?」

「いやはやそれがうまくいかず、まだでな。

どこもかしこも混みあっているようだ」

「あー、時期ですからねぇ」

うんうんとうなずくリオンと、腕を組みながら仕方がないとこぼすシンタロー。

カヤは再びシンタローの背中に拳をぐりぐりと押し付けていた

どこも込み合っているというのも事実だが、こうしてシンタローが寄り道ばかりするのも先に進まないことも、宿屋を見つけられない1つの要因だ。

分かっているくせにと怒りを押し付けるが、やはり動きすらしない。

「宿をお探しなのですわね」

「ああ、我ら旅をしている者だ。

訪ねる先もないため今日もまた野宿だろうかとそろそろ試案していたのだが」

「なっ、いやです、絶対嫌です。

何のために街にきたと」

「いやいや一人分なら見つかるだろうから、カヤは」

「そういうことでしたら、すこし手狭ではありますけども私どものキャラバンにお泊りになってくださいな!」

「うん?」

「いいですね、そうしましょうよ!」

女性が名案だ!と言わんばかりに、手を叩く。

軽快な柏手の音が響き、そうして意志の強さを示す彼女の瞳は輝きに満ち満ちていた。

リオンも大手を広げて、女性の言葉に同意を示す。

ロエルはため息をこぼし、そしてめぐるはおろおろと視線をさまよわせる

「お手伝い下さったお礼をしなければならないと考えていたところですわ!

お泊りになる場所がないのでしたらぜひ!」

「いやいや、あなた方は公演があるのだろう、お忙しい最中ではないのか」

「猫の手も借りだしているところですのでお構いは出来ませんけれど、寝床ぐらい余っておりましてよ。

申し遅れましたわ、わたくしは団長のマリアベル」

「ふむ、さようか。

ならばこのシンタロー、宿の対価に労働力を差し出そうじゃないか。

見てくれの通り力はあるぞ!

カヤも欲しかったのは暖かい布団であり、構われることではないからな」

「ほっといてください」

頭に添えられるシンタローの手をカヤは払いのける。

くるくると動くマリアベルの表情は忙しい。

もう彼女の中ではシンタローたちが宿泊をすることは決定事項なのか、話題は食事にうつる。

「ではめぐるさん、カヤさんを案内してくださいませ。

リオンさんはシンタローさんを!」

「は、はいっ」

「任されました!!」

「…。この荷物はどうするの」

「心配ありませんわ、キョウスケさん!キョウスケさん!!」

ロエルの示したのは、シンタローが抱えたままの荷物だ。

残されることになるロエルが受け取れるものではない。

そもそも受け取ることが出来るのであれば、最初からシンタローの手を借りる費用はなかったのだから。

「はっはっは、宿が見つかるまでご厄介になる

よろしくなロエルくん」

「別に」

「カヤも世話になる間は働くんだぞ!まずは…」

「何ですか」

「友だちを作るところからだ!」

「大きなお世話です」

マリアベルがキョウスケと呼ばれた異国の衣服をまとう男性を連れてきたのはすぐ後のことだった。

大きなリアクションのもと、大げさに行われるシンタローと男性による荷物の受け渡しののち、シンタローとカヤの2人は今日の宿と食事にありつくこととなったのだった。



大なベに作られたシチューをよそいながらテーブルにつく。

大人数での食事は久しぶりのことで、その賑やかさにシンタローは思わず笑みを浮かべた。

大人数の空気にいることそのものが楽しい。

カヤと2人での旅路ではどうしたって2人きりで食事をすることの方が多く、また街での食事も喧騒に包まれていることはあっても、皆が自身たちと同じ様にグループを作っており、完全なる他人である。

こうして仲間、といった和やかな空気はシンタローにとって本当に久方ぶりだった。

ほころぶ表情と、輝く瞳。

対してカヤは居心地が悪いのか、シンタローの影に隠れたままひっそりと食事をしていた。

いまだ親しくなく、しかしながら和やかな空気の中での身の置き所にどうしても視線をあげるのが苦手な同行者は、話しかけられるたびにおどおどとしている。

話しかける内容を迷っては顔をあげるのはカヤの向かい側に腰掛けるめぐるで、しかしその表情からはいつしか緊張がほどけていた。

カヤに対して話しかける内容は言葉を選んでいるようだが、仲間との会話はとても穏やかなものだ。

そうしてシンタローは目の前の話し相手との時間に興じる。

異国の服を纏う丸い眼鏡が特徴的な己を道化師と語る男、キョウスケとの話はとんとん拍子に進んでいく。

荷物の受け渡しをしながらの自己紹介の時から妙に息が合っていた。

キョウスケはシンタローをシンと呼び、シンタローまたキョウスケを敬称なく呼び捨てにする。

「異国情緒にとんだ話だなぁ、実に興味深い」

「それはそれは恐悦至極!語り部冥利に尽きるというものさ」

「また語り口調の盛り上げが小気味よい。

さすがはサーカスのピエロ殿」

「ただの道化の戯言も、こうして評価を得ることで価値を見出す。

語り手には常に聞き手が相対するものだ。

シンの旅の話もぜひ聞かせて欲しい」

「では、ご覧あれ!と、いうところかな?」

「これは一本とられてしまったようだ!」。

はっはっは!と重なる2人の笑い声にカヤは息を吐く

カヤにはシンタローたちが笑いだすタイミングがまるで理解が出来ない。

何か面白いことがあったのだろうか、そんなに笑うようなところだっただろうか。

理解が出来たとしても会話に入りたくない。

故に近くに腰を掛けながらも静かに、ただ静かに、話しかけるなというオーラを纏いながらシチューを口に運ぶ。

カヤにとっても喧騒の中での食事は久しぶりだった。

そうして睨み付けるように、不快な言葉が飛んでくる方向に目を向ける。

シンタローやキョウスケの会話は理解こそ出来ないが、しかし不快なものでは決していない。

聞いていて小気味がいいのは事実で、寄り添う分には悪くない。

しかし、その一方でカヤにとっては不快な会話を繰り返すグループがあった。

互いに聞く耳を持たない平行線の応酬は聞いていて気分が悪い。

いつしかヒートアップして怒鳴り声すら混じりだしているやり取りが交わされるテーブルは、カヤにとっては不快でしかなかった。

当初は和やかに談笑をしていためぐるたちも、今は少し緊張を表情に滲ませている。

「キョウスケ、団長殿と彼らは何を?」

「ああ、彼らは空中ブランコを担当している者たちだ。

公演にあたって少しばかり問題を抱えている」

「花形ではないか」

「そうだとも!

命の危機すら乗り越えて、中空を彩る彼らの演目は人目を引きつけて離さない!まさしくサーカスの花形を担う存在だ。

その分彼らへ寄せられる期待は大きく、公演の鍵を担っているともいっていい。

鍵を握るともいえるのが、エースの彼だ」

「ほう、リオンくん」

団長のマリアベル、そしてリオンと他数名がかけるテーブルは他の異なり少々緊迫した空気が漂っていた。

声と声がぶつかり合い、話はどんどんと激しいものになっている。

その中で、リオンだけがのほほんと食事に舌鼓をうつ。

会話には入っているはずなのに、まるで違う空気を楽しむかのような様子だった。

「肝の据わった御仁のようだ」

「身内の醜態を客人に晒すとは慚愧の至りだ」

「気にするな、こうした喧騒もまた切磋琢磨の証だろうとも」

「そうであるといいのだが、しかし悔やみ事ばかり口にしても何も始まらない。

今はありがたく言の葉を頂戴しようじゃないか」

「零しあった言葉より、その先に見出す未来がよりよいものであらんことを」

「痛切もまた須要とは染み入るものだ」

言葉を零し、意識を喧騒に向けながら少しばかり冷めたシチューに舌鼓をうつ。

耳を澄ませながら内容を精査してみれば差し迫った演目の内容を、公演を目の前にするこの期に及んでまだ掘り返しているということだった。

観客の前で失敗は許されない。

それに空中ブランコは常に危険が付きまとう演目でもある。

成功率の低い演目を行うことは命の安全を考えても、そして、観客を興ざめさせないという意味でも、失敗のリスクを考えれば避けるべき事態だ。

マリアベルは団長として公演全体の成功を考えなければならない。

やる気のある本人たちに演目の変更を突き付けることは決して本位ではないものの、責務を負う立場としては判断しなければならないこともある。

しかしマリアベルの言い分に納得を出来ない団員は声を荒げていた。

予定している演目において、現在成功率が低いのは事実だ。

このままの成功率で、ショーを行うわけにはいかないというのがマリアベルの判断。

何とか成功率があがるようにと信じ練習を続けてきた。

しかし、先延ばしを続けた結論を出すべき時が来ていた

「どちらの言い分も分かるだけに、苦しいだろうな」

「そうだとも。彼らの懸命さももちろん理解足りえる

しかしベルもまた苦しい決断を下さなければならない」

「理解者がいることによってどちらも救われるだろう

さて、ピエロ殿?」

「この道化師の戯言、さてかく語ろう!」

「声高らかな姿をごろうぜよ、とな!」

空になったシチューのお皿を片付けようと立ち上がったところで、めぐるが手を差し出していた。

「お済みでしたら、お預かりしますよ」

「これはこれは。任せて構わんだろうか」

「ええ、承ります。カヤさんはいかがですか?」

「…結構です…」

「カヤ、友だちを作るんだぞ!では俺は失礼させて頂こう!」

「うるさいです」

シンタローがいなくなったことで盾がいなくなったカヤだが、しかしシンタローについていくようなことはしない。

その先に余計な面倒が待っていることを何となく知っているからだ。

「では俺は」

「なぁキョウスケ、俺は団長殿とは少し話をしたが空中ブランコの彼らとは話をしていない。

去ってしまった彼らと違って、リオンくんはまだ食事を続ける模様だ」

「むっ」

「俺がよそ者であると考えると、答えは明白だ。

ではキョウスケ」

「シン、一つ問わせてもらおうじゃないか」

「何だ、キョウスケ」

シンタローとキョウスケが空間を挟んで視線を交わす。

2人の間に初めてといえるほどの静かな空気が流れていた。

じりりと、肌がひりつく。

キョウスケの言葉を待ち、静かに、静かに2人は相対していた。

「その囁きは悪魔のものだろうか」

「はっはっはっ!!」

「ベルは気高さを瞳に宿し、その声は」

「ではな、キョウスケ!」

「シン!その囁きに耳を貸すならば、俺は言の葉をもって退治せねばならん!

聞いているか、シン!!」

団長のマリアベルと空中ブランコの団員はそれぞれの方向に姿を消した。

そしてキョウスケに団員の消えた方向を指し示し、シンタローはマリアベルが姿を消した方向へと足早にて駆けていく。

聞こえるキョウスケの語り草には今は耳を閉ざし、さてはてと周囲を見渡すのだった。


昼間とも夕方とも違う、宵闇の支配する時間の広場は静けさに満ちていた。

街灯の光がまたたく星の光をかき消す。

柔らかな赤の髪をそっと撫でつけて、マリアベルは空を仰いだ。

ぐっとこらえて唇を噛みしめる。

「かように感情をこらえずとも、誰もいないぞ」

「あなたがいますわ、シンタローさん」

「君の心を知る団員は誰もいない

ここにいるのは、根を持たずすぐに姿を消す旅人だ」

「なおのこと、何も申し上げられません」

「誰もいない、と考えるのも乙だろう?」

「…、まったくもう。そんなことをおっしゃられても困りますわ」

「いやはや、この下心がやはり如何ようだ」

「お上手です事」

あまりにも早い降参を行って、しかしシンタローはマリアベルの横に並ぶ。

同じように空を見上げても、見えるのは少しばかりの星の瞬きだった。

街灯に照らされるサーカス団の旗が風に揺らめく。

「君たちサーカス団も各地を旅してきたのだろう?」

「ええ、色々な所へ赴きましたわ。あなた方も?」

「ああ。放浪のような旅故、こうして楽しく食事を囲むというのも久方ぶりだ。

ああ、礼を言い忘れるところだった、ありがとう団長殿。

温かく染み入る食事だった」

「ロエルさんとめぐるさんに手を貸していただけたのですもの。

お喜び頂けたなら何よりですわ」

「おかげさまで俺もカヤも温かい布団にまでありつける」

曰く、宿がとれなかった理由はサーカスの公演にあるそうだ。

公演前はテントを請け負う業者のものなど、若干数の移動があり、更に公演が始まればサーカスを見に来る観客たちでにぎわう。

外から人がやってくるということは、すなわち宿屋が取り合いにある。

サーカス団が観客だけでなく関係者を呼び込むことも所以して、ふらりと街に立ち寄ったシンタローたちは宿をとることが出来なかったのだ。

公演が近づけば近づくほど飽和していくことから、明日宿を探したところで同じ状況になることは目に見えている。

「ここにはどれぐらい滞在予定でしたの?」

「明確に決まっているわけではないので、今はしばらく、としか言えんな。

少なくとも1週間は宿をとるつもりがあったのだが」

「難しいかもしれませんわね」

「…、だろうとも。

そこで団長殿、これはたいっへんに申し上げにくく、しかし俺はそのためになら地に伏す覚悟をもってここまでやってきた」

「な、何ですのっ」

横に立っていたかと思えば、シンタローはマリアベルに相対するかのように前方に立ちふさがり、進路を妨害する。

腰をおとして両手を広げる様は、少しばかり異様だ。

マリアベルはたじろぎ、思わず警戒態勢になる。

広げられた両腕が、地面に向かう。

二本の腕は、石畳に直立に突き立てられた。

カヤの足蹴を受けても一切ぶれることのなかった膝が、今は石畳と触れ合う。

体勢を低く、低くおとしていく。

首を垂れ、立てていた腕も左右に広げて、胸を石畳へと近づけた。

「何をなさっていますの、シンタロー!」

「平に、平に願う」

「そんなことをしてはいけません、お立ちになって」

「どうかしばらくの宿を、この根のない旅人に!」

「お話ならちゃんと聞きますので、まずはお立ちに」

「このシンタロー、対価として支払えるものはさほどない。

今は団長殿の情に語り掛ける以外出来うることがなく!」

「いいですわ、分かりましたわ!

分かりましたから早くおたちなさい!!」

がばり!と勢いよくシンタローは顔を起こすと、地面にこすりつけていた額晒す。

尻尾のような橙の髪の毛が、大きく揺れた。

「団長殿!」

「宿でしょう!

そんなことをせずとも、好きなだけ泊まっていきなさいな!」

「はっはっは、痛み入る!」

「ああもう、本当に労働力として数えて差し上げますわ!

明日からは忙しいですわよ!」

「喜んで!

力添えが出来るの出れば、団長殿の琴線に近づくチャンスが増えるかもしれんしな!」

「下方修正中でしてよ、まずはお立ちなさい」

「承知した!」

シンタローが立ち上がると、見下ろしていた姿を今度は見上げることになる。

まずは身体を起こしたことにマリアベルは一息ついた。

笑みを浮かベルシンタローを前に、強張っていた表情が少し緩む。

驚きと呆れが生まれていて、先程まで悩んでいたはずのことが少しばかり遠くへ行ってしまった。

結論は出ているはずの、しかし決めきれない事実。

目の前に差し迫る公演に不安を持ち込みたくないのに、時間は待ってはくれない。

「はっはっは、団長殿の声はよく通る。

暁が告げる時のようだ」

「キョウスケさんと同じように、よく分からないことをおっしゃいますのね」

「彼とは気が合うなぁ!ああ、そうだ団長殿。

俺の事は先程のようにシンタロー、と。

そのほうがらしさが滲んでいる」

「ならばあなたも、わたくしの事をマリアベルとお呼びになって」

「承知した、マリアベル」

「わたくしも分かりましたわ、シンタロー」

向き合って零れたのは、軽やかな笑い声だった。

明日を鑑みて、計画を立てる。

目に見えて何かが変わったわけではない。

しかし、確かに変わったものがそこにはあった。

星の瞬きの元、日々は進む ___


テントの中はまだ準備が出来ておらず、公演の為に設営で大忙しだ

力仕事に向いているシンタローと、チラシ配りなどに全く不向きなカヤは2人そろって設営に尽力をしていた。

骨組みなどは手配した業者によって既に行われていたわけだが、細かな準備は団員自ら行う。

そうして舞台では明日から始まる公演に向けて、一連の流れを通して調整が行われていた。

準備を行いながら様子を伺うと、決して準備に向けてだけではない喧騒が耳に届く。

「まだまだ不協和音が奏でられているようだな」

「言葉に気を付けて下さい、シンタロー」

「うん?何か気にかかることがあるのか、カヤ」

「彼女…めぐるさんは楽師ですから…」

「ほう!ほうほう!カヤ!!」

「うるさいです、手を動かして下さい」

「いやはや嬉しいのだから仕方がないだろう!」

全体を通して進行を行うキョウスケとマリアベル、それに相対しているのは昨夜に引き続き空中ブランコの一部の面々だった。

リオンの姿があるのだろうかと、周囲を伺う。

しかし見渡す限りにおいて、彼の姿は見当たらなかった。

「カヤ、リオンくんの姿を見たか?」

「いえ」

「彼は人当たりがいい。

今日もチケット販売やチラシ配りかもしれんな」

あたりをつけるが、しかしどうにも腑に落ちない。

空中ブランコのエースと称された彼が、どうして最終調整に関わっていないのか。

演目の成功率が低いという問題は解決していないのだから、明日と差し迫っている最中に先送りにしたところでどうにかなるものでもない。

公演は明日から行われるのだから、日程を動かすことは出来ない。

ならば彼はどこで何をしている?

この状況で、何故姿を見せないでいられる?

「ふむ…。もし見かけたら教えてくれるか、カヤ」

「見かけたら」

「ああ、見かけたら」

「分かりました」

「…。あちらは必要ですか」

「ああ。そうだな。注意は怠らないでおこう」

「注意していたところで出来ることなどありませんが」

「今は、な」

「…、そうですね、分かりました」

頷いて、カヤはまた与えられた作業を再開させた。

シンタローも荷物を担ぎ上げ、意気揚々と労働に準じる。

2人の視界は、ブランコが掲げられる中空へと向けられていた。



最終確認にマリアベルがテントを周回する。

チケットの売上報告を聞きながら、不安はあるものの無事に公演を行える状況までこぎつけることが出来ていた。

不満を抑えつけ、空中ブランコの演目は成功率が高いもののみで構成されることになる。

シンタローは静かになった中で行われる演目を、客席で仰ぎ見ていた。

つりさげられた2本のバー。

片方のバーにはリオンが足をかけ、背中をそらしながら前方を見据える。

ステージを挟んだ反対側では団員がバーを掲げていた。

合図ののち、リオンが宙へと踊った。

彼を支えるのはつりさげられたブランコのバー。

そして彼は宙に舞う。

空中で回転をし、そして反対側より放たれたバーをしっかりと握り。

振り子の力に従い宙を移動した。

「軽やかなものだ」

スポットライトを浴びながら、淡々と行われる演目の確認。

空を舞うリオンを含めた団員はいともたやすく行っているようにみえて、その裏に考えつくされたタイミング、そうしてそれを可能にする身体能力と努力が見え隠れする。

淡々と続けられる最終調整。

そこから奏でられるものに、シンタローは眉をよせるのだった。

まだ夜と呼ぶには早くまだまだ喧騒が残るころ合いに、シンタローはカヤより得た情報を元に足を進めていた。

無言でいると、脳裏に先程の光景が浮かんでくる。

緊迫した空気の中、宙を舞う軽やかな姿。

白銀の髪を揺らしながら、彼は何を考えていたのだろうか。

思考をしながら目的地に向けて歩いていると、いつしかその耳に一つのメロディが届くようになる。

これまでと違い不協和音など感じさせない穏やかな音に、自然と口元を緩める。

そうして一歩、力強く踏み出した。

音を辿るようにして歩みを進める。

穏やかな音は心に力を与え、その思考を緩めていく。

いつしか歩幅が音にのる。

夕焼けにとけるようにして、彼女は音を紡いでいた。

揺れる亜麻色の髪が光をとかす。

穏やかな表情で一つ一つの音を生み出していく。

背負う夕焼けは、いつしか藍色とまじりあっていた。

境界の最中に紡がれる旋律は不思議と心を落ち着ける。

一呼吸――――

音色が空気に消えゆくと同時に、静かな呼吸が行われた。

シンタローは両の手を強くたたく。

柏手は消えゆく音色とはアイアンして、力強い音を響かせた。

「っ、きゃぁ!?」

「驚かせてしまったか、すまない」

「えっ、シンタローさん?」

「素晴らしい音色だった!」

「あ、ありがとうございます」

はにかむようなめぐるの笑みに、シンタローもまた目じりを緩ませる。

人となりが音色に現れており、優しくも穏やかな音楽だったと、今一度脳内の音楽に語り掛けてみる。

楽器を首から下げためぐるは周囲を伺う。

しかしそこには、2人の人影のみだ。

「あ、あの、私に何か?」

「食事に呼びにな。時間を忘れたひた向きさは、時に毒だぞ?」

「あっ!ご、ごめんなさい!」

「対価を支払うべき演奏に興じることが出来たので万々歳だがな!」

「そのようなものでは……。いいえ、すぐに仕度をしますね」

サーカスの公演を音楽で彩る楽師。

ファンファーレに始まり、様々な場面で音楽は下支えをする重要な役割だ。

だが当の本人といえば驕るどころか下をむいているばかり。

奏でられる音楽は優しく穏やかなのは人柄なのか、しかし時折自身のなさがのぞいてしまうのも、また人柄なのだろう。

どこか音に脅えがある。

なんてことを、音楽に覚えがあるわけでもないシンタローは口にすることは出来なかった。

「音楽はさっぱりでな、かく語ることが出来はしない。

俺が持ちあわせているのは、素晴らしいという言葉だけだ」

「十分すぎるお言葉です」

楽器を片付けてからシンタローに向き直るめぐる。

そうして2人は、シンタローが1人で通ってきた道を、今度は並んで歩き出した。

「音楽への理解を持つ者は、世界の認識が違うのだと聞き及んだことがある」

「世界の認識ですか?」

「例えば聞こえてくる音が、音階で認識されるようになることだとか。

何、というのだったか…」

「絶対音感のこと、でしょうか?」

「ああ、そうだ!君も鳥の羽ばたきや風の音をもしや音で認識が出来るのか?」

「そう、ですね…これは感覚的なものなのですけれど。

聞こえてくる音を音階で捉えているというよりかは、分かる…といった感じでしょうか。


例えば鳥のさえずりが何の音、と常に感じているわけではありません。

ただ、何の音?と考えて答えを出すことは出来ます。

そう、理解しています。

生活音に対してそれがどういった音なのかを把握することが出来て、更に音階を知っているために当てはめることが出来る…。

えぇと、分かりますか?」

「ふむ…」

それがどういうことなのか、ということは知識として文脈として理解は出来る。

だが自身の能力に当てはめたときに、まず音を把握することが出来ない。

そうして更に、シンタローは音階を知らない。

把握できず、当てはめる先への理解もない。

文脈としての理解にはたどり着けたとしても、いざそれを自身に当てはめたときに自分が出来るかどうか、実感として、という意味では理解が出来ない。

文脈の意図は分かったとしても、共感という意味では理解が出来ない

その感覚の話に、シンタローは大きくうなずいた

「君は素晴らしいな!」

「えっ!?いや、あの…」

「俺には分からぬことだが、君が磨いた感覚は素晴らしいと思う。

だからこそ君の音も磨かれていくのだろう!

いやはや、物を知らぬくせに勝手を言うが、これはこれで俺の感覚だと受け取ってもらえると嬉しい」

「その…、嬉しいです、ありがとう、ございます」

どこかぎこちなく、めぐるの視線がさ迷う。

しかし何とか紡ぎ出すような言葉は頼りなく、自信のなさがうかがえた。

「ところで、モールス信号というものを知っているか?」

「え?」

「君程の耳があるのならば、信号ではなく音楽としてのカモフラージュをしながら暗号を作るのも可能ではないだろうか」

「暗号…、ですか?」

「ああ、そうだ!」

そうして自信のない表情から変わり、今はただ困惑が浮かぶ表情となる。

対してシンタローはにっと笑みを浮かベルのであった。


遅いですわよ、というマリアベルの言葉に対して正面から謝罪をする

そうして各々夕餉の時間を迎える

サーカスの本番は明日へと迫る中、奏でられるメロディに瞳を閉じた


朝日が指したおりまもなく、公演初日のサーカス団は動き出す。

空が明るくなると同時に高揚感、不安感、色々な感情が高まっていっていた。

出演団員全員が舞台に集まり、裏方やサポートスタッフは客席に散らばる。

シンタローとカヤも舞台の様子を客席から見守っていた。

公演が始まってからも人手が必要なところの手助けを行う約束をし、そうして今に至る。

団員の表情はそれぞれだ。

キョウスケは高揚しているのか、いつにもまして口上に熱がこもる。

極度の緊張からか青い顔をしているめぐるの横で、少しばかり顔をこわばらせながらも淡々と話すロエルの姿が見える。

リオンは相変わらず、素知らぬ顔で笑うばかりだった。

そうしてマリアベルの澄んだ声が団員を激励する。

サーカスの幕開けが、間近と迫っていた。

テントの下で、スポットライトの灯りがステージを照らす。

それは、丁度その折に突然やってきた。

「1人たりとも逃がさず包囲せよ!」

「っ___!?」

高らかに響いた声とともに、無数の人影がテントへと押し寄せる。

舞台にいたもの、客席にいたもの、皆の視線が声の方向へと集中した。

高らかな声とともに指示を出すのは制服を纏う中年の男性だ。

そうして同じく制服を纏った人々が、統制を成してテントの中へと押し寄せる。

客席にまばらに散らばっていたシンタローたち含め、全員が舞台に押し寄せられ、彼らの包囲されることとなった。

「何ですの、これは!」

混乱の中、マリアベルの声が大きく響く。

「…キョウスケ、彼らはこの街の治安組織か何かだろうか」

「いや…街規模では語れんな…、あの紋章は国軍の組織…しかし、何故…」

「…、ふむ」

軍というには軽装にも見えたが、しかし、軍隊が日常的に街の警備も行うのであるとしたら、身にまとう制服も相応しいものと呼ベルのだろう。

統制のなされた彼らは舞台へとシンタローたちを集めながら包囲し、威圧する。

そうして出入り口より指示を行っていた中年の男性がカツ、カツと足音を鳴らしながら舞台へと歩み寄って来た。

ただただ困惑するもの、不安に怯えるもの、怒りを如実にするもの…。

感情が渦巻く中、マリアベルはまっすぐな視線を男性へと向ける。

「何ですのあなた方!今はショーの前ですわ」

「サーカスの公演は中止だ

諸君らには密売の容疑がかかっている」

「なっ!?どういうことですの!」

「詳しい話はこちらがお聞かせ願いたい、団長マリアベル殿」

「お客様がお待ちですのよ!

そんなこと出来るわけがありませんわ!」

「犯罪集団の公演などを認可出来ない」

犯罪集団。

その言葉を皮切りに、波のようなざわめきが一層広がった。

団員たちにはただ困惑しかない。

中年男性への怒り。

それと同時に向けられる疑惑の目…。

渦巻く感情が、混沌と成していく。

「…カヤ、いけるな」

「いけるんじゃないですか」

「つれんなぁ、まぁ、恩義は返さねばな」

「…分かっています」

「警邏殿!」

ひそめて様子を伺っていたシンタローがひと際大きな声を出して立ち上がる。

高らかに響き渡る声は男性とマリアベル、そうして喧騒の声を一瞬静寂へと導いた。

堂々としたシンタローの立ち振る舞い。

一瞬にして集中した視線に臆することなく、一歩前へと進み出る。

「かように追いつめた物言いだが、犯罪の物的証拠はあるのだろうか」

「無論。

これから、全員に対して関与の検証が必要となる。

ご協力願えるね、団長殿」

「そんな…」

言葉そのものは丁寧でありながら、しかしその言葉は高みから言いつけられる。

慇懃であり高圧的。

反論を許さぬ男性の言葉に、マリアベルの表情に影が落ちた。

待ちに待った公演の初日。

幕開けを迎えることなく、理解できない疑惑の中に叩き落される。

何故。

どうして。

どういうこと。

感情に名前さえ付けることが出来ず、何も出来ず、何も分からないことに歯がみしかできない。

マリアベルの沈んだ表情を一瞥しながら、シンタローはなおも一歩進み出る。

そうしてカヤも静かに立ち上がり、スカートの裾に手を掛けた。

それは、その刹那の出来事だ。

「うわぁっ!?」

誰ともなしに悲鳴があがる。

突如として皆の視界は、空間に充満する白い煙幕によって覆い隠されていった。

目の前にいるはずで、その影も認識できる。

しかし、誰かという認識が出来ないぐらいに視界を覆い隠す白い煙幕が充満していく。

「っ、いた!」

「何、なに!?」

動けば誰かとぶつかり、ただただ混乱が広がっていく。

「喚くな。誰一人として逃がさぬよう、警戒体勢!」

しかしその中でも指揮をとっている男性の声は落ち着きを保ち、集団に緊張感をもたらす。

シンタローは体勢を低くし、そうしてマリアベルに肩をかける。

びくりと、マリアベルの身体が跳ねた。

「失敬、マリアベル」

「何、何ですの?」

「用向きを済ませようかとな、それでは失礼を重ねるとしよう」

「シンタロー…?

っ、き、きゃぁあっ!?」

マリアベルの細身の体が、シンタローによって担ぎ上げられる。

そうしてシンタローはそのまま煙幕の中を一直線に走り出した。

「どういうことですのぉ!?!」

「逃がすな、捕らえろ!」

マリアベルの悲鳴と、そうして動きに気が付いた制服集団の声も対応を急ぐ。

だがシンタローは迷いなく地面を駆け抜け、そうして障害を前にして大きく飛び上がる。

「____っ!」

風のうなる音がマリアベルの耳に届く。

俵のように担がれたうえで、縦横無尽に動くシンタローに振り回される。

抗いようのない圧力に頭がぐらぐらと揺れた。

まるでバネの入ったかのような跳躍を見せ障害を避け、そうしてシンタローは開いたままの天窓へと身を躍らせる。

指示の声を遠くに聞きながら、煙幕の中、シンタローとマリアベルはテントの外へと姿を消す。

2人が姿を消したのちもテント内には困惑が広がっていた。

そうして失態から怒声も混じる

追え!逃がすな!

何があった!

怒号のような声がテントの中を支配していた。

消えない煙幕は混乱を増長させる

天窓から、出入り口から溢れていく煙幕は、更に周囲への混乱も生み出していた。

そんな混乱の中を、シンタローは軽快に駆け抜けていた。

テントから身を躍らせた後の足取りは軽く、テントの周囲を警戒していた人々もただただ身体能力だけで躱していく。

上下するたびにマリアベルの身体にがくんがくんとした衝撃が伝わり、周囲のざわめきがどこか遠いものに聞こえていた。



そうして混乱の声がいつしか消え去り、周囲に静寂が満ち始めるときシンタローが緩やかに足を止める。

「さて、マリアベル」

「…何なのですのぉ…」

担ぎ上げていたマリアベルを解放して、適度な段差を促す。

マリアベルは頭を抱えながら、少しばかりうずくまった。

「回復まで待つ、と声を掛けたいところだが事態は切迫をしている。

少しばかり息を整えようか」

「頭がくらくらしますわ」

「すまないな、少しばかり無茶をした」

「…、いえ」

腰を掛けたマリアベルを伺うように、シンタローはかがみこむ

青ざめたマリアベルとは対照的に、しっかりと前を見据えた瞳だった

「…どういう…、ことですの」

「密売、ということに何か心当たりは?」

「あるわけがありまえんわっ!全く、何も身に覚えがないことで…

サーカスの公演は今日、からで…。どうしたら、もう、…、何で…」

「大丈夫だ、マリアベル」

「何がですのっ!?」

「大丈夫だ、まずは信じることだ」

マリアベルが見つめたシンタローの瞳は、前を見据えていた。

力強い光を携えて、快活たる笑みを浮かベル。

「君の言葉を信じよう、故に、『何故』を考えよう。

そうして皆を救い出す使命がある。

そうだろう、マリアベル団長。

何とかなる。

成せばなる。

君と俺で大丈夫だと信じ、その一歩で踏み出そうじゃないか」

胸の前で握り込まれた拳は力強く示される。

静寂が支配する場所で、ただ1つ確固たる光。

「君の光を、君の信念を。

今日はサーカスの幕開けだ」

握られていた拳が解かれて、マリアベルに向かって大きな手が差し出される。

困惑があった。

焦燥があった。

理解が出来ない状況に困惑が満ちる。

それでも立ち止まっていられない理由がある。

求めるものがある、成さねばならないことがある。

故に、手を取り立ち上がる。

「もちろんです。

本日は公演1日目、皆さまにお喜び頂けるよう、お爺様の意志を届けるよう、私は…。私は、立ち止まってなどいられないのですわ」

シンタローとマリアベルの2人の手が重なり合い、そうして互いに互いの力を信じるかのように握り合う。

交わる視線は互いに強い光を宿していた



汚れが目に見えたわけではないものの、立ち上がりながらマリアベルはスカートの裾を払い落とす。

それは一種の儀式めいたものだった。

気持ちを切り替えてマリアベルは前を見据える。

「少し、勘違いをしましたの」

「勘違い?」

「杞憂でしたわ。

シンタロー、あなたの考えをお聞かせいただけるかしら」

「そうだな。少しばかり御移動願おうか。

何しろ時間がない」

「そうですわね」

2人は足早に街中へ向かって移動を始めた。

まだ朝早い時間にも関わらず、通りにでれば喧騒が支配していた。

慌ただしく動く人々にマリアベルはあっけにとられる。

そうしていたるところに、先程目にした軍隊の姿を視界にとらえる。

息をのんでひそもうとしたところ、シンタローはずんずんと足を進めようとする。

その袖を、マリアベルがすっと引いた。

「危険ですわ」

「承知のうえだ」

「…、理由を」

「あれだけ目立つように撤退した我々に注意は向く、むしろこちらはオトリだ。

そのために大立ち回りをして、わざと街に潜伏している。

あちらに関してはカヤと君の頼れる仲間が何とかするさ」

「分かりませんわ、証明できるのであれば私が逃げおおせる理由などありません。私たちに身に覚えはないのですから、何を暴かれようと問題ありません」

「美しい在り方だ、はっはっは、彼らに花を添えねばな。

君だけが潔白であったとしても、暴かなければならない真実もまた存在する。

そうしてもう一つ、向かわねばならないところもある」

「わたくしの家族に疑いがあるとおっしゃいますの

…、あなた…何をご存知ですの」

「何、知っていることだけを知っているのさ」

喧騒と静寂の狭間で光が正面からぶつかり合う。

一瞬過る影の姿に、マリアベルはごくりと生唾を飲み込んだ。

マリアベルにとって、サーカス団の団員は家族のような存在だった。

幼い頃から一緒に過ごした者、己が団長となってから入団をした者。

皆それぞれに人生や生活を抱え、そうして共に旅をしながら公演を行う家族だ。

祖父の意志を引き継いで、ひと時の夢を作り出す。

団員たちの思いをつないで作りだす公演。

そうしてテント中に木霊する歓声と笑顔が、マリアベルにとっては何よりの宝物だ。

公演へとかける思いは一入のもので、今の状況が許せない。

だからといって突然の事には困惑しかなく、現状への理解へは中々追いつけない。

ふらりと現れた目の前の旅人。

疑惑でいえば彼に向けたくもなり、しかしそれを一瞬ののちに断ち切る。

今は何よりも団員のため、公演のために足を止めている暇など存在しない。

「私は貴方を信頼します。

ですから、貴方も応えて下さい

家族の潔白を証明し、何としてでも公演を成功させてみせます」

「ああ、もちろんだとも!では行こう!」

喧騒の中へと手を引くシンタロー。

尚もマリアベルは己を引くその手を固く握ることを選んだ。

疑うことは容易い。

しかし、疑ったところで選ベル手はずもない。

ならば信じよう、そう、差し出された手を取った時に決めた。

その信念は少々の疑念を感じても、揺らがない。

揺らがせない。

任せるのではなく共に歩み、そうして真実をつかみ取ってみせる。

何をもって、と語る言葉をマリアベルは持たなかった。

困惑、疑惑、焦燥、渦巻く感情も存在する。

それでも踏み出す一歩のため、前を向くため、信じることを選んだのだ。

踏み出すシンタローの一歩は力強い。

手を引かれるマリアベルは半ば引きずられる勢いすら感じる程だ。

「シンタロー!

どこへ向かっているのかは教えて下さってもいいのではないかしら!」

「そうだな、レディに会いに!」

「ご婦人に?」

「君たちに縁を頂くきっかけが荷運びだったわけだが、そもそもロエルくんもめぐるくんも華奢だ。

何故君は彼らに荷運びを言いつけた?」

「えぇと、あの日…ですわよね」

あまりに日々が慌ただしいので、何故?と言われてすぐに記憶が呼び覚ませるわけではない。

しかし言われてみれば妙なもので、ロエルとめぐるの2人が力仕事に向いていないことなどマリアベルは十も承知なのだ。

どれだけ忙しくしていたとしても、そんな明らかに不向きな用向きをお願いするだろうか。

あちらだ!という声が聞こえれば、2人の歩みは更に早いものになる。

街中を駆け抜け、時に段差があればマリアベルを担ぎ上げて軽やかに飛び回る。

時に感じる重力を無視したような動きも、着地の際の衝撃が身体に伝わることで、重力や衝撃を意識させる。

駆け抜ける最中は舌をかみそうになり、マリアベルはただただシンタローついていくことに必死だった。

路地裏を駆け抜けて、時に衆目の好奇の視線を浴びながら 2 人はひた走る

そうしてたどり着いたのは、シンタローとカヤがロエルたちを見つけた、あの通り

「あの時、2人は店先で大きな荷物を前に困惑していた。

君は荷物の内容を把握していたか?」

「ま、って、下さい…。おもい、だしますわ」

必死に駆け足でシンタロー追いかけていたマリアベル。

やっと緩やかに歩めるようになって、ゼーハーと胸を上下させる。

息を切らし、彼女の顔は若干赤く染まっていた。

対してシンタローは涼しい顔をして、周囲の様子を伺いながらゆるやかに歩みを進める。

「君ではなかった

故に、思い出せることもない。違うか?」

「…2人が、荷物を引き取りに外出をする…ということは見送りましたのよ。

でも、そう…ええ、…」

「その荷物を、君は確認したか?」

「いえ…確かあのあと…」

「2人に荷物を引き取るよう頼んだ者がいて、荷物を預かった者がいた」

マリアベルの表情に影がかかる。

確かにそうだと、記憶が告げる。

嫌な予感が胸を過ると同時に、荒れていた脈動とは違う感情が駆けていく。

身体が訴える脈動ではない。

感情が、走る。

「俺の記憶で言えば、荷物を受け渡したのはキョウスケだ」

「キョウスケさんに運んでいただこうと思っていたところに…

彼らが」

「そう、彼らが―――

ロエルくんとめぐるくんに、依頼をした」

「…そのように…、記憶しています」

「レディにも尋ねなければならんことがあるものでな。

行くとしよう」

店のたたずまいはシンタローがロエルたちと出会った時と何ら変わらない

ただ時間帯夕方と朝方と違うせいか、店の前はあの時とは違い人の姿はまばらだった。

店の前までやってきて、マリアベルは首をかしげる。

「私、こちらの店舗のことを存じ上げませんわ」

「そうか。

では、知らぬ理由、答えを暴こうじゃないか」

扉を開ければカラン、コロンと軽やかな音が響く。

足を踏み入れた店内には異様な静けさが漂っていた _____




空気の入れ替えが必要となったテント内から団員は追い出され、公演の間のみの仮テントの1フロアに皆が集められていた。

カヤもまた団員たちと共にいた。

憤りや困惑、焦燥、様々な感情が渦巻く中に。

軍隊のサーカス団に対する捜索は性急で無遠慮だった。

「伍長、見つかりました!」

「場所は」

「倉庫内です」

指揮を行っていた中年男性は眉を寄せる。

そうして部下にフロアの警戒を促し、倉庫の方向へと足を向けた。

中年男性が姿を消したのち、カヤは周囲の様子を伺う。

ふと目に入ったリオンの姿。

その表情に怯えはなく、怒りもない。

混乱渦巻く状況ですら彼はいつも通りでしかなかった。

空中ブランコの面々と話をしており、相対する彼らには怯えにもにた表情が浮かんでいるというのに、リオンだけがいつも通り感情を悟らせず、柔らかな笑みを張り付けている。

かけるべき言葉などなく、カヤは隣に立つキョウスケの袖を引く。

キョウスケは当初より抗議を行っており、聞き入れられない状況でも策を練り、また不安を覚える団員におどけるようにして声をかけていた。

その様子が、少しだけ馴染み深い。

「キョウスケ、さん。倉庫とは」

「名の通り物品の管理を行っている場所だな」

「皆さんの出入りは可能なのですか」

「然り。

…そうか、何が発見されたのか皆目見当もつきはしないが、倉庫ならば全員に容疑がかけられている現状は変えることが出来ないどころか、差し迫ったものになるだろうな」

誰もが出入りできる場所であるならば、全員に嫌疑がかけられる。

人数の大半はシンタローとマリアベルを追っているのか、テントの警戒そのものは厳しいものではなかった。

今も見張りが1人いるだけではあるが、しかしだからといって抗議などの行動に移す者はいない。

マリアベルを欠き、指揮をとるものがいない今、疑惑の中で彼らはただ待つことしか選べないでいた。

暫くすると中年男性が戻ってきた。

その背後にはカヤにとっても見覚えのある手荷物を抱いた兵の姿がある。

「この物品に覚えがあるもの!」

覚えがあると言われれば、確かにある

ロエルとめぐるが引き取りにいって持ち運ぶことが出来ず、シンタローが手を貸した物品だった。

封を開けられてからもう一度包装が行われたのか若干形状に変化はあるものの、カヤにとっても見覚えがある。

キョウスケを伺えば神妙な面持ちで、そうして2人とも同じようにして同じ方向を見るしかなかった。

他の団員も同じように、同じ方向を見る。

視線が、ロエルとめぐるに集中していた。

「っ、ぇ、あ…っ」

「それが、何」

「貴様らか」

中年男性の威圧的な言葉と態度に、めぐるが怯えをにじませる。

ロエルはむっと眉を寄せ、静かに言葉を紡ぐ。

「これより1人ずつ尋問を行う、前へ」

「…、尋問…?」

「即座に動け!」

「っ!」

「…。どちらからでも問題ないの」

静かな声でありながら、はっきりとした声でもあった。

中年男性厳しい視線と声を前にしても、ロエルはたじろがず、そうして感情も動かない。

「それならこちらからにして」

「ロエルさん?」

「順番だから。

余計なこと言わずに、事実だけ言えばいいと思う」

「あ、あのっ…」

「どこに行けばいいの」

兵の促すままに、ロエルは別室へと移動する。

制止を言い出すことも出来ず、めぐるはただ見送るしかなかった。

その横にキョウスケがそっと立ち、何とはなしにカヤも傍に立つことにした。

「瀟洒なものだ、流石と言わなければならんなぁ!

ところであの荷物だが」

「わ、わたし、分かりません…!

ただ引き取りに行くようにと言われただけで、ロエルさんも同じはずです…っ」

「ならば怯えなくてもその事実だけを言えばいいだけです。

言い淀めば付け入られますよ」

「で、でも…」

「めぐ、折角の時間を与えられたのだ。

語るべき事実の整理をしておこう、何、心を落ち着いて話せば些細なことだ。

語るは夢物語ではなく、現に起こりし事実なのだから。

扨、聞かせてくれるかい、あの日の出来事を」「…、分かり、ました」

テントの準備を終えて、音響の確認を行っていた時だった。

どうしても手が離せないこと、今日中に荷物を引き取りにいかねばならないと言われ、場所だけの指示を無理やりに近い形で受けた。

質問をする間もなく、断る間もなく、とりつく島もなく、ただ残されたのは地図と荷物を引き取りにいかなければならないという事実。

自分たちの準備そのものは余裕があったので、2人でいけば引き取ることも出来るのだろうと卸業の店舗へと足を向けたのだ。

「…その、私たち2人にということでしたので…。

私たちで運ぶことが出来ると思っていたのですが…」

大きさや量が、といったわけではなかった。

だがそのものの重量があり、ロエルとめぐるの2人には困難が立ちはだかった。

どうして自分たちだったのだろう、そう考えずにはいられず、誰かを呼びに行くベきだろうかと考えていた時に、シンタローたちと出会った。

「そのあとは、ご存知の通りです」

「ふむ…、荷物の中身については?」

「何も。

御預けしてから、その荷物がどうなったのかも知る由もなかったことですし、そして、知る必要があるとも思っていませんでした。

ただ、頼まれてとりに伺った、それだけで」

「2人から別々に話を聞いているということ、そして有無を言わさなかったことは口裏を合わせる時間をなくし、その真実性と相違性を検証する手筈であろうな。

ではめぐは嘘偽りなくロエルと同じく真実を告げることが求められている。

何、不安がることはない」

めぐるの表情に如実に浮かぶ怯えに対して、キョウスケは一つ一つの言葉をしっかりと、しかし穏やかに紡ぐ。

大丈夫だ、と言い聞かせるように

「それにベルとシンが何か策を講じているのかもしれない

俺たちも一矢報いる牙を突き付けるのもまた愉快」

「…、それでしたら、少し気にかかることがあります

めぐるさん。

貴方たちに荷物の受け渡しを依頼したのは、あの方たちですか」

言いながら、カヤは視線を先程と同じ方向に動かした。

めぐるは一瞬驚愕の表情を浮かベたのちに、カヤの瞳を見つめる。

そうしておずおずと頷いた。

「先程もそうでしたが、尋問へ移動する際は警戒がうすくなりました。

次、注視しておきます」

「成程なぁ、お前さん、目敏いものだ

ならば一つ俺も行動を重ねるとしよう」

程なくして、平然とロエルは戻って来た。

ただ静かに話をしただけと語るロエルは平素と何ら変わるところがなく、めぐるは胸をなでおろす。

「なぁお前さん方!

その尋問とやら、俺も同席することは叶わんだろうか」

「何だお前は」

「めぐは心穏やかな性分故、朗々と語り聞かせることが得意ではない。

無論のこと茶々をいれるつもりなどなく、ただ安堵出来る空間を用意してやりたいだけだ。

それとも、婦女子を追い詰めて話をするのが常だというのであれば…」

朗々と、少しばかり大げさにキョウスケは言葉を紡ぐ。

その様子をしり目にカヤが見る方向は一つ。

動き出した人影を追い、カヤもまた静かに歩みを進める。

混乱の最中を密やかに動き、人影を見失うまいと追いかける。

最後に一つだけ

浮かんだ笑みを、睨み付けて ___



件の店は荷物の仲介、受け渡しを担う場所だった。

場所柄様々な人が入れ替わり立ち代わり訪れ、旅人たちがすれ違う。

そんなことが頻繁に行われるものだから、荷物を一時的に預け入れる場所として営業をする店が居を構えることとなったのは、街の賑わいの中での必然だった。

「だからアタシはさぁ、荷物の中身なんて知らないんだよ」

「いやいやそれは助かるな。

俺も荷物の中身を見られたら羞恥がつのる場合もあるだろうからな!」

「誰もあんたのパンツになんざ興味ないよ!

個人の持ち込むもんに興味なんてもったら身が亡ぶさね」

「レディ!正解だ!」

「下着を見ますと危険が及びますの!?」

仲介屋がいうには、荷物が運び込まれたのは1週間程前のことだそうだ。

丁度サーカス団が街へと移動をしてきた日だと記憶していたらしい。

移動をしてテントが設営され始めた日、それと同日に運び込まれた事実を確認するために帳簿をみながら店主は何度か頷く。

「まぁ、そんなでね」

「運び込んできた者たちの特徴などに覚えはどうだろうか」

「そんなん覚えてないよ」

「そう、ですのね…」

「レディ、俺のことは覚えていたようだったが」

「あんたが来るまで忘れていたさ。

まぁ、あんたは2回みたら忘れない気はするけどねぇ」

「はっはっは、光栄だ!

もしかしたら彼らのことも、目の前にすれば可能性はあるかもしれんな」

「んなこと言われてもねぇ」

「お願いします、御店主!

私たちにお力を御貸頂きたいのです!」

話すシンタローを押しのけ、マリアベルが前に出る。

その瞳はただまっすぐに、真摯に事実を訴えかける。

勢いにたじろいだ店主だが、しかし表情はさえない。

「こんな商売だとね、預かった荷物になんて責任なんざ持てないんだよ

最初に誓約書も書く、受け渡しの時だってサインをもらう。

ほれ、ここだ」

荷物の受け渡しの際に行う2種類の書面を店主はとりだして示す。

荷物の内容に対して店側は責任を持たないという旨と、それに同意するという誓約書だ。

書面の内容を確認しながら、シンタローは2枚、3枚と紙をめくる。

「写しになっているのだな」

「ああ、そうさね。

今まで証拠だ云々に振り回されることもあったからね、面倒事はごめんだよ。

うちはただ商売として荷物を預かる、それだけだ。

受け渡しされる荷物になんざ関係ないよ。

あんたらも納得したら早く帰っちゃくれないかね」

「お仕事のことは存じ上げておりますわ。

そしてこれが私の勝手な言い分だとも承知しているつもりです。

ただ、私はどうしても真実を知りたい

そして、真実のもとにショーを始めなければならないのです」

「あんたの事情に巻き込まんで欲しいねぇ」

「勝手なお願いですわ。

ただこうしてお願いすることしか、私には出来ないのです。

そのために必要なことがあるのならば、お答えできるように致します!

どうか、どうかお力を貸して下さいまし!」

頭を下げてマリアベルはただ、ただ願う。

しかし店主は渋い顔を見せるばかりだ。

サーカスの事情を聞いたところで、店主には関係のないことだ。

「レディ、そうしてこれは俺から取引の提案だ。

悪いようにはしない、まずは御清聴頂こうか」

「あのねぇ」

「儲け話は好きだろう?」

ぴくり、と店主の眉がつりあがる。

次に、面白いと口元が吊り上がった。

「そうさね。

正直同情も出来ないし、うちはうちの仕事をしているだけだ。

だけど、そっちの取引ってのは聞こうじゃないの」

「無論、損はさせんぞ!

マリアベル、チケットの値段と撤退の日についての話だ」

「チケットですの?」

「ああ、まずだな」

はじかれた数字に驚愕を見せるが同時に頷く。

必要なのは損得。

人は真摯な思いだけでは動けない。

原動力となる思いを元に、生み出される事実が人の心に届く。

思いに付きまとう、それを実現に至るだけの現実が証拠となる。

導き出された数字は、まさしく一つの現実だった。





話を終えてから、まためぐるは中央のフロアに戻されていた。

そして現在は言い争いの様相になっており、言葉を紡ぐことが出来ずにただ怯えている。

頼まれたから荷物を引き取りにいったロエルとめぐる。

しかし頼んではいないと、当の本人である彼らは事実を突っぱねる。

話は平行線をたどっていた、そんな折の事。

どこかからか音が聞こえた。

「…、この音…」

何度も何度も同じ旋律が繰り返される。

言い争いに怯えていためぐるは顔をあげて、落ち着きのない様子で周囲に視線を向ける。

「めぐ、如何様に?」

「あ、あの…、シンタローさんが…今行く、っておっしゃって…」

「どういうことだ?」

「音で暗号を…という話をしていて、簡単なものだけ昨晩お話をしておりまして。

音が、今行くということを…ずっと繰り返しております」

「漫ろな音色が届いているとは思っていたが…」

「音は確かに聞こえるね」

ロエルもうなずいて、その旋律を繰り返す。

何度も告げられる暗号。

今行くという、意味。

めぐるたちの会話を聞いて、カヤがそっと言い争いの輪から抜け出す。

そうしてテントの外にこっそりと煙玉を転がした。

突然のろしのように立ち昇った煙に、兵たちが慌てふためく。

しかし今更行動をしたところで、空に確かに煙は印として立ち昇っていた。

聞こえていた音は、煙が立ち上ると同時に届かなくなる。

耳をすませていると、次に聞こえてくるのは兵たちの騒然とした声。

そうして高らかに、劇的に語る、

彼の声。

「うるさいです」

口の中だけでつぶやいて、カヤはまた喧騒の輪の中に戻る。

しかし喧騒は先程とうってかわって、混乱の状況に振り回されていた。

皆の視線が向いた先、居住用テントの入口で光を背負いながら仰々しく登場した3人の人影。

「やぁ!待たせたな!」

「お話をしにまいりましたの。

どうか機会を設けて下さいませ!」

「1つ、ショーの幕開けといこうじゃないか。

なぁピエロ殿、口上は如何かな?」

3人の登場に対して一瞬目を丸くしたキョウスケだが、すぐに背筋をのばして一歩前へと踏み出す。

マリアベルを見つめる視線は揺らがず、瞳には確固たる信頼が宿っていた。

「颯爽と現れたるは峻烈な軌跡を辿る我らが希望

目の前に如何な試練が訪れようと

意地をもってその道をひた走る

心の焔は猛き証

ならば語り聞かせよ

その手に掴みし真実を!」

「颯爽、登・場!!」

「え、え、何ですの!?

何といえばよろしいの!」

指先は天を刺し、

両の足はしっかりと地面を踏みしめる。

そんな表現を自ら行うシンタローの隣に立ってマリアベルは困惑していた。

嘆息は誰から漏れたものだっただろうか。

どうにも居心地の悪い静寂が空間を支配していた。

「ふむ、残念だ。

致し方あるまい、さて警邏殿

お話したいことがある」

「…、逃走した容疑者を確保だ」

「すまない!聞いてくれ!頼む!

そもそもこれはあなた方を巻き込んでしまった、身内の騒動なのだ!

故にあなた方は目的である物資の回収と、その物資の運搬を行った犯人を突き止め確保を行うことを遂行できる。

そうしてそれに、サーカス団そのものは関係がない」

「確たる自信があるようだが、それが作為的なものではないとどう証明できる?」

「まず今から証明するのは俺ではなく、こちらのレディだ。

また俺自身はサーカス団のものではなく、3日前より滞在している旅の者だ。

証明する手段も存在する、必要であれば何なりと行おう。

故にサーカス団の利益を追求するのではなく、第三者として、中立な立場として意見できるはずだ。

無論、その判断は委ねることになる。

証人も証拠も用意した、ならば話を聞いても損はないだろう!」

「信じろと?」

「それは話の後に判断をして頂きたい。証拠のために一時撤退をしていた。

逃走の意図はないが、必要であれば身体検査も拘束も受け入れる」

「どうかお願い致しますわ。

私は事実をありのままに受け入れたいのです。

どうして、と問うために真実を知りたい」

指揮官の男性は兵に指示を出し、シンタローたちを包囲させる。

そうして静かに様子を見据える態度をみせた。

にっと笑みを浮かべ、シンタローは同行していた店主に目を向ける。

「レディ、まずは先程の繰り返しになるがお尋ねしよう。

貴方の店に荷物を引き取りに来たのは、まずこの2人で間違いないな?」

「間違いないよ」

「そして、それが引き受けのサイン

確かにめぐるくんのサインが記されているようだ」

示されたロエルとめぐるは、無言でうなずいた。

確かに荷物を受け取る際にサインを促され、疑うことなくサインを行っている。

「ロエルくん、めぐるくん。2人はなぜ店舗を訪れた?」

「頼まれたから」

「…はい…どうしても私たち2人でということでしたので…。

ロエルさんと 2人で向かいました」

「誰に?」

「それは…」

言葉には出来ず、しかしロエルとめぐるは同じ方向に目を向ける。

頷くシンタロー。

ただ前を見据えるマリアベル。

そうして、笑みを浮かベルリオン…。

「レディ、貴方の店に荷物を預けたのは2人だった、という話だ。

彼らに見覚えは?」

「うん?

ああ、そうさね」

ロエルとめぐるが視線を向けた先を掌で示すシンタロー。

2人の人物が表情を青くした。

視線が右往左往と彷徨う。

「2人で間違いないよ」

「そっ、れが、何だっていうんだ!」

男性が声を荒げる

リオンは咄嗟に後ろを振り返り、憤りを浮かベルその人物たちを見上げた。

「君たち2人がロエルくんとめぐるくんに荷物を引き取りに行くよう依頼し、そうして、レディの店に荷物を預けた。

しかしそれは違和感がある。

サーカスが移動してきた初日に預け、それを2人に引き取りを依頼する、何の必要があって?

そもそも荷物を預けて物品のことを知っていたとしたら、めぐるくんとロエルくんに依頼をすることも疑問が残る。

2人が力仕事に不向きであることは、生活を共にしているのだから知っていて当然ではないのか?」

「何のっ!」

「ああ、待ってくれ。もう一つ聞いて欲しい

言い逃れをする時間を作ることは、警邏殿の時間を搾取してしまう」

「シンタロー、彼らだという証拠はありますの?

私は…」

「マリアベル、すでに事柄は警邏殿の目の前にある

君は選ばなければいけない」

「…、お話をお伺いしますわ」

「証拠を問いたいのだろう、レディ、件のものだが」

「入荷台帳のほうだろう、だが団長さんが言ったんじゃないのか。

こんな名前の団員はいない、ってさ」

「ああ、そうだ

件の荷物の入庫の際のサイン、この名を持つ団員はいない。

この台帳なのだが、実はよく見ると複写式になっていてな。

ほとほと責任問題に関してご苦労がうかがえる。

めぐるくん、この時のうつしは持っているだろうか」

「いえ…私はもう。

荷物に関しては個人ではなくまとめて頂いておりますので」

「まとめを見ればめぐるくんのサインの在る写しはあるのだろうが、しかしおそらくこちらのサインのうつしはないだろう。

何せ自分の名前を書いていないのだから、不自然極まりない。

君たちは荷物を預け入れたのが自分たちだと看破されるわけにはいかなかった、故に偽名を使った。

めぐるくんたちは何も知らなかった、故に疑うこともなく自らの名でサインを行った。

偽名であったところで、ここに確かにサインがある。

筆跡を確認すれば、事実は判明するだろう」

「それが証拠だってのか!?」

「ああ、そうだ」

「文字なんて書き方で変えられるだろう。

名前も違う、証拠は筆跡と証明できない記憶だけ。

それで証拠だって!?」

「あんたらがグルじゃないって証拠はあるのかよ! 

全員で俺らを陥れようとしているんじゃないのか

そんなに俺らが気に食わないっていうのかっ!」

「なにをおっしゃっていますの、そんなことは!」

「団長はいつだって俺らの言葉を聞きいれちゃくれなかったじゃないかっ!」

「そんなことありませんわっ!」

それは、いつぞやのやりとりを彷彿とさせる。

夕食を食ベている最中の激しい討論。

演目の内容についてリオンを挟み、そうしてマリアベルと言い争いをしていた件の 2人。

空中ブランコの演者たちだ

挙動不審だった先程とは打って変わって、今は言葉をまくしたてる。

「自分で持っているのにどうして言い逃れをするのですか」

喧騒の中にあるにしては、静かな声だった。

しかしその声は、喧騒の中であっても、耳に届く。

俯きがちで、シンタローの影に隠れてばかりだったカヤの、まっすぐな声だ。

「先程、わざわざ取りに戻られていましたよね。

後ろ暗いところがあるからではないのですか。

今も所持されているように思いますけど」

「ほう。ならば拝借させていただこう」

「っ、なっ…!」

「後ろ暗くないのであれば、君はカヤの示す『証拠』についてはただの疑念であると提出できるだろう。

さて、カヤ」

「後ろです」

男性は動くことが出来ない。

逃げ出すことも、示されたものを差し出すことも出来ない

迷いのままに立ち尽くす様子に、周囲を囲んでいた兵が取り押さえる。

シンタローがカヤの示す通りに動き、隠されていた紙を取り出す。

一瞥してから店主のもつ台帳と照らし合わせ、それを指揮官の中年男性に差し出した。

「同じものであると認めよう」

わざわざ偽名で、工作までして。

しかし証拠は手の中にある。

言い逃れの出来ない現物を前に、男性はわなわなと唇を震わせた。

「どうして僕らを貶めるようなことをしようと思ったのか。

僕に説明して下さいますか」

「っ!なんで!

こうしろっていったのは、あんただろ、リ__

「証拠を回収しに行ったのは身に覚えがあったからなのでしょう!

つまり、それは君たちの悪意を証明しています」

「ちがっ!

証拠になるから、確保しておいたほうがいいと。

さっき言ったじゃないか!頃合いをみて処分を出来るように、って。

部屋だったら、まずいって、説明って、な、んでっ」

「何を言っているのですか」

「何って、それは、…、!

それはこっちのセリフだっ!」

激昂する男性と、平素の笑顔よりも少しだけ表情を硬くしたリオン。

リオンは朗々とサーカス団の迷惑になることをしたことを責める。

その声は、どこか冷たさが漂っていた。

「なぜ、ですの。荷物って何なのですの。

あなた方は何がしたかったのですか」

「なぜだって?

団長、あんたが俺たちを追い詰めたんだ、それを今更何も知らない風に!」

「私は何かお力になれないのでしょうか

ただサーカスを成功させたい、皆で力を合わせたい、それだけなのですわ。

どうか聞かせて下さいませ、私たちは」

「家族、とでも?

俺たちの事を信じもせず、公演内容を決めて。

いつだってあんたは詭弁と綺麗事ばっかりで!

俺たちの本当の気持ちを、分かろうとなんてしてくれなかったじゃないかっ!」

「私は待ちましたわ。

でもっ、お客様にお見せするために」

「本気の演技が出来ないのなら、そんな公演なんて!」

「それ以上言葉を紡げば、僕は君たちを許しませんよ」

静かでありながら、怒気をはらむリオンの声音。

両の目が空中ブランコ演者の2人を射抜くように見つめる。

「ベルも、皆もまずは落ち着いて話をしよう」

「いや、マリアベル、君は選ばなければならない」

「選ぶ?どういうことですの?」

「彼らをかばい事情をサーカス団で飲み込むというのならば、公演はもう諦めることだ。

彼らの私怨がなしたことを軍が裁くようにと望むのであれば」

シンタローは視線を指揮官の男性へと向ける。

静観を貫いていた指揮官は立ち上がり、そうして諫めるようにマリアベルと男性たちの間に立ちはだかる。

「荷物に関わったとみなされる団員には事情聴取を行っている。

実際のところ、皆が口裏を合わす猶予はなかった中で誰もが荷物に関して深い事情を持っていなかった。

それぞれ調べた結果でも、彼ら以外は白であると我らは推測をたてていた」

「ご高察の通りであると」

「団長殿、件の荷物、我らが押収する」

「構わないとは思います。

ただ、中身が何なのか分からないのではっきりと言えませんわ。

ですが必要なものであれば把握を出来ているはずですので、知らない以上不要なものではないかと」

「ああ。君たちのみならず民間人が知るべきではないことだ。

それだけで十分だろう」

「分かりましたわ。

…、でも、何故?」

「それもまた、知るべきことではない。

だが本日は団長及び、そちらの2人はこれより取り調ベを行う」

「それは」

「拒否、または彼らを保護するというのであれば」

「明日以降も諦めることになる、マリアベル、選ぶといい。

君が語った夢の為の障害が今目の前にある。

そのために君がとれる手段がある。

君が、団長である君が引き入れた事実でもあり、そうして選ばなければいけない事実だ」

シンタローの言葉に、マリアベルはぎゅっと拳を握り込む。

何が真実なのか現状においても理解には及ばず、ただ分かっているのは家族だと信じた仲間が起こした工作によって、公演を出来ない事態にあるということ。

公演を行わなければ、失われるものがある。

チケットを購入した客への責任がある。

公演を成功させなければ、それに携わった者たちへの支払も出来なくなる。

そうして今後サーカス団の活動も危うくなる。

何よりも、公演を心待ちにしていると語りチケットを購入した人々の笑顔と言葉に、報いることが出来なくなる。

不協和音のきっかけは何だっただろうか。

演目が上手くいかないことに対してジレンマを抱えている事実を励ましたこともあった。

何とかなると信じて、公演の直前まで演目内容を決めていなかった。

成功させたい技があると、その信念を信じ続けた。

それでも。

それでも、失敗の方が可能性として高い演目をお客様の前で披露させるわけにはいかなかった。

それは、公演を成功させるための団長としての判断。

決して信じていないわけではなかった、信じたかったと今も思う。

だからといって、選ばなければいけないことがある。

信念だけでは選べない。

家族への思いだけでは選べない。

2人以外にも、マリアベルが背負わなければいけないものは大勢いるのだ。

報いるために行動を。

それが、自らが選ぶ道に他ならない。

「本日の公演は中止致しますわ。

キョウスケさん、…本日のお客様たちにお詫びと、チケットは公演中何度でもお越し頂けるようにという印をつけて下さい。

そうして明日からは必ず公演を行います

そのための準備を皆さん、お願い致します」

「…俺たちを、捨てるっていうんだな…」

「私には貴方たちが行ったことがはっきりとは分かってはおりませんわ。

ですが、あなた方が罪を犯したことは分かります。

原因は私にもあったのかもしれません。

だとしても、私怨で多くの人に損害を与える行動をしたあなた方は償わなければならないことがあります。

どうぞ、罪を償ってくださいまし」

それは凛とした声だった。

迷いを捨てた、しかしどこか声に震えをにじませながら。

背筋は伸び、視線はまっすぐに向けながら

その瞳には、じわりと涙が浮かんでいた ____



取り調ベは単調なものだった。

結局のところ証拠はもう全て揃っていた。

後はマリアベルが踏み込めない荷物の件の取り調ベとなり、半ば無理やりに近い形でマリアベルはサーカス団へと返されることになったのだった。

空中ブランコ演者の2人の事を諦めきれるわけがない。

しかし今団長としてなすべきことは今日公演を出来なかった事実をふまえて、明日からの公演に臨むことだ。

サーカス団団長として何よりも優先すべき事項が目の前にある今、自分の役目を果たす以外に選ぶものはない。

背筋を伸ばして、雑念を払うようにして一度深呼吸をする。

「お客様にお喜び頂く事。

団長としてサーカス団を運営すること

立ち止まってなど、いられないのですわ」

そうしてマリアベルは自分に言い聞かせるようにして強い言葉を紡ぎ、テントの幕を開ける。

「団長、おかえりなさい!」

「ベル!」

「戻りましたわ、皆さん、明日の打ち合わせを致しましょう。

現状の報告をお伺いいたしますわ」

今日の公演を楽しみにしていた観客たちへの謝罪と対応はマリアベルの指示した通りに行われていた。

都合が本日のみしかつけられない人々もいて、そういった場合は返金の対応を。

強い言葉を受けたのか、表情に疲労をにじませている者もいた。

「お疲れ様でした。

まずはひとつよく頑張って頂きましたわ。

本番は明日から。

本日の無念を、明日からは笑顔に変えましょう!

空中ブランコが出来ない以上、演目を大幅に見直さなければなりませんわ」

「それなのだがベル。

今しばらく時間を頂戴したい者がいる」

「どういうことですの?」

「リン、シン!」

キョウスケの言葉に応えるようにして、暗闇を抱えていたテントをスポットライトが照らし出す。

演目の花形、空中ブランコ。

舞台中央に設置されたブランコには、それぞれ団員たちが配置についていた。

ブランコの両側、踊り場にもそれぞれリオンと、シンタローの姿がある。

「あっ、おかえりなさーい、団長ー!」

「リオンさん?

これはどういうことですの?」

「僕なりに考えていたわけなのですが、やはり空中ブランコの演目はお客様に披露したいと思いまして」

「もちろんリオンさんには一人用の技で演目を考えようと!」

「合体技こそ見せ場ですよね」

「ですが!」

距離がある為、マリアベルは声を張り上げる他ない。

リオンも同じ状況なのだが、しかしやはり彼はどこか飄々としており、空中ブランコの踊り場からマリアベルに声を届けているというのに、どこかその声はのびやかだった。

空中ブランコへよせられる期待は大きい。

そして、確かにリオンの言葉通り協力技が披露された瞬間の歓声は得難いものがある。

だからといって現実はどうだ。

リオンとチームを組み、空中ブランコの演者だった団員2人が問題を起こした。

団員2人の工作だったということで、サーカス団そのものへの御咎めは検討されることとなり、今回の公演については本日の責任をとって取りやめる運びとなる。

そして明日以降は行っていい、という話で落ち着いている。

だが、演者の2人は戻ってこない。

演者がいない空中ブランコは、たとえリオンというスターがいたところで成り立たない。

リオンが中空を舞う姿を、重力のかかる空間で、自由に飛び回る姿を…

まるで羽があるかのような、そんな姿が披露出来ないことは惜しい。

リオンにとっても、マリアベルにとっても、サーカスにとっても。

そして、何よりもお客様にとって。

しかし、惜しいからといって出来ないことはある。

演者が2人突然いなくなって、どうして演目が披露できるというのか。

「なぁ、マリアベル!」

「シンタロー!?

あなた、そちらは危ないですのよ」

「彼らと君が揉めていた原因は、空中ブランコの演目だったな。

それほどに危険な技だったのか」

「危険、ではありましたわ」

「だから止めた?」

「いいえ

完成のしていない演技を披露は出来ないからです」

マリアベルの声は張り上げているというだけではなく、芯の在るはっきりとした声だった。

難易度の高く危険な技に挑戦をしたいと訴えていた彼ら。

確かに成功をしたときの歓声はひと際のものになるだろうことは予想できた。

危険な技とはいえ、完成度が高く練習での成功率をあげていければマリアベルとて演目として認めることが出来た。

「彼らの演技の成功率が私の基準に達していませんでした。

練習での成功率がないものを、本番の演技に入れ込むことは出来ません。

危険な技の失敗は、ショーに致命傷を与えかねないからです。

彼らを信頼していないわけではない。

それでも団長として私には下さなければいけない判断がありましたわ」

出来る限りに待った。

出来ると鼓舞することもあった。

それでも、公演全体のことを考えたときに選ばなければいけなかった。

練習での成功率が低く、技を完成していると認めることが出来ない以上、彼らの言い分を聞くことが出来なかった。

信じていないのかと問われれば、答えは一つ。

信じたかった …。

「君には背負う者がある。

だからな、マリアベル。

俺が君の笑顔を、そうして君が守りたい笑顔を守ろう!」

「何をするつもりですの!」

「君はそこで見ていてくれ

形にあるものこそ信頼たりえる、その形を実現するのは。

思いと確かな努力に他ならない。

なぁ、リオンくん!!」

「はい、準備はいいですよ!」

「シンタロー!リオンさん!何をなさいますの!?」

「団長はそこで見ていて下さいね!」

スポットライトは空中ブランコを照らしていた。

それぞれの踊り場にはリオンとシンタローの姿。

「選びたいもの、選ベぬもの、あるだろうとも。

その痛みもその苦しみも、君を美しくするものだ。

故に、俺は飛ぼう。

君が選ぶことが出来る様に!」

「お待ちなさい、簡単に出来るものではありません!

命を落とした演者もいたのですわ!!」

「俺を信じろ、マリアベル!

両の足で踏みしめて、

両の眼で見つめてくれ。

さぁ答えを、マリアベル!」

空中ブランコの彼らを信頼できぬ理由はあった。

目の前に、確かにあった。

信じたいと思いながらも、目をそらすことが出来ない事実が突き付けられていた。

今はどうだろう。

シンタローを、彼を信じない理由はあるのだろうか。

風のように突然現れた彼は、笑いながら台風を起こしていくような彼は…

彼を信じない理由は、あるのだろうか。

混乱の中にいたマリアベルの手を引いて、彼は真実を探し出した。

選び取れと語った彼は、まっすぐに前を向いていた。

今はシンタローの表情を伺うことはできない。

だが、真実を探し出したあの時と同じように、

まっすぐと前を見据えて笑っているのだろうと、そう確信できる。

「ならば、わたくしを

私を信じさせてみせなさい、シンタロー!」

「承知した!」

団員たちが配置につく。

空中を挟んでリオンとシンタローがにらみ合う。

奏でられる音楽が彼らにタイミングを教える。

「行きますよ、シンタローさん!」

「ああ!」

踊り場から飛び出すリオンとシンタロー。

宙につられて、彼らは振り子と戯れる。

半月を描く振り子と踊り。

そうして、空中で2人の軌跡が交わった。

「っ、ぁ…」

マリアベルは両手で口元を抑える。

瞳から溢れ出る感情を拭うことなく、ただただ目の前で繰り広げられる光景に目を奪われた。

彼らの意志に動かされるかのように、半月を描く振り子が音楽と共に踊る。

振り子が交わると同時に、2人は空中へと踊りだす。

まるで宙を飛び回るかのようなリオンと、そのリオンを力強く支えるシンタロー。

軽やかな2人の姿に、ついにマリアベルはへたりと座り込んだ。

どこかにあった不安を吹き飛ばす、強い風。

彼はただ、ただ見せつけたのだ。

踊り場に戻って、リオンがまたバーを握る。

対面の踊り場でシンタローは肩を揺らした。

「シンタローさん、次はあれです!最後に打ち合わせをした技!」

「それは無理だ、リオンくん!」

「何故ですかシンタローさん、君なら出来ます、自分を信じて下さい!

信じろって言ったのは君じゃないですか!」

「リオンくん、俺とて応えたい

だがな。

だがなリオンくん!あれは、3人技なのだ!!

俺と君だけでは、出来ない…!!」

テント内に響き渡るシンタローの声。

どこかで嘆息が零れていた。

「それもそうでした!」

「だろうとも!

我ら2人で叶えられる可能性を、現実へと昇華しようじゃないか!」

「では、次いきますよ!」

踊りだすリオンと、呼吸を合わせるシンタロー。

ただ目を奪われへたりこんだマリアベルの肩を、ポンと誰かが叩く。

おずおずと顔を向ければ、キョウスケを筆頭に団員たちが笑みを浮かベていた。

「ベル、これが可能性だ」

「もう…、何なんですの、いい加減になさいましっ」

「これ、使って」

ロエルの差し出したハンカチを手に取って、そうしてマリアベルはもう一度舞台に目を向ける

披露される演技はつたないところはありながらも、しかし、信じることが出来る。

信じたいと思わせる、力強い演技だった。


そうして翌日より、公演は滞りなく行われた。

キョウスケの語りから始まり、歓声がテントを染め上げる。

観客の、団員の、皆の笑顔が溢れる公演はそのまま1週間続いた …。


最終日を迎え、感無量で泣き出す団員たちが抱き合う様を見つめながらシンタローは大きく息を吐き出す。

「お疲れ様でした」

「ああ、カヤも」

「今日だけはねぎらってあげますよ」

差し出されたタオルを受け取って、シンタローはにっと笑みを浮かべる。

2人が見つめる先には、感極まる団員達の姿があった。


それはその晩の出来事…。

祝宴を抜け出してシンタローは空中ブランコの踊り場にいた。

バーと命綱などの設備を一つ一つ確認していく。

「………」

「こんなところでどうかしたんですか、シンタローさん」

「それは、

…こちらのセリフだな、リオンくん」

観客も団員もはけた無人だったはずの舞台は暗く、シンタローもまた手持ちの灯りだけで事実の確認を行っていた。

対するリオンもまた、手に灯りを持っている。

ただ、それだけ。

暗がりの中で2人の視線が交わる。

「夕飯は食ベましたか?今日はパーティーですからね」

「ああ、たらふく頂いたぞ、それにまだまだ盛り上がっているようだ」

「皆楽しそうで何よりです」

「君は参加しないのか?」

「そのままお言葉を返しますよ

君は、今回僕たちを助けてくれた主役のようなものじゃないですか」

「ははっ、大層なものではない。

君たちの絆こそ至高のものだ」

暗がりが支配するテントの中、互いの表情も確認せず2人は言葉を紡ぐ。

静寂が2人の言葉を飲み込む。

全てが終わったテント内で、役目を終えた舞台の最後の役者が向かい合う。

「君には感謝してもしきれません。

最後までありがとうございました、力強くも風のようで、素晴らしかったです」

「いやいや、リオンくんのおかげとしか言いようがない。

それに飛翔の如き君の演技には圧巻されたものだ。

だからこそ思わずにはいられない、君ほどの力があったのなら、と」

「僕1人で出来ることは少ないですから」

「ああ、そうだな。

1人で出来ることは高がしれている」

シンタローの中は確信めいた予感がよぎっていた。

表情の見えないこの暗がりの中であっても、リオンはいつも通りの飄々とした笑みを浮かべているのだろう。

声音も穏やかで、しかしそれでいて

感情が読めず底が知れない、そんな表情なのだろうという予想があった。

演目をしている最中も、それ以外の時も、リオンはいつだって底知れない笑みをうかべるばかりだった。

「君はこのサーカス団は長いのか?」

「そうでもありませんよ。

ただ、過ごした時間と比例してではなく、とても大切に思っています

だから綺麗にしておかなきゃなんですよ」

「綺麗に、か」

「そう。綺麗にです。

マリアベルさんの綺麗な思いが伝わる、綺麗な場所が好きなので」

「ああ、少しの時間ではあったが

彼らと共に過ごしたことは有り余る幸福だと感じるほどに、家族と語る思いが伝わってくるようだった」

「素晴らしいでしょう」

リオンの声音はいつも通りだ。

表情も、見えはしないが恐らくはいつも通りだ。

しかしそれをシンタローは確認しようとは思わなかった。

否、思えなかった。

灯で照らした先にある、瞳の色を知ってしまえば、

その瞳に隠された色を知ってしまえば、

そう考えれば不必要なものだと疑念を捨て去る。

「君の目的は」

「うん?」

「君の目的も、達成できたでしょう」

「…、ははっ、そうだな。出来ているぞ。だからこそ礼を尽くしたまでだ」

「なら、よかったです。

少しお腹減っちゃいました

僕もパーティーへ行ってきますね!」

そういうと、灯を手にしたままリオンは身を翻す。

遠ざかっていく灯に向かって言葉をかけ、見えないだろうということを知りながら手を振る。

そうしてシンタローは今一度空中ブランコのバーを手にした。

そこにあるのは何の変哲もないブランコに他ならない。

「…本当に、食えない御仁だったな」

静寂が包み込むテントの中。

全ての事実は、夜の闇が飲み込んでいった ____



地図の印を塗りつぶし、さて次の目的地はと検討をつける。

考え付いてから頷いて、そうしてシンタローは地図を鞄の中へと詰め込んだ。

バイクにはシンタローとカヤそれぞれ旅支度を括り付けている。

サーカス団の公演が終わり、彼らはこれから撤収作業を行うこととなる。

シンタローとカヤは役目を終え、そして街へと立ち寄った目的も終えたため、次の目的地へと移動しようとしていた。

「マリアベル、そして皆、世話になったな」

「むしろ助けていただいたのはこちらですわ、シンタロー。

信じる力を下さったこと、何よりも感謝しております。

ありがとうございました」

「そうだとも!

お前さん方には助けられた、改めて礼を言わせてくれ」

「これも旅の縁、俺にとっても素晴らしい経験だった。

君たちと出会えたことに感謝を」

シンタローはマリアベルと、そしてキョウスケと固く握手を結ぶ。

リオンやロエルたちも見送りに並んでいた。

公演の最中にあったことを語りながら、思い出を深め合う。

「カヤさん、ありがとうございました。

次は北へ向かわれるそうですね」

「ええ、勝手に決まっていました」

「寒くなりますのでお気をつけて。あの…

こちら、趣味にあえばなのですが、受け取っていただけますか?」

「…、何でしょう」

めぐるがおずおずと差し出した小包を受け取ってカヤは表情を動かさず、首だけをこてりと傾けた。

そうして小包から中身を取り出す。

手になじむ柔らかな感触。

優しい色合いふんわりとした手袋を手にして、カヤはもう一度めぐるを伺う。

「体を冷やさないようにしていただければ」

「えっと、あの…」

「はい?」

「その…これは…、その…」

「はい」

「…、ありがとう、ございます…

………

これは…、嬉しいということなのだと…思います」

「はいっ、喜んでいただけたのなら私も嬉しいです」

手袋を両手にもって、そうして顔にあてる。

ふわふわと肌触りが良くやわらかな感触にうずもれて、それ以上に言葉を紡げない状況から口元を隠すカヤ。

そのままシンタローの後ろにさっと体を隠してしまう。

「ははっ、よかったな、カヤ。改めてありがとう、皆」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「皆の益々の発展を」

「旅のご武運を」

「また機会があれば会いたいものだな」

「縁はつながるものですわ、神のお導きのままに」

「ああ、この縁は確かに刻まれた」

もう一度マリアベルとシンタローは固く手を取り合う。

そうして見送られる中、バイクへと乗り込んだ。

後ろに座ってシンタローの背中に顔をうずめるカヤ。

一度だけ、ちらりと起こして見送る一団の様子を見る。

そうして小さく、小さく手を振った。

カヤの行動に気が付いためぐるが顔を綻ばせ、手を振り返したのだった。

青が広がる空を駆け抜けて2人を乗せたバイクは走っていく。

新たな目的地向かって、シンタローは前を見据え、カヤは振り返りながら手袋を抱き込む。

その瞳に確かな温度を携えて ___


彼が何を考えていたのか、誰が知ることが出来るというのだろうか



答えなどあるわけもない


元ネタはクトゥルフ探索者たちでしたが、クトゥルフの面影は存在致しません



スペシャルサンクス れんじゃい

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