二十七話 妻の出産
ラスト三話。
まずは一話目です。次は夜に投稿します。
サンダー小説大賞落選から数週間が経過し、十月になった。
みどりの出産予定日は十月十日。もうすぐそこだ。
予定日よりも二、三週間早まるケースは往々にしてあるそうなので、九月下旬辺りから青太は落ち着かない日々を過ごしていた。
仕事中も、いつ連絡がくるかとそわそわしっぱなしだ。
初産の場合は、出産予定日よりも遅くなるケースが多いと聞く。
九月中の出産はないと思っていたが、絶対ではない。
いつ連絡をもらっても病院にすっ飛んで行くつもりでいたが、やはり九月には産まれなかった。
で、ついに十月。ここまでくれば、いつ産まれてもおかしくない。
不測の事態に備えて、青太たちのマンションにはみどりのお母さんが泊まりにきている。
みどりが産休に入った頃から、お母さんはちょくちょく面倒を見にきていた。
出産間近になると、日常生活すら大変になる。お腹が大きくてバランスが取りにくい、歩くだけでも疲れる、何気ない動作の一つ一つが困難になる、などなど。
青太も助けてあげたいが、日中は仕事があるため限界がある。
そこで、みどりのお母さんの出番というわけだ。青太たちが暮らすマンションから近い場所に、みどりの実家があるので通ってくれていた。
これで青太も安心だ。
みどりが実家に帰省してもよく、青太もみどりの両親もそれを勧めた。
だが、みどりはマンションで青太と一緒にいたいと言ってくれた。
なので、お母さんが通う形になったのだ。
みどりに構う分、みどりのお父さんは放ったらかしになったが、事情が事情なのでお父さんも文句は言っていないらしい。
やがて、いちいち通うのもまだるっこしいと、マンションに泊まり出した。
そうやって慌しい毎日を過ごしていたら、新人賞に投稿して騒いでいた頃が遠い昔のように感じる。
実際は、落選してから一ヶ月もたっていないのに。
今の青太の頭は、みどりと赤ん坊のことで大半を占めている。
元気に産まれてくれるのを、今か今かと待ち望む。
青太だけではない。みどりも、みどりの両親も楽しみにしている。
青太の両親だって、この場にはいないが、孫が誕生するのを待っている。
みどりへのプレッシャーになってはいけないので、みどりと直接連絡は取らないが、代わりに青太に対しては毎日のように連絡がくる。「産まれた?」と。
周囲の期待とは裏腹に、赤ん坊は焦らすようになかなか出てきてくれない。
出産予定日の十月十日を過ぎて、一日がたち、二日がたち。
何か問題でも起きたのかと、心配で心配で仕方がなく、仕事も手につかなくなっていた頃。
予定日から三日後の、十月十三日の朝に、みどりの陣痛が始まった。
出社してからしばらくすると、青太のスマホにみどりから連絡が入った。
一言、「陣痛きた」とだけ。
青太は同僚や上司に事情を話し、会社を早退して病院に駆けつけた。
子供が産まれそうという話は前々からしてあったので、スムーズに早退させてもらえた。
病院に到着すると、みどりの両親もきており、挨拶を交わす。
青太が早く到着したためか、みどりは比較的余裕がありそうな様子だった。
「陣痛は十分間隔でやってくるけど、痛みはさほどでもないのよね」
と自分の状況を説明してくれたほどだ。
連絡の文面の簡潔さから、長文を入力する元気もないのかと心配していたが、そうでもないらしい。
「『陣痛キターーー!』とでも送ればよかったかな? 顔文字付きで」
「そんだけバカなこと言えるなら、お前は大丈夫そうだな」
こういう会話を交わすと、みどりの両親はバツが悪そうな顔をした。
意識していなかったが、みどりから聞いた、みどりのお父さんが入院した時の会話と似ている。
血のつながりは侮れない。しんどいだろうに、ギャグに走るところとか。
芸人じゃないのだから、そこまでしなくてもと思う。
まあ、アホなやり取りのおかげで、リラックスできたのはよかった。
みどりの顔を見られたので、一旦病室を離れて昼食を済ませる。
また、スポーツドリンクやゼリー飲料を購入してから、病室に戻る。
病室に戻った時も、みどりは元気そうに両親と談笑していた。
今は調子がよさそうだが、これから大変だ。
出産の流れについては、二人で勉強したので知っている。
初めは陣痛の間隔が長く痛みも少ないが、これから徐々に間隔が短くなり痛みも増していく。
陣痛がひっきりなしにやってくる頃になれば、分娩室へ移動して出産となる。
言葉にすればこれだけだが、実際は長丁場になるし、妊婦は大変なのだ。
青太は自分にできることをした。
みどりに余裕があるうちは、暇そうなので話し相手になる。
時折、身体をさすったり飲み物を取ったりと世話を焼く。
両親に見られているみどりが照れてしまい、青太の世話を拒否する一面もあったほどだ。
みどりが嫌がるなら無理強いはしない。みどりの両親に任せるようにした。
颯爽と駆けつけたはいいものの、青太はあまり力になれなかったのが現実だ。
みどりは段々と辛そうになっていくが、何もしてやれない。
青太にできるのは、応援し、母子の無事を祈るだけだ。
青太が病院に到着してから、十時間以上が経過した頃。
陣痛の痛みが絶え間なく襲ってくるようになり、出産が近付いていた。
みどりは病室から分娩室へと移動した。
あらかじめ話し合って決めたのだが、青太は出産には立ち会わない。
分娩室の中には付き添わず、外で見守る。
立ち会いをやめた理由はいくつかあり、一番はみどりが恥ずかしがったからだ。
初産だし、どのような状態になるかも分からないのに、変な姿を見られたくないと言っていた。
何が変なものか。出産とは尊く神秘的なものだ。
そう主張する人もいるだろうが、全てをさらけ出せるわけではない。
一人の人間として、女として、見られたくない姿はあるのだ。
また、みどり側の理由だけではなく、青太側の理由もある。
血を見るのが苦手という理由が。
血が得意とか大好きとかいう猟奇的な人も少ないだろうが、苦手なら無理をする必要はない。
ネットで情報を検索していると、無理に立ち会った夫が貧血を起こして分娩室で倒れてしまった、というような話を目にした。
青太もやらかしそうなので、安全策を取ったのだ。
分娩室の外で、みどりの両親と共に待つ。
病室にいた時間も長かったが、分娩室に入ってからもまた長い。
長いというか、青太の時間の感覚がおかしくなっている。
一時間は過ぎただろうと思ったら五分程度だったとか、ざらにある。
いてもたってもいられないが、一番大変なのはみどりだ。
じっと待つだけの時間が過ぎていく。
青太が病院にきたのは午前中だったのに、今はもう夜中だ。
「ふうぅ」
無意識のうちに、青太は大きく息を吐いていた。
不安、疲れや眠気、空腹感。色々あってヘトヘトだった。
ただ待っているだけなのに、この調子だ。
妊婦がどれほど大変かは、男の青太では想像するしかできない――いや、想像すら追いつかないが、頭が下がる思いだ。
子供が産まれて、みどりと顔を合わせたら、なんと声をかけようか。
待つ間、そんなことを考える。
ありがとう。
頑張ったね。
子供は元気だよ。
どれも正しく、しかし足りない気がする。
ラノベ作家志望だった人間なのに、かける言葉に困るとは情けない。
大仕事を成し遂げた妻に対して、どう言えば感謝の気持ちが伝わるのか、教えてもらいたいくらいだ。
経験者の意見として、みどりの両親に聞いてみようかと考えたが、やめた。
他人の言葉を借りるのではなく、青太自身の言葉で伝えなければ意味がないと思ったからだ。
別に、特別である必要も、感動的である必要もない。
ありのままの想いを伝えられれば。
青太が考えにふけりながら待っていると、分娩室の扉が開き、看護師さんから中に入るように言われた。
出産には立ち会わないのですが、と告げると、もう終わったと言うではないか。
青太は慌てて分娩室に入って行く。
分娩台に寝ているみどりがいる。
そして、白いぶかぶかの産着を着た、ちっちゃな赤ちゃんも。
どうやら、出産後の処置も全て終わってから、青太を呼んでくれたらしい。
「みどり、よく頑張ったな。ありがとう。俺にはこんなことしか言えないけど、本当にありがとう」
まずは、みどりに声をかけた。
考えた割に、ありきたりなセリフになってしまったが、気持ちだけは精一杯込めたつもりだ。
みどりは疲れた様子だったが、軽く微笑んでくれた。
「女の子だってさ。さっきまで、元気に泣いてたのよ」
「そっか。女の子か」
子供の性別はあえて教えてもらわず、産まれた時のお楽しみにしていた。
男の子でも女の子でも、元気で産まれてくれればそれでいい。
元気に泣いていたらしいので、青太の願いは叶ったわけだ。
みどりも無事だし、言うことはない。
それから、少しだけみどりと話をして、青太は分娩室を出た。
今日は帰宅し、明日また病院にくる予定だ。
晴れやかな気持ちで家路につくのだった。




