二十六話 涙
本日二話目です。
そして迎えた、運命の日。
十七年前の初投稿時を思い起こさせるような、残暑が厳しい九月某日。
青太は三次選考結果を確認しようとしていた。
一次選考、二次選考に続き、三度目の確認作業となるが、全く慣れない。
心臓はドキドキして破裂しそうだし、緊張のあまり手が震えている。
過去の二回と異なる点は、期待度だろうか。
一次選考や二次選考は、不安は大きかったが、もしかしたら通過しているかもという期待も持てていた。結果は見てみるまで分からなかった。
今回は違う。三次選考ともなれば、残っているのは選りすぐりの作品ばかり。
その中で、まさか自分の作品が四次選考や最終選考に進めるとは思っていない。
青太のチャレンジは、今日で最後となる。
サンダー小説大賞への応募を決めて、みどりと二人三脚で頑張り始めたのが七ヶ月近く前。色々な出来事があったが、それも終わりだ。
最後の瞬間は、みどりに見届けてもらいたい。
だから、今日もみどりは一緒だ。
妊娠三十六週目に入るみどりのお腹は、見ていて心配になるほど大きい。
妊婦はこれが普通だと頭では理解しているのだが、だからといって平気平気と思えるような図太さはない。
女性は凄いと思う。尊敬する。
大きなお腹を抱え、青太に付き合ってくれるみどりに見守られながら、都合三度目となる確認作業を行う。
三次選考通過作品の中に、「須野宇犀」の名前は――
「……ない、な」
人数が減ったせいで、確認はあっさりと終わる。
見落としたわけではなく、本当に「須野宇犀」という名前は載っていなかった。
どれだけ目を凝らしてもない。検索しても一致しない。
御幸青太の十七年の集大成となった作品「ごちゃまぜアニバーサリー」は、サンダー小説大賞三次選考落選という結果となった。
無理なことは、最初から承知の上だった。
ずっと落ち続けたのに、最後だからといって急激に文章力が上達するわけがなく、絶妙なアイディアが湧いてくるわけでもない。
三次選考まで進んだだけでも上出来。これ以上を望むのは分不相応というもの。
「わかって、たのに……」
ポツリ、ポツリ、と。青太の瞳から涙がこぼれた。
長年投稿してきたが、落選して泣いたのは初めてだった。
「かっこ、わる、い……こんなつもり、じゃ、なかっ……」
頭の中でシミュレートしていた。落選が判明した時に、どう振る舞うかを。
青太の予定では、「やっぱりダメだったか。まあ、三次選考にこれただけで十分だよ。はははは」という風に笑い飛ばすつもりだった。
間違っても、悔しさのあまり泣き出すはずではなかった。
こんな格好悪い姿を、みどりに見せたくない。
男として、夫として、見栄を張りたい。
みどりだって、いい歳をした男がいきなり泣き出せば、反応に困るだろう。
みどりを困らせるのは、青太の本意ではない。
それなのに、涙は止まってくれない。
泣いてはいけないと思えば思うほど、気持ちとは正反対にとめどなくあふれてくる。
しゃくりあげて泣き続ける青太を、みどりは抱き締めてくれた。
お腹に負荷がかからないようにそっとではあるが、温かく、不思議な力強さがあった。
「ごめんなさい。なんて声をかければいいか、分からないの。だから、せめてこのくらいは」
「みどっ、りは、わるっ、くない……」
青太は、まともにしゃべることもできない。
みどりの胸に顔をうずめて泣きじゃくる。
みどりは青太を胸に抱き、優しく頭を撫でてくれた。
母親が子供にするような対応だ。
母性を感じさせる包容と庇護。
普段の青太であれば、気恥ずかしいのでさっさと離れただろうが、今日ばかりはなすがままにされた。
羞恥心よりも、みどりに抱かれることの安心感が勝った。
人肌の温もりが落ち着きを与えてくれ、ずっとこのままでいたいと思わせてくれる。
あと一ヶ月もすれば、みどりは子供を出産する。
すると、みどりの胸は赤ん坊のものになってしまう。
青太がみどりの胸に抱かれて泣くのは、これが最初で最後になるかもしれない。
いや、最後にしなければならない。
だから、今だけは。
どうか、このままで。
幼児退行した青太は、みどりの胸の中で、ひたすらに泣き腫らした。
翌朝。目を覚ました青太は、開口一番こう言った。
「死のう」
よく晴れた気持ちのいい朝に、自殺をほのめかす穏やかではない言葉を発した背景には、当然理由がある。
昨日、落選にショックを受けて、みどりの前で醜態をさらしてしまった。
あれは前代未聞の失態だったが、それだけならまだいい。
夢見が最悪だった。
昨日の出来事が印象に残っていたせいだろう。変な夢を見てしまった。
夢の中では、青太とみどりは結婚しておらず、恋人同士だった。
一緒に住んでもおらず、青太は一人暮らし。
みどりが、一人暮らしの青太のアパートにご飯を作りにきてくれた。
食事を取り、楽しく過ごしてから、みどりは夜も遅いので帰ると言い出した。
そこで青太が取った行動は、プライドをかなぐり捨てて、みどりにすがりつくというものだった。
待って。帰らないで。
一人は寂しいんだ。お願いだから傍にいて。
泣いて懇願する青太を、みどりが優しく慰めてくれる。
そんな、とんでもなく恥ずかしい夢だった。
「ダメだろ。人として色々とダメだろ、これは」
エロい夢でも見る方が、まだしも恥ずかしくない。
エロいのは男として正常だし、夢に見たっておかしくないからだ。酒の席で「こんなエロい夢を見たんですよ」なんて、面白おかしく話題にもできる。
寂しいから帰らないでくれと懇願するのは、人として重要なものを失ってしまった手遅れ感がある。
まかり間違っても、笑い話にはできない。
「はあ……会社、休もうかな。『人間として手遅れになりました』って理由で」
今日は平日なので仕事がある。
夢のせいで、行く気分ではなくなってしまった。
「何をバカなこと言ってるのよ」
会社に行きたくないと言い出した青太を、みどりがたしなめた。
夢の詳細は、みどりにだって話せない。
ただでさえ、昨日は情けないところを見せてしまったのだから、醜態を重ねるわけにはいかない。
詳しく話すのは無理としても、青太が鬱になっている理由くらいは説明する。
「みどりには分かんないだろ。三十七歳にもなってバブみに目覚めそうになった男の悲哀は。道を踏み外しそうになる恐怖心と、それもいいなって思える絶望感は」
「……何が何やらさっぱりなんだけど。そもそも『ばぶみ』って何?」
「年下の女性に甘えることだ。『バブ』は、赤ちゃんが使う『バブー』って声からきてる。『み』は『味』だ。旨味とかの『み』。詳しくはググってくれ」
「はあ……変な言葉ね。というか、そのバブみだっけ? 青太なら、今さらじゃない? 昔からそういう傾向あったじゃないの」
みどりは、青太の尊厳にかかわる重要な発言をあっさりとしてしまった。
「どこがだよ。俺はバブみなんて性癖は持ってないぞ」
「三十七歳の主人公と、十五歳のヒロインの小説を書いたのに? 主人公がヒロインに甘えるシーンもあったわよね」
「それはそれ、これはこれ。小説の主人公の人格と作者の人格を、一緒くたにしないでくれ」
「へえ」
みどりは、意味ありげな視線で青太をジロジロと見た。
「なんだよ?」
「ううん。意外と早く立ち直れたんだなって思って。小説の話を持ち出しても普通の態度だし、安心したわ」
言われてみれば、夢の内容が衝撃的で、落選のショックがやわらいだかもしれない。
喜んでいいのかどうか微妙だが。
「元気になったのなら仕事に行きましょうね。落ち込んだ時は、また慰めてあげるから」
「……はっ! いかんいかん! 心惹かれてしまったじゃないか! 俺は、バブみなんて業の深い性癖は、断じて持ってないんだ!」
認めてしまえば楽になれるものを、青太は頑なに認めなかった。
朝っぱらから頭の悪いことで悩みながら、青太は出社の準備を整える。
「いってらっしゃい」
先週半ばから産休に入ったみどりに見送られて、家を出た。
青太の挑戦は終わったが、今日も変わらぬ日常が続いてゆく。
仕事は面倒だが、妻と子供を養うために、頑張って稼いでこよう。
憎らしいほど燦々と輝く太陽を見上げて、青太はそう思った。
残すところ、あと三話となりました。明日で完結となります。
朝に一話、夜に二話を投稿して終わりです。
あと一日、お付き合いください。




