二十五話 二次選考結果を確認しよう
八月。真夏の一番暑い季節。
子供は夏休みを満喫しているだろう。
大人になり、夏休みとは縁がなくなったが、お盆休みがある。
社会人にとっては、年に数回のまとまった休みのうちの一つだ。
まだあまり馴染みのない、山の日という祝日になった八月十一日に、青太は二次選考結果を確認しようとしていた。
もちろん、今日もみどりが一緒にいてくれる。
一ヶ月ぶりにアクセスしたサイトには、二次選考通過作品が載っている。
一ヶ月前から、かなり減ってしまった名前。
百人以上は残っているが、自分の名前があるかないか分かりやすい。
いいことなのだが、「見落としたかな?」という言い訳が使いにくいのは困る。
もっとも、使いにくくても、全く使えないわけではない。
見落とす可能性はある。何度もチェックしなければ、確実ではない。
そうやって予防線を張らないと、結果を見る勇気も持てなかった。
へたれな青太である。
前回と同様に、少しずつ自分の名前を探していく。
どうか、どうか、お願いします、神様。
普段は全然祈らない神に祈りを捧げた。
緊張のあまり、心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。
みどりは平気だろうか。青太ほどではないかもしれないが、みどりも期待と不安でドキドキしているはずだ。
妊婦なのに、負担をかけるのはまずいかもしれない。
みどりの体調を慮り、一旦やめるべきか。
こんな部分でも前回と同様に、弱気に陥っていた。
だからだろうか。今回は、みどりが先だった。
「あった!」
みどりが発した大声に、青太は肩をビクっと震わせた。
が、すぐさま言葉の意味を把握し、自分の目でも確かめてみる。
「……あった?」
思わず疑問形になってしまうくらいに信じられなかったが、間違いなくあった。
一ヶ月前と同じく、「須野宇犀」の名前と「ごちゃまぜアニバーサリー」のタイトルが。
「え? え? マジ? 二次選考も通過したのか?」
「してる! 通過してるよ! やったじゃない!」
十七年の投稿歴で、二次選考を通過し三次選考に進んだのは、二度目の快挙だ。
十七年間も投稿し続けてそれかよ、と言われてしまうと返す言葉もないのだが、青太にとっては大健闘と言える。
これでまた一ヶ月、延命だ。
青太のラストチャンスは、まだ終わっていない。
「よかった……さすがに二次選考はキツイと思ったのに」
安堵感から、青太はぐったりとしていた。
夏の暑さとは別で、変な汗をかいてしまった。
「二次選考通過はめっちゃ嬉しいけどさ、一ヶ月後には、もう一回こうやって結果を見ないといけないんだよな。俺、心臓持つかな?」
通過したからこそ言える、贅沢な悩みだった。
「次は、三次選考通過作品の発表?」
「いや、ここはちょっと特殊で、三次選考通過作品と同時に四次選考通過作品も発表するんだ。要するに、次で最終選考に残れたかどうかが明らかになる。で、サンダー小説大賞は、最終選考に残れば必ず担当編集がついてくれるらしい。そうなれば、デビューがぐっと近付く。もちろん、入賞すれば確実にデビューだし」
「へえ。てことは、青太の夢が現実味を帯びてきた?」
「二次選考通過程度じゃ、まだまだ。こっから大変だぞ。多分、次は無理だ」
謙遜で言っているわけではなく、予防線を張っているわけでもなく、本心から無理だと思っていた。
一次選考ですら、通過するかどうか戦々恐々としていたのだ。
三次選考にまで進めただけでも恐れ多く、四次選考や最終選考は夢のまた夢。
おそらく、青太がたどり着ける領域は、ここまで。
あと一ヶ月の間、夢を見せてもらえるだけで十分だ。
「ここまでこれただけでも、俺にとったら快挙だよ。一次選考落選の常連だったのに。最後にいい思い出ができた」
「落選が決まったわけでもないのに。意外といけるかもしれないじゃない」
「だといいけどな」
絶対に無理だけど、という言葉は呑み込んでおいた。
純粋に応援してくれるみどりを前に、あまり卑屈になるのもよくない。
青太とみどりの間に、やや重い空気が流れた。
そこで、みどりが話題を変える。
「実は、ずっと言いたかったことがあるの。一ヶ月前に気付いて、言いたかったんだけど、喜んでるのに水を差すみたいで悪いから言わなかったの。その後は忘れちゃって、今日青太のパソコンを見て思い出したから、言ってもいい?」
意味深な発言だった。
改まって言いたいこととは何か。それも、パソコンを見て思い出すようなことなど、青太には皆目見当がつかない。
みどりは青太のパソコンを指差し、言う。
「これ、何?」
漠然としており、何を問いかけているのかさっぱり分からない。
「何って、ノートパソコン?」
「そうじゃなくて、これ」
パソコンに向けて伸ばしていた人差し指を、ずいっと近付ける。
パソコンの中でも、キーボードに向けられていた。
「これは、キーボード? みどりは何を言いたいんだ?」
「だから、これよ、これ」
青太が尋ねても、はっきりと口にせず、焦らすようにしていた。
人差し指はさらに近付けられ、キーボードのある一点を指している。
「『J』? 『H』?」
みどりが指差しているのは、「J」と「H」のキーの辺りだった。
どちらかというと、「H」の方が近いだろうか。
「私が言いたいのは、『J』じゃなくて、『H』の方ね。で? これは?」
「ごめん。ここまで言われても、なんのことだかさっぱり」
「しょうがないわね。じゃあ、言ってあげる」
みどりが気付いたという、衝撃の事実。それは。
「どうして、『H』のキーだけ、文字がかすれてるの?」
という、実にしょうもなく、くだらないことだった。
「どうしてって、なんでだろうな? というか、『H』のキーだけかすれてるから、どうだってんだ?」
「ほっほう。まだとぼけるつもりなんだ。私が妊娠中だからって、青太は一体、何を検索してたのかな? どんな単語を何回検索したら、『H』の文字だけかすれるのかな? 浮気? 浮気なの? 私に理解できるように、教えて欲しいな」
「濡れ衣だ!」
酷い言いがかりもあったものだ。
みどりに怒られる時は、青太に非があるケースが多いのだが、今回ばかりは青太に罪はない。完全なる難癖だった。
確かに、「H」のキーだけが、なぜかかすれている。それは事実だ。
だからといって、エッチな単語を検索したことにはつながらない。
小学生男子の妄言ではあるまいし、何を言っているのか。
「シラを切るつもり?」
「だから違うって。大体、エロい単語を検索する時なんて、『H』はむしろ使わないぞ。『エロ』とか『エッチ』とか『アダルト』とか『ロリ巨乳』とかさ。どこにも『H』を使う単語はないじゃないか。『人妻』なら一回だけ使うけど、人妻ものは好みじゃないしな。『JK』って入力することの方が多い……」
みどりの視線が穏やかならぬものになっている。
青太は言葉を止めたが、遅かった。
語るに落ちるとはこのことだ。無実を証明しようと躍起になったせいで、言わなくてもいいことまで言ってしまった。
前言を撤回する。青太に罪はあった。
「ゆ、誘導尋問とは卑怯な!」
「どこが卑怯なのよ。勝手に自爆したくせに。それにしても、随分すらすらと、検索ワードが出てくるものね。私も、場の空気を和ませるために冗談で言ったつもりだったんだけど、嘘から出たまことってやつ? 青太は普段、何を検索してるのかな? ちょっと、検索履歴を、私に、見せなさい」
「やめて! 勘弁してくださいみどり様! パソコンのハードディスクや検索履歴は、男の聖域なんです! 誰にも見せられないものなんです!」
「へえ、ハードディスクもなんだ。画像とか動画とか、色々入ってるのかな?」
「あああっ!」
またしても自爆だ。
動揺するとボロを出してしまうのが、御幸青太という人間だった。
「見せなさい。あまり私を怒らせないで。お腹の子によくないわ」
「子供を盾にするとは、ますます卑怯な!」
「妻と子供を無視して、『JK』なんて検索してる人の方が卑怯だと思うけど。汚らわしい。もう、お腹触らせてあげないわよ」
「すいませんっしたあ!」
敬語になったり芝居がかった口調になったりした挙句、ラストは得意の土下座。
いつものことと言えばいつものこと。
青太の抵抗も空しく、秘密のヴェールは妻の手によりはがされた。
みどりという名の断罪人が、被告の罪を白日のもとにさらしていく。
被告である青太は、肩を縮こまらせて、みどりから沙汰が下されるのを待つしかできなかった。
判決は、ハードディスク全消去――はさすがに勘弁してもらい、該当ファイルを削除するだけで許してもらえた。
一部、青太のお気に入りの画像を残してもよいという、寛容な判決だ。
インターネットの検索エンジンの履歴に、「妻 プレゼント」や「妻 喜ばせる方法」といったワードがあったため、罪の軽減につながった。
それでも、しばらくはみどりの機嫌が悪かったが。
巨乳ものが多かったのがいけなかったか。
新人賞の途中経過を確認していたはずなのに、なんともおバカなことになってしまった二人。
他者から見れば夫婦漫才にしか思えないじゃれ合いは、夏という季節ではなくても「暑い」と言いたくなってしまいそうだった。




