十七話 妻のお父さんは勇者だった
デートの日からしばらく時間がたち、三月最後の日曜日になった。
新人賞の締め切りまでは、残り二週間しかない。
最後の頑張りに入っていなければならない時期だというのに、青太の作品は全体の六割ほどしか書けていなかった。
遅れてしまった原因は、仕事が忙しかったことにある。
先週は春分の日があり、世間一般では三連休だった。
ところが青太は、土日が休日出勤であり、休めたのは月曜日のみ。
さらに、昨日土曜日も、本来は休みのはずなのに休日出勤していた。
年度末で忙しい時期なのは分かるが、こうも連続で休日出勤させられるとはついていない。
貴重な休日を三日も失ってしまったせいで、スケジュールは大幅に遅れている。現時点で六割というのは、有体に言ってまずい。
おそらく、最後まで書くだけならなんとか間に合う。
しかし、見直しや修正の時間が一切取れなくなってしまうのはよろしくない。
青太は、パソコンに向かって小説を書きながら、打開策を考えていた。
「打開策って、一つしかないけどな。どうやっても時間が足りないんだから、作るしかない。社会人としての権利を行使して」
有給休暇を取得するのだ。
年度末のくそ忙しい時期に、小説を書きたいという理由で休暇を取得するなど、本来は許されざる暴挙だ。
だが、考えてみて欲しい。
有給休暇は、社会人に与えられた正当な権利である。
理由いかんに関係なく、望めば取得できて当然、取得できない方が異常だ。
という自己弁護をしつつ、明日出社したら、休暇を申請しようと心に決めた。
有給休暇ではなく、休日出勤分の代休でもいい。
今月は三日間も休日出勤をしているので、代休を取らせろと交渉してみようか。
青太は、頭の中で上司への交渉をシミュレートするのだった。
そして、翌月曜日も一日が終わり、夜。
青太は喜色満面でみどりに報告した。
「聞いてくれ、みどり! 俺はやったぞ! 勝利したんだ! 理不尽で不条理な社会への反抗に成功した!」
「……青太、疲れてるのね。よしよし、いい子だから、ゆっくり休みなさい」
「かわいそうな子扱いするなよ! ちょっとはしゃいでるだけじゃないか!」
「ちょっとどころじゃないはしゃぎようだったから、頭がおかしくなったのかと思ったのよ。それで、何があったの? 勝利とか言ってたけど」
「そう、勝利したんだ! なんと俺は、明日、代休を取得できたんだよ!」
「代休? 年度末が近い上に急な申請で、よく通ったわね。忙しいからこそ、休日出勤してたんじゃないの?」
「ハハハ、ナンノコトカナ?」
「ああうん、無理をしたのね。先のことも考えずに」
遠い目をする青太を見て、みどりは事情を把握したようだ。
とにもかくにも、明日代休を取れたのは大きい。これで遅れを挽回できる。
「先のことなんか知らん! 今は、目の前に迫った締め切りに間に合わせることだけを考える。今日は夜更かしして、明日も丸一日使って書き続けるんだ。コンビニで夜食も買い込んでおいたし、準備は万全だ。ちょっとしたイベントみたいでワクワクするな。てなわけなんで、みどりは先に寝てて」
「書くのはいいんだけど、その前に、青太にお話があります」
みどりが改まった様子で、青太に向き直った。
なぜか不機嫌そうに見える。
「途中まで書いた分を読ませてもらったわ。細かな指摘は、まとめた物を後で渡すけど、一つ言わせて。ねえ、青太は私を怒らせたいの? どうなの?」
「……あ」
みどりが不機嫌になっている理由に、思い当たる節があった。
「私、お願いしたわよね。清宮寺深世流と四分校殿鳥居の百合百合しい展開を削除してって。なのに、削除するどころか、私とカナちゃんのエピソードが、清宮寺深世流たちのエピソードとして追加されてるじゃない! なんでこうなったのよ!」
「ネ、ネタが思い付かなかったんだ。なんかインパクトのあるネタが欲しいのに、いいのが思い付かずに困ってたら、みどりの話を思い出してさ。悪いとは思ったけど、誘惑には抗えなくて、つい。あんなおいしい話をするから悪いんだぞ。使いたくなるに決まってるじゃないか」
「へえ、逆切れするんだ。私は頑張って手伝ってるのに、恩を仇で返すんだ」
「そういうわけじゃないけど……お願いします! 使わせてください!」
青太は必死で頼むが、こればかりはみどりも引かなかった。
「絶対ダメ。削除して」
「じゃ、じゃあ、削除する代わりに、何かネタを。ネタをください。これなら使ってもいいって面白ネタを、どうか俺に」
「プロ志望なら、自力で考えなさいよ。他人のエピソードを使わずに」
みどりの言葉は正論だ。正論だが、それができれば苦労しない。
慢性的なネタ不足に悩まされるのが、小説家という人種だ。
漫画家や脚本家など、創作を生業にしている人たちは、全員同じかもしれない。
「プロでさえ、ネタには頭を悩ませるんだぞ。ほいほい面白いネタを考えられるのは、天才だけだ。ネタをください。願い事が叶うなら、翼はいらないので、ネタが欲しいです」
「しょうがないわねえ。別のネタを提供したら、私のやつは削除してくれるの?」
「約束する! 絶対!」
「分かったわ。あのね、私のお父さんなんだけど」
みどりは、自分が助かるために、実の父を売るつもりらしい。
なんたる親不孝な娘だ。
諸悪の根源が自分である事実を完全に棚上げして、青太は内心で失礼なことを考えた。
「五、六年前だったかな。お父さん、入院して、手術したのよ。私は仕事があったから付き添わなかったけど、仕事をしながら『今頃手術中かな』とか『そろそろ終わったかな』とか考えて、心配はしてたの」
「まあ、父親のことなんだし、心配するよな」
「お母さんは、お父さんの手術に付き添ったのね。ここからは、私じゃなくてお母さんが見聞きした内容になるから、それを念頭に置いてもらいたいんだけど」
「了解」
「お母さんは、手術室の外で、手術が無事に終わるのを待ってたの。何十分かして手術が終わると、麻酔で眠ったままのお父さんがベッドに乗せられて出てきたわ」
「麻酔で眠ってたってことは、全身麻酔だったんだな。結構な大手術じゃないか」
「大手術ってほどでもないけど、そこそこかな。お父さんが病室に運ばれて、お母さんも付き添って目を覚ますのを待ってたの。少しして、お父さんが目を覚ました。すぐ傍には心配そうにしてるお母さんがいる。さて問題です。目を覚ましたお父さんは、開口一番、なんて言ったでしょうか?」
唐突に出された問題を、青太は考えてみる。
自分に置き換えるとどうか。手術中は意識がなく、目を覚ますと傍に心配そうな顔をするみどりがいる。
その時、なんと声をかけるか。
「もし俺ならって考えたら、『心配かけてごめん』とか『付き添ってくれてありがとう』とか? 多分、ありきたりな言葉しか出てこないと思う」
「普通はそうかもしれないわね。うちのお父さんは違ったの。目を覚ましての第一声が、『あの看護婦さん可愛い』だったそうよ。お母さんがバッチリ聞いたって」
「……お義父さん、何やってるんすか」
同じ男として、尊敬はする。
よくもまあ、そのシチュエーションで、そのセリフを言えたものだと。
ある意味、勇者だ。勇気と無謀は別物、という言葉を贈りたくなる勇者だが。
真似をしたいとは思わない。
青太が同じことをすれば、みどりは激怒しそうだ。
「お義母さんは怒らなかったのか?」
「怒るよりも呆れるよりも、むしろ安心したそうよ。『こんだけバカなこと言えるなら、この人大丈夫だわ』って。私は、お母さんから話を聞いた時、『お父さん最低』って思ったけどね」
「だよなあ。ちなみにだけど、もしも俺が、お義父さんと同じこと言ったら?」
「離婚」
短いからこそ、かえって凄味を感じさせるみどりの返答。
「ですよねえ。知ってたけど」
たとえ冗談でも、言ってはいけないということだ。
こんな理由で離婚されるなど、バカバカしいことこの上ない。
教訓として心に刻み込み、改めてみどりの話を反芻してみる。
ネタとしては、そこそこ面白いと思う。
お義父さんは(ある意味)勇者だった。
今回が最後の挑戦でなければ、次回作はこれで書いてみてもいい。
頭をひねって考えるネタよりも、現実の方が面白いのは、ラノベ作家を目指す者として立場がないと思った。




