十五話 妻とおしゃれな喫茶店でのひと時
「みどり、ここに入って休憩しようか」
「分かった。今風のおしゃれって感じじゃないけど、シックな雰囲気のお店ね。青太、よくこんなお店を知ってたわね」
「頑張って調べたからな」
当たり前だが、青太が普段から、このような店に足しげく通っているわけではない。今日のデートのために、一生懸命に調べたのだ。
趣のある古い扉を開けて中に入ると、上品なクラシックの音楽が迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
続いて、ウェイターが慇懃に頭を下げて、挨拶をしてくれた。
「お二人様でしょうか?」
「そうです」
青太が簡潔に答えると、席に案内される。
青太は革張りの椅子に座り、感触を確かめるように尻を押しつけてみる。
小説のネタにするためにも、感触を覚えておかなくてはならない。
デートはデートで重要だが、小説も大事だ。が。
「よく分からん」
青太の表現力では、革張りの椅子をどう表現していいのか言葉にできなかった。
あまり固くなく、柔らかい感じがする。手触りもいい。ダークブラウンの落ち着いた色合いは、店の雰囲気にマッチしているし、高級感がある。
以上だ。他に何を言えと。
舐めてみて、味を確認しろとでもいうのか。それとも匂いを嗅ぐか。
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
腕を組み、首をかしげる青太にみどりが声をかけてきたが、適当に誤魔化した。
椅子を舐めるべきか、匂いを嗅ぐべきか。
青太が逡巡していると、ウェイターがお冷やとおしぼりを持ってきてくれた。
さらに、メニューも横合いから差し出されたので、手に取って中を見る。
ウェイターの人は、ナイスタイミングだった。
もう少し遅ければ、青太は人として間違った行動に出ていたかもしれない。
妻の目の前で、とんだ大恥をかいてしまうところだった。
さりげなく一人の男を救ったウェイターは、青太たちのテーブルから離れる。
注文を決めてから、再度呼べばいいのだろう。
青太がメニューに目を走らせると、おしゃれな名前の物もあれば、見慣れた名前の物もあった。サンドイッチなどの軽食もあるが、メインはケーキらしい。
「みどりはどうする?」
「うーん、悩むけなあ。木苺のレアチーズケーキか……あ、ミルフィーユおいしそう。ヘーゼルナッツチョコレートがかかってるんだって。モンブランもいいなあ。生クリームたっぷりのシュークリームも食べたいかも」
眉根を寄せて悩みながら、目は輝かせているみどりを、青太は優しく見つめる。
まだ店に入ったばかりだが、喜んでもらえているようで何よりだ。
「俺は、木苺のレアチーズケーキにしよう。あとはコーヒー」
「青太は決めちゃったの? 私はまだ決まらないから、もうちょっと待って」
「時間はあるんだし、ゆっくり考えればいいよ」
急かせるつもりはない。青太が言ったように、時間はあるのだ。
それに、みどりが悩んでいる時間を利用して、青太は青太で目的を果たせばいい。
小説の参考にするために、喫茶店の内装をチェックする。
広々とした店内には、青太たちが座っているようなテーブル席が十ほどもあり、カウンター席もいくつか用意されているようだ。
テーブルは優しい木目調で、椅子は先ほども言ったように革張り。
店内を見渡すと、全体的に落ち着いており、大人の空間という雰囲気だ。
レトロな昭和の表情を覗かせているので、青太のような中年にはたまらないものがある。さりげなく配置された観葉植物もいい。
照明はやや薄暗いが、窓から差し込む日差しがあるので陰鬱さはない。
これは、お店の紹介文に書いてあったはずだ。
天候や季節、朝昼夜の時間帯によって、細かく照明を調整しているらしい。
そうすれば、同じ店なのに、その時々によって異なった顔を見せることになる。
実におしゃれだ。青太が、自分がいるのを場違いに思ってしまうほどに。
店に合わせるかのように、客層も上品そうな人が多い。
デート中と思しき男女もいるが、女性客が大半だ。
勝手なイメージで言わせてもらえば、上流階級のマダムたちが、お茶会なんぞをしていそうな感じがする。
「決めたわよ。ミルフィーユにする。飲み物はジンジャーティーのホットで」
青太が店内の観察にいそしんでいるうちに、みどりは注文を決めた。
ウェイターを呼ぼうと視線を向けると、声をかけるよりも前に、滑らかに歩み寄ってきてくれた。
店だけではなく、店員の教育も行き届いているようだ。
「木苺のレアチーズケーキにブレンドコーヒー、ミルフィーユ、ホットジンジャーティーで」
青太がオーダーを告げると、テーブルの向かいからみどりの声も飛ぶ。
「すみません。ジンジャーティーって、カフェインは含まれていませんよね?」
「はい。ノンカフェインですよ」
「じゃあ、大丈夫です。ありがとうございます」
みどりは妊婦なので、カフェインは摂取しない方がいいとされている。
妊娠初期というデリケートな時期でもあり、紅茶やコーヒーは厳禁だ。
ハーブティーは基本的にノンカフェインなので安心だが、一部にはカフェインが含まれる物もあるため、みどりは念を入れて確認したのだろう。
ノンカフェインとの答えが返ってきたので、これで安心して飲める。
ちなみにジンジャーティーは、つわりを解消する効能もあるらしい。
妊婦にはありがたい飲み物だ。
だからといって、飲み過ぎには注意しなければならないが。
ウェイターは、注文を復唱してから、来た時と同様に滑らかな動きで退場した。
青太は一息つき、おしぼりで手を拭いてから、お冷やを一口飲んだ。
「ふう……なんか、無駄に緊張しないか? 上品な店だから、俺たちに合ってないっていうかさ。場違い感があるんだけど」
「青太が好んで足を運びそうなお店ではないわね。どうしてここにしたの?」
「それはもちろん、みどりのためだよ。みどりに喜んでもらおうとしたんだ」
嘘ではない。みどりを喜ばせたいのは本心だ。
小説のネタのためという、もう一つの理由を隠しているだけで。
しかし、青太の小賢しい考えは、みどりには見透かされていた。
「今書いてる小説、ヒロインの家が喫茶店よね。小説を書くための参考にしたいんじゃない?」
「……なんのことかな?」
「隠しても分かるわよ。青太は昔から、デート中でもお構いなしで、小説の参考になりそうなネタがないか探してたじゃない。今のタイミングで喫茶店に連れてこられたら、小説のためなんだなっていうのは簡単に推測できるわ」
「……おみそれしました。おっしゃる通りでございます」
青太は白旗を上げた。なぜか敬語になっていた。
みどりが鋭いのか、それとも青太が単純で分かりやすいのか。
「連れてきてくれたのは事実だしいいわよ。それで、参考になりそう?」
「どうだろ。正直、店選びに失敗したかもしれないとは思う」
不穏な発言なので、声をひそめて周囲に聞こえないように言った。
「いい雰囲気の喫茶店だと思うけど、青太は不満?」
「不満ってわけじゃないんだ。どっちかっていうと逆で、おしゃれ過ぎて俺の小説には出しにくいってところが大きい。みどりはさ、ヒロインの家の喫茶店を、こんな感じの店って想像してたか? なんか違わないか?」
「そうね。もっと大衆的っていうか、中高生でも気軽に入れそうな喫茶店を想像してたかな。値段もリーズナブルで」
「だろ。俺もそういうイメージで書いてたし、この店は参考にならない」
青太にとっては誤算だった。
想像していたよりも素敵な喫茶店だったせいで、参考にしにくくなるとは。
「店を選ぶ時にさ、あんまりおしゃれ過ぎる店は候補から外したんだけどな。メニューの値段がやたらと高いとか、名前が意味不明とか、そういう店。例えば、俺が頼んだ『木苺のレアチーズケーキ』。これを変に気取って、『フランボワーズ』とかいう名前にしてたら、アウトってことにした」
「ケーキの名前でたまに聞くけど、『フランボワーズ』って『木苺』なの?」
「そうらしい。俺も調べて初めて知った。『フランボワーズ』はフランス語で、英語なら『ラズベリー』、日本語なら『木苺』なんだと。『フランボワーズ』ってなんだよ、『木苺』でいいじゃん、って思うのは俺が間違ってるのかな?」
「分かりやすさよりも、おしゃれさ重視ってことじゃないの? ほら、洋菓子はフランスが本場っぽくない? 私も詳しくないけど、なんとなくイメージ的に。メニューにフランス語を使ってるだけで、格調高く見えるっていうか、高級志向に思えるっていうか」
みどりが口にしたイメージは、一般的なもので青太も納得だし、その手のイメージが重要という話も理解できる。
イメージ重視で「木苺」ではなく、「フランボワーズ」とつける。
理解はできるが、感情的には釈然としない。
どうでもいい話題で盛り上がっていると、ウェイターが静かに現れて、テーブルに注文した品を並べる。皿が二つにカップが二つだ。
「ご注文はお揃いでしょうか?」
「はい」
青太が頷くと、ウェイターは伝票を裏返しに置いて、「ごゆっくりどうぞ」と言い残して立ち去った。
お言葉に甘えて、ゆっくりさせてもらおう。
小粋なトークで、妻を楽しませるのだ。




