正体
《脳水晶》を用いた占いと通常の水晶玉による占いを比較した際の共通点は、占いの結果が水晶の球面ないし内部に映ること。これは基本的に術者にしか視認できない、とされています。
一方、大きく異なるのは精度もさることながらやはり水晶玉の位置。通常の水晶玉は机上の台座や専用のクッションのような敷物の上に置かれますが、私の《脳水晶》は自分の頭上。視野がどれだけ広い人でも自力で見ることは適わないでしょう。
そのため、《脳水晶》を用いた占いの際には鏡が必要になります。
このたびハルカディア城に突如現れた勇者様(仮)の真偽を判定するため王宮の会議室に呼ばれた私の眼前に、一枚の全身が映る鏡が置かれています。
今その鏡面に映っているのは、一人のメイドと一人のおじいさん。
メイドは私ことユイ・ダシー。そして私の背後にいるおじいさんが聖剣を引き抜いた勇者様(仮)とされている筋肉もりもりの方です。
なぜ(仮)が付いているのかというと、第一に勇者に見合わぬ高齢、第二に彼自身による否定、そして第三に勇ましい者っぽさのなさ。
私が先ほど貴賓室で対面した時もその巨躯を縮こめて小刻みに震えていましたが、今この会議室で王や役人たち十名あまりの目に晒されていっそう怯えているように見受けられます。お気の毒に……。
しかし彼の年齢や言動がどうであれ、一発で勇者様かどうかを判別することが私の《脳水晶》にはできるのです。
未来視。《脳水晶》に備わっている特殊能力で、その名のとおり人の未来を視ることが可能です。
私が来るまでの会議で「彼の未来を視てみて、魔王を倒すビジョン、または聖剣を携えて旅をしているビジョンが含まれていれば勇者と認定する」という決議が出ていたようです。確かにこれなら単純明快で、また誤りである可能性も低いでしょう。
勇者候補であるおじいさんと《脳水晶》持ちである私が会議室に揃い、あとは彼を占うだけです。なのですが……。
「ユイ、何をしておるのだ。早く始めんか」
「はい。ええと、んむむ……」
私が躊躇している原因。それは勇者様(仮)の心境ほどではないにしても、この衆人環視の状況にあります。
私が《脳水晶》持ちであることはこの会議に出席している全員が既に知っていますが、普段は隠している身体の部位を衆目に晒す行為がとても恥ずかしいことのように感じられるのです。毎日の星占いでも真夜中の屋上や早朝の物置部屋など周囲に人がいない状況でしか晒してませんし……。
とはいえ王の勅命、とりわけ勇者様の真偽判定という大事を仰せつかった身ですので、個人の羞恥心で遅らせるわけにもいきません。
私は《脳水晶》を覆うナイトキャップに手を伸ばします。その時です。
「さっさと脱がねーかユイ! ほら、脱ーげ! 脱ーげ!」
床で熟睡していたはずの父・カツオが立ち上がっていて、私に野次を飛ばします。顔は真っ赤、手には酒瓶、もう片方の手を唇に当てて「ふゅーふゅー」と指笛に至らぬ風音を発しています。
父! ここは酒場でもいかがわしい劇場でもありません! 先ほど私に「色気がない」と言ったことと矛盾してますし、何より……恥ずかしさが増したではないですか!
「斜め前大臣! ふざけるのも大概にせんか!」
「右様。今案件がどれほど重要なものか理解しておらぬのか?」
左大臣と右大臣が父を窘めてくれました。それはありがたいことなのですが、父の呼称が《斜め前大臣》……いつの間にそんなよく分からない役職に……。王宮で好き勝手に振る舞えるのはこの地位を手に入れたからでしょうか。
父はチッと舌打ちして、机の影に消えてしまいました。また寝る気でしょうか?
ともかく助かりました。私は左右大臣両人に感謝の意を……。
「そもそもあやつは右斜め前じゃろう。お主の管轄じゃ」
「いいや、左斜め前じゃ。あんな飲んだくれ、儂ゃ御免こうむる。お主にくれてやるわい」
「酒が入ると荒れるのは右大臣殿も同じじゃろうが」
「何じゃと!? ならば言わせてもらうが、あやつのハゲ具合は左大臣殿にクリソツじゃろう!」
左右大臣同士の罵り合いにまで発展する、斜め前大臣こと父の押し付け合い。当の本人はまた熟睡しているのか反論してきませんが、身内がこんな扱い(父の自業自得ですが)を受けていると知って私は情けなさと恥ずかしい思いでいっぱいです。先ほど父に囃し立てられた時より顔が真っ赤になるのが分かります。
私がナイトキャップに手をかけたままで次の行動に移れないでいると、罵声を飛ばし合う左右大臣に挟まれてうんざりしている王と目が合います。
「ユイ、頼む……」
「はい……」
父と一緒にどんちゃん騒ぎに興じているイメージの強かった王ですが、思いのほか苦労人なのかもしれません。僭越ながら、ちょっと同情します。
私は覚悟を決めてナイトキャップの紐を緩めて解き、頭上の《脳水晶》を晒します。
露になる、私の髪色と同じ空色に淡く色づいた有色透明の球体。占いを始めていない今は、ただ向こうの景色を逆さまに映しているだけです。
「メイドのユイ・ダシーが《脳水晶》を所持している」という情報はこの場に列席する役人全員が共有しているものの、初めて実物を目にした大臣もいたらしく「おおっ」や「ふむ……」といった感嘆の声が上がります。やっぱりちょっと恥ずかしいです……。
鏡に映る勇者様(仮)のおじいさんの顔を窺うと、わずかに眉を上げて驚いたような表情で私の頭を見下ろしています。水晶玉が人の頭に生えていたら、そりゃびっくりしますよね。ただ、依然として一言も発しないのが不思議ですが。
「よし。ではユイ、その男の……そうだな、一年後の姿を視るがよい。視えたものは逐一報告するのだぞ」
王に命じられ、私は未来視を開始します。
まずは占いの対象者の顔を、鏡越しに見た《脳水晶》の中に納めないといけないのですが、今回はこれがとても困難です。何せ勇者様(仮)のおじいさんは筋肉もりもりのマッチョマン。上背もあるため、椅子に座っているにもかかわらず座高は私の身長よりも高いのです。「もう少し腰を屈めてくれ」と頼めれば解決するのですが、不安定な精神状態の彼のこと、何が逆鱗に触れるか分かりません。腕一本が私の体躯ほどある彼がいきり立てば、私など棒切れのように扱われるでしょう。そんな恐ろしいことは避けたいので、
「んっ……」
私のほうが背伸びするしかありません。靴の踵を浮かせて最大限の爪先立ち。爪に全体重がかかっている状態ですが、これで何とか勇者様(仮)のお顔を《脳水晶》に映り込ませることに成功しました。ホッ。
次に両手を上げ、掌を《脳水晶》から少し離して中心に向けます。何だか風変わりな柔軟体操の途中みたいな体勢ですが、ここから精神集中の時間です。
鏡に映る《脳水晶》の中の顔を視線で捉えながら、さながら心の眼で彼の未来を見通すように念じます。雑念が混ざらずに一定時間念じ続ければ《脳水晶》に結果が投影される、という手筈なのですが……。
……。
鏡と《脳水晶》越しの勇者様(仮)と目が合って何とも気まずいです。ですが、目を逸らしてしまっては占いにならないので我慢して続けます。
…………。
足が疲れてきました。かれこれ三分間は爪先立ちで、ずっと念じているのにまだ未来は視えてきません。
いつまでこの体勢をキープしていればいいのでしょうか……と私がふくらはぎをプルプルさせていると突然「ピューィ!」という大きな音が鳴って、びっくりして集中が中断されてしまいました。
「もう、何なんですか……」
私に限らず、この場にいる全員が音の発生源に目を向けます。いえ、正確には全員ではありませんでした。父・カツオを除いた全員です。
「ピューィ! ピューィ!」
なんと父が机の上に仰向けに寝転び、「うごごごごご……」という鼾とともに奇怪な寝息を立てているではありませんか! 指笛はできてなかったのに、なぜ寝息のほうが指笛っぽい音なのですか!
しかも父は《斜め前大臣》として割り当てられた本来の席から少しずれた位置の机上でお休みになっています。そこは隣席の武器大臣の眼前。武器大臣は露骨に嫌そうな表情をしています。先ほど父に対して激昂した左右大臣を含め、彼以外の他の大臣たちも皆一様に呆れかえっています。ふと見ると勇者様(仮)のおじいさんまで……。恥ずかしい……。
「ピューィ! ピュ……」
そんな周囲の冷たい視線を意にも介さず父が立て続けていた寝息が突如として途切れます。呼吸が止まったわけではないようで、表情は苦しそうではなく安らかな寝顔のまま。
よく見ると、父の身体を魔力のオーラのようなものが覆っています。何の魔法でしょうか? 私が存じ上げない効力の魔法を扱える者といえば……。
「フン」
やはり魔法大臣によるものでした。彼は服のポケットに腕を突っ込んだままの姿勢で、いかにも気怠そうに言います。
「そいつの出す音を消す膜を張った。さっさと進めろ、《脳水晶》」
すると私の体がふわっと宙に浮き上がり、ちょうど《脳水晶》の中に勇者様(仮)のお顔が入る高さで止まりました。足がつかない浮遊感も全く不快ではなく、これで無理な姿勢をとることなく占いに集中できそうです。
それにしても、対象者に手をかざしたり詠唱さえすることなく持続系の魔法を二種も並行してかけることができるとは……魔法大臣の魔力には恐れ入ります。
欲を言えば最初からやってほしかったですが……。
立っていた時のすね程度の高さしか浮いておらず、誰が覗くという訳でもないのですが、そのままでははしたなく感じてメイド服のスカートの裾を膝の裏に挟んで、空中で正座になります。
では、気を取り直して未来視をもう一度始めます。
……。
…………。
念じること三分、《脳水晶》に映像がぼんやりと映し出され……。
「視えてきました……。緑の山々に囲まれて、まばらな家屋と広大な畑と牧草地が広がる土地……農村でしょうか? その畑の真ん中に勇者様(仮)がいます。あっ、手にした棒状の物を振るっています! ひょっとして聖剣……ではないようです。鍬で土を耕しているだけですね……。思わせぶりな発言をしてしまい申し訳ありません……。
勇者様(仮)は黙々と畑仕事をこなしています。そこに十人ぐらいの人が一斉に駆け寄ってきました……って、ヒッ! 全員がマッチョ! ……筋肉もりもりの男性たちが勇者様(仮)を囲み、口頭で何やら伝えています。皆慌ててはいますが、どこか嬉しそうな表情を浮かべています。
彼らから話を聞いた勇者様(仮)はどこかに向かって駆け出します。と、進行方向から彼に向かって新たに駆け寄ってくる人影が一つ……当然のようにこの方もマッチョ! ……ですが、この方は女性です。それも勇者様(仮)と同じぐらい高齢の……。彼女の姿を見つけて、勇者様(仮)は雷に打たれたように硬直します。そんな彼から大分離れた場所から彼女がものすごい跳躍力で彼の首っ玉に飛びつきます。そして二人して滂沱の涙を流しながらの熱い抱擁や、キ……キス等を際限なく繰り返しています……」
何なのですか、この未来は……。
少なくとも言えるのは、このおじいさんは勇者様ではないということ。
真の勇者であれば魔王討伐の旅に出るはずです。一年後に畑仕事をすることなどあり得ません。
その事実を知った会議室中のあちらこちらから、「なんだ、勇者じゃないのか」というニュアンスの溜め息が聞こえます。
《脳水晶》は未来の映像を映し終え、元の状態に戻ります。私の視線は鏡の中の《脳水晶》に固定されていたため、そのままおじいさんの顔が視界に入ることになるのですが……なんと現在でも滂沱の涙を流し、嗚咽を漏らしておられます!
「ど、どうされたのです……わっ!?」
心配になって振り向いた私の両肩が、おじいさんの丸太のような腕にむんずと掴まれ前後に揺すられます。魔法大臣の浮遊魔法によって地に足がついてない私は、踏ん張ることもできずなすがままに首がとれそうなぐらいぐわんぐわんと大きく動かされます。
これは……メッチョ様が勇者様の出現を知らせに来た時に私にしたものと同じアクション! マッチョな人は行動も似るのでしょうか?
ともかく私……もとい《脳水晶》に危害が及びそうな事態のため会議の場はざわつき、兵士長などは既に剣まで抜いています。
「じょ、嬢ちゃん……、今言ったことはホントだべか!?」
「え……」
おじいさんが初めて言葉を発しました! 涙でしわくちゃになりながら、私の目を見据えて、
「リジョーは……オラの女房は……本当に一年後には元気になっとるべか!?」
どうやら先ほどの未来視に登場したおばあさんはおじいさんの奥方だったようです。おじいさんの口ぶりから察するに、現在は病に臥せっているのでしょうか。
「勿論だ。我が《脳水晶》に視えぬ未来などないのだからな」
私が返答しあぐねていると、成り行きを見守っていた王がおじいさんに断言しました。我が?
「して、勇者(仮)よ……、いや、マッチョな者よ。勇者でなければお主は一体何者なのだ? なぜ聖剣を抜くことができた?」
王に問われ、おじいさんは涙を服の袖で拭いて椅子に座り直し、居住まいを正します。そして、意を決したように口を開き、
「何者っつっても、さっき嬢ちゃんに見透かされた通りだっぺよ。オラは筋肉国ニフォレストの小っさい村で農夫やっとるダイデンってモンだ。なんでもオラが国一番の筋肉の持ち主だとかで、うちの王さんから勅命が下ったべよ。『勇者国ハルカディアに赴き、聖剣にチャレンジせよ』ってな。確かに筋肉には多少自信があるけんども……さしもの聖剣が腕力で抜けるはずなかっぺよな。そんでも王さんの勅命だし費用も出してくれるっつうんで、病気の女房は倅に任せて遠路はるばるこの国まで来ただよ。故郷の女房に土産でも買って帰るぐらいのつもりでいたら、まさか剣が抜けて自分でもびっくりしただよ。なんで抜けたかは、オラには分かんねえ。長いこと刺さってたもんで、経年劣化でもしてたんでねえか? そんで力ずくでも抜けたとか……。それよりうちの女房だべ! 嬢ちゃんの占いが確かなら、一年後にはすっかり快復しとるんだべな! いやぁ~、ホント良かたべ良かたべ……」
思いのほか饒舌! それにしても筋肉国とは……。未来視でも登場したように筋肉もりもりの国民ばかりいるのでしょうか? ひえぇ。
「うーむ……聖剣が経年劣化するなど考えられないが……」
《脳水晶》を使ってもおじいさんの話を聞いても事態が解決に向かわないため、王は頭を抱えてしまいました。それに対しておじいさんはあっけらかんと、
「そうだべか? オラが引き抜いたあの剣、聖剣ってわりにあんま聖なってないように見えたけんども……刃も綺麗でなかったし……」
ともすれば失礼にあたることをおじいさんが口走った時、会議室の大扉が轟音を立てて開きます。血相を変えた一人の兵士が駆け込んでくるのですが、何とその手には……。
「聖剣!?」
「なぜ見張り兵その1が聖剣を持てる!?」
「見張り兵その1、お前が勇者なのか……!?」
「そんな馬鹿な……その1は見張り兵の中でも最弱……」
呼ばれ方が可哀相です!
王や役人たちに個人を認識されているのかいないのかあやふやな彼は剣を持ったまま、
「引き抜かれたあと貴賓室に一時保管されていた聖剣に無許可で触れたことについてはどんな罰でも受ける所存です! しかし、この剣は……」
見張り兵その1氏はおずおずと王のもとに歩み寄り、持っていた剣を大机に慎重に置きます。コトリ……と音がしました。
王と左右大臣、そして武具大臣が剣を取り囲むように集まって検分し始めました。
「ふむ……柄や鍔の意匠はまさしく聖剣ハルブレイブだが……」
「なぜ刃の部分はこんなにボロボロなのだ?」
「さらに所々に石片のような物も付着しておるな……」
「……武具大臣、試しにおぬしが持ってみるがよい」
「では、僭越ながら……うわっ! 軽っ!」
「勇者か!? 武具大臣殿が勇者なのか!?」
「見張り兵その1も勇者だぞ! どういうことだ!」
「俺にも持たせろ! 俺も勇者だ!」
色めき立つ大臣たちに対し、怪訝そうに剣を片手で軽々と振り回していた武具大臣は動きを止めて王に告げます。
「国王様……信じ難いことなのですが、この際はっきりと申し上げます。この聖剣……いや、この剣は贋物ではないか、と」
「なにっ、贋物だと!?」
また会議室中がどよめきます。
武具大臣はそれ以上言葉を続けず、王や各大臣たちに剣を持ってみるよう促し、その全員が易々と扱う様を見せることで自説の証明に至りました。
「見張り兵その1よ、ダイデンを連れて貴賓室に戻っておれ」
しばらくして王はそう言って人払いをした後、
「皆、席に着け。今日正午に異国の農夫によって引き抜かれたこの剣が、聖剣ではなく聖剣を精巧に模して造られた贋物であるということは分かった。今この場に聖剣はなく、勇者もいないことも。すると必然的に一つの疑問が浮上するな。なぜ贋物とすり替えるという回りくどい手段まで使って、本物の勇者は本物の聖剣をこっそり持ち出したのか? そして本物の勇者の現在の居場所は? という疑問だ」
二つです……。
そんな私の心中のツッコミはさておき、現状は何も進展していないように思われます。討議開始時から増えたのは一振りのニセ剣のみ。
いえ、ひょっとしてこの剣さえあれば……。
「そこで、ユイ」
「はひゃい!?」
不意に王に指名されたために噛んでしまいました。
「また《脳水晶》の能力を貸してもらうぞ。異論はないな」
「はい……」
先ほどのダイデン様の未来視を経てわりとヘトヘトなんですが……。
私が気づかれない程度に目をそらすと、視界に入ったのはまたしても父! 大臣たちの手を渡っていたニセ剣を振り回し、壁や椅子や机をデタラメに斬りつけています。魔法大臣の遮音魔法が持続していて、父が発する音や声はこちらに聞こえないので無音で暴れているように見えてシュールです。
と、そこで急に魔法の効果が切れ、
「なんも斬れねぇ!!」
という父の絶叫が部屋中に響き渡るのでした。