胎動
この世界が平和である証拠なのかもしれません。
《脳水晶》保持者である私の主な任務が、生贄や戦争など人命に直結するものではなく星占いという娯楽であることも。聖剣ハルブレイブを所蔵するハルカディア城内に、やたらとメイドが多いことも。
私が仕えるハルカディア城は、辺境の小国のお城であるため大国と比べると小ぢんまりとした造りで、大きめの富豪の屋敷とさして変わらないほどの大きさしかありません。使用人を雇うとしても十数名で事足りるでしょう。
さて、そんなお城に現在何名のメイドが在籍しているでしょうか。
その数、なんと200名。しかも全員が美女。……あ、私は含みませんよ?
なぜこんなことになったのかというと、新国事の聖剣事業に要因があります。
聖剣が一般に公開され、世界各国から多くの人が訪れる観光地になったため、案内役として国家の威信をかけて国中から綺麗所を集めたそうです。城つきのメイドの体で。
「勇者にしか引き抜けない聖剣に自分もチャレンジできる」というシチュエーションは女性よりも男性が憧れるのか、ハルカディア城内には男性客のほうが多く入ってきます。このメイド美女軍団は男性にはおおむね好評で、女性からは時に批判や嫉妬の対象となることもあるそうですが、メイドの代わりに小汚いおじさんが城内を徘徊しているよりかはマシなはずです。お給料もお待遇も良く、なにより美の象徴である城つきメイドは多くのハルカディア女子の憧れの職業でもあります。
しかし、彼女たちのほとんどは姿はメイドであってもメイドの仕事を一切しません。メイドらしく家事をするポーズはしても、あくまでポーズ。ハタキで無造作にホコリを払う動作なんて、新たなホコリを生んでいるだけです。その分だけ私の掃除量が増えて困るのですが……。
それもそのはず、彼女たちの目的は将来的に玉の輿に乗ることだからです。
聖剣チャレンジにかかる料金は世界通貨にして約50万マイヒ(参考までに聖剣を模した根付が500マイヒ、同じく木刀が2000マイヒです)。平民がおいそれと出せる額ではないため、必然、各国の貴族や富豪たちが多く訪れるので、彼らに見初められる日を夢見て日々自らの美貌に磨きをかけているのです。
今、私の前に立ちはだかる30余名のメイド軍のリーダーである彼女もそのうちの一人……のはずです。
ターカ・ビーシャ様。ハルカディア城の副々メイド長補佐という存在意義が分からない役職に就いている彼女は、城内のメイドでも二・三を争うほどの美貌の持ち主。艶やかな金髪を惜しげもなくグルグル巻きにし、お召しになっているメイド服は改造されて黒を基調としたワンピースからピンクを基調としたツーピースになっています。下は太ももが眩しいミニスカートで、上も丈が短く、信じられないほど高い位置におへそがちらり、スタイル抜群です。エプロンから独立したフリルだけが、かろうじてメイドとしての体裁を保っています。保っていますか?
そんな少なくとも容姿では国内トップレベルのターカ様と私は月とすっぽん(東沃に伝わる言葉です)であるにもかかわらず、実はとある接点があるのです。それは。
「ターちゃん……今度は何の用?」
「……ッ! その名で呼ぶのを許可した覚えはないですわよ! ユイ・ダシー!」
つい昔の癖でターちゃんと呼んでしまい、私は「しまった」と後悔します。これは今の彼女には禁句でした。
そうなのです。ターカ様と私は、同じ貧民街でターちゃんユイちゃんの仲だった幼馴染なのです。語尾が「ですわ」だったり笑い方が「おほほほ」だったりしますが、別に良家の令嬢というわけではありません。私とは5年前の《脳水晶》の発現を境に疎遠になってしまいましたが、(表向きの立場は)同じハルカディア城のメイドとして再会を果たしました。
と。
「今、あの下賤の者、『ターちゃん』って……」
「ターカ様、あのような下賤の者と繋がりが……?」
「まさかターカ様に限ってそんなこと……」
「ひそひそ」
「ひそひそ」
取り巻きのメイドたちが何やら小声でささやき合っています。こちらに丸聞こえですが……。下賤の者……。
ターカ様も出自は下賤なはずですが、この地位に到達するまでおそらく相当努力を重ねてこられたのでしょう。そして、それゆえ《脳水晶》によって秘密裏にいわば裏口入城でメイドになった私が気に食わず、城内で姿を見るたびにつっかかってくるのでしょう。
しかし今日は気迫が違います。メイドの軍勢を引き連れての登場など、ついぞなかったことです。
ターカ様は「お黙り」と告げて取り巻きを鎮めた後に続けます。
「何の用? そうですわね……ユイ・ダシー。これに見覚えはなくて?」
そう言って、ターカ様は掴んだ空色の毛束をゆらゆら揺らします。その仕草は私が狼狽えているのを楽しんでいるようにも見えて、不気味です。
「分かりますわよね? これは……あなたが今まで落とした髪の毛ですわ。この束で99本ありますわ」
「ひっ……!」
ターカ様がその毛束を見せた時から半ば予期していたことですが、実際に口にされるととてもおぞましく感じます。一体何のために、私の髪の毛なんて集められたのでしょうか……。
私が怪訝な表情を作るのをたっぷり眺めてからターカ様は言います。
「こんな言い伝えをご存じないかしら? 対象者の髪の毛を100本集めて編んだ人形には、元の持ち主の魂が宿る。そして、最後の1本を対象者本人の意思で渡された物にすることで術が完成に至るって言い伝え。……呪術のね」
呪術。その言葉を聞いて私の身の毛がよだちます。ターカ様が持っている毛束もよだったように見えるのは、畏怖による錯覚でしょうか。
そのために100本も……。
なんという陰湿な……そして、なんという地道な作業!
私の後を尾行して抜け落ちた髪を拾い集めるターカ様を想像します。きらびやかな容姿に不釣り合いなその行動は、少し滑稽ですが同時に空恐ろしくも感じます。
最初に「ここで会ったが100本目」と宣言されたことは妙な感心とともに理解できましたが、絶対に渡したくないです。私は自分の髪を守るように、ナイトキャップの裾を掴みます。
しかし、対象者に悟られず呪いを与えることが呪術の利点であるのに、こうして私に宣言して、さらに最後の1本は私の了承を得てからというのが矛盾しているようでどうにも気にかかります。
そんな私の逡巡を知ってか知らでか、ターカ様は不敵に微笑みます。
「でもね……実は本題はそこじゃありませんの。呪術用の髪人形はあくまで副産物ですわ」
「!? では、一体何を……?」
「ユイ・ダシー、あなたのそのお団子頭、随分ボリューミーですわね。それだけ大きいと、髪を伸ばすのも毎日セットするのも一苦労じゃなくて?」
ターカ様は、自分もそうだと言わんばかりに自らのドリル状になった髪を一撫でします。その姿があまりに優雅で魅入りそうになりましたが、こちらを睨む眼光とまともに目が合って私は怯み、嫌な予感が強まります。
運命の渦は、やはり……
「なのにおかしいですわね。わたくしが今まで集めたこれ……どれもショートヘア程度の長さしかないんですの」
……ここへ!
私は来る時が来てしまったと感じ、全身の力が抜けてしまいます。そのせいで離してしまったナイトキャップの裾をもう一度、明確に防御の意思をもって掴みます。
「ずばり言いますわ、ユイ・ダシー。さして美しくもない、チンチクリンのあなたがこの城のメイドに成り果せたのは、そのお団子頭に秘密があるからですわね?」
「……ッ!」
まさしくそうなので私は言葉に詰まります。
《脳水晶》を隠してこの城で生活していくには、木を隠すなら森の中(東沃のことわざ)の要領でメイドメイドメイドの中にメイドとして紛れるのが最も好都合だと思われましたが、いかんせん私と他のメイドたちの容姿に差がありすぎ、そして頭部は特徴的すぎました。
私と同じ髪色の長髪のカツラを手に入れて、定期的にその毛を落としておくべきだったでしょうか……。いえ、そんな姑息な手を使ってもいつか露見したでしょう。でも、まさか幼馴染のターちゃ……ターカ様の手によってとは。
しかしターカ様のその手が私の頭部に伸びることはなく、ポケットに毛束を収めてしまいました。
「だけど安心なさい、無理にそれを解いて中を見せろだなんてはしたないことは言いませんわ。キシュ、ミシュ、出てらっしゃい。あなた達の出番ですわよ」
ターカ様が取り巻きのメイド達に呼びかけると、軍勢の中から2人のメイドが姿を現しました。
キシュとミシュと呼ばれた両人は、城つきメイドの例に漏れず美貌を誇りスタイルも抜群ですが、他の者より背が高く筋肉質かつ引き締まった身体をしています。何かの競技の選手でしょうか?
どちらがキシュさんでどちらがミシュさんなのかは判然としませんが、私から見て左の者がパンチの素振りを、右の者がキックの素振りを開始します。どちらも勢いがすさまじく、空気と拳や脚の摩擦からむうっと焦げ臭い風が吹いてくるようです。右の者はスカートでハイキックを繰り出すのであわや下着が丸見えに……と思いましたが、肌に密着する黒い衣類を身につけてました。ホッ。いえ、のんきにホッしている場合ではありません。
鈍感な私でもさすがに察しました。
これは……武力行使! 私が抵抗しようとも、力ずくで私の秘密を暴いてやろうという魂胆でしょう。この方法のほうがかなりはしたないと思うのですが……。
私は絶望していました。バレるのも嫌ですが、痛いのはもっと嫌です……!
キシュミシュ両人は素振りを終え、私ににじり寄ります。両人とも一言も発さないので不気味です。
「頭はおやめ。フェイスになさい、フェイスに」
さらにターカ様から物騒な命令が!
このままでは、私の顔面に暴力が及ぶのはもはや確実。それを避けるには、私も覚悟を決める必要があります。
息を一つ大きく吸って。
「……ああああああ!!」
私は逃げ出しました。幸いメイド軍はターカ様率いる一小隊しかなく、廊下の反対側はガラ空きでした。
覚悟を決めて、《脳水晶》の秘密を全て打ち明けてしまうという道もありました。私の親友だった心優しいターカ様なら、きっと私の境遇を理解して許してくれると。しかし、暴力に訴えるような人になってしまった今の彼女にはそれが期待できません。打ち明けたところで、より強力な暴力が降り注ぐ可能性だってあるのです。なので私は逃げます!
過去を振りほどくように全力疾走する私の背後で「待ちなさいユイ・ダシー! あなた達、追いますわよ!」とターカ様の怒号が聞こえます。
こうして、聖剣有するハルカディア城でメイドとメイドの鬼ごっこが幕を開けたのでした。
「ん? なんかメイドさんが大勢で走ってるな」
「本当だ、何かのイベントかな?」
「先頭の金髪の子、かわいいな……」
「人気ナンバーワンメイドのターカちゃんじゃん! 珍しいな」
「でもメイドさんって、もっとおしとやかだと思ってたわ。ちょっと幻滅~」
「こらぁーお前たち! 廊下は走るな!」
「メ、メ、メイドさんがあんなにたくさん……ぼ、ぼくの胸に飛び込んでくるんだな……! メ、メイドさああああああああぁぁぁぁ…………」
最後の方は大丈夫でしょうか?
正午前のハルカディア城。観光客と兵士の間を、大量のメイドたちが駆けています。その騒動の中心は不本意ながら私、ユイ・ダシー。
爆走するメイドたちはもはや濁流……と形容するのはやめておきましょう、美女揃いなので。清流のようになったメイドの群れは私を追って、4階から王の間がある3階、聖剣の間がある2階、そして今、玄関口がある1階まで降りようとしています。
その間に観光客にドン引きされたり巡回中の兵士に咎められたりして戦線を離脱するメイドが多く、振り向いて見れば私を追っているのはリーダーのターカ様とスポーティーなキシュ様ミシュ様のみ。取り巻きは皆、自分の体面を気にしてなのか離れていきました。ターカ様、人望ないですね……。
とはいえ、ターカ様が他のメイドたちに比べて異常なのです。通常ここのメイドたちは玉の輿に乗ることを目標としているのに、ターカ様には一切その様子がありません。過去に城内で裕福そうな男性に言い寄られている場面を何度か目撃しましたが、どれも断っています。何の何に乗ろうとしているのでしょうか……。
「はぁ、はぁ……。あれは?」
1階に降り立ち、逃げ先を探す私の目に、ある人物が映ります。
それは一言で表すなら、裕福そうな男性。二言以上で表すと、豪奢な衣装と貴金属を身体中にこれでもかと身につけ、屈強な護衛を数人伴っている若い男性。口髭を生やしていますが、それは幼い顔立ちに威厳を持たせる意図があるように見えます。まだ20歳……ひょっとしたら10代かもしれません。お顔とお髭のミスマッチさも含めて、なかなかどうして美男子です。
そんな彼が大広間の壁にもたれかかって側近たちと何やら話しているのが、すぐそばを駆け抜ける私の耳に入ってきます。
「何なんだこの国は! 遠路はるばるやって来たというのに、聖剣は期待外れだし大金はとられるし! くそっ!」
「まあまあ、王、落ち着いて……。もとより今回の旅は花嫁探しの旅、聖剣はオマケですぞ。さて、王のお眼鏡にかなう娘はいますかな?」
王!? ずいぶん若い王です。近くを通る際に思わず「顔、王、顔、王」と凝視してしまい、睨み返されます。
「うむ、確かにこの城のメイドは私の伴侶としてふさわしい器量の良い者が多いな。……とはいえ、あのような珍妙な頭をした、バタバタとはしたない小娘などは論外だがな。わははは!」
明らかに疾走する私を指して仰られました。
容姿への罵倒はターカ様から頂いたもので慣れっこなので、いまさら傷つきはしないんですけどね。ぐすっ。
と、そこに。
「ユイ・ダシィィィィ!! 逃がしませんわよ! ぜぇ、ぜぇ……」
ターカ様のご登場です。2階からの階段を何段飛ばしで飛び降りてきたのか、ダンッと音を立てて着地します。そして大広間の出入口へ向かう私を見つけ、猛然と追ってきます。
ああ……そんなに激しく動くとミニスカートが翻って中身が見えてしまいます……! 他国の若い王も近くにいるのに……。
「むむっ、あのメイドはまた随分と器量が良いな……。おうい、そこの金髪の娘! 何をそんなに急いでいるか知らぬが、少しこっちに来てくれ。お主を私の妻に迎え、我が国の王妃の座に就いてもらおうと思うのだが、どうだ?」
突然のプロポーズ!
ターカ様のツインドリルは私に比肩する珍妙な髪型で、走り方などは私よりはしたないのですが……。私は論外でターカ様は論内らしいです。結局は顔とスタイルなのでしょうか……。
美男子国王からのこの提案は城つきメイドならずとも女子なら垂涎もの。ですがそれは、普通の女子であればです。ターカ様は……。
「ぜぇ、ぜぇ……。そんなこと知ったこっちゃないですわ! わたくしに何か言いたいことがあるのなら、走ってついてきなさい!」
と、依然としてドドドと私を追ったまま。現在進行形で玉の輿を蹴ってしまわれました。何が彼女を突き動かすのでしょうか……。私への執念? ひぇぇ。
「くっ、器量は良いがなんと我儘な娘だ……! ええい、もういい。ならばそこの2人! お主らを我が王城の召使いとして雇ってやろう」
なんと若い王は、ターカ様から遅れて到着したキシュミシュ様にシフトしました! 密かに妻から召使いにランクダウンしているのは気になりますが……。
「ええっ、ホントですか!?」
「キャー! やったー! 玉の輿よ~!」
そして、目をハートにした両人はこの誘いを承諾。初めて聞いた彼女たちの台詞が、ターカ様からの離反を表明する言葉になろうとは……。
私は見逃しませんでした。あまりのことに「えっ」と振り向いた私の目に映ったのも、同じく振り向いたターカ様だったことを。そして前方の私に向き直った彼女の顔がショックで青ざめていたことを。おそらく彼女たちはメイド軍の中で最もターカ様への忠誠心が高かった方々なのでしょう。ターカ様、お気の毒に……。
「ユユユユユ……ユイ・ダシー! 何もかもあなたのせいですわああああ!」
「ひっ……!」
それは責任転嫁です……。
後に退けなくなったあまり憤怒の形相になったターカ様は、走る速度を上げて私に迫ります。
私は背後に和気藹々と談笑する若い王とキシュミシュ様の声とターカ様から発せられる殺気を受けながら大広間を出て、回廊を駆け、番兵を振り切り、王宮の玄関口である城門を出ました。
もはやメイド2人となった戦いは、王宮の外に舞台を移したのでした。
ハルカディア城の聖剣チャレンジ料は50万マイヒ、聖剣の間に立ち入り聖剣を至近距離で鑑賞するには5000マイヒ、王宮内に入るだけなら500マイヒかかりますが、ただの広い庭園である王宮の前庭は無料で開放されており、観光客や近隣住民たちの憩いの場となっています。
身体能力で勝るターカ様とまともに走り合っては追いつかれるのは明白なので、私は逃げ先に前庭を選択しました。人ごみに紛れてやり過ごす作戦です。
とはいえ、時間が悪すぎました。今は正午、ご飯時です。人々は城内ではなく城下町のほうへ流れているようです。ピンチ! どこか隠れる所は……。
「聖剣、どうだった?」
「いやー、近くで見るために5000マイヒも払えないから扉の隙間からチラッと見ただけだけど、あんまり聖なってなかったな」
「そっかー、聖剣ってそんなもんなんだな。しゃーない、アレやって帰るか」
「おお、アレな」
まばらな観光客の中で2人の男性が何やら会話をしているのが耳に入ってきました。
「よっ……と。どう? ハマってる?」
「ハマってるハマってる」
「あ~よっしゃ、ハメたし帰るか~」
彼らが興じているのは、城壁に沿う形で立てかけられた木の板に絵が描かれ一部に開けられた丸い穴に顔をハメて何らかの充足感を得る、俗に言う「顔ハメ看板」です。
観光地には付き物ですが、ここハルカディア城の物は少しばかり様子がおかしいのです。看板に「聖剣と、それを引き抜こうとする者」が描かれているのは理解できます。しかし、その描かれている人物は「旅人の装束にたなびくマント、頭には宝玉が埋め込まれた軽量の兜」という風貌の若い男性で、どう見ても聖剣を抜けるサイドのお方。端的に言って勇者様です。そんな方が凛々しい顔をしている横に「う~ん、抜けないよ~」という吹き出しが添えられているのはかなり不自然です。……そうです、顔の部分に穴は開いていないのです。看板にただ一つ開けられた穴がどこにあるのかというと、それは聖剣の刀身と柄の交点。観光客は聖剣になりきる形になるのですが、果たしてこれでいいのでしょうか……。聖剣は下向きに突き刺さっているため、引き抜いた場面を想像すると逆さまの顔がついた剣になってしまうのですが……。いろいろ謎なデザインです。
ともかく私はその顔ハメ看板の裏に隠れることにしました。
「すみません! ちょっと匿わさせてください!」
「おっ、メイドさんじゃん。どうしたの?」
私は何も言わず、そそくさと看板の裏に入りながら視線だけで理由を説明します。視線の先には私を探して爆走するターカ様。男性2人も彼女を見て、こくりと頷きます。
「なるほどな。分かったぜ、メイドちゃん」
「ああ、メイドちゃんもあのねーちゃんみたいに美人になりたいってことだな?」
「でも骨格レベルで違うし、どうすれば……」
「せめて頭のお団子サイズのものが胸に2つあれば……」
「すみません、全然違います……」
というかこれはセクハラです。
私は彼女から追われる身であること、逃げるために時間を稼いでほしいことを彼らに告げます。
「例えば、お茶に誘うフリなどをしてほしいのですが……」
私が提案すると彼らは、
「あんな美人のねーちゃんなら、フリじゃなくてマジで口説いてくるわ!」
「やらいでか!」
と、鼻息を荒くしてターカ様に向かっていきました。でか?
王の求婚さえも断ったような彼女ですので、今さら庶民のデートの誘いなどには乗らないとは思っていますが、少しでも彼女の気が散ればこの無益な鬼ごっこも終わるだろう、と踏んでいます。……少なくとも今日のところは。
ターカ様は自分に近づいてくる人影に気づきはしましたが、なおも走ったままです。
さて、ターカ様は彼らに任せて私は私で顔ハメ看板に隠れて聖剣になりきる演技をしなければ。聖剣というぐらいなのでやはり聖なっている表情? 私は聖母を意識して顔を作ります。……と言っても意外と無表情でしたね、あの方。とりあえず、動かないようにはしなければ。私は聖剣、私は聖剣……。
……って何を律義に顔をハメてるのですか!
私は内心で自分にツッコみます。
ともかく私は聖剣状態で様子を見ざるを得なくなりました。急に動いては感づかれる危険性があります。
男性2人はターカ様と並走しながら何やら話していましたが、突然ターカ様の動きがピタリと止まり、走るのをやめてしまいます。
そして2人がおっかなびっくり振り返ってこちらを指差し、ターカ様もそれを受けてこちらに顔を向けるので「あっ、これは彼らが誰かの入れ知恵によって動かされたことがバレたな」と察しました。ギリギリ顔が視認できない距離ですが、ピンチ! 私はますます動けません。
ターカ様が怪訝な表情でこちらに一歩踏み出そうとした、その時です。
────────!!
顔ハメ看板裏にいる私の背後、王宮で大きなどよめきが起こります。
例えば剣闘の試合などで卑劣な反則行為があった際のブーイングは、観客それぞれが非難や悪罵の声を上げたにもかかわらず、まるで一つの生物が放った声のような意思を持ちます。
今、王宮で上がったどよめきは明確に驚愕の意思を表すものでした。城内で一体何が起きているのでしょうか……。
「何事ですのっ!?」
ターカ様は2人を捨て置き、城内に戻って行かれました。彼女の興味が逸れて、私としては好都合です。
さて、この隙に場所を変えないと……。
と、顔ハメ看板から移動しようとした私は、城壁から少し離れた位置にある庭園の生け垣の陰に、何者かが倒れているのを見つけて驚きます。
私はターカ様が城内に消えたことを確認してから、その者に駆け寄ります。
倒れているのはハルカディア城番兵の一人、俊足のダテン様でした。うつ伏せの彼は顔色が青色になっており、嘔吐物には紫色をした草の欠片が混じっています。これは……毒草に中って毒状態になっていますね……。
「うう……そこに誰かいるのか……? お、俺は何者かに毒草を食わされて……ガハッ!」
「……ッ」
苦しむダテン様を前に、私は悩みます。
私は《解毒魔法》を使えるには使えるのですが、私の魔力のほとんどが頭部の《脳水晶》に蓄えられているため、これを外気に晒した状態でないと一切の魔法が使えないのです。今まで隠し続けてきた、《脳水晶》を……。
私がそれを躊躇しているうちにも、ダテン様の身体に回った毒は進行しているようです。
どうすれば……。
私がなおも決断を下せない間に、
「まったく何なんですの!? 私に有無を言わさず『別館のメイド部屋で待機しろ』だなんて!」
と、顔と肩を怒らせたターカ様が王宮から戻ってきます。
「あ」
「! 見つけましたわよ! ユイ・ダシー!」
ターカ様に目撃され、私の頭の中の天秤は「人命救助」から「秘密保持」のほうへと大きく傾き、この場を離れることを選びました。
ダテン様、私の都合で見捨てる形になってしまってすみません……!
私は後ろ髪を引かれる思いを抱きながら駆けだします。それをターカ様が追って……は来ませんでした。
私の背後でかすかに何かが光ったのを感じて振り向くと、ターカ様がダテン様のもとで跪き、自らの手から淡い緑色の光を放出してダテン様の全身に纏わせているのが見えました。
それは、紛れもなく《解毒魔法》による癒しの光。青色だったダテン様の顔色がみるみるうちに良くなっていきます。同じ魔法でもここまで効果が高いものは見たことがありません。
私はダテン様を見捨てて逃げようとしたという後ろめたさもあり、2人から少し離れた所で立ち尽くして眺めていました。
「うっうっ……ターカ殿、かたじけない……!」
「お礼はいいですわ……今は身体を落ち着けて。もうじき治りますわ」
そうなのです。先ほどまでのターカ様は私に固執するあまり暴走していましたが、本来は他者を思いやることができる心優しい方なのです。優しい性格の彼女だったからこそ、幼い頃の私が友達になろうと思えたのです。毒を負ったダテン様を介抱するうちに、本来の性格を取り戻したのでしょうか……?
「ほら、終わりましたわ。身体は動きまして?」
「はっ! ターカ殿の治療のおかげで、この通りピンピンしております!」
「よかったですわ……。では、ダテン・バシリー! あなたの俊足で、あそこのチビメイドを捕らえてきなさい!」
「御意ッ!」
違いました! 果てしなく自分のためでした!
見惚れるようなフォームでこちらに猛ダッシュするダテン様。命を救われたからといって安易に御意しないでほしいです……。ハルカディア番兵一の俊足自慢であるダテン様に追われては、私の脚力ではすぐに捕まってしまうでしょう。
もうダメか……。私がついに観念した時です。
「待て!!」
と、何者かの大喝が響き、私と私の手を掴む寸前だったダテン様とその様子をじっとりとした笑みで眺めていたターカ様の3人の動きが止まります。
声がしたほうを三者一様に見やると、王宮から出た兵士の隊列が前庭にいる我々の元に向かっているようです。
先ほどターカ様が率いていたメイドの軍勢はその姿の異質さから恐怖を覚えましたが、筋肉モリモリの皆様で構成された兵士の軍勢は、ただ恐怖です。
「おーい、ユイちゃーん! 大変だ大変だ!」
一人の兵士の方が隊列から抜け出し、ガチャンガチャンと鎧を鳴らしながら私に駆け寄ってきます。
彼は、メッチョ・マッチャ様。あまり立場がよくない私に城内で一番よくしてくれる兵士で、一番筋肉モリモリな方でもあります。筋肉がモリモリすぎて、お召しになっている鋼鉄製の鎧が今にも内側からはち切れそうです。
そんな彼は、額に汗を浮かべて何やらとても焦っている様子です。
「ど、どうされたのですか? メッチョ様……」
「ユユユユイちゃん……おおおお落ち着いて聞いてくれよ?」
「ままままずはあなたが落ち着いてください……」
メッチョ様の大きな手で肩を揺すられるので私の声までブレてしまいます。
メッチョ様は一つ大きく深呼吸してから私に告げます。
「出たんだ……! 勇者が出たんだ!!」
ユーシャ?
「ああっ、こうしちゃいられねぇ。国じゅうに知らせなきゃな……。おーいみんな! 勇者が出たぞー!!」
はて、ユーシャなんて名前の凶暴な魔物っていましたっけ? それが城に現れて暴れているのでしょうか?
いえ、違いました。あまりに非現実的な言葉が出てきたために理解に時間を要しました。
「えっ……勇者様が!?」
「そうなんだよユイちゃん! ついに、この時代にもゆッ……」
興奮気味に語るメッチョ様の言葉はしかしそこで途切れました。
代わりにガイ~ンと小気味よい音を立てる彼の兜。
「いっっってぇ~……。へ、兵士長……」
「大声で触れ回るな、メッチョ!」
メッチョ様の兜に拳骨を下ろしたのは兵士長でした。籠手からプスプスと謎の煙が上がっています。どんな威力なんでしょうか……。
兵士長率いる兵団が私のもとに到着したようです。
私はこの兵士長が威圧的で少し苦手なのです。特に拳骨癖は父・カツオを否応なく思い出させます。まだ私に振るわれたことはないですが……。
「な、何の御用でしょうか……。今、メッチョ様が『勇者が出た』と……」
「ふん、それはメッチョが早合点した誤情報だ。正確には『聖剣の台座に刺さっていた剣を抜いた者が現れた』、これだけだ」
「? それは勇者様ではないのですか?」
「その可能性はあるがまだ未確定だ。王のお達しで、それをはっきりさせるために《脳水晶》をここまで呼びに来たのだ。さあ、来てもらうぞ」
何となく嬉しくない呼び方をされたような気がしますが、王のご命令ならば背く道はありません。
私は黙って従います。
「よし。おい、ダテン。お前にも来てもらうぞ。今回の件の重要参考人だからな」
「はっ、兵士長殿!」
ダテン様も呼ばれたのはおそらく、何者かに毒草を飲まされたことが理由でしょう。しかし、それと勇者様……否、剣を抜いた者が現れたことと何の関係が? 分かりません。
そして、この場にはもう一人いたはずです。
「キーッ! 何故なんですの!?」
ターカ様が十数名の兵士に囲まれて喚いています。
「タ、ターカ殿……。ユイ殿以外のメイドは皆、メイド部屋にて待機。どうか大人しく従ってください……」
「いつもユイ・ダシーばっかり! 許せませんわ!」
ターカ様は筋肉モリモリマッチョマンの兵隊にも全く動じていません。なおも私への執念を強めるばかり。私のこの中途半端な特別待遇が、最もターカ様の反感を買う要因になっているのは明白ですが、私にはそれを解消する術はありません。
「ユイちゃん! ターカちゃんは俺たちで抑えておくから、兵士長と会議室に向かってくれ!」
と、メッチョ様もターカ様包囲網に加わります。
私の前を歩く兵士長はその乱痴気騒ぎを遠目に見ながら、ポツリと呟きました。
「お前を呼びに行く際に入った『今、副々メイド長補佐と揉めている』という情報を信じて部隊を組んで正解だったわ」
まさかの対ターカ様のための兵団! ターカ様、いろいろ規格外です……。
包囲網の中でなおも喚いているターカ様には悪いですが、私は少々高揚していました。例えば今朝、勇者様の出現を茶化してみたりしたのは、現実には起こり得ないことだと思っていたからです。ですが速報を聞いた今は俄然、現実味を帯びてきたように感じます。
兵士長はメッチョ様の言葉を慎重に訂正しましたが、私もメッチョ様の仰る通り、ついに勇者様が出現したとしか考えられません。
私は兵士長に連れられ、幾分明るい気持ちで会議室のある王宮の門をくぐるのでした。