チョコレート
季節は足早に夕闇のブラインドを下ろし始める。四季の境目。枯れ落ちた落ち葉。帰り自宅を辿る飼い慣らされた社畜達がちらほらと住宅街を歩く。それぞれが巣で安息を得ようとしていた。
坂蔵かなめもそんな1人だった。泥沼に浸かった足取りで自宅前に止まる。やれやれだぜ、と内心気取った感じで家に入る。
飼うよりーー飼われろ……
幼きころ硬い石で夢見た宇宙飛行士は、激流の年月により事務作業という丸い円盤になった。いや、そしたらこれはこれで飛べるかもしれないなぁ。
……胴体残して首が、だけど。
「ただいま~」
台所から甘い香り。
これはチョコレートの香りだ。
低賃金のうえ半奴隷化した制度で、子供達が汗水流し、カカオの実を刈り取るというどうでもいい物質。
台所を覗くと黒のローブを被った妹。
冷や汗が流れる。何の儀式だ。サバトでも呼び寄せているのか。
何もなく通り過ぎようとうぐいす板でも歩くように素通りしたかったが、背面のローブが半回転する。
「おにぃ、我は待っていたぞよ。その面構え、やはり仕事で参っているのだろう。このまま過労死しては元も子もない。おにぃには生涯、一片の悔いなしで天に拳を上げて死んで欲しいぞ。そこでだ我はエナジーを超えたソウル的な菓子を創造した」
「そんな死に方は憧れよりも、現実引くのが所見ですが、妹よ」
「なんと、ではベッドに括られて枯れ枝のような体になり、天井に貼った我の顔写真を眺めるのが所望か」
「どこまでもお前基準!!」
「仕方あるまい。このような愛玩しても普通の妹がいることが異常なのだから」
確かに学生時代からかなめの妹は可愛いということで有名だった。いや、有名なのは本当に色んな意味で。髑髏の杖をついて、赤絨毯をコツコツ歩く足取りで登校する際は兄ですら引いた。高嶺の花というよりは、このマンドラゴラ本当に引っこ抜くの嫌だというオーラを持っていた。
「それで、俺はお前が作った害虫駆除チョコレートを食べなければいけないのか? これ食っても腹がモコモコ膨らんで爆発しないよな」
「赤か青の導線は入れておいたから解除できなくもないぞ。どうだこのギリギリの緊張感。たまらないだろう?」
「なぜ爆弾で吹っ飛ぶありきなの? そしてなぜ口にしないといけないの? 全国の兄を代表して抗議する」
「失敬。今のはおにぃの冗談に乗っかっただけだ。案ずるなこれはただのチョコレイトだ」
なんでこいつチョコレイトとか変換したんだろう。
「さあ、おにぃ、ほらほらビターに抑えた甘味を食べるが良い。ほれ」
「何か、絶対嫌なんだけど、拒否っても食べないといけないんだよな……」
突撃隣の晩御飯が突入してきた。
固有名詞、いわゆるネズミ。相当腹が減っていたのか、テーブルにあったチョコレートを食べた。白目を向いてアヘった。のち倒れる。
「ネズミ死んでんじゃん!! 雑菌過多な生活してるネズミが毒死って本当にヤバくないか。仮にも哺乳類で動物だぞ」
「おにぃ、ネズミは実験でよく使われる検体だぞ。つまりネズミはネズミの役割を果たしたのだ。そう考えたら本望だろう」
「そう言ったらそうだよな。これまでネズミが非検体になってくれたから、俺たちの医療も発達したんだよな……ありがとう。合掌、って騙されるか!! お前危うく兄殺しの称号を得るところだったんだぞ。なんかもう日本酒のタイトルみたいだよ」
「そう言うでない、どれこの妹を信じてみんか。さあ、さあ。なに後ずさりする。ならば妹としておにぃの価値ない。我はここで死んでやる。こんな無知蒙昧な妹など生きてる意味などない。さらば青春の片隅にて」
妹は板チョコを砕いたあとの包丁を喉元に突きつける。これで告られた男子はたまったもんじゃないだろうな。
「わかった!! お前が本気なのはわかった。食うよ。食えばいいんだろ。そんなことくらいで死んでくれるな。この経緯で弔辞を読む奴の心情を察してくれ」
妹が黒ずみの一欠片を俺の口に持ってくる。慌てるな俺。ネズミと俺では体格差もある。もしかしたら致死量ではない可能性がある。
「ささ、ひと齧りで夢の国ぞ」
ディ○ニーランドに行けたらいいな。
「あれっなんか意外に普通に美味しいって……意識が遠のくなんて、やっぱりか。そうのか。予想外のことが起きない。なにこの安定感ふざ……」
自分の体が眼下に見下ろせる。
魂抜けてんじゃん。もうなに、これ。死んじまったらどんなことが起きるんだろうな。
妹の背後に誰かいる。果たして天使か悪魔か。
いや、この顔は見覚えが。
「母さん、父さん……そうか俺死んじまったんだな。2人が見えるってことは。妹を1人にしちまった、親不孝者だな。兄妹で助け合わないといけないのにな」
すると母は頭を振った。今にも泣き出さんばかりの表情を浮かべて。
「かなめ、違うの。私達はいつまでもあなたちのこと見てるってことを教えたかったの。2人は立派な私達の宝よ。だから妹に振り回されるでしょうけど、あなた達が幸せになることを祈ってる」
それから父は聖剣エクスカリバーを持って頷く。
「かなめ、我は一国の家族の大黒柱を貴殿に譲らなければいけないことを不遇に思っているぞ。遊んでやったいつぞやの記憶も曖昧ぞ、しかし男子たるものいつでもーー」
「あなたはあんまり喋らないで。妹が変な喋り方になってるのもあなたの責任だから」
先ほど逝ったはずのネズミが飛び起きて、台所の隙間に戻っていた。どうなってんの死んだんじゃなかったのか。
「じゃあお別れの時間ね。かなめ、二人で助け合って生きてね」
「えっ、ちょっとま」
かなめは虚空を泳ぐように手をかいたが、体に吸い寄せられる。
天井の染みが見えた。
そうか。夢か。でもいい夢だった。だって五年ぶりに会ってみても変わらなかったから。変わったのは俺か。
「おにぃどうだった、父上と母上に会えた感想は」
かなめは狐につままれたような顔をする。
いや、なるほど。そういうことか。
「そうか見えるんだな。お前には」
妹は自分の両肩に手を当てる。
「黙っててゴメンぞ」
「いや、わかってやれなくてすまなかったな」
かなめは泣きながら妹を抱きしめる。
わかって欲しくて、ただ、それだけで。自分のためじゃなくて。
「おにぃ、これが禁じられた関係の始まりと捉えてもいいんのか?」
「なわけあるか!!」
かなめは垂直チョップを打ち込む。
母はいいとして父は相当悪影響だな。
でもいいもんだな。見てくれると言うことは。
ありがとう。
近日、改変して投稿します