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ヒロインはパン屋の娘に戻りたい

作者: 舞兎

 私、アメリアは平民として幸せに暮らしていた。私を育ててくれたのはパン屋の夫妻である。なんでも、養父が日課である売れ残ったパンを公園のハトにあげにいこうとしていた途中、路地裏で行き倒れている我が母を発見、そのまま拾ってきてしまったというのだから驚きである。当時、養母は妊娠中で、同じように大きなお腹を抱えた女性を見捨てられなかったと養父は言った。困った人がいるとついつい世話を焼いてしまう人なんだ、困ったね、と養母は言った。私の母親は、私を産んですぐ息を引き取った。残された私はそのまま夫妻に引き取られ、私より一月前に産声をあげた夫妻の子どもと一緒に愛情たっぷりに育てられた。そう、四年前、祖父の代理と名乗る男が現れる前までは。


 その男が言うには、私の実父はツェラー男爵の息子で、私を産んだ母はツェラー男爵の娘、つまり、実父と実母は半分血の繋がった兄妹とのことだった。詳しい事情は知らないが(聞きたくもない)、当然ながら、半分とはいえ、兄妹で結婚などできるはずがない。私を身ごもったことに気づいた実母は異母兄との関係が明るみになる前に姿を消した。ツェラー男爵、つまり実祖父は、ツェラー家の汚点となる可能性がある母娘のことを、助けるでも殺すでもなく、状況だけ調査して放置していたが、実父が私以外の子を授からずに事故でなくなったため、後継として、しかたなく、私を引き取ることに決めた。大変迷惑な話だが、当事者である私の意思は関係なく、それは確定事項だった。


 育ての両親を盾に無理やり脅すように連れ去られた私は、一年間厳しい貴族教育を叩き込まれ、状況があまり飲み込めないまま、アメリア・ツェラー男爵令嬢として、貴族の子女が通う学院に放り込まれた。親の爵位で上下関係が決まり、心で思っていることと実際の発言が一致しない貴族社会の縮図ともいえる学院に十二年もの歳月を平民として平和に幸せに生きていた私が溶け込めるはずがない。苦痛な学院生活だった。


 この国の学院は三年制。三年目の終盤に差し掛かり、もうすぐこの学院生活も終わる、と安堵していた矢先に、事件が起こった。現国王の長子、レナルド殿下が突然自分の婚約者である公爵令嬢に婚約破棄を叩き付けたのである。


「ヴァネッサ、私はもう君と顔を合わせることが耐えられない。婚約の解消を父に願い出るつもりだ」

「レナルド様、突然どうなさったの? 冗談ですわよね?」

「冗談? 私がこんな冗談をいうとでも?」

「い、いえ、そういうわけでは……。ですが、レナルド様がお怒りになられるようなことに身に覚えがありませんわ」


 レナルド殿下が口を開いたのは、学院の講義が終わった直後だったため、目立たずひっそりとが信条で講義が終わったらすぐに退出する私も教室に残ったままだった。もちろんほとんどの生徒が教室に残っている。良くも悪くも目立つレナルド殿下が中心人物にいるからか、他のクラスからも人が集まってきている。ヴァネッサ様はたくさんの好奇の視線にさらされている上にきつい言葉をかけられて小さく震えているようにみえる。彼女の友だちもおろおろとしているだけで助けに入る様子はない。彼女とは親しくしていたわけではないが、少しかわいそうだ。

 とはいえ、レオナルド殿下も公爵家令嬢のヴァネッサ様も私にとっては雲の上のお方であり、ただのクラスメイトの私には関係ない出来事である。

 婚約……。学院に入学する前、祖父が「上位貴族の次男か三男を誑かして跡取りを連れてこい」とかなんとか言っていたような気がしたが、残念ながら、こんな美人でもなく教養もなく、クラスで浮いている女に目をつける奇特な者がいるはずがない。ただありがたいことに、家の料理人として雇ってもいいという話を幾つかいただいたので、学院卒業後の生活に困ることはなさそうだ。跡取り問題は私とは関係のないところで、例えば、親戚の子どもを養子に引き取るとかで、解決してほしい。

 早く寮に帰って晩ご飯と明日のおやつの準備をしたいと教室の入り口に目を向ける。あいにく出口は人で塞がっていて簡単には出られそうになかった。仕方が無いから席で今日の復習をしておこうかと思っていると、関係ないと思っていた話に私の名前が出てきて驚きで肩が跳ねた。


「身に覚えがないというか。君が取り巻きと結託して、アメリア嬢をいじめていたという証拠は集まっている」

「そ、そんな」

「具体的に言わなければわからないか。大勢で彼女を囲んで貶す、すれ違い様に階段で背中を押す、花瓶を彼女めがけて落とす、など。もちろん目撃証言も裏付けもとってある」

「確かに少し厳しいことも言ったこともあるかもしれませんけれど、それは貴族女性の嗜みや考え方を少しアドバイスしただけです。階段から突き飛ばしたり花瓶を落としたりなどは知りませんわ」


 慌てて二人の方をみると「大丈夫だ、任せておけ」というように視線があったレナルド殿下に頷かれたが……話についていけない。何が大丈夫なのか。身に覚えのないいじめの被害届を取り下げる方法を知っている人がいたら、どうかこっそり、いや、大声をあげていただいていいので、だれか教えてくれないだろうか。


「見苦しいな。……フローラ嬢、先日話してくれた内容をもう一度頼めるだろうか」


 私が何も言えないでいるうちに、状況はヴァネッサ様の不利になるように進んでいく。レオナルド殿下の言葉に自席に座って俯いていたフローラ様が慌てて立ち上がった。ずっと俯きながら進み、レオナルド殿下の少し後ろで立ち止まった。


「ヴァネッサ様からアメリア様に酷いことをするように命じられて、実行してしまいました。申し訳ございません。わ、わたくしは本当は嫌だったのですわ。でもヴァネッサ様のお家のことを考えると逆らえなかったのです」

「フローラ……あなた……」

「皆様方もそうですわよね」

「え、ええ……」


 頬を赤く染めて「申し訳ございません」「わたくし達で諌めなければならなかったのに」と口走るヴァネッサ様のご友人。周りが敵だらけになったヴァネッサ様は教科書を手に固まっている私の方に身体を向けた。


「くっ。この女が悪いのですわ! 殿下のみならず他の殿方にも色目を使って!」


 え? もしかしてほんとうにいじめられてたの?

 ヴァネッサ様に睨まれて、ようやく私は状況を理解しはじめていた。

 確かにマナーがなっていないと言われたことは何度もある。何も間違っていない。階段の件は……ふかふかの絨毯に慣れずに階段から足を踏み外しかけることがたまにあり、ヴァネッサ様のご友人がその時傍にいらっしゃったことがあったような気がする。もしかして背中の方からちょっと服を摘ままれた……のかな? 花瓶は本当に記憶にない。そういえば、一度、レオナルド殿下のご友人のミハエル様から突然ハンカチに包まれた花を渡されたことがあった。「教室に飾られていた花も私と同じように貴方の美しさに惹かれてしまったようですね」侯爵家の跡取りからの贈り物を断れるはずもなく、よく分からない台詞と共に差し出されたあまり元気のない花を受け取ったのだった。ミハエル様の髪は少し濡れていた。花瓶が割れる音は聞いていない。もしかして花瓶の中身だけを落としたの……かな? いただいた花は捨てるのはもったいなかったので押し花にした。

 いじめなんてとんでもない、全く被害は被っていないわけだし、むしろこんな異物が紛れ込んできて、他の子たちの平穏な学院生活を脅かしたことに謝罪したいくらいなのに。


「その間抜けな顔も気にいりませんわ! レナルド様のことを聞いても、いつもへらへら笑って何でもないと言って逃げてばかりで敵対する意志もなく、それでいて、こうやって、手ひどくわたくしを傷つけるのですから。今日ここにいないランド、レイヤのことはご存知? 彼女達は婚約者から婚約解消を言い渡されて寝込んでおりますのよ。わたくしは、意地でも泣き寝入りなんていたしませんけれど」


 ランド様、レイヤ様はレナルド殿下のご友人の婚約者様方だ。


『こんやくしゃをうばった? わたしが?』


 確かに、レナルド殿下の弟であるロイド様が中庭で落ち込んでいた時に手作りのパンをあげて話を聞いたことをきっかけで、レナルド殿下とそのご友人様たちとお昼をご一緒した、もとい、気晴らしに作っていた手作りのパンやお菓子を強奪され、いや贈らせていただいたことはあったが、決してそんな、彼女たちが誤解するような仲ではない。そもそもランド様、レイヤ様は伯爵家のご令嬢である。結婚に家柄を重視する貴族社会において、ただの平民である私をそんな目で見るなんて…そんな…。


「な! まさか! ミハエル! キール! おまえたちもアメリア嬢を!」


 突然騒ぎだしたレナルド殿下。話がややこしくなりそうだからちょっと黙っててくれないかな。


「すまない、レナルド」

「俺も、すまない。ただ、お前相手でもひいたりはしない」


 私の許容を超えた事態にもう頭は考えることを放棄しはじめている。私はレナルド殿下をはじめ、学院で人気のある男性方の胃袋を掴んだ稀代の悪女というところか。いや、実家に帰れば優秀な料理人がいるでしょう。みなさん女性にはもっと違うとこを重視してくださいよ。家柄とか容姿とか知性とか……。


 レナルド殿下は髪をさっと整えるとこちらに向かっていた。逃げたい。レナルド殿下に向かっていた視線がみんなこちらを向いているほんとうに逃げたい。

 レナルド殿下は私の目の前に来ると膝をついた。ちょっとほんとに待ってほしい。というかこの姿勢、昨日や一昨日もみたぞ。確か…。


「アメリア嬢、ヴァネッサとまだ婚約中の身であるが、私の心はもう決まっている。どうか」


 そうだ、ミハエル様とキール様にも同じように。


「私のために毎朝パンを焼いてはくれないだろうか」


 そうそう。お家の料理人への誘いが……って、あれ? そういう流れだっけ?


「アメリア嬢……」


 甘い声。プロポーズのようなシチュエーション。え…でも内容が…えっと……。


「兄上ズルい! アメリアは私が嫁にすると言ったではないですか!」


 どこからか聞こえてきたロイド様の声にレナルド殿下は優雅に立ち上がると口許に笑みを浮かべて振り返った。小さな身体で人ごみをかき分け掻きわけ進んでくる第二王子ロイド様。かわいい。いやいや、今はそういう場合ではなくて。


「ロイド、残念だったな。義姉として可愛がってもらえ」

「嫌です! それになんですか! その王宮料理人になってくださいと言っているようにしか聞こえない言葉は!」

「な、なにを言うのか! これは平民のなかでメジャーなプロポーズだ! なんでも『きゅんとするプロポーズの言葉』堂々第一位! そうだよな、アメリア嬢?」


 それってまさか、女の子の間で大人気の恋愛小説『思い出の庭』のプロポーズの言葉! 幼い頃に旅行先の宿泊先で出会った男女が大人になってから乗り合い馬車で再会。はじめは初恋の相手だと知らずに仲良くなっていって…って、なんで王子がそんなもの知ってるのよ! それにあの小説のプロポーズシーンは思い出の木の上で夕日を眺めながらで……ってそうではなく!

 もしかしなくても、ミハエル様とキース様も同じつもりで!? 私のあげたパンが気に入ったから毎日食べたいという嬉しい、就職先斡旋の言葉ではなかったの!


 気づけば四つ…いや、数十という視線が私を見ていた。怖い。勇気、勇気を出すのよアメリア、そう、近所の悪ガキに親無しだとさんざん貶され、大切なスカートに泥をつけられ、高い塀の上に置き去りにされ、我慢ならなくなってボス猿の道具屋の息子に掴みかかった時の勇気を思い出すのよ!



「わたしは、わたくしは……全部お断りさせていただきます!!!」



 目に入った窓から外に出て(教室が一階で助かった)後ろを全く見ずに走る。この場から逃げることを優先。明日のことは後で考えることにする。


 おとうさん、おかあさん、アメリアはあなたたちの娘に戻ってパン屋を継ぎたいです。今すぐに。

閲覧いただきありがとうございました。

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