第19話 「オタクバッドステータス」
涼香はゴミを捨てるために校舎裏を通っていた。
体育館裏とは違ってこちらは通り道になっているため、秘密の場所にはなりえない。
ただ、涼香はこの静かな場所が好きだった。
校舎の影に、爽やかな風、人の少なさ。
そんな場所で、涼香は後ろから声をかけられる。
「あれ? 涼香さんもゴミ捨て?」
「うん、そうだよ」
声の主は、涼香と同じようにゴミ袋を両手で持った麻友であった。ということは行き先は同じゴミ捨て場だ。
「一緒に行こ」
「うん!」
涼香の提案に、嬉しそうにする麻友。
「…………」
「…………」
二人はしばらく無言で歩いていた。
雑草が生い茂る場所まで来て、麻友が口を開いた。
「最近、オタクの人が増えたよねぇ」
「……うん」
麻友の言う通り、確かにオタクが増えた。
前は三年の教室だけのように感じていたのが、全校生徒まで広がっている。
どこもかしこもアニメの話ばかりしている。
誰とも話が合わない疎外感。
「私もアニメ見るべきかなぁ」
麻友も同じ思いをしているのか、こんなことを言い出す始末。
「それはダメ!」
「え?」
麻友の足がピタリと止まる。
「ど、どうしたの? 涼香さん……もしかしてアニメとか嫌だった?」
「えっと、その……実は」
*
涼香が中学三年生の頃。今より三年前のことだ。
アニメが番組で取り上げられることが多くなった。
これにより、ステータスとしてオタクであることを公言するファッションオタクがポツポツと現れ始める。
その弊害が様々な場所で起き、オタクに対する世間の風当たりが強くなる、オタクショックと呼ばれる現象が発生した。
少なからず打撃を受けた日本経済だが、世界において最も重要なのは日本経済などではなく、一人の少女の心を傷つけたということにある。
涼香と同じクラスの男子に二人のオタクがいた。
一人はオープンオタクであるガリガリのオタク男子。
もう一人はクラスの人気者で、ファッションオタクである眼鏡のオタク男子。
いつものように二人は教室で喋っている。
二人がオタクであることをまだ知らなかった涼香は二人がどんな話をしているのか気になっていた。
「あんだけモテて不幸とか嘘だよなぁ」
「ああ、俺達の前にも美少女が現れれば……」
「代われるもんなら代わりたいぜ」
「何の話?」
「す、す、涼香さん!?」
涼香が首を突っ込むと、ガリガリのオタク男子が椅子をガタリと鳴らした。
何をそこまで驚くことがあるのか。
涼香は眉をひそめた。
「どうしたの?」
「アニメの話してるんだよ、涼香」
「へー、どんなアニメ?」
「〈ULB〉ってアニメなんだけどね、これが本当にもう神って感じなんだよ」
不幸を力に敵と戦う物語らしいのだが、主人公がモテモテらしいのだ。このオタク達はそこに不満を持っている。
ただ、それを除けば素晴らしい作品であるため、高評価なようだ。
「でも、戦うって怖いことじゃない? 男の子が頑張ってる姿に女の子は好きになっちゃうもんなんだよ」
「確かにそうかもしれないけど……それだけでハーレムになるなら俺だって戦うよ」
「ああ、俺も俺も」
「ふーん? じゃあ、私が困ったら助けてくれるのかな?」
「え? あ、えっと……」
しどろもどろになるガリガリのオタク男子をよそに、眼鏡のオタク男子は前に出て宣言する。
「もちろん、涼香が何か困ってたら……絶対助けるよ」
「へ? ありが、とう?」
ただの冗談だった。
しかし、少年は真に受けて、助けると言った。
そして、事件は起こる。
下校中、大きな架道橋の下を涼香が歩いていたときのことだ。
「おぉ!? 可愛いじゃ~ん!」
「ねぇ君、俺達といいとこ行かない?」
「おいおい! 怖がってんだろうがぁ。こんな乱暴な奴らほっといて俺と二人で行かない?」
「あの……」
これはナンパというものだろうか?
テレビで華麗にナンパをお断りしている女性を見たことがあるが、こんなに怖いものだったか?
ナンパをしてきたのは三人だった。
第一声を発した長身の男とその次に喋った太った男、最後に金髪の男。
「おい! 抜け駆けすんなよー」
「うるせぇなぁ」
三人組は何やら揉めているようだ。今なら逃げれるかもしれない。
気づかれないようにそっと、涼香はその場を離れようとした。
「おっと、逃げんなよぉ……俺、悲しくなっちゃうなぁ」
「う……」
だが、金髪の男に腕を掴まれる。
強引にでも連れて行く気だ。
助けを求めるべく、涼香は周りを見た。
何人もの学生が通りがかるが、誰も助けようとはしてくれない。
仕方ないかもしれない。彼らは涼香と何らの関係もない。
問題事に関わりたいと思う人間はここにはいないのだ。
「へへ、じゃあ行こうか」
「い、嫌……」
諦めかけたそのとき、自転車に乗った眼鏡のオタク男子と目が合った。
ここは彼の帰り道だったのだろう。
彼ならきっと助けてくれる。
そう、涼香は本気で信じていた。中学生が吐いた大言を。
助けて。
その言葉を叫ぼうとする涼香の口から出てきたのは、しかし、素っ頓狂な声だった。
「え?」
眼鏡のオタク男子はそのまま通り過ぎてしまったのだ。
震えながら目を逸らしたのが、とても印象に残った。
「どうして?」
涼香はそんな言葉を発していた。今の状況を全て忘れて、裏切られたという絶望感を抱きながら。
「絶対助けるって言ってたのに……嘘つき」
「な、何だよ」
金髪の男が戸惑いを見せる。
雨が降ってもいないのに、地面のコンクリートが黒く湿った。
「おい! お前ら! 何やってんだ!」
「げぇ! 逃げろ!」
警察官が怒鳴り声を上げながら、走ってくる。
三人組はどこかへ行ってしまう。
警察官が何か言っていたが、涼香には何一つ聞こえなかった。
「オタクなんて…………」
*
「え? 涼香さんってオタクが嫌いなの?」
「嫌い……なのかな? ただ、オタクな人とは関わらないようにしようって決めてたんだ」
麻友はゴミを持ち直して、首を傾げた。
「そうなんだ。あれ? でも……高岡君って、オタクで有名じゃなかったっけ?」
「へ? えっと、その高岡君は……」
雅樹がオタクだとわかっていて、いやオタクだからこそ涼香は近づいた。
けれど、いつの間にか、オタクとしてではなく、一人の男の子として接するようになっていた。
別にオタクであることを忘れたわけじゃない。
オタクでありながら、関わりたいと思える人なのだ。
「高岡君は……」
涼香が言おうとする、そのときだった。
パキンッと小枝を踏み折って、猟奇的な目をした男が姿を現す。
涼香の頭に警告音が鳴り響く。
「ぐひ、うひひひひひひゃっっっっっほぉぅぅぅぅぅ」
「な、何なの!?」
男達はよだれを垂らしながら、ユラユラと歩み寄ってくる。
涼香と麻友の二人が抱いた感情は、得体の知れない化け物に対するそれだった。
「ハッハッハッハッハッ、ユーミン! ユーミン! 来たぞぉぉぉぉぉ!」
「この人……オタクだ!」
「へ? オタク? どういうこと?」
雅樹からアニメ知識を叩き込まれていた涼香はすぐにその言葉の意味を理解した。
だが、それがわかったところで涼香には何も出来ない。
男達からは理性というものが欠片も感じられないからだ。話なんて通じない。
二人はジリジリと後退した。
だか、二人とも校舎の壁にぶつかってしまう。
いつの間にか、もう一方の男が横に回り込んできていた。
「囲まれた……」
麻友が悔しげな声を漏らす。
それを合図に、男の一人が問答無用でその不躾な手を涼香へと伸ばした。
「いやぁぁぁぁぁ!」




