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第13話 「逃げよう、どこからも」

 目を閉じたら黒だ。それは間違いない。だが、黒にも濃さがある。

 そこでは、薄い黒の中に濃い黒があった。濃い黒は形を作っていて、人のように見えた。

 人の頭、口に当たる部分の黒が薄くなる。

 こいつは話せるんだ。だから俺は問う。

 

「お前は誰だ?」


 黒い口が動いた。


「私は人ではない、ウィルスだ」

「ウィルス?」

「そう、お前が感染しているウィルスだ」

「ああ、あいつらが言っていたウィルスか……本当に感染してたってわけだな」


 俺は薄い黒の中を漂いながら、濃い黒に訊ねた。


「なぁ……お前、何てウィルスなんだ?」

「人間にはヲタクウィルスと呼ばれている」

「ヲタク……ウィルス」


   *


「んうっ、んん~」


 今のは随分と不思議な夢だっただな。ウィルスが話す? そんなわけないだろ。


「さてと…………」


 逃げるか。

 俺がここに来てから2週間経った。

 そろそろ警戒心も薄くなってきたんじゃないか?

 これまで大人しくしていたおかげか、見張り付きではあるものの部屋の外に出ることは許されている。


「買い物がしたいんだが……いいか?」

「わかったわ」


 この病院には売店がある。病院からお金をもらい、好きな物を買える。

 俺が今のように、買い物がしたい、と言うと橘という女が見張りを寄こして買い物が出来るのだ。


「おら、行くぞ」

「す、すみません! ちょっと待ってください!」

「チッ! 準備できてから呼べよ」


 見張りはいつも同じ男だ。あごひげを蓄えていて、常に気だるげな顔をしている。

 ちなみにお金はこの男から渡される。


「すみません……」


 準備を終えた俺は謝りながら外に出る。

 院内をうろつく人はほとんどいない。

 今、廊下には見張りの男と俺しかいなかった。


「この時間じゃなかったら、ただじゃおかねーぞ!」

「わかってますよ」


 見張りの男には好きな女がいた。

 俺が買い物をしているとき、同じ職員と思わしき女と楽しそうにおしゃべりしていることがよくある。

 仕事中にそんなことが出来るのは、俺が何も問題を起こさないからだ。

 それに、見張りの男からしたら目の届くところに置いてるから大丈夫だ、という考えなのだろう。


「…………」

 

 俺が売店で商品を眺めていると、その女がちょうど姿を現す。

 見張りの男が惚れるだけのことはあって、その女はかなりの美貌を備えていた。


「…………」


 条件クリアだ。俺は心の中でほくそ笑む。

 昨日頑張って練った脱出プラン。

 決行の時は今!


「俺、ちょっとあっち行ってみたいんですが……いいですか?」

「ああ?」


 他人の目がない状況で近くに好きな人がいたら、いなくても問題がない仕事なんてサボるに決まってる。

 アニメでそうやってました。


「…………脱走だけはするなよ」

「わかってますってば」


 俺がそう言うと見張りの男は女の尻を追っていった。

 すまんな。脱走させてもらう。恨むなら仕事を放棄した自分を恨め

 見張りの男の視線が外れたら俺は猛ダッシュで予定していた脱出経路を辿る。

 イメージは済んでいる。道を間違えるなんて愚は冒さない。

 何人かとすれ違うことを覚悟していたが、誰もいない。

 運がいい。

 

「待て、ごらぁっ!」

「うぉわっ!?」


 突然の怒号に、俺の心臓が飛び上がる。呼吸が乱れ、かなりの体力を消耗した。

 見張りの男は俺が逃げたと勘付いたようだ。まさか、こんなに早いとは。

 実は有能なのか?

 まぁ、ハニートラップに引っ掛かってロスした時間は致命的だ。追いつかれることはない。


「は、はぁ、ふっ!」


 俺はドアを両開きのドアをタックルで押し開けた。

 隔離室前廊下に差し掛かる。

 最初に通った、あの場所だ。


「はぁ、はぁ…………後、少し……!」


 ここを出てから左にあるトイレ、あそこの窓が外に繋がっている。あのときトイレに行っておいて本当に良かった。

 だが、そう簡単にはいかないようで、数え切れないぐらい特殊スーツの人達が角を曲がってくる。


「ちっ」


 もう追っ手がこんなに来たのか。

 特殊スーツの集団はその手に小型の銃を持っていた。

 おそらく、込められているのは麻酔弾だろう。一斉に撃たれたら、いくらなんでも当たる。

 そうなれば、またあの部屋に逆戻り。それどころか、こんな牢屋みたいな場所にぶち込まれるかもしれないな。


「万事休す……ってやつか」


 特殊スーツの人が銃を構える。

 いよいよ引き金を引こうとした、その時。

 感染者達が一斉に腕を伸ばし、特殊スーツの人達を掴んだ。

 特殊スーツの集団はその対応で足を止めざるを得なくなる。


「なんかよくわからんが、ラッキーだな」


 俺はその幸運に感謝し、ドアを開ける。右をちらりと見ると、入り口はシャッターが下りていた。


「やっぱりな」


 脱走者が出ればそりゃあ出入り口を警戒するよな。

 俺は予定通り、左にあるトイレに向かう。

 流れるままに窓に手をかけて、飛び越える。


「よ……っとぉ」


 窓は人が優に通れるほど大きく、しかも簡単に乗り越えられる高さにある。

 元々はただの病院だったのだ。脱走なんてことまでは考えてなかったのだろう。

 しかし、こんなわかりやすいところを対策しないなんて間抜けな連中だよなぁ。そのおかげで俺は脱走できたわけだが。


「さて、ここからどうするか……」


 とりあえず、街の人に駅の場所を聞いて遠くまで逃げよう。

 お、あのサラリーマン風のおっさんが良さそうだな。


「すみませーん」

「ん? 何だ?」

「実は駅の場所を聞きたいんですが」

「ああ? それならここを真っ直ぐ行ったところにあるぞ」

「ありがとうございまーす」


 俺はおっさんにお礼を言って走って駅に向かう。

 追っ手は来てないな。まあ、あんな格好で街中にいたら怪しいもんな。


「はぁ……はぁ」


 駅は意外と近く、5分ばかりで着いてしまった。

 俺は中に入り、息を切らしながら電光掲示板を見た。

 話には聞いていたが……どれに乗ればいいか全くわからない。

 そもそも、乗り継ぎなしで戻れるんだろうか?

 直通はなさそうだが……いや、電車だけでは帰れないなんて可能性もあるか。

 お金足りるかな?


「あれ……雅樹?」

「ん?」


 俺のことを名前で呼ぶ奴は二人しかいない。

 ということは……。


「何であんたがこんなところにいんのよ?」

「紅……葉?」


 茶色いショートヘアが猫のヘアピンで留められていた。


   *


「どうして、紅葉がここに?」

「友達と遊びに来たのよ。ていうか、聞いてるの私なんだけど」

「えっと、それは……」


 俺がウィルスに感染したって話は知らないのか?


「ちょっとお出かけしたい気分だったんだ」

「ふーん……あんたが学校サボるなんてね」


 あ、この反応だと知らないな。そこまで学校で話題になってないのか?

 だとしたら、悲しいよなぁ。少しは心配してくれてもいいんじゃない?

 ありえないけど。

 紅葉が少し悩んだ顔をした後、言った。


「そうだ、あのときはごめん」

「あのときって?」


 紅葉が謝るようなことといえば、もしかして涼香先輩に振られた時のことか?


「その、私悪いこと言ったでしょ?」


 確かに悪いことを言われた。だけど紅葉がそれを自覚するなんてどういうことだ?

 いつもなら全面的に俺が悪いことになって、俺だけが謝ってそれで終わりになるのに。


「紅葉が謝るなんて初めてじゃないか?」

「うっさい! あんたも謝りなさいよ!」

「あ、ああそうだな。衝撃が強すぎて頭が飛んでた。あのときは本当にごめん!」


 俺は頭を下にして手をパンッと合わせた。俺がいつも紅葉にする謝罪のポーズだ。


「ん、それでいいのよ」


 顔を上げると紅葉は少し顔を赤らめていた。やはり、自分から謝るというのは屈辱的だったのかもしれない。だからこそ、不思議に思う。


「一ヶ月ぐらい口を利いてくれないと思ったよ。本当にどうしたんだ?」

「えっと、前に健康診断あったでしょ?」

「あったな」


 忘れもしない。あれのせいで俺は今こんなことになってるんだからな。


「その日にね、雄介に怒られちゃって」

「……っ!」


 なるほど、そういうことだったのか。

 雄介、お前はどこまで俺を助けてくれるんだ。

 そういえば、俺はあいつに頼りっぱなしだな。

 俺はどれだけあいつを助けてやれただろうか? こんなことでは友達失格じゃないか。

 友達としてせめて、あいつの株を上げといてやるか。


「雄介っていい奴だよな」

「ええ、あんたとは違ってね」


 む、今の言い方はカチンときたな。

 いかん、いかん。ここで怒ったら、またあの気まずい空気になる。それに今は雄介優先。ここは耐えるんだ、高岡雅樹!


「あいつ気が利くしさ、顔も悪くないと思うんだ」

「まぁ、そうね」

「紅葉さー……雄介と付き合っちまえば?」


 紅葉が目を大きく開いて、俯いた。


「あんたって本当……馬鹿よね。何でわかんないのかしら?」

「何だよ、それ……」


 俺は多分、馬鹿と言われるぐらい馬鹿な発言をしているのかもしれない。

 でも、本当にわからないんだよ。知りたいんだ、女の子の気持ちが。

 アニメ見たぐらいで女の子の気持ちがわかるわけがなかったんだ。


「何でもないわよ。わかってたことだしね」

「…………」


 紅葉はいつも通り笑ってる。なら、これでいいか。俺が何をわかってないのかは後でいい。

 ただ、俺に後があるかは別問題だった。


「確保!」という声が雲一つない青空に響き渡る。

「捕まっちゃったかー」と俺は出来る限り軽い口調で言った。


 俺は以前と同じように組み伏されていた。石が痛い。

 橘という女が紅葉に近づき、頭を下げた。


「ご協力感謝します」

「何? 何なの?」


 くそ、邪魔しやがって。

 まぁ、偶然にも紅葉と仲直りできた。それだけで脱走した価値はあったかな。


「雅樹、あんた……」


 俺は戸惑っている紅葉に微笑みを見せる。

 その直後、俺は謎のスプレーをかけられて、意識を失った。

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