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黄昏の彼方に 第三部『崑崙』  作者: ろ~えん
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第九話 支援

そろそろ日が暮れてきた。

子供達は、三々五々連れだって帰り始める。

アーイシャも鞄を肩に掛け、友達と口々にさよならを言い合った。

今日の友達の中には、同じ方向に帰る子はいないのだ。

校門を出ると、みんなと逆方向へ歩き出す。

晩御飯は何かな?もうお腹がペコペコ、そう呟きつつ家路を急ぐ。

何と言っても、まだ10歳の少女なのである。


作業を終えて近くのベンチで休憩していたユージンは、アーイシャが校門を出るのを確認すると、煙草を棄てて立ち上がった。

たまたま同じ方向に歩いている風を装って、さりげなく後をつけて行く。

予め仲間を呼ぶ事も出来たが、大人数で行動すれば目立ってしまう。

歩きながら、内ポケットの銃を確認する。

いや銃では目立つ、と思い直して、上着の裾で隠れる様にベルトから折り畳みナイフを抜き、ズボンの右ポケットに移す。

これを取り出す時は、刃の先端側を下にして親指と人差し指で刃の背を挟み、ポケットから出した瞬間に鋭くスナップを効かせて一振りする。

するとグリップが自身の重みで回転し、刃が開く。

刃を挟んでいる指の力を抜くと、手の中でナイフは刃を下にしたまま落下を始めるので、丁度グリップが掌に重なったところでキャッチし、そのまましっかりと握る。

その間1秒もかからない早業である。

勿論、外交部の軟弱な奴等にはそんな芸当は出来ない、自分は荒事のプロなのだという自信がある。

辺りを窺いつつ、疑われない様に距離を保ってついて行く。

しかし今日は、どうした事か人通りが途切れない。

彼は、拐うチャンスを窺いつつ跡けているが、人目がなくならないので行動に移れないまま、とうとう最後の角まで来てしまった。

あの角を曲がれば、もう家まではほんの2・30メートルしかない。

これが最後のチャンスである。

さりげなく辺りを窺い、誰も自分に注視していない事を確認すると、間合いを詰めて行く。

再度、手順を反芻する。

ターゲットが次の角を曲がるタイミングで、一気に間合いを詰める。

角を曲がった先の小路が無人ならば、そのまま少し入ったところで追い抜く風に然り気無く横に並び、一気に左手で口を覆い右腕を肩口に回して、ナイフを喉に当てる。

耳許で低くどすを効かせて囁けば、怯えて声も出なくなる筈だ。

頸に下げた汗拭き用のタオルを外し、左手に軽く巻き付ける。

万一噛まれた時の用心である。

角に着いたところで、少女の肩越しにその先の小路に視線を投げる。

小路は無人だった。


「まず、今送った地図を確認してちょうだい。」

意味が判らないサーリムが訊ねようとすると、レイが横に座ってサーリムのPDAに手を伸ばした。

「この地球儀のアイコンを開いて下さい。」

言われた通りにすると、画面一杯に地図らしきものが拡がる。

「赤い丸印が現在地点。そこから東に三ブロック行った所に×印が着いているでしょ。それがミサイルのサイロです。」

「なるほど。では、外に出る必要がある訳ですね。」

「いいえ。中央区画は全て地下で繋がっているから、そちらを通れば目立たずに移動できます。」

レイが再びサーリムのPDAに手を伸ばし、地図の右にある縦の目盛を指差した。

「これを上にスライドすると、上の階に上がって、下なら下の階に下がります。」

サーリムが言われた通りにすると、地図が迷路の様な地下道に切り替わった。

その地図には、現在位置から目標地点まで道順を示すと思われる赤い線が延びていた。

しかし、地図が細か過ぎて、矢印がどの通路を通っているのか、判別が付かない。

「拡大してみて。」

どうした物かとレイを窺うと、レイは親指と人差し指をくっつけてから開く様な動作をして見せる。

地図上でレイの動作を真似ると、地図が拡大された。

これでようやく通路が判別できる様になったが、今度は目標地点が画面から大きくはみ出してしまい、位置関係がさっぱり判らない。

「地図を指で押さえて、引っ張るようにずらしてみてください。」

言われた通りにすると、地図が滑らかに動いた。

矢印は大きく複雑に曲がりくねっており、見た感じでは最短ルートには程遠い。

更に良く見ると、所々通路とずれていたり、壁を突き抜けている。

訳がわからず、タチアナを見る。

「地下は二層構造になっているの。地下一階は一般通路で、誰でも通れるわ。その下は、メンテナンス用の通路で、管理権限を持っている人間以外は入れません。貴方が今見ているのは、一般通路の方。」

そう言われてサーリムは、もう一段下層に移動した。

今度は通路と矢印が一致したが、やはり不要なくらい曲がりくねっている。

「その矢印は、安全に移動できるルートよ。」

「安全にとは?」

「その時々の、無人の廊下をたどるルートなの。状況に応じて都度変わるから、注意してね。」

そう言っている間にも、ルートが変わった。

取り合えず矢印を見失わない様に注意しながら地図を動かし、悪戦苦闘しながら目標地点までたどり着くと、ミサイル区画が拡大され、詳細が見てとれた。

全体は東西に横長の長方形であり、その中央に南北方向の廊下が貫通し、その廊下から左右に対称に6本の廊下が延びており、その先は袋小路である。

そして、各小路の北側は部屋が並んでいた。

その部屋にはアルファベットと数字で番号が記入されている。

一番北の小路に面した部屋は、左側奥から順に、W-1から5となっており、右側も、同じく奥から順にE-1から5である。

恐らく、頭のアルファベットは、東西を示しているのだろう。

各小路には、5部屋ずつが並んでおり、全て連番で振られているので、入口を入った両脇の部屋は、W-30とE-30である。

つまり、ミサイルは全部で60基あるわけだ。

その内、W-3とE-27に丸印がついている。

「これは、どういう意味ですか?」

「それが、今生きているミサイルよ。」

「つまり二基だけ、という事ですか?」

「ええ、元は60基あったそうだけど、衛星の打ち上げに使ったり、故障したり共食いで整備した結果、残ったのがその二基です。」

つまり二基破壊すれば、それで用は終わりだ。

少しだけ、気が楽になったところで、疑問を口にした。

「ところで、地下二階には管理権限が無いと入れない、という話ですが、どうやって立ち入りを制限しているんです?警備員が立っているんですか?」

「いいえ、全て自動です。エレベータで地下二階を押したり、一般通路から下に降りる階段への扉を開けようとした時に、コンピュータがPDAと通信して、所有者の権限を確認するの。で、管理権限が付与されていなければ、エレベータは選択を無効にするし、扉は開きません。それに、ミサイル区画に入る所の扉は、更に上の特殊管理権限が無いと、開けられないわ。で、貴方のPDAにはもうその特殊管理権限が付与されています。」

どうやら、無名氏は相当な権力を持っている様だ。


ユージンが、少女の肩に手を廻そうとした瞬間に、背中の方から声がした。

「よう、ユージン。」

驚愕の余り、危うく叫びそうになった。

この、馴れ馴れしい声の主は、振り向かないでも判る。

「や、やあ、ティル。」

慌てて表情を取り繕いつつ振り返ると、例の魂の双子が立っていた。

続いてアストンが、相変わらず人懐こい笑顔で語り掛けてくる。

「どうだい、一杯やらねぇか?」

「あ、いや、悪いが今夜は用事があってな。」

「そうかい、残念だな。」

そう言って二人は、そのまま通り過ぎて行った。

再び小路に視線を投げると、少女は家に入っていく所であった。

ユージンは、軽く舌打ちすると、そのまま歩み去った。


「ところで、その無名氏は、何故ミサイルの破壊に協力する気なんですか?」

サーリムの問いに、タチアナは頸を傾げる。

「それは、貴方に何か関係があるのかしら?」

サーリムは苦笑する。

「大有りですね。こちらは命を賭けなきゃならないんですから、話に乗った揚げ句に後から撃たれたんでは目も当てられない。」

タチアナは真顔になり、正面から見据えた。

「では、私は信用できるわけ?」

サーリムは、言葉に詰まった。

二人はそのまましばらく無言で向き合っていたが、やがてタチアナは表情を緩めた。

「まあ貴方の不安は判るわ。無名氏は、方舟計画にとってミサイルの存在は好ましい物ではない、と考えています。」

「何故です?」

タチアナは言葉を選ぶ様にしばらく考えていたが、再び話し始めた。

「あんな分不相応な力を保持していたら、いずれ世界の王になりたいという野心家が出ないとも限らない、というのが、無名氏の見解です。」

その考えは、サーリムにとって望ましい物ではあった。

ただし、それが本心であれば、だが。

「そうは言っても、信じられる物じゃ無いわね。有り体に言えば、ミサイルは権力争奪というゲームの駒なのよ。ライバルの手駒の中から、最強の駒を排除したいと考えているわけ。」

「なるほど。」

「どう、失望した?」

サーリムは、軽く頸を振った。

「いえ、動機としては、将来にわたる野心家の予防なんて漠然とした話より余程納得がいきます。それに動機が崇高な物であろうと卑俗な物であろうと、私には関係ありません。ただ、利害の問題なら、利害が一致している限り裏切りは無いでしょう。」

「納得して貰えたんなら良かった。でもね、将来に向けた崇高な目標自体も、満更嘘でも無いのよ。」

そうであれば良いがと思いつつも、その点には期待しない事にした。


ユージンは、闇に紛れて辛抱強く辺りを窺っていた。

下校中に拐う事が出来なかったので、押し入るしかなくなってしまったのだ。

できれば音をたてないナイフで済ませたいが、駄目ならピストルを使わなければならない。

二人共確保できればそれが一番良いが、駄目なら一人でも用は足りる。

ただし、勿論その場合はもう一人の人質を残して行く訳にはいかない。

もう、ここら一帯で灯りが消えて一時間程になる。

そろそろ寝静まった頃である。

ユージンは、足音を立てない様に注意しながら、二人の家に近付く。

裏庭に面した側の鍵が甘い窓の位置は、事前に確認してある。

プロは、準備を怠らないものなのだ。

その時、突然ユージンの肩に、腕が廻された。

予想外の出来事に、ユージンの口から短い悲鳴が漏れた。

「よう、ユージン。こんな所で何してるんだ?」

そう言うテレンスの息は、酒臭かった。

背中にのし掛かってくる体重の預け具合からして、足許が覚束ない様子である。

もう既に出来上がっているのであろう。

「飲みに行こうぜぇ。」

呂律が怪しいその声は、相変わらず馴れ馴れしい物言いである。

フレデリックの声が聞こえない所を見ると、珍しくテレンス一人の様だ。

馴れ馴れしく肩に手を回すテレンスに、ユージンの苛立ちは限界に達していた。

どうせ、このあと脱出するのだから、もう後腐れはない。

一人殺すのも二人殺すのも大差はない。

ユージンは無言でナイフを抜くと、肩を抱え込まれたままで、体をかわす様にひねり、躊躇う事なく左脇の下を潜らせて勢い良くテレンスの胸に突き立てた。


一人になったサーリムは、改めてタチアナの説明を検討していた。

その話はそれなりに筋が通っている。

勿論、無条件に信じる事は出来ないが、他に手がないのも事実である。

もしかしたら、サーリムを嵌めようとしているのかも知れないが、その目的となると、皆目見当が付かない。

取り合えず、何かあった時に出し抜かれない様に警戒しておく以外には無さそうであった。


堅い音がして、渾身の力を込めて突いた筈のナイフは、尖端が刺さっただけで止まる。

ユージンは愕然とした。

テレンスは、背後に立ったまま右手でユージンの右手首を掴むと、背中側にねじあげる。

その力強さに、ユージンは思わず呻き声を上げる。

「プロが感情で行動しちゃいかんなあ。」

そう言うテレンスの低い声には、先程の呂律の乱れは微塵も無かった。

「ピストルを出さなかったのはまあ上出来だが、ナイフで胸を突くのは感心せんな。何のために肋骨があると思ってるんだ?今みたいに刃を水平にして突いても、肋骨に当たって止まる確率が高いぞ。」

その態度の急変が理解できないユージンが無言のまま固まっているのを無視して、テレンスは低い声で話し続ける。

「仮に上手く肋骨の間に入ったとしても、それで即死するとは限らない。俺が叫んだらどうするつもりだったんだ?」

そう言いながら、背中側にねじ上げたユージンの手首を左手に持ち変える。

声は低いながら、いつものからかうような調子に戻っている。

「良いか、こういう時はな、」

そう言いながら、テレンスは今空けた右腕をユージンの体に廻して、自分の胸に突き立ったままのナイフを握ると、ぐっと力を込めて抜いた。

「こうするんだ。」

穏やかな口調のまま、その刃がユージンの喉仏の下で一閃した。

何が起こったのか判らないままに、その体が痙攣する。

ユージンは驚愕の表情で何かを叫ぼうとしたが、その喉からはごぼごぼと妙な音がしただけだった。

そしてその体から力が抜けると、テレンスは腕を離した。

ユージンは、そのまま崩れ落ちた。

テレンスは、その断末魔の痙攣を冷静に観察していたが、やがてかつてユージンだった物の足首を掴むと、音をたてない様に注意しながら、近くの廃材置き場まで引きずって行った。

辺りの廃材を音をたてない様にそっと動かして死体を覆うと、シャツの胸を開いて分厚い板を引っ張り出した。

月明かりでナイフの刺さった跡を確認すると、指の太さ二本分はあろうかというその厚みの三分の二辺りまで達しているのを見て、軽く驚嘆の口笛を吹いた後、板を捨てそのまま歩き出した。

廃材置き場から十分に離れると、ズボンのポケットからPDAを取りだし、少し操作して耳に当てる。

「説得は不調に終わったので、処置しました。」

そう小声で言うと、PDAをしまった。


自宅に戻り、ほっと肩の力を抜いた時、PDAが鳴った。

通話ではなく、インタフォンである。

タチアナはPDAを手に取りタップする。

画面に作業帽を目深に被った男が映る。

「はい、どなた?」

男はインタフォンのカメラに向かい、帽子のつばを軽く上げてみせる。

張り付いたような作り笑いの中で、目が冷ややかに光っている。

「ご注文の品を届けに上がりました。」

タチアナは、軽く頸をひねる。

「何かの間違いじゃなくて?」

配達員は、辺りを憚る様に囁いた。

「バールの代わりの品だよ。」

その言葉に、タチアナはPDAのディスプレイをタップして、ドアロックを解除する。

「判りました、どうぞお入りなさい。」

作業服の男が白いボール紙の箱を手に入ってくる。

「これが、その『バールよりましな』モノだ。」

その口調は、初対面の人間に対する常識的な物ではなかった。

恐らく、威圧的な口調が習い性になっているのだろう。

「開けて良いかしら?」

「ああ。」

箱の中には銀色の塊が2つ、 クッション材に埋め込まれている。

手にとってみると、金属製の取っ手のないコーヒーカップの底にデジタル時計が付いたような代物だ。

内側を覗くと、擂り鉢状に窪んでいる。

「この開口部をミサイルのケーシングに貼り付けて、タイマーの時間を合わせ、赤いボタンを押したらカウントダウン開始だ。タイマーの使い方は、標準的なキッチンタイマーと同じだ。判るな。」

「それで0になったら爆発するわけ?」

男は、まるで生徒の誤りを訂正する教師の様な態度で言った。

「爆発という表現はあまり適切ではない。この場合はノイマン効果だ。」

タチアナは、内心の不快感を抑えて訊ねる。

「なるほど。で、どうやったらくっつくの?」

見落としを指摘された男は、狼狽を隠すために殊更にぶっきらぼうな調子で答えた。

「何か接着剤でも一緒に渡してやれ。 」

貴方に命令される理由はないわ、とタチアナは思ったが、不満を表に表しはしなかった。

「判ったわ。」

男はドアを出ると再び作り笑いを浮かべ、軽く帽子のつばに手をやりながら、

「毎度有難うございます。」

と会釈して、そのまま去っていった 。

ターニャは、PDAを取り出すと、ある番号を呼び出した。

ディスプレイに男の映像が浮かび上がる。

「今、大丈夫ですか?」

「特に用事は無いが、どうしたんだね?」

「『あちら』から、バールの代わりが届いたんですけど。」

「判った、直ぐに人を遣る。」


翌朝、出勤前の身仕度に余念の無いタチアナは、テーブルの上のPDAが鳴っているのに気付いた。

取り上げてタップすると、にこやかに微笑む作業服の男が映った。

「はい、どなた?」

男は、明るい声で言った。

「昨日お預かりした品の修理が完了しましたので、お届けにあがりました。」

ターニャは、人前に出られる最低限の装いが出来ている事を確認して、画面の開錠マークをタップする。

「はい。どうぞお入りなさい。」

男は、輸送用の段ボール箱を抱えて入って来てテーブルに下ろすと、中から光沢のあるぺらぺらの布でできたナップザックを取り出した。

「箱を直に手で持っていては走るのも骨だし、両手が塞がるのも困りますからね。袋ごと渡して上げて下さい。」

そう愛想良く言いながらナップザックの口を緩め、ボール箱を取り出した。

「こちらの『目的』に合わない部分があったので、ちょっと手直ししておきました。」

タチアナが箱を受け取ると、男は続けて

「それから、ついでに接着剤も用意しましたよ。」

そう言いながら赤い小さなカプセルが2、30個も入った透明なプラスチックの袋をナップザックから取り出した。

ターニャは袋の中身を見て、微笑んだ。

「随分と強力なものを用意したのね。」

男も、にこやかに答える。

「強力すぎて困る事は無いですからね。」


「これが、約束の『バールよりマシなもの』です。」

そう言いながら 、タチアナはボール紙の箱を開いた。

銀色のカップを1つ手に取って、

「この開口部をミサイルのケーシングに貼り付けます。そして、ここのボタンでタイマーをセットするの。青いボタンを押すたびに、分/秒 の点滅が切り換わるわ。右矢印が『進む』左が『戻る』よ。で、時間を合わせたら赤いボタンを押すとタイマーがスタートします。」

「タイマーが0になったら爆発ですか。」

「まあそんなところですね。もう少し細かく言うと、このカップの内側には」

そういって、カップの内側を見せると、そこは銀色で擂り鉢上に窪んでいる。

「爆薬をこういうふうに窪ませて充填して、その上から薄い金属製のライナーが被せてあります。」

「何のために?」

細かい原理はどうでも良いのだが、まあ、知っておいて損は無いだろうと思って訊ねた。

「この爆薬に点火すると、爆発によって生じる高温高圧の燃焼ガスとその燃焼で溶解したライナーが、まるでレンズで光を集めるように1点に集中して鋼鉄の板でも簡単に焼き切って穴を開けるの。ノイマン効果と言います。」

「穴を?」

「そう、で、その穴から残りの燃焼ガスが中に向かって激しく吹き込むわけ。」

「それでミサイルの固形燃料が燃え出すわけですか。」

「そういうことね。」

その説明に、サーリムは懸念を表明した。

「それで、ミサイルが飛んでいってしまったりしませんか?」

タチアナは、穏やかに説明する。

「側面から点火されて不正規燃焼を起こすわけですから 、まともに飛ぶ事はありません。もし万が一サイロの蓋を突き破って飛び出すような事があっても、ケンジントンまで飛んで行く事は絶対にありえませんから、安心して頂戴。それから、」

そう言って、赤いカプセルの入ったビニール袋を取り出す。

「これが接着剤です。このカプセルを、カップのふちとミサイルのケーシングの間に挟んで、そのまま押し潰せば、カプセルの中身が空気に触れた瞬間に固まってくっつきます。ただし、」

タチアナは、人差し指を立てて続ける。

「このカプセルはものすごく強力な接着剤なので、注意してね。うっかり潰すと大変な事になるわよ。」

「そんなに凄いんですか?」

「ええ、もう20年以上前に、まだ小さかった私の息子がこのカプセルを踏んずけちゃった事があるの。」

「どうなったんです?」

タチアナは、悪戯っぽく笑った。

「ウチの居間の床には、今でも子供靴の靴底が張り付いているわ。」


「ところで、」

そう言いながら、サーリムは天井の隅に視線を投げる。

「監視カメラは大丈夫ですか?」

タチアナは、安心させるように言った。

「その点は大丈夫。無名氏が手を回してくれたわ。」

「どういうふうにやったんです?」

この点は確認しておかねばならない。

サーリムは、個人の識別はその所持するPDAで、無線通信か何かを経由して行っていると想像している。

そうであれば、PDAを置いて行く事も検討する必要がある。

「前提として、監視カメラの映像は係員が直接目で見てるわけじゃなくて、コンピュータが映像をデジタル処理をして識別するの。」

「識別というと、人間の外見をコンピュータが見分けるんですか?」

コンピューターの性能に関する様々な伝説は、今でもあちこちに残っている。

曰く、一億桁の素数を一瞬で算出した、全世界の粒子の運動を完全にシミュレートして見せた、世界中のあらゆる場所から特定の人物をリアルタイムで見つけ出した等々である。

超高速での計算が可能であれば出来そうな物から、物理的にあり得ない物まで色々伝わっているが、実際の所はその両極の間のどこかに事実と空想の境界があるのであろう。

その境界がどこにあるのかはサーリムの理解の埓外にあるが、何万人という人間を外観という曖昧なデータから全て個別に識別するというのはちょっと出来そうな気がしない。

「実際はもう少し複雑ね。まず静的な外観つまり身長や体格、顔の造作をベースにして、その上に動的な外観つまり、歩くときの重心移動パターンや、手足の振り出される速度なんかを数値化したものを、パーソナルデータとして登録してあるの。そして、カメラの映像をそのパーソナルデータと比較して人物を同定するわけ。」

正確に理解できているとは思わないが、まあ、概略は判った。

「で、まず第一に、あのカメラは心配ないわ。我々はプライバシーを尊重しますから、プライベートスペースのカメラは、コンピュータが異常と判断しない限り、オペレータのモニタに表示しないし、記録もされません。」

それで、タチアナが堂々とカメラの下で作戦の話をする理由が理解できた。

「で、PDAに特定の人物のパーソナルデータ識別コードを登録すれば、相手の位置がリアルタイムに表示されるのよ。ほら、こんな具合に。」

タチアナが見せたPDAには地図が表示され、その通路上にプリップ(輝点)が点滅しながらゆっくりと移動している。

そのプリップには小さなフキダシが付随しており、フキダシの中には子供靴の絵が表示されている。

「これは、私の息子の現在位置よ。」

「この靴は何なんですか?」

いかにも意味のありげな絵である。

「識別用にパーソナルマークをつけているの。私は居間の靴底を見るたびに息子の顔を思い出すから、息子のパーソナルマークを子供靴にしたのよ 。」

「こうやって、誰でも常時監視する事が出来るんですか?」

そうだとすれば、大問題である。

大丈夫だと言われても、そう軽々に信じる訳にはいかない。

「基本的に 、現在位置情報は相手がパブリックスペース内に居る間しか取得できません。それに、識別コードの登録は相手の承諾を得てからするのがマナーです。」

「では、私達のパーソナルデータを消去するとか?」

タチアナは軽く笑いながら頸を振った。

「既知のパーソナルデー タに全く合致しない人間が歩いていれば、即座に警報が鳴ります。そうならないように、特別なプログラムを作って潜り込ませてあるの。 そのプログラムは、貴方達のパーソナルデータが入ってきたら表示ロジックを迂回するように働きます。だから、貴方達は監視カメラ情報上は透明人間も同然なのよ。」

そう言った後、冗談めかした口調で続ける。

「ただし、本当に透明になっているわけじゃありませんからね。」

真面目な表情に戻って付け加える。

「特に生活保安部の職員には気をつけて。彼らは常に全員を監視対象にしていますから、目の前の人物がPDAに表示されていなければ当然疑われます。」


「それでは、これから出発しましょう。」

サーリムは荷物をナップザックにまとめると、そう言って立ち上がった。

すると、それまで黙って聞いていたレイが立ち上がり、おずおずと口を開いた。

「あの…」

サーリムは、レイに向き直ると、

「本当に世話になったね。君にはいくら感謝してもしきれない。」

そう言いながら、右手を差し出した。

ところが、レイはその手を取ろうとはせず、じっとサーリムの目を見詰めている。

「なんだろう?もう会えないかも知れないから、言いたい事は言った方が良いよ。」

「僕も連れていって下さい!」

レイは叫ぶように言った。

「レイ、何を言うの。貴方は…」

タチアナがレイを窘めようとしたが、サーリムは右手でそれを制した。

「レイ、これから私が行く所は極めて危険な場所であり無事に帰れる保証は全く無いし、仮に生きて戻る事が出来てもまず只では済まない。その事は分かっているのかな?」

サーリムは、諭すように穏やかに問い掛けた。

「勿論です!」

視線を逸らす事なく、レイはきっぱりと答えた。

「何故行きたいんだい?」

サーリムが尋ねると、レイは真剣な表情で説明する。

「僕の尊敬する人がもしここにいれば、必ず行くはずです。でも、その人は今は動く事ができません。だから僕が代わりに行くんです。」

サーリムは、レイの純真な眼差しを正面から受け止め、その瞳の奥を覗き込むように見つめた。

やがて、何かを決意した表情で短く言った。

「よし。」

タチアナが慌てて、叫ぶように言った。

「ちょっと待ちなさい!冗談じゃないわ!こんな子供を連れて行くなんて一体どういうつもり?」

サーリムは穏やかに笑って言った。

「彼の目には立派に『男の光』が宿っています。もう彼は子供じゃありませんよ。」

レイはそれを聞いて、嬉しそうに歯を見せた。

「やれやれ」

タチアナは肩を竦めて見せた。

「貴殿方『男達』っていつでもそうなのよね。『男の光』ですって?そんな訳の判らない物に、子供の命を掛けて当然だと思っている訳?」

「ターニャ、男にはやらなければならない時が…」

そう言いかけたサーリムを遮って、タチアナは畳み掛ける。

「御大層な言い様だけど、黙って帰りを待たなきゃならない女達の気持ちを考えてみた事があるの?」

そう詰問されると、サーリムには返す言葉が無かった。

しばらく三人は無言で向き合っていた。

やがて、タチアナは大きく溜め気を吐くと、言い放った。

「とにかく二人とも無事に帰ってくると約束しなさい。でないと絶対に認めません!」

「勿論、無事に帰ってきますよ。」

そう言ってサーリムはレイの方を振り返った。

「なぁ、レイ。」

少年は、決意に口許を引き締めて肯いた。

「約束を破ったら、絶対に許しませんからね。」

タチアナの念押しに、 サーリムは肯いた。

そして、ふと思い出したようにジャンプスーツのファスナーを開き、首に掛っていた紐をはずすと、皮袋を引っ張り出した。

「これは私の感謝の印です。受け取って下さい。」

差し出された袋を見て、タチアナは色をなした。

「何言ってるの!形見分けでもしてるつもり?縁起でもない。」

サーリムは、宥めるように両掌を拡げた。

「とんでもありません。純粋に感謝の気持ちを表しているだけです。」

タチアナは、ふっと表情をゆるめた。

「分かりました。これからあなたたちの行く所では邪魔になるかもしれませんから、私が預かりましょう。」

そう言って、袋を受け取った。

「良い事?『預かる』だけですからね。あなたたちが帰ってきた時にお返ししますから、お礼については、その時にもう一度お話ししましょう。」

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