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黄昏の彼方に 第三部『崑崙』  作者: ろ~えん
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第七話 提案

生活安全部・保全課長シャオイン・HBBA001は手元のPDAに目をやった。

もうすぐ5時だ。

今日は珍しく緊急の作業がなかったので、定時で帰れそうだ。

今週はいつもにも増して忙しく、連日の深夜残業の上に、昨夜はとうとう徹夜になってしまった。

妻の食事の用意は全て無駄になってしまったが、よく文句も言わずにやってくれている、とシャオインは常に感謝している。

その時、呼出音が鳴った。

シャオインは手元のPDAを取り上げ、表示を見る。

最高指導部議員か、偉いさんだな、と気が進まないまま着信を選択した。

「はい、こちらシャオイン・HBBA001です。」

「シャオイン君、あの件はどうなっておるのかね?」

「あの件とおっしゃいますと?」

議員はあからさまに不快を示す表情でと吐き捨てるように言った 。

「児童エリアの廊下の天井の水漏れだ!まだ直っておらんそうじゃないか!」

「あ、はい、あの件につきましては、只今調整中で…」

議員はそう答えるシャオインの言葉を遮るように割込んで

「子供は我々の未来なんだぞ!それを蔑ろにするなぞ、許される事ではない!」

と一気に捲し立てた。

「勿論理解しております。もうすぐ手配できる予定ですので、ご安心下さい。」

「そう願いたい物だな。」

そう言って、通話は一方的に切られた。

シャオインは、傍らの係長を振返ると尋ねた。

「何であんな所に御執心なんだ?」

係長は苦笑しながら答える。

「お孫さんが、保育部に居るんですよ。保育部は大食堂へ行くのに、毎日あそこを通りますからね。多分お祖父ちゃんのカッコいい所を見せたいんでしょう。」

「まぁ、そんな所だろうな。で、何とかなりそうか?」

係長は首を左右に振りながら答える。

「どうにもなりませんね。」

そう言って、PDAを操作して手元に表示された情報を見ながら続ける。

「あの水漏れの原因は、天井裏を通っている冷却水パイプの断熱材の劣化による結露です。どうせ放って置いてもこれ以上困った事になりゃしません。」

他に、もっと急ぐべき作業はいくらでもある、と言いたい訳だ。

「それは判るが、『我等が敬愛する最高指導部議員殿』は納得せんだろ う。」

と、その不満に同調する様に、殊更に揶揄するような口調で言う。

「まぁ、そうでしょうね。しかし、直すとなると、あの廊下の端から端まで全部やり替えになりますよ。」

係長は、不満を訴えてもシャオインを困らせるだけなので、冷静に事実だけを指摘した。

「人手が足らないか。」

シャオインがすまなそうに言う。

「人手については、時間外勤務でやってもらうしかないでしょう。貴方の頼みだと言えば納得すると思いますよ。しかし、資材の方はどうしようもありません。断熱材は何とか足ります。床の染みは、張り替え用の床材がないので、サンダーで磨いて誤魔化す事になるでしょう。でも天井板はそう言う訳には行きません。作業をするためには剥がさざるを得ないし、釘で打ち付けてあるので、剥がしたら再利用できません。今年度の出庫分は、大半使ってしまいました。手持ちの部材では、あの廊下の1/3が良いとこですね。」

「資材か…」

シャオインは頸を捻った。

「管理部に掛け合って追加出庫できませんか?」

「そうなると部長承認が要るな…」

シャオインが口篭もる。

「いいかね、キミの借りは、このワシの借りなんだぞ。そこの所をちゃんと判っておるのかね?」と言うエドガー部長の不機嫌そうな声が聞こえる様な気がする。

生活安全部は、警備課と保全課という全く性質の異なる二つのセクションから成っている。

警備課の職務は治安の維持であり、保全課の職務は設備の維持である。

創設者達は、科学者らしい割り切り(又は無頓着さ)から、広く住環境の整備・維持で大きく纏めて、この二つの職務を一つの部とした。

彼等から見れば、科学の方舟においては、科学に直接関係しない管理は余計な仕事であり、些事に過ぎなかったのだ。

その結果、ピストルを提げる警備課員とハンマーやドライバーを提げる保全課員が同じ部に所属するという、奇妙な事態となっている。

当然、この二つの課の職務には全く共通点は無く、課同士の人員の交流も殆ど無い。

そして、部長であるエドガーの軸足は警備課に置かれており、保全課はややもすれば継子扱いされる。

この点は、別にエドガーに限った事ではなく、昔からそうであった。

だから、過去に保全課から生活安全部の部長が出た事は無い。

しかし、権力志向の特に強いエドガーは、崑崙で最大の武装勢力である警備課(崑崙で他に武力を持っているのは、公式には外世界と接触する必要がある外交部だけであるが、正体不明な特殊営繕課も、どういう理由でか非公式に武力を保持していると信じられている)に強い執着を抱いており、その分保全課は蔑ろにされがちである。

また、異常な程に権力欲が大きいエドガーにとって、部下が他部門に借りを作る事は、 エドガー自身が頭を下げる事であり、到底プライドが許さないのだ。

特に相手が官僚的姿勢丸出しの管理部であれば、尚更である。

なにしろ向こうは、追加出庫願い書が出ると一々依頼側の最高承認者(この場合は勿論部長のエドガーだ)に確認連絡と称して、チクチクとイヤミを言うのである。

エドガーは絶対承認せんな、そう思ってシャオインは首を振った。

「しかし、天井を剥がしっぱなしという訳にも行かんでしょう。」

そう言われてシャオインは、しばらく考え込んでいた。

特殊営繕課に相談するしかないか…、そう思いつつも、気は進まなかった。

特殊営繕課とは、最高指導部議長に直属する(形式上は)営繕部門であ る。

生活安全部の保全課とは業務が重複しているが、『営繕』は隠れ蓑であり、本当の職務が核ミサイルのメンテナンスである事は、ある程度の地位に居る人間にとっては公然の秘密であった。

しかし、建前とはいえ、営繕作業が職務の一部である事は事実だし、最高指導部議長の直属機関である事から、資材も潤沢に手配され、何かと融通が利くのでもあった。

いつ頼んでも「困った事があれば、いつでも声を掛けて下さいよ。」と言ってにこやかに笑い、気軽に引き受けてくれる特殊営繕課長の表情を思い浮かべる。

今年もその好意に甘えっぱなしで、随分と頼み事をしている。

シャオインは借りを忘れる男では無いが、借りを返す機会もなく、積み上がる一方の負債の山を思うと気が重かった。

暫く逡巡していたが、やはり他に手は無さそうだ。

決心を固めると顔を挙げ、PDAに手を伸ばした。

すぐに相手が映る。


呼出音がして、デヴィッド・MCCA001はPDAを見た。

保全課のシャオインだ。

お得意様は大事にせんとな、とデヴィッドは一瞬で屈託の無さそうな表情を作り、PDAをクリックした。

「はい、デヴィッド・MCCA001です。」

「こちら、シャオイン・HBBA001です。」

画面に映る人の良さそうな顔は、眉根が下がり困り果てているといった風情である。

もっとも、この男が仕事で掛けてくるときは、いつだってそうなのだが。

「今日はどうしました?」

あくまでも、気楽な調子で訊ねる。

シャオインは借りを忘れるような男ではないので、変に負担を感じさせて借りを作る事を躊躇わせては旨くないのだ。

「実は…」

シャオインは、手短に事情を説明した。

シャオインは言いにくそうに、

「そう言う訳で、資材に余裕があれば融通して…」

と言いかけたが、デヴィッドはにこやかに遮ると

「それはお安い御用ですが、人手は大丈夫なんですか?」

と返した。

「まぁ、そちらの方は何とか…」

口篭もるシャオインに、

「作業はこちらの人員でやっておきましょう。ただ、そちらで作業したような形は整えておかないとまずいでしょうから、そちらから1人立ち会いを出して下さい。あと作業報告書が出来たら送りますから、承認は全てそちらでやって下さい。」

シャオインの表情が明るくなる。

「それは有り難い。この借りは必ず返させてもらいます…」

そう言いかけるのを遮ってデヴィッドが言う。

「何をおっしゃるんですか。我々は、たまたま今の立場が違うだけで、同じ『 公共の福祉』に奉仕する、いわば戦友ではないですか。戦友の間で貸し借りなんて物は有り得ませんよ。」

デヴィッドが続けて

「それよりも、早い方が良いでしょう。そちらの立ち会いの都合がつくなら、今すぐにでも片付けたいですね。」

と言うと

「 判りました。すぐに行きます。」

とシャオインが答えた。

「結構ですね 、それでは現場で30分後に。」

PDAの接続が切れたのを見て、デヴィッドは振返る。

「今見た通りだ。悪いがすぐに人数と資材を揃えて、現場に行ってくれ。できるだけ丁寧にやってくれよ。」

「判ってますよ。『お得意様』は大事にしませんとね 。」

そう言って笑い返すと、係長は出ていった。

勿論、デヴィッドはいずれ時がくれば借りを取りたてるつもりであった。


通話を切った後、シャオインは明るい表情を見せ立ち上がった。

係長の方を向いて言った。

「これから行ってくる。今日はもう戻らないから、 後はよろしく頼むよ。」

すると係長は、

「課長が行かなくても良いでしょう。」

と言ったが、シャオインは

「私が頼んだんだから、私が行かなきゃ失礼になるだろ。」

と答えた。

しかし係長は、反駁する。

「別に課長が頼んだ訳じゃありません。頼んだのは『生活安全部・保全課』であって、保全課の人員ならだれが行っても失礼なんて事はありませんよ。」

「そうかもしれんが、みんな忙しいわけだし…」

シャオインがなおも躊躇いを見せるのを、係長は遮った。

「一番忙しい人が何を言ってるんですか。立ち会いは私が行きます。とにかく今日は帰って奥さんの手料理を食べて、ゆっくり寝て下さい。」

そう諭した。

シャオインは少し逡巡したが、やがて言った。

「それでは、すまないが好意に甘えさせてもらうよ。」

そして帰り支度を始めた。


長時間に渡ったパオロの説明が終わり、ようやく一息ついた頃に、再びトゥートンが入ってきた。

「一通りのレクチャーは終わりました。」

パオロがそう告げると、トゥートンは満足げに頷いた。

パオロは立ち上がると、そのまま一礼して出ていった。

トゥートンは、入れ替わりに座ると、口を開いた。

「さて、長々と話を聞いてお疲れだろうから、手短に行こうか。」

そう言って、テーブルの上で両手を組んで言った。

「まず、現在のケンジントンの状況を教えておこう。」

その言葉に、サーリムは思わず身を乗り出した。

「現地の時間で一昨日の夜に、炎の剣はケンジントン市街に突入した。現在ケンジントンのセンター地区は、炎の剣の制圧下にある。」

青ざめたサーリムの顔を見ながら、トゥートンは続ける。

「例外は禁書館だけだ。最高賢者のケネスと、崇高賢者のアリソンとプロメターが、ガーディアンを引き連れて立て籠って居る。」

サーリムが慌てて訊ねた。

「SI局長は、どうなりました?」

「恐らく一緒に居ると思われる。」

サーリムの口から、安堵のため息が漏れた。

「だが、ケネスの反攻の呼び掛けは効を奏していない。このままでは、落城は時間の問題だろう。そうなれば、ケンジントンは、いや、連邦政府は完全に炎の剣の支配下に置かれる。」

そう言って、サーリムの反応を確かめるように、一呼吸置いた。

「所でサーリム君。我々は、禁書館戦争以来ずっと君を観察してきた 。」

プロメターの正体を知った時点で、その事はある程度予測が着いていた。

「今の世界について、君はどう思うかね?」

「どう、といいますと?」

抽象的な質問に、意図を読みかねたサーリムが反問すると、トゥートンは、具体的な言い方で問い掛け直した。

「今の連邦政府は、世界を破滅から救う事が出来ると思うかね?」

取り合えず、謎かけをする積りは無さそうだが、とても答えようの無い問いである点は変わらない。

「私には、どうにも判断しかねます。」

トゥートンは、唇の端を吊り上げて、皮肉そうな調子で言った。

「本当にそうかな?君ほど聡明な人物が、事態を理解していないはずは無いと思うがね。」

「どういう事ですか?」

サーリムは、再度反問せざるを得なかった。

「このまま現行の政府に任せていれば人類の滅亡は不可避であり、また、炎の剣の蹂躙に任せれば世界はその膝下で奴隷化されてしまうと言う事くらいは、理解しているだろう。」

「仮にそうだとして、私にどうしろと?」

判っているなら敢えて聞く必要は有るまい、と思いつつ訊ねる。

「我々には、君達に科学技術を提供する用意がある。ただし、現行政府の様な石頭でも炎の剣の様な支配欲の肥大化した怪物でも無い、もっと理性のある指導者にね。例えば君のような。」

サーリムは苦笑した。

「随分と私を高く評価していただいているようですが、残念ながらそれは買いかぶりですね。それに、そもそも私は指導者では有りませんし、今後も指導者になる予定は有りません。」

トゥートンは、表情を変える事無く続けた。

「確かに現在の君が指導者でない事は事実だが、今後もそうだとは限らんよ。」

結局謎かけなのか、と内心うんざりしながら指摘する。

「ケンジントンでは、SI局に限らず科学技術に手を染めている人間は、全て潜在的パリアなんですよ。それは、今後も変わるとは思えませんね。」

「君達の現在の地位がそういう物である事も、充分に承知しているよ 。ただ、今後もそのままとは限らないさ。」

更に謎かけは続く。

「ケンジントンの石頭共が一掃されない限り、それは有り得ませんね。」

その言葉に、トゥートンは笑いながら言った。

「良く判っているじゃないか。だからもう直ぐケンジントンの『石頭共』が居なくなるんだよ。」

その答えは、嫌な話に繋がりそうな予感がして、思わず強い調子で訊ねる。

「どうやって?」

「ケンジントンが蒸発すれば、石頭共も居なくなるのは道理だろう。」

その答にサーリムは、ここが元々何の施設であったかを思い出した。

「そんな、まさか・・・」

トゥートンは、大人風の笑みを浮かべながらもその目は笑っていなかった。

「『偶然』にも、今全ての監査官がケンジントンを出払っている。ケンジントンが消滅したとき、世界を指導できるのは監査官だけだろうし、そのトップになる予定の君が、最高賢者に就任するのは、何ら不自然な事ではないと思うがね。」

最悪の予想が的中してしまった事に衝撃を受けて、石のように黙り混むサーリムに、トゥートンは穏やかに声を掛けた。

「今すぐに返事をしろとは言わない。部屋に戻って一晩考えて見てくれたまえ。」

それだけを告げると、トゥートンは席を立った。

入れ替わりにレイが入ってくると、押し黙ったままのサーリムを促して部屋を出た。

二人が食堂に入ると、タチアナが待っていた。

三人は食事を始めたが、サーリムは機械的にフォークを口に運ぶだけで、タチアナが何を話し掛けても返事をしなかった。

気まずい雰囲気のままで食事が終わり、タチアナはそのまま食堂に残った。

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