第十二話 突撃
サーリムは、エピメターに説得されて引き下がると、すっかり忘れていたパオロからの餞別の事を思い出した。
その事で改めて、その存在を忘れていた事自体が、PTSDによる潜在的な自殺願望の証拠であると認識せざるを得なかった。
サーリムは、荷物の山を必死に掘り返して、それを探し始めた。
突入用の機関車2両と客車の装甲が終わった。
テレンスは、夕べの内にエピメターの許に赴き、自らの正体を明らかにした上で、突入を自分に任せる様に申し入れた。
他の志願者を押し退けて自分を選ばせる為にはそれが一番早かったし、そうする事で、自分が死んだ後でも特殊営繕課の影響力を確保できると判断したのである。
予想通り、既にアストン以外にも10人以上の志願者がいた。
観察力の鋭いエピメターは既にテレンスに何かを感じていた様で、正体を明らかにしても特に驚きはしなかった。
その上でプロに任せるのが合理的な判断であると理解して、テレンスを選んだ。
全ての準備が完了した今、テレンスはエピメターとアストンに見守られながら、カミカゼ機関車の運転席に上るタラップに足を掛けた。
アストンは何か言いたげな様子であったが、何も語らなかった。
エピメターは、その背中に向けて言った。
「貴方の志願を心から感謝します。片付いたら朝まで飲みましょう。」
テレンスは、手すりに手を掛けたまま振り向くとニヤリとした。
「奢りですか?」
エピメターは、弾けるように笑った。
「勿論私の奢りですよ。店を借りきって朝まで騒ぎましょう。」
その時、遠くから叫ぶ様な声が聞こえた。
「ちょっと待って!」
その声に三人が振り向くと、サーリムが何か黒い物を振り回しながら走って来る。
彼等が怪訝そうに顔を見合わせている間に、サーリムは走り寄った。
その手に握られているのは、艶やかな黒い糸で織り上げられた分厚いベストだった。
怪訝そうなテレンスの鼻先に、それをつき出す。
「これを着て行って下さい。役に立つかも知れません」
テレンスは、すぐにそのベストの正体を理解した。
それは、アラミド繊維で織られた防弾ベストであった。
貫通力の高い小口径高速弾には弱いので自動小銃には歯が立たないが、拳銃クラスの低速弾なら食い止める事が可能である。
銃の威力は、概ね弾頭の重量と速度の積で表される。
そして必要以上に大きな威力は使い勝手を悪くするだけなので、自ずからその積の上限は決まる。
また、弾頭は細い方が空気抵抗による速度の損失が減少し更には貫通力も上がるので、十分な速度を得られるなら口径は小さくなる傾向にある。
燃焼速度の高い無煙火薬を使用する近代銃に関しては、薬量を増やす事で弾丸の速度を上げる事が出来るが、その上限は弾丸が銃口から飛び出すまでに燃焼し切れる量であり、それ以上はいくら薬量を上積みしても銃口から弾丸を追って無駄に燃焼ガスが噴出するだけである。
従って、銃身が短い拳銃は薬量の上限も相応に低いので、無煙火薬とはいえその速度は低めとなる。
だから、長い銃身で火薬の性能を十分に引き出す事が出来るライフルに比べて弾頭重量で威力を稼ぐ必要があるので口径が大きくなるのだ。
そして、彼我共に(サーリムの部隊を除いて)使用しているライフリングの無い前装填のライフルもどきは、燃焼速度の低い黒色火薬を使用しているためそもそも薬量の多寡に関係なく弾丸の速度が低いので、運動エネルギーを確保する為に弾を重くする必要があることから口径を大型拳銃以上に大きくとってある。
つまり、このベストが最も得意とするジャンルの弾丸なのだ。
これがあれば生還の確率が格段に上がる、とテレンスは前途に微かながら希望を見出だした。
「ありがたく使わせてもらいます。」
テレンスは、ベストを着込むために一旦タラップから降りる。
テレンスが腕を通している間に、三人は両脇のベルトを締め上げバックルを留めてやった。
ベルトが締められると、テレンスは右の肋骨の下に軽い圧迫を感じたが、上体を捻ってみて特に違和感を覚える程ではなかったので、良しとする事にした。
彼は着終わると、プロらしく自分で各所の緩みやズレが無いことを丁寧に確認し、最後の調整をした。
再びタラップを上がり運転席に入った時、アストンは一歩前に出ると無言で拳を突き出した。
テレンスも無言で拳を突き出し、二人は拳を合わせてニヤリと笑った。
「それでは、行って来ます。」
三人は、背筋を伸ばし踵を合わせて敬礼した。
彼は右手を上げ、敬礼を返した。
重い急拵えの鉄の扉が閉まり、内側からラッチを掛ける小さな音がした。
鋭い汽笛が響き、機関車はゆっくりと走り出した。
「さて、我々も出発の用意をしましょうか。」
エピメターの声に、サーリムは無言で頷いた。
二人は直立不動の姿勢で機関車を見送るアストンを残し、輸送車に向かって歩き出した。
テレンスは、正面の小さな覗き窓から前方を窺いつつ速度を上げる。
元々大きく空いていた窓は鉄板で塞いであり、その鉄板の中央に監視用の小さな覗き窓を設けてあるのだ。
じきに機関車は巡航速度に達したので、出力を絞る。
障害物は全て最後の直線に並べられているので、その手前まではさほど速度は必要ではない。
余り手前から速度を上げるとカーブで脱線する恐れがあるので、逸る気持ちを抑えて慎重に運転する。
ベルナールはケンジントン駅の駅長室で、デスクに足を載せ天井を見上げつつ苛立ちを感じていた。
ケネス一行が禁書館に入るのを阻止出来なかった事で、アルフォンスの不興を買ったために、後方に廻されて駅に詰める事となった。
ただし、その事自体はむしろ好都合だと思っていた。
核攻撃の前に課長のミハイルから事前連絡が入る約束なので(実際にはミハイルはそんな約束を守る気は無かったが)その時点で脱走する予定であったため、中央広場の本隊から逃げるよりはかなり楽に脱出できそうである。
始めは、脱出前にアルフォンスにだけそっと教えて、彼が望めば連れて逃げても良いと思っていた。
何しろ、ローティーンであったアルフォンスの養育係になってから、20年近くもずっと仕えてきたのである。
教団の再編成に忙殺されたアルフォンスの父や、早くに死んだ母の代わりに、ベルナールが育てて来たと言っても過言ではない。
勿論それはエドガーからの命令であり、その指示通りにアルフォンスは手のつけられない程に自我の肥大した糞野郎に育った訳だが、それでも、情が移るのは否定できないわけで、そのためにも傍に控えているべきだと考えていた、あの日までは。
ケネス一行を取り逃がしたと報告した際のアルフォンスの仕打ちは、愛想を尽かすには十分であった。
彼は最早、自分一人で逃げ出す事に全く躊躇いを感じなくなった。
自分が逃げた後で、事態を呑み込めずに呆然自失となっているうちに蒸発してしまうであろうその姿を想像すると溜飲が下がる程である。
そうして今か今かと脱出命令を待っていたのだが、何故か崑崙と連絡が着かなくなってしまった。
2週間程前にイフリーキアの軍勢が参戦するという警告を警備課から受け取った後、ベルナールのPDAは『アカウント凍結中』のメッセージを表示したきり、うんともすんとも言わなくなったのである。
これはつまり、彼が崑崙から切り捨てられたという事である。
崑崙で何が起こったのかは皆目見当が着かないが、もう恐らく崑崙にはベルナールの戻る場所はあるまい。
ともかく、今後の身の振り方を決めなくてはならない。
そこにノックが響く。
「マルタン様、宜しいでしょうか?」
「何だ?」
ドアが開き、駅守備隊の隊長であるカミンスキーが入ってくる。
「どうした?」
「正体不明の機関車が走って来ます。」
「補給の連絡はあったのか?」
「いいえ、それにそいつは何も引っ張っていないので、補給では無いようです。こちらが手を振って合図をしても返答がありません。」
「それで、どう対応したんだ?」
「それを伺いに参りました。」
こいつは何を悠長な事を言っているんだ、この局面で連絡も無しに疾走して来るなら敵に決まっているではないか、こいつらには自分で考える頭が無いのか。
ベルナールは、頭に血が昇るのを感じた。
「何をのんびりしている!さっさと迎撃せんか、馬鹿者!」
カミンスキーは弾かれるように飛び出して行った。
その後ろ姿を見送りながら、ベルナールは考えを巡らせる。
鉄道は自分達の唯一の補給路である。
だからそのアクセス口である駅の確保のために、わざわざ二番目に優秀なカミンスキー隊(最も優秀なシュルツ隊はアルフォンス自身が手元に置いている)を投入している訳だが、そのカミンスキーにしてこの有り様である。
尤も、その判断力の無さを責めるのは酷かもしれない。
自我が肥大しており気まぐれで堪え性の無いアルフォンスの元では、自律的な判断力を発揮するのは、むしろ危険な場合があるのだ。
何であれ一々上に追従と共にお伺いを立てるのが炎の剣における処世術であり、それが習い性となっている者だけが無事に生き延びて出世できるのである。
とはいえ、この緊急事態でもその癖が抜けないとなると、余り笑えない状況である。
これは、早めに見限った方が良さそうだと思えて来た。
フェンスに沿ってレールがゆっくりとカーブを描いている。
もうこちらの接近には気付いている筈だが、特に何も起こらない。
しかし、いつ攻撃が始まるか判らないので、出来るだけ早く走り抜けるに限る。
テレンスは蒸気弁を開き、速度を上げた。
といっても、余り速度を上げすぎると、脱線してしまう。
ここで脱線してしまっては、線路が使用不能となり攻勢が頓挫する。
そうなれば全ての準備が無駄になるし、勿論禁書館の籠城部隊もおしまいである。
逸る気持ちを必死に抑えつつ、速度に余裕を持たせる様に調整した。
側面に取り付けた急拵えのドアには、覗き窓が付いていない。
基本的に横を見る必要は無いし、第一わざわざ敵に向けて必須でない開口部を設けるのは、ただの自殺行為である。
テレンスは、扉を開けて敵の様子を窺いたかったが、いつ射撃が始まるか判らない状況を意識して、辛うじて自制した。
やがてカーブが終わり、がらくたのバリケードで要塞の様になったケンジントン駅が正面に姿を現した。
「よぅし、行くぞ!」
テレンスは自分自身を励ます様に声を掛けると、蒸気弁を全開にした。
その時、右のドアが甲高い金属音を上げた。
それを無視して、前方のレールを塞ぐ様に置かれた逆茂木を凝視する。
「さぁ、おいでなすったぞ!」
そう言って、左手で蒸気弁を全開に保持したまま、右手で衝撃に備えて手摺を固く握った。
続いて散発的に金属音が響いたかと思うと、ドアが耳を聾せんばかりの音をたて始めた。
覗き窓から見る前方のボイラーは、至るところで弾着の火花を散らしている。
最早個々の弾が立てる音を識別する事は出来ない。
大きなシンバルを頭に被って、数人がかりで連打されている様な気がしてきた。
みるみる内に逆茂木は接近し、ボイラーの陰に隠れた次の瞬間には木の欠片が盛大に飛び散るのが見えた。
殆ど衝撃は感じられなかった。
この機関車は、元々12トン以上の重量を持っている。
それに急ごしらえの防弾鈑を貼り付けた事で、その総重量は15トンに迫る物となっており、全力で疾走する機関車の重量の前には逆茂木など物の数ではない。
機関車は、全く減速する事無く疾走を続ける。
ふと右手のドアに目をやると、かなり厚みがある筈の鉄板のあちこちが内側に向かって膨らんでいるのに気付き。背筋がひやりとした。
向こうの銃の性能を考えればそう簡単に撃ち抜かれる事はあるまいが、何しろ急ごしらえ(装甲用に滲炭された鋼板を手配する暇は無かったので、厚いだけのただの軟鉄の板だと聞いている)のため万全は期しがたい。
最後まで保ってくれる事を祈るしかない。
その点は気にしても仕方が無いので、再び視線を前方に向ける。
次の逆茂木も、あっさりと砕け散った。
その時、フェンスを飛び越えて前方に飛び出して来る兵士たちが見えた。
これは良い兆候である。
現状では、銃程度の得物で機関車に立ち塞がる事に意味は無い。
フェンスの向こうから射撃しても大差は無いのだから、こうやって散発的に飛び出して来る事自体、彼等が冷静さを失っている事を示している。
線路の脇に立った男達は、決死の表情で銃を構える。
テレンスは、汽笛のストラップに手を掛けた。
勿論、汽笛自体は物理的には何の意味もないが、それでも相手が冷静さを失ってくれれば、それだけでも大きな効果と言える。
第二次大戦時のドイツ軍は、急降下爆撃機に威嚇のためのサイレンを装備していた。
爆弾を抱えて目標に向かい急降下する際に響き渡るその音は、地獄のサイレンと呼ばれ英仏の兵士の間に大きなパニックを惹き起こした。
極度の緊張状態では、ただの大きな音が想いも依らぬ効果をもたらす事もあるのだ。
テレンスはその故事に倣い、汽笛を勢いよく鳴らした。
前方で銃を構えていた男達は、その音に一斉に飛び上がると算を乱して逃げ始めた。
見る間に、三つ目の逆茂木が砕け散り、ゴールとなるバリケードまでの線路上がクリアとなった。
「よぉし、このまま行くんだ。」
正面に聳えるバリケードは、ありとあらゆるがらくたを稠密に組み上げた正に城壁と表現するに相応しい偉容を備えていた。
仮拵えとはいえ一ヶ月以上の期間があったのだから、準備万端となっているのはある意味当然である。
後は15トンの破城槌に期待するしかない。
テレンスは、ポケットから針金を取り出して蒸気弁を全開で固定した。
正面のバリケードの上からは、鈴なりとなった兵士たちがスコールの様に銃弾を浴びせかけて来る。
みるみるバリケードが視野の中で大きく膨れ上がってきた。
左側の扉を開くと、汽笛のストラップを引き千切らんばかりの勢いで引く。
その轟音に一瞬兵士たちが怯み、銃声が途切れた。
テレンスは自身を鼓舞する様に短く叫び声を上げると、一気に飛び出した。
体内を駆け巡るアドレナリンによって研ぎ澄まされたその感覚は、全てをスローモーションの様に見せた。
空中で体を丸め、前のめりに回転するその視野の端で、機関車が城門に突入するのが逆さまに見えた。
そのまま亀になったつもりで頸を下げ、左肩を上げて体を僅かに捻って着地の衝撃に備える。
期待通り左肩から着地すると、体を丸めてボール宜しくそのまま転がって行った。
下手に勢いを殺そうとすれば衝撃で思わぬ怪我を負いかねないので、転がりながら少しずつ運動エネルギーを消費するのが、この場合の正しいやり方である。
ただし、転がり続けられるだけの余地があればの話だが。
主観的には、ゆっくりと果てしなく転がり続けた様に思われたが、実際には、ほんの数秒で今機関車が突破していったばかりのバリケードにたどり着いてしまった。
転がりながらかなり減衰されたとはいえ、穏やかに静止するには大きすぎる慣性を残したまま、バリケードに衝突する。
激しい衝撃に途切れそうになる意識を無理に奮い起こして、がらくたを積み上げた壁の足許に両手でしがみつこうとする。
しかし、その左手は全く動かなかった。
着地の衝撃で肩をやってしまった様である。
とはいえこれは想定内の事態であり、利き腕を守るためにわざわざ左肩から着地したのだ。
右腕で目の前のがらくたを掴むと、体を思いきってバリケードに引き寄せる。
これでフェンスの向こうの兵士達からは、彼の背中しか見えなくなっている筈だ。
バリケードの真上の兵士達には横腹を曝す事になるが、その点は心配していなかった。
ライフリングの切っていない滑腔銃では、弾丸が銃身に引っ掛からない。
また、弾丸が銃身とピッタリのサイズだと、工作精度の関係で銃身内部で引っ掛かって銃身が破裂する恐れがあるため、弾丸の直径は少し余裕を持たせて小さめにする。
だからあまり下を狙うと、装填した弾丸が転がり出てしまうのだ。
恐らく上から撃ってくる事はあるまい。
不意に背中を棍棒でどやしつけられるような衝撃が加わり、肺の空気が一気に押し出された。
大きく噎せた後、激しく喘ぐ。
どうやら、見つかった様である。
防弾ベストを着ていなければ、背中に穴が空いていたところだ。
ベストはアラミド繊維で織り上げられているので、この程度の弾丸では貫通はしない。
しかし、ベストは弾丸が体に刺さらない様に食い止めるだけでその衝撃を吸収してくれる訳ではなく、衝撃自体はそのまま体に伝わってくる。
そのために、ベストの内側にはセラミックのプレートが入れてある。
このプレートが衝撃を広い面積に拡散してくれるので、殴られた程度の衝撃で済んでいるのだ。
とはいえ、元々セラミックのプレートは靭性が高い物ではなく、いつまでも衝撃を分散してくれる訳でもない。
むしろ、危険な程に大きな(あるいは鋭い)衝撃が加わった時には、割れる事でそれを吸収するのが前提である。
幸い今の弾はプレートを割る程の物ではなかったが、続けて撃たれれば、いつまでも無事でいるとは思えない。
そして、その割れ目に再度弾が当たれば、その衝撃は一点に集中したまま伝わってくる。
また、そうでなくてもプレートが割れて小さくなれば、衝撃の分散する範囲は小さくなり、体に伝わる衝撃はその分鋭くなって行く。
そもそもこのベストは、撃たれ続ける事を前提としていないのだ。
背中を棍棒でどやしつけられている様なショックが連続する中で、その時をまるで他人事の様に冷静に待っている自分に気付いて、思わず苦笑を漏らした。
ついに、プレートが割れるのを感じた。
このまま撃たれ続けていれば、やがて脊髄に損傷を受ける事になる。
テレンスは亀のように縮こまったまま、ひたすら最期の時を待つしか無かった。
その時、突然に背中の衝撃が止んだ。
何が起こったのか判らないままじっと固まっていると、上から声が掛けられた。
「おい、ティル。大丈夫か?」
恐る恐る顔を上げると、肩から自動小銃を下げたボランティア仲間の男が、右手を差し出していた。
その背後には、同様な装備の数人がこちらに背を向けて立っている。
フェンスの向こうの守備軍は、銃を先程出来たばかりのバリケードの開口部に向けて撃っている。
どうやら先行部隊が突入に成功した様だ。
「立てるか?」
テレンスは、その手を掴んで上体を起こした。
そのまま両足を動かしてみると、支障無く動いた。
両手を着いて立ち上がろうとしたが、左手は全く体を支える事無く左肩の方に倒れ込む。
男は背中から両脇に腕を差し入れて、テレンスを引っ張り起こした。
テレンスは立ち上がると、腰のホルスターに手をやった。
しかし、その手は空を掴んだ。
恐らく転がっている内に、どこかへ飛んでいってしまったようだ。
「その辺に俺の銃がないか?」
その声に全員が辺りを見回したが、それらしいものは見当たらなかった。
「とりあえず、客車の中に隠れていろ。」
そう言って男は、バリケードに開いた破口から中を覗く。
その背後からテレンスが身を乗り出して中を見ると、駅のホームに沿って、突入部隊用の客車が鎮座している。
その先頭の機関車の更に先には、大きくひしゃげた鉄の固まりが斜めに倒れている。
どうやら突破用の機関車は、バリケードを突き破った衝撃で潰れ脱線した様である。
それでも、後続の突入部隊を引き入れる事が出来るだけの余地を残してくれた。
テレンスは機関車に走り寄って、良くやったと誉めてやりたかった。
ホームを挟んで、客車と駅舎の中やフェンスの向こうからは、散発的な撃ち合いが起こっているだけであった。
突入部隊が積極的攻勢に出ないため、守備側は対応を決めかねて様子見の様で、散発的に射撃を行っているだけである。
男達は、守備側の注意が客車に集中しているのを確認すると、バリケードの陰から飛び出し、テレンスを囲むように姿勢を低く保って客車に走り寄る。
ホームの反対側にある乗車口から客車に乗り込もうとすると、中から手が延びてテレンス達を引っ張り上げた。
姿勢を低くしたまま、ヤンがにじり寄ってきた。
「ご無事でしたか。」
「ええ、飛び降りた時に左肩を痛めた様ですが、その他は問題ありません。それよりこちら側の応射が低調な様ですが、何か問題があったんですか?」
「大した事が無くてよかった。何よりもまず貴方を無事に確保するように、エピメターさんからくれぐれもと頼まれていましたからね。」
どうやら、突入成功後に制圧よりもテレンスの救出を優先した様である。
ヤンは片膝を立てて中腰の姿勢になると、窓の下半分を覆う鉄板の上から自動小銃を突き出した。
「よし、本気で行くぞ!」
その言葉に、駅舎側に座っていた男達が、一斉に同じ姿勢を取る。
「撃て!」
耳を聾せんばかりの銃声が響き、敵の最前列が一斉に仰け反りながら倒れた。
次の瞬間には、雨霰の様な応射が返ってくる。
突入部隊は、窓の鉄板を盾にしながら、冷静に守備軍を一人づつ撃ち倒していった。
カミンスキーは、焦りはじめていた。
対応が後手後手に回り、バリケードに大穴を開けられた上に、後続の突入まで許してしまったのだ。
大部隊が突入してくるのではないかと身構えたが、予想に反して、入ってきたのは、客車一両だった。
あれなら、精々100人程度だろう。
こちらは駅だけで500人が詰めている。
包囲してゆっくりと殲滅すれば良い、と一旦は安堵したのだが、その火力は、とても100人程度の物ではなかった。
忽ち前列が撃ち倒されてしまった。
慌てて総員に斉射を命じる。
駅のホームに硝煙が立ち込め、視界が利かなくなった。
ともかく撃ち続けて火力で圧倒するべきだと考えて、盲撃ちを続けさせた。
その時、今まで聞いたことの無い様な銃声が響き、目の前の兵士たちが、次々に吹き飛んだ。
その銃声は、まるでドラムロールの様に全く途切れる事無く続き、硝煙の霧からはショットガンもかくやという程の密度で、弾丸が飛び出し続ける。
しかも、その弾丸はショットガンと違い、その一発一発が当たれば即死する程の威力を持っている。
これは話に聞いたことのある機関銃という代物であろうと思い当たった途端に、膝が震え始めた。
そんな化物を相手にするとは聞いていない。
カミンスキーはある程度軍事教育を受けているので、中途半端ながら軍事史の知識もある。
史上初めて機関銃が大量投入された戦争は日露戦争だと言われているが、その際、機関銃で防備を固めるロシア軍に対して突撃を繰り返した日本軍は、膨大な死者を出している。
しかもカミンスキーの記憶によれば、その時日本軍は旧式なボルトアクションとはいえ『連発銃』を装備していた筈である。
撃つ度に火薬と弾丸を銃口から装填し直す必要のある前装式の単発銃しか装備していないこちらに勝ち目が有るとはとても思えない。
これでは、こちらから攻撃を仕掛けるなどとても考えられないと、目の前が暗くなり掛けたとき、カミンスキーは思い出した。
確かその日露戦争の時には日本軍も機関銃を装備していたのに、日本軍はロシア軍と比較して機関銃を有効に活用できなかった。
日露戦争では、多くの局面で積極的に攻勢に出る日本軍と、それを受け止めつつ持久を図るロシア軍という形で戦闘が展開された。
そして、機関銃は大きすぎて移動が難しく(確か、小型大砲並みの大きさがあった筈だ)、防衛局面では多大な効果を発揮するが、攻撃局面では兵士の突出に追随出来ず、その効果が発揮できなかったのである。
つまり、奴等は客車から出て来れない、或いは出て来ればその優位性は失われるという事である。
よし、まだ負けた訳ではない、そう自分に言い聞かせて、少し下がって距離を取りつつ包囲体勢を再構築する事にした。
「全員、駅舎の中に戻れ!」
その命令に全員が射撃を中断して、ホームや線路脇に出ていた兵士たちが、駅に向かって後退を始めた。
硝煙の霧が薄れ客車が再び姿を現し始めた時、客車の前後の扉が開き銃を腰の高さに構えた兵士たちが飛び出して来た。
良いぞ、ここで狙い撃ちすればいける!と、心の中で快采を上げた時、飛び出して来た男達の銃が一斉に火を吹いた。
馬鹿な!奴等は全員機関銃を持っている!
予想外の事態に、カミンスキーは指揮も忘れて立ち竦んだ。
退却を始めた部下達はその背中を撃たれる形となり、一気に冷静さを失った。
その瞬間に何でも良いから大声で指示を呼ばわれば、兵士たちが気を取り直して事態を収拾できる可能性が僅かに残されていたが、何よりもカミンスキー自身が冷静な判断力を失っていた。
次々に目の前で撃ち倒される可愛い部下達の助けを求めるすがるような眼差しを、なす術も無いままに受け止めざるを得なかった彼の精神は、この事態の余りの理不尽さにその平衡を喪った。
彼の全身は怒りに燃え上がり、そのまま退却する兵の波を掻き分けて、闇雲に侵攻軍に向かって突進していった。
ピストルを振りかざして大声で喚きながら突進する隊長に気付いた兵士たちは、ようやく踏み止まって向きを変えようとした。
その時、一列の掃射がカミンスキーの胸の上を通り過ぎた。
彼はその場でピストルを振り上げたまま彫像の様に硬直した。
一瞬、此彼共に言葉を失い、奇妙な沈黙がその場を覆った。
やがて、彼はその姿勢を保ったまま、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
立ち止まっていた兵士たちの間から、恐怖に怯える獣の様な声が上がり、次の瞬間には全員が客車に背を向けて走り出した。
それはもう退却ではなく、敗走の始まりであった。
敬愛する隊長がほんの一撃で倒れるのを目の当たりにした彼等は、既に兵士ではなく怯えて暴走する群衆に過ぎなかった。
全員がとにかくこの場から逃げ出す事だけを考え、互いに押し退け合いながら駅舎を飛び出して行く。
その大半は銃も捨て口々に意味の無い叫びを上げながら、ひたすら走って行った。
ベルナールは、スコールを思わせる切れ目の無い銃声に愕然とした。
この音は、かつて警備課の兵士として訓練を受けた時に聞いたことがある。
間違いなく自動小銃である。
その意味する所はただ一つ、崑崙があちらに着いたという事だ。
となると、とてもこのまま駅を守れる物ではない。
一瞬、中央広場の本隊の所に逃げ帰ろうかと考えたが、すぐにその考えを打ち消した。
あれだけの不興を買ってしまっている今、駅を棄てて逃げ帰ったとなればアルフォンスが赦す筈がない。
戻れば、待っているのは銃殺だろう。
崑崙が敵に回り炎の剣にも居場所がないとなると、もうどこにも身の置き所が無くなっている訳だが、だからといってここで死ぬのは真っ平ごめんである。
とにかくここを出てどこかへ逃げよう、後の事はそれから考えれば良い。
そう決めると、ベルナールは慌ただしく身の回りの物をまとめはじめた。
駅の付近を警備していたその他の部隊は、まず線路沿いで銃声が響き続いて駅の中で激しい銃声の応酬が行われるのを聞いた。
何か異常事態が起こっているのであろうとは思ったのだが、どの部隊も敢えて行動を起こそうとはしなかった。
駅を確保しているカミンスキー隊は、中央広場の禁書館攻略軍の中核となっている尊師直属のシュルツ隊に次いで優秀とされている部隊である。
実際には全員が素人に毛が生えた程度のもので、団栗の背比べでしか無いのだが、それでも確かに他の部隊に比べれば練度と士気が高いし、その分装備も(ついでに言えば食い物も)良い物が廻されている。
その鼻持ちならないエリート意識は日頃から態度の端々に現れており、雑兵に過ぎないと見做されているその他の部隊との間には、大きな溝があった。
あっちには『優秀』な奴等が500人も居るのだから、自分たちで何とかすれば良い、そう思っている彼等は救援要請が来るまでは動くつもりが無かった。
やがて、駅舎から次々に兵士が飛び出して来るのが見えた。
その兵士達は、武器も棄て恐怖に怯えた表情で一目散に逃げて行く。
回りの部隊は、必死に逃げる兵士を捕まえて状況を聞き出そうとした。
狼狽しきって全く要領を得ない答えではあったが、相手が機関銃を持っている事とカミンスキーが死んだ事だけは辛うじて判った。
冗談ではない!
カミンスキー部隊が裸足で逃げ出す様な相手に、歯が立つ訳がない!と殆どの部隊がパニックに陥った。
結局、それらの部隊もめいめいに好き勝手な方向へ逃げ出して行った。




