空腹
ギャンブルの下僕 司法法一
俺は司方法一。仕事にはついちゃいない。お爺様も親父も、その名の示す通り裁判官をしていた。有名で公明で人徳に優れていて、そして、良い人だったらしい。その良い人たちは、仕事で身体を壊した。人のために尽くして、二人とも病気で死んでしまった。近所の人たちは仕事で戦死したような印象さえあると言った。
学生の俺は誓った。自分の為に楽をして生きようって。
親父は馬が好きで、俺は競馬を見に行った。一目で馬が好きになった。
ビギナーズラック。一枚買った馬券は万馬券だった。
それ以来、馬の魅力に取りつかれて、お金をつぎ込んできた。
しかし、いけねえな……。賭け事ってのは、金が余っているもんがやるから儲かるんであって、金のないもんがやっても、手元に残らないシステムになっているらしい。だから決めた。ひと山当ててやめようって。田舎の母親は帰って来いってうるさい。携帯越しに聞いた母親の声はやけにか細くて、だから余計、勝とうと思った。楽させてやろうと思った。それだけの話だ。
誰も彼もがギャンブルをやめろと言う。けれど、馬の目を見ていると、心のもやもやが晴れて行く気がした。仕事に忙しい父と最後に行ったのが競馬場だった。厳しい顔をした父が笑ったのが競馬場だった。だから俺は、ここに来る。ここで夢を買う。
夢を買って大儲けするはずだったんだが。そこで白い招待状を渡された。親父の古い知り合いだそうだ。差出人はリドル。だから俺は列車に乗った。乗ってチャンスを掴むために。そこで占いの天才、小磯様に出会ったんだが……。
「あれ?」
思わず俺は素っ頓狂な声を上げていた。
高級列車の娯楽室。招待状を貰って乗りこんだ寝台列車。遊戯種目はトランプの七並べ。
素人どもを相手に、なぜだかギャンブラーの俺様は負けていた。
「う……嘘だ!」
「私の勝ちよ! 愚民ども」
参上アリスがお菓子の山をさらっていった。
なんでなんでだ? なんでこんな事に?
「アリスちゃん、そのチョコを私に下さい。そのチョコは私のものなのです……いざ勝負!」
響鬼野が勝負を仕掛けた。ムキになってテーブルにトランプを並べていく。
「そこまで欲しいこのチョコレートは特別なのね。いいわ、渡しはしない!」
曖昧な笑顔を浮かべて小磯様は溜息を吐いた。
「潰す相手が違うんだけどな……」
小磯様のトランプは安定していて強い。二位三位をうろうろする。まるで人の運が読めるみたいだった。
後の連中は勝ったり負けたりを繰り返す。
七並べが終わった所で、俺の持っていたお菓子の山とジュースの缶が底を尽きた。
「嘘だろ、おい。まだまだ、俺はやれる!」
はずなんだが……貧乏神に取りつかれているみたいだ。ちっとも勝てやしねえ。
小磯様は俺の方を見ないでカードを配った。
「一つ言っておくけど、あんたにギャンブルの才能はないよ」
小磯様は……いいやもう、小磯でいいや、そいつは妙に悟った声でそう言った。
「なんでだよ。俺は子供の頃、ついて、ついて、つきまくっていた男だぞ! 太陽だったんだぞ! てめえに何が解る!!」
「今は努力する時期だって言っているんだよ。真面目に働け!」
辛辣だった。どいつもこいつも。面倒臭い。みんな、死んでしまえばいいのに。
「トイレに行ってくる!」
途中でトランプの札を放り出し、抜け出した。何もかもが嫌になった。
だから、誰か知り合いの声が聞きたかった。
自分の部屋で携帯の電源を入れると唐突に電話が鳴った。母親からだった。
「いつ帰ってくるんだい。法一」
「帰らねえ。俺は帰らねえ。俺は働いて死ぬのはごめんだ。親父のように死ぬのはごめんだ!」
「法一!」
電話の向こうの母親は必死な声で電話を切るなと言った。
俺は電話を切った。ベッドに倒れ込む。
一か月前、金が足りなくなって、知り合いのつてをたどって、家に帰った。
親父が命を賭けてあれだけためた金はもう無かった。相続税や法人税や……そんな物で持っていかれていた。努力したって意味なんてねえじゃねえか。
その時、四号車のB室の扉が叩かれた。平坦な音だった。
「ああん? 誰だ」
赤い服を来た見知らぬ女が立っていた。
「なんだよ?」
女は黒いカードを差し出した。
「このカードを使えば、お前の望みは叶う」
女はそれだけ言うと白い手紙を置いて去って行った。
「気持ち悪りい……」
そう思いながらも、その黒いカードに惹かれた。
「どう使うんだ? これ?」
トントントン。再びのノックに俺は顔をしかめた。
「なんだよ。まだ何かあるのかよ!」
そこに立っていたのは高校生占い師、小磯良様だった。幸せそうな面をしやがって、反吐が出るんだよ。苦労なんてしたことなんてない癖に若造が。
小磯様は笑ってこう言った。
「あんたを占うよ。波旗さんに頼まれたしね」
勿論占って貰ったさ。
結果を聞きたいか?
聞きたいだろうな。
俺は聞きたくなかったよ。
結果は散々だった。転職しろと言われた。寧ろ、就職しろと。今の仕事は、つまりギャンブルは、まるで向いていないのだと言われた。最後通告を突きつけられたみたいだった。
「ふざけんなクソガキ、良い気になってんじゃねえぞ。俺はなあ、俺はなあ、死ぬ思いでこの道を……」
「あんた、死ぬ思いで働いたことなんてあるのか? 泥水をすすった事があるのか?」
俺の人生を知っているような口ぶりだった。全てを見透かしたようにその高校生はそう言った。そしてこうも言った。
「あんたがまるで勝てないのは、金を憎んでいるからだ。他人の金を憎んでいるからだ。嫌っているからだ。金を好きになれよ。あんたの親父を殺したのは金じゃない」
そう言うと小磯良平は俺に何枚か万札を握らせた。
「てめえ、ふざけんな、ガキに施しなんて……」
「あんたは食堂車でまだ何も食べていない。その招待状は運賃だけで、響鬼野さんはあんたが何も食べていないと言った。言い切った。そう推理した」
「そ……そうだが……確かにそうだが」
食堂車で美味しい物を食べるつもりだった。しかし、金が無いから食べられないと言われた。ガッカリした。
「腹いっぱい食べて来い。それから栄養の通った頭で、よく考えろ。そして」
小磯は俺が賭けたお土産を手にしていた。
「僕はつまらない勝負で勝ってしまった上に、和菓子が嫌いなんだよ。持って行け」
お母さんが待っている。小磯は俺に囁くと出て行った。
嫌な奴。
ヤな奴だ。だけど、俺の方が……本当に嫌な奴だ。
「どうしろってんだよ」
暗闇の中で、黒いカードをかかげて、ベッドに倒れ込み、何も考えないで泥のように眠りたかった。空腹がつらい。そうだ。
「飯でも食いに行こう」
貰った金を使うのはしゃくだったが、借りた金なら問題ない。
この金は借りたのだ。またあいつに会うのは嫌だったが、後で住所でも聞くか。俺は立ちあがって、扉を開けた。そうだ、ダイニング車に行こう。




