ラウンジ車にて
参上ちゃんは溜息を吐いた。
「この列車には特別室があるの。九両目にラウンジ車があるの。そこは少し広いから、人数が集まっても平気よ。楽しくトランプゲームができるわ。借りてきてあげる。その代わり、お前の大事な肉をよこせ、小磯」
「君は悪魔か! 悪魔の女王か! 人の肉に目をつけるとはハムストリングスのように太い度胸だな!」
参上ちゃんは悩ましげに目を細めた。
「ハムストリングスはハムじゃない! 人間の下肢後面を作る筋肉の総称よ! 私は講演の女王。女王にはストレスがたまる。たまったストレスは、肉で解消されるのよ。お前は私の肉奴隷になりなさい。私に肉を貢ぐのよ。小磯」
「肉奴隷の意味が違うぞ。参上!」
嫌な空気が流れた。参上ちゃんは小磯くんから目をそらした。心底小磯くんが心底嫌いみたいだった。勝負をしてもいないのに小磯くんのお菓子を口にして噛み砕く。
「しけたカルパスね。もっと良い物を食べなさい。でないと、お肌が油田になるわよ。響鬼野来夢!」
「……私は食べてないよ……?」
響鬼野さんは可愛らしく首をかしげた。
「なら、気をつけなさい。波旗零!」
「いや、私も食べてないよ~」
私が司法さんを呼びに行くと、小磯くんがラウンジカードを手に立っていた。
「ラウンジのテーブルを借りたのか。私もついていこう」
いつの間にか五反田さんまでいる。
ほかの乗客は静かなのに私たちは騒がしい客だった。
せっかく招待されたのだから、料金分楽しんでおこう。そんな腹積もりなんだろうけど私も勿論その部類に入るのだけれど。研究室の外なんて新鮮だ。こんな世界、私は知らなかった。楽しいなあ~。
「この列車、グランバルド号は特別らしい。オリンピック記念の特別車両らしいから」
小磯くんは参上ちゃんの持っていた招待状をめくっている。
「人の招待状に嫌な汁をつけないでちょうだい、小磯」
「お前のこれ、他人の招待状じゃないか?」
「返してよ!」
私は辺りを見渡した。
「いいね、機械の匂いがするよ~、色んな薬品を使っているんだろうな~。新鮮だな~」
私はうっとりして、列車の壁に頬ずりした。
「変な大人がいるわ。それもこれも小磯の所為ね。小磯がいると何もかもおかしくなるんじゃない?」
「失礼な奴だな、女王。だいたいお前って奴は……」
参上ちゃんの拳は小磯くんの顔面に吸い込まれていた。うわっ!
五反田さんは何事も無かったかのように赤い唇で微笑んだ。
「ポーカーにするか? ポーカーは愛のゲームだ。五枚のカードとカードが絡み合ってもつれあって、ひっつたり別れたり、せめぎ合う大人のゲームだ。4カードなんか愛人だらけだ」
「子供に嘘をつくな! 愛人!」
そう小さく叫ぶ小磯くんはババ抜きを提案した。彼は意外と庶民派なのかもしれない。
ほっとするな。お母さんの焼き立てパンみたいな子だ。
響鬼野さんはぼんやりと手を上げて神経衰弱を提案した。やっぱり暗記が得意なのかな。
参上ちゃんは勢いよく私たちを指さす。
「いいか、お前たち! 大富豪を提案する! 皆、私の足元にはいつくばれ! 特に小磯!」
「なぜだ!? 女王様!」
「ああ、ガキどもがうるさく騒ぎやがる。嫌な世の中だぜ」
司法さんはヘドが出るといった。
「でも、何かを賭けるんなら、勝負してやっても良いぜ。馬を当てる練習になるからな」
司法さんは小磯くんを真剣に見ていた。
「そうそう、そこのそいつに聞いただろう? 小磯様! 後で占えよ」
小磯くんは溜息を吐いた。
「金をかけるのは禁止。菓子やジュースを賭けること」
「仕方ねえ。田舎の母ちゃんに買ったお土産を賭けるぜ! 勝負だ! 小磯様!」
私は思う。司法さんは本当にもうギャンブルをやめた方が良いんじゃないかと……。
本気でそう思う。時刻は夜の七時過ぎか……。
夜は嫌いだ。父が死んだ日以来、
私は夜が嫌いだった。それからいつも寂しい時間を過ごしてきた。でも。
夜は寂しいけど、こういう夜は楽しくて良いかもしれない。
私たちは迷惑だ。本当に迷惑な客だけど……だけど。集まって声をひそめて、大声で笑ってヒソヒソ遊んで、それがまた楽しかったのだから、良い事にしよう。ラウンジチケットを見せて、ムードのある部屋のテーブルの一つを借りてトランプに興じる。
いい骨休みになった。私は今、行き詰っている。研究に行き詰っている。もう嫌になり始めている。毒姫なんてやっても、いい事はなにも無かった。
毒の研究はもうやめて、何か違うものを研究する時期に来ているのかもしれない。
そう感じながら、何も出来ずにいた私はにやりと笑う。
「よし、私はこのスパークリングワインと酒一式を賭ける~!」
「お前もダメな人ね、波旗! 未成年が混じっているのよ! 馬鹿じゃないの?」
参上ちゃんのきつい一言を聞きながら私は小磯くんの隣で舌を出す。
私ってダメな大人だ。あはは~。