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「ふむ、宜しい。それにしても貴女、調えればそれなりに見られる見目をしていますね」
手渡された服はメイド服だった。
何故だろうか?もしかすると女物の服はそれしか無いのかもしれない。
「有難う御座います」
「いやはや、是非欲しいものですね。陛下の方にもそういうように打診してみましょう」
「はあ」
「おや?良く分かっていないという顔ですね。猫、彼女にはどこまで説明しているので?」
「ン~、あんまり」
「成る程成る程、そこからですか。ではまあ一先ず座って話しましょうか」
最初に会ったあの男は猫と呼ばれているらしい。恐らく渾名の類いなのだろう。
それにしても陛下とは誰なのか?陛下と言うには王族がいるようだ。ここの世界もまた王政をとっているのかもしれない。
「取り敢えず一杯どうです?」
スッとティーカップを差し出された。受け取って見ると黒々とした飲み物が中に入っている。
見たことの無いものだ。少なくとも紅茶ではないのは確かだ。
礼を言ってカップに口を付けるととても苦い味がした。中々癖のある味だ。後を引くが、あまり好きでは無いかもしれない。
「コレは一体何と言うものでしょうか?」
「コーヒー、と呼ばれるものだそうですよ。中々良いものでしょう」
伯爵はフフフッと軽く笑ってカップに口を付けた。
猫が微妙な顔をしてカップに口を付けない所を見る限り、猫もそんなにこの飲み物が好きでは無いのだろう。
少し気まずい気持ちになり、私は黙ってまたコーヒーなるものにまた口を付けた。
「説明の前に先ずは自己紹介をば。私の名はセーウェル=リガルド。僭越ながら伯爵という地位をここでは陛下より賜っております」
リガルド家。それは貴族の中でも殊更有名な家名の一つだ。代々王族の者に仕える優秀な聖騎士を多く排出していることで有名である。伯爵の地位でありながら権威は侯爵にも勝るとも劣らない家である。
そのような方が何故このような所に。
驚いたが、二人はそれに気付く素振りは見せなかった。私は表情に乏しいと昔言われたことがあるので、二人から見れば私は常に無表情に見えているのだろうか?
そういえば伯爵の仕草は優雅で洗練されているのが私でも分かる。さぞ良い教育を受けてきたのだろう。
「私の名はカザリ。デュロワ侯爵家が御内を母に持つ隠し児で御座いますれば」
そう言うと二人は驚いたような顔をした。
猫に至っては、エエッという声まで上げている。
「ふむ、噂に聞くデュロワ侯爵家の秘児とは貴女のことでしたか」
「恐らくそうだと思います」
伯爵は少し考えるような顔付きになった。
「私には戸籍すら無いのです。血とてデュロワ侯とは繋がっておりません」
私はデュロワ侯爵夫人を母に持つだけの存在だ。戸籍すらない、生まれて直ぐから地下の一室に閉じ込められてきた。
母は、いや今となっては母とも思わぬあの女は物心が付いた時から狂っていたように思える。
名目上の父であるデュロワ侯は血の繋がりさえ無い私を見に来たことは一度として無かった。
「そうですか。まあ貴族となれば秘事の一つや二つあるでしょう。そう珍しくありませんよ」
それは恐らく私の髪と瞳の色を踏まえての言だろう。
私の髪と瞳は共に黒色をしている。
その色は東人の血を引く証だ。シュテルン公国ではけして見られないもので、東方にかつて存在した彼の国の者しか持ち得ない色だった。
今やその国はシュテルン公国に滅ぼされ人口の多くを失い、残された者は奴隷として貴族に高額で取引されているのがほとんどだ。
伯爵のその言葉は自分にも覚えがあるのか妙に説得力があった。
「御貴族様は大変なんだねえ。あ、僕はマティス。周りからは猫とかチェシャとか呼ばれてるよお」
猫は分かるがチェシャとはどういう意味なのだろうか?
「チェシャ、とは?」
「アレレ?知らないのお、童話だよお童話。ファンタジーって言えばワンダーランドのお話さ」
「ワンダーランド、とは?」
「この国の子供がよく聞かされる童話の類いですよ。絵本などでも出回っているので有名な一つですね」
「そうだったのですか」
きっとチェシャと言うのはその童話に出てくる人物の一人なのだろう。恐らくこの男はそのチェシャと言うのに似ているのだ。さぞ笑みを浮かべてばかりいるキャラクターなのだろう。
「それで、この国は言わば異世界と言いますか……、まあ詳しいことは未だ分かってはいないのですよ。人口は、詳しい数字は出ていませんが百五十にも満たないでしょうね。その多くが月影刑務所からの者達です。……貴女も、そうなのでしょう?」
「はい」
「そうでしょうね。ここに来る者は皆そうなのですよ。この世界は大体三つの派閥に分かれています。ここ、赤の国では女王陛下を当主とした一つの国として成り立っております」
「王政、ということですか」
「ええ、そうです。シュテルン公国とその点ではさほど変わらないと言えるでしょう。貴族としての位を叙されている者は現在三人おりまして、私と他に侯爵夫人、そして陛下の側近も兼ねているリュカ殿がそれに当たります」
「成る程」
「隣国の白の国も同じく王政に基づいているようです。彼処は白の王と呼ばれる方が帝位に就いておられましてね、非常に恐ろしい方です。陛下であろうとも彼に手を出すのは容易では無いようですね。白の王は戦の戦略を得意としていらっしゃるので。最も、その代わり政治に関してはからきしのようですがね」
「それで国は上手く回っているのですか?」
「ええ。彼には優秀な部下がおりますからね。彼の側近の白の騎士は騎士でありながらその政治的手腕を買われて宰相のようなことまでしているそうです」
段々とこの世界の情勢が見えてきた。
だがこの世界の殆どが刑務所からとは一体どういうことなのだろうか?
そもそもこの国は元々そんなに人口が少なかったのだろうか?それとも、何か他の理由でもあるのだろうか?
「もう一つは元々この世界に住んでいた者達の集まりです。白の国のそのまた奥に建てられた西の最果てにある城を拠点として集まっているようですね。私達のような者をソトと呼び嫌うております。貴女がここに落ちたのは幸いでしたよ。彼等のいる場所に落ちていたならば殺されていたでしょうからね」
偶に運悪くそういう方がいるのですよ、と伯爵が嘆息した。
「やって来る者が落ちる場所はランダムで予測がつきません。大抵は落ちた所がどちらの国の領土かによって住む場所が決まりますね。この森は通称名無しの森と言いまして、大体赤の国と白の国の境目に位置しております。貴女は、今私とおりますし恐らくですが赤の国に配属されることとなるでしょうね」
「はい、分かりました」
だが急に来てしまって、住居や生活に関する諸々はどうしたらいいのだろうか?
疑問に思ったのでその旨を伝えると伯爵は應楊に頷いた。
「その件ですが、私の元にいるのはどうでしょう」
「ここに、ですか?」
それでメイド服を渡されたのだろうか?
「ええ。大抵ここに来た人は私の元か王宮か侯爵夫人の元に配属されます。貴女が嫌なら構いませんけれど、そうでないのならここにいればいいでしょう。どうです?」
「……ですが、ここに残れば何をすればいいのでしょうか?掃除やらそういった類いのことは少々不得手でして……」
「事情持ちと言えど流石にデュロワ侯爵家の者ですからね。そうでしょうとも。ええ、構いませんよ。とは言えどうしましょうか?他に私の元には用心棒も伝令役もおりましてね、事足りているんですよ」
「ではやはり私は王宮か侯爵夫人の元に行った方が良いのでは?」
「それは惜しい。貴女は今までとはまた違ったタイプなので興味もありますし、それに」
「それに?」
「とても、可愛らしいのでね。手放すには惜しいですよ」
予想外の言葉に驚く。
猫がニンマリと笑って、伯爵様ってば相変わらずだねえと揶揄した。
「そうなのですか?自分では分かりかねます」
「ええ、それは重畳ですね。自覚している者もまたそれはそれで良いのですけれどやはりこういった手合いの方が好ましい」
よく分からないことだが悪いことを言われているわけではなさそうだ。
「それにい、レッティちゃんの方は言っても断られちゃうだろうねえ」
と猫が言った。
レッティちゃん?不思議に思っていると伯爵が、侯爵夫人のお名前ですよと補足してくれた。
「なぜ?」
「レッティちゃんはそれはそれは美しい女がお嫌いなのさあ。自分がそうでないからねえ」
猫は至極楽しそうに笑っている。
それは、会った当初から笑みを浮かべていたがこの表情を見てしまうとあれは本当に笑っていたわけじゃなかったのだと思い知らされるようだった 。
「美しい男は好きなようだけどねえ」
「それはいいのですけれど他人に迷惑をかけるのはどうかと思いますよ」
ウンザリした様子で伯爵が返答した。
以前に何かあったかのような発言だ。
それに、ということはもしかして伯爵は美しいのだろうか?
そういったことはあまりよく分からない。
「ふむ、では私の秘書では如何ですか?」
「秘書、ですか?」
「ええ。貴女、文字は読めるのでしょう?」
シュテルン公国では言葉は話せるが識字率は低く、文字を読み書きできるのは貴族や祭司、王族くらいなものである。
そのような仕事が本当に出来るのか不安ではあるが、確かに悪くはない案かもしれない。
「はい、是非にお願い致します」
「ではそういうことに。フフ、これからが楽しみですね」
楽しそうに伯爵が笑った。
猫が、それならこれから関わることも結構アリそうだし宜しくねえと言った。
猫は一体どんな役職に就いているのだろうか?
気になったので聞いてみる。
「僕う?レッティちゃんのトコの伝令役だよお。だからチョコチョコこっちに来ることあるんだあ」
伯爵の部下では無かったのかと驚く。
それにしてもレッティちゃんなど随分と馴れ馴れしい呼び方だ。
それほど上下関係は薄い所なのだろうか?
伯爵の説明からこの世界の概要は大まかには分かったが、出来るだけ早くここの詳しいことを知らなくてはならない。
余りに和やかな雰囲気なので忘れがちになってしまいそうであるけれど彼等は犯罪者なのだ。
それもその中でこういった要職に就いていたり、そういった方々と多少の身分差はあるとはいえ渡り合えるのはそれなりに何かしらが特出した人物なのだろう。少なくとも並みいる単純な人々では無いのは確かだ。
その危険性を分かった上で行動する必要がある。
「取り敢えず疲れたでしょう。夕食まで部屋でゆっくりと休んではどうです?」
伯爵がそう言ってくれたので同意を示す。疲れているのは確かだ。
それを見た伯爵はメイドの内の一人を呼び寄せて指示を出した。私の部屋の場所について言っているようだ。メイドは伯爵に一礼し、此方にと私に向かって言った。
私も席を立って一度伯爵に一礼しメイドの後に続いた。