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人を殺した。
それで、晴れて私は犯罪者として月影刑務所に収用されることとなった。
殺人は数ある罪の中でも重い。肉親殺しとなれば尚更だ。私は姉を殺した。私のたった一人の姉さん、彼女は果たして天国に行けたのだろうか。そればかりが気掛かりだ。
右腕には4035という数字が書かれている腕輪のようなものを付けられた。女だからなのか私の腕輪は赤い。月影刑務所へと向かう囚人運搬用の荷台の中に何人かの囚人と入れられたが、その時隣にいた男は青い腕輪を付けさせられていた。
月影刑務所は左右対照に円形の二つの塔がそびえ立っている。左が男、右が女が収用される塔となっている。
両手を括っている鎖を引っ張られるようにして私は塔の中へと入れられた。
刑務所内は灰色を基調としていて、何処か冷え冷えとした空間だった。
塔の中心部分に階段が螺旋状に伸びている。牢はドーナツ型のものが階ごとに連なっており、それが一部屋ずつ区切られているようだ。
どうやら牢は何処の部屋も光が差し込むように設計されているらしい。
罪が重い者ほど塔の上段に収用されるようで、私は長い階段を歩かされた。
「ここだ、入れっ」
私は憲兵に押し込むように牢へと入れられた。
押す力があまりにも強いものだったためバランスを失い、石造りの床へと体が叩き付けられる。左肩を強く打ち付けた。鈍痛がゆっくりと左肩から体へと回ったが憲兵はそれを一瞥することもなく、牢に鍵をかけるとサッサと何処かへと行ってしまった。
私を人とも思っていないのだろう。
法に従うことも出来ぬ理性無き者など人ではなく家畜か何かでしかないのだ。むしろ食用として人の役に立てる家畜の方が余程良いのかもしれない。
私は立つ気も起きず視線だけを部屋の中へと向けた。
あるのはトイレと布一枚だ。
いつから掃除がきちんとなされていないのか分からないくらいに汚れたトイレは見張りの目を盗んで悪さをしないようにとトイレの個室内が外からでも見えるようになっている。
布は、季節はもう冬だと言うのに寒さを凌ぐためのものが
自身の着ている服以外にはこの布一枚とは、囚人に冬を越させる気が無いのかと疑ってしまう。
家畜の方がまだ大切に扱われている。
人を、それも姉を手にかけてしまった私はもう人では無いのかもしれない。
なぜあの時私は死ななかったのかとぼんやりとそれらを眺めながら考えたけれど、明確な答えは出なかった。この布で首を絞めて自分で死ぬこともまた考えたがそれにしては体を動かすのも些か億劫だった。
ただ姉の顔だけが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。
姉の顔は白く、能面のような無表情だった。
私は姉の笑った顔を一度だけ見たことがある。
けれどもうあの顔だけは見たくないと思う。
そうやって暫くの間身動ぎもせずにそうしていると壁の隅がぼんやりと光を点すようになった。
それは瞬きをしてしまえば消えてしまいそうなほど小さく微かなものだったが、じっと見ていると段々と私にはそれが何か幸福に通じるもののように思えてきた。
もう希望など求めているつもりも無いと思っていたが、そうでもなかったのだろうか。
私はそっとその壁の側に寄ってみた。黄色味がかった白くて柔らかな光だ。
思わず私はその光に触れてみた。
その途端、パチンと何かが弾ける音がして私は。
私は気付いたら森の中にいた。
何が起こったのか分からないままに辺りを見回すが何処を見ても木が繁っている。高木ばかりだからか光が地表まで差し込まず、辺りは鬱蒼とした暗い雰囲気に満ちていた。何処か遠くから鳥の鳴き声や羽ばたくような音が聞こえるが辺りには何も生き物は見当たらない。草木はついさっきまで雨が降っていたかのように露に濡れている。
分からない。私は牢にいたのでは無かったのか?
辺りを無為にうろうろとしてみるが、何もここに自分がいることの手がかりにはならなかった。
パタッと上から水が降ってくる。おおよそ木の葉に乗った水が重さに耐えきれず落ちてきたのだろう。
前髪から額にかけて水が伝う。生温い。気が付いてみれば、ここはあまり寒さが感じられない。何処かじめじめとしていて肌にベタつくような空気だ。少なくとも冬の陽気ではない。
それに地面に生えている草木も見慣れないものばかりだ。今までの生活から私の知識が他より乏しいのは理解していることだが、それにしても見たことがない。至るところに生えている大手の葉もギザギザと尖った葉を多く付けた蔦も見覚えがない。
どうするべきだろうか?とりあえず、ここにいては何も始まらない。この森を抜け出さないと。でもこの森はどれだけ広いのだろう?本当に抜け出せるほどの大きさの森なのか?
多くの疑問が浮かんできたがそう悩んでいても仕方がないので歩き出す。だが地形も何も分からないこの状況なので宛もなくさ迷うことしか出来ない。それでも出来るだけ何か手がかりのようなものを探そうと薄暗い中辺りに気を付けていると地面に赤いペンキのようなものが所々に落ちている。気になってよく見てみるとそれは丁度、鳥の足のような形をしていた。
鳥でもいるのだろうか?
生き物の姿はここからだと見えないがこの足跡を辿れば鳥がいるのかもしれない。どうせ行き先も分からないので辿ってみるのも良いだろう。それに何か手がかりは無くとも、今晩の夕飯にはありつける可能性がある。
とにかくこの足跡を辿る。
それほど時をかけずして目当ての鳥は見つかった。
鳥を見て私は俄に驚いた。その鳥には本来あるべきものが無かったからだ。
頭部が無い。
鳥はただ首から下だけが直立で立っていた。長い首に極彩色の羽、足はほっそりと簡単に折れてしまいそうなくらい細長い。これでよく体を支えられているものだ。足と同じく長い首からは真っ赤な鮮血が絶えず滴っており、柔らかそうな羽毛に吸い込まれていっている。
そういえば何故気付かずにいられたのだろう。
この独特な臭いが血の臭いであるということを。一度嗅いだことがあるというのによく忘れていられたものだ。
だが血の色は私が以前見た色とは違っていた。首から流れている血はまるで作り物のような明るい赤色である。本来の血の色は同じ赤であってももっとどす黒い色をしていた。
そのせいで血だとは直ぐに気付けなかったのかもしれない。
鳥は、ーーー恐らく此方を向いてーーー、少しして急に体の向きを反転させ逃げて行った。
疾うに死んだものと思っていたので反応が少し遅れたが、直ぐに我に返り足元に落ちていた小振りの石を拾って鳥の足目掛けて投げた。上手く石は足に命中して、鳥がバランスを崩した所をサッと捕まえる。じたばたと体を動かすものだから服が血塗れになってしまった。素早く首に力を入れ気道を絞めると呆気なく鳥は動かなくなった。
一先ず、これで今日食いっぱぐれることは無くなった。
よく分からない鳥だが変な病気でも持っていない限り食べても平気だろう。
どう鳥を食べようかと思案しているとガサガサと前方から音がし出した。少し遠くから聞こえている。
何かいるのだろうか?
少なくとも私が太刀打ち出来るものならいいと思う。逃げるのも手だが、この鳥を抱えたまま逃げるのは少し難しい。この鳥は少し私が担ぐには重い。
暫く断続的に聞こえていた音が近付くにつれて私は何が近付いて来たのか理解した。
人だ。
「わあ、派手な衣装だなあ」
やって来た男はニコニコと気さくに私に話しかけてきた。
「君、新入りでしょ?探すの手間取っちゃったあ」
男の、つり目気味の金色の目が三日月型に細められる。どちらかというと橙色に近い赤毛は癖っ毛で触れればふわふわとした触り心地がしそうだ。
何だか猫のようだと思った。
「新入りとはどういうことですか?というよりここは何処なのですか?」
とりあえず疑問に思ったことを聞く。信用出来るかはまだ分からないが聞いておけば何かしらの情報は手に入るだろう。
「お堅いねえ~、敬語とかいいからさあ」
「そうですか。…じゃあ、そうする」
「ウンウン、それがいいねえ」
何が楽しいのかニコニコと話しかけてくる。こんなに笑顔で話されたことは無いから内心戸惑ってしまう。
「まっ、とりあえず詳しいことは道中に。ねっ?」
「待って。どこに行くつもり?」
「ン~、まあそれは行ってからのお楽しみ~」
適当に答えつつ男は私の手を引いて歩き出した。仕方なく私は着いていく。鳥は持ったままだ。重いがそれも仕方がない。
「それでねえ、新人っていうのはここに来たばっかりの人を言うんだよお。ねえ、君もしたんでしょ?」
「した、とは?」
「そりゃ勿論、ハ・ン・ザ・イ。そんで月影にぶち込まれたんじゃないのお?」
「……まあ、そうだけれど」
楽しそうに男は笑った。
「ここに来る人は皆そうなんだよねえ」
「ではここにいるのは犯罪者ばかりと言うこと?」
「ウン。ほとんどそんなカンジ」
ではこの男も何らかの犯罪を犯しているのだろうか?
あまり想像がつかない。
「成る程」
「そんでそんで、この世界はあ、まあよく分かってないんだけど、異世界的な?」
「随分とざっくりしている」
「よく分かってないんだよねえ。分かってるのは、あっちからこっちへの一方通行しか出来ないってこと」
「そう」
「アレレ?もしかして、向こうに未練とかあっちゃったカンジ?」
「いや、無い」
姉も両親ももう死んでしまっているし、他に私には何も無い。
男は何か察したのかそれ以上その事については話をしなかった。
その後少しして私達は目的地と思われる場所に着いた。
そこは大きな屋敷だった。
森の中にまるで大きなギャップが出来ているような感じで、屋敷の周りだけ木が生えていない。
「今日もお茶会を開いているだろうからきっと庭園にいるだろうねえ」
と屋敷の正門を迂回して薔薇の多く生えている所をズンズンと進んで行く。鳥を持っている私にはそんなに早く着いて行けそうにない。
疲れもあってノロノロと歩いていると、そんな私に気付いたのか男は足を少し緩めて歩調を合わせてくれた。
「伯爵伯爵~連れて来たよお」
そう言った男の視線の先には大きな机と、そこに沢山置かれている椅子の一つに優雅に腰掛けて座っている帽子を被った男が見えた。
「ご苦労。成る程、彼女が?ああ、服が汚れていますね。一先ず着替えましょうか」
椅子に腰掛けている男がそう言って私の服を見、少し顔をしかめた。
「そのドードー鳥はここに置いていって構いませんよ。コレは本日夕飯のメインディッシュにでもしてもらいましょう。ああ、そこの者、彼女を着替えさせてやってくれ」
こちらが印象的過ぎて気が付かなかったが、スッと男の側にいたメイドの一人が私の元に来て鳥を受け取った。もう一人のメイドが、こっちにと言って歩き出したので私はそれに着いていった。
先ず最初に通されたのは風呂場だった。見たこともないような広くて豪奢なお風呂場で体を洗う。
湯船にお湯が張ってあるのを見るのは初めてで、どうせならと少しだけ湯船にも浸かってみてしまった。
お風呂場から上がるとメイドの一人が服を持って来てくれた。メイドは私の体を見て少し眉を寄せ、同情的な顔付きになった。嫌な気分だ。何も知らない者にそういう顔をされたり、況してやそこから私の過去を邪推などされたくは無い。
私の体に付いている傷痕を見て下らない想像を働かせ、勝手に可哀想というレッテルを貼る奴等は死ねばいい。
そういうのは何も知らない人間であればあるほどそういうことが出来るのだ。
私は先ほどまで抱えていた、動かなくなった鳥を急に思い出す。今から私に食べられるこの鳥と自分とどちらがより生きるべきだろうか?
あの時姉と共に死ぬべきだったと思う傍ら、私が死ねなかった理由。
それは私がもう叶うことなど無いと知っていながらどこかで今も尚それを求めているからだろう。
私が本当は何も無い、空っぽな人間では無かったのだという証が、ただ。
どんなに小さなことでも良かった。たった一言の言葉でも、いや笑顔を向けてくれるだけでも良かったのだ。
姉が死んで、私が今も生き続けているのはきっとその違いなのだ。
姉はきっと天国へ行けた。けれど私は、私が死ぬ時に行くのは地獄でしかないだろう。
それはさぞかし私には似合いの末路なのだろう。