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珈琲雨

この作品群は伝聞に基づく物語です。くれぐれも信用しないようにお願いします。

 珈琲(コーヒー)が降っていた。

 聞いたところに拠るといつの間にかそんな風になっていたらしい。

 降るというのは勿論、雨の如く、空から降ってくるという意味だ。

 近年稀にみる可笑しな事実――不覚にも笑ってしまう、改めて認識すると。

 本当に、気付いたら雨の(しずく)が茶褐色に変わっていた。まるで信じられない……事実は小説より奇なり、とはこのことか。

 そして、これもまた伝聞に過ぎないけれど、降水が降珈琲に――降水量が降珈琲量に名称交代した時……して間もなく、今まさに珈琲が降っているという時に、外に人が居たらしいのだ。

 珈琲に濡れたら珈琲臭くなってしまうと皆が外出を控えていたのにも拘らず。まあ屋外自体珈琲の匂いで充満していたので、その危惧はちょっと的外れな感じがするけれども。

 して、その街で唯一『珈琲雨』の空気に曝されていた人物――彼は男性(いや、彼と言ってる時点で男なので、重複表現かな?)で、傘を持っていた。

 いや、ただ単なる傘を持っていたなら、そこまでしてでも行かなければならない処が彼にはあるのだろうなと勝手な推測と自己完結をするだけだけれど、彼は私達の想像を余裕綽々で超えていったのだ。

 彼は傘を逆にさしていた。

 逆といっても、逆様に、地面に向けてさしていたわけではなくて。

 傘の布の部分が逆向きに開いていて、さながら天から雨を受けているようだった。否、これには語弊があるか。

 彼がさしている傘は雨ならぬ珈琲を、弾くより寧ろ受け入れていたのだから――。

 見方によっては傘を開きすぎたようにも見える――たとえば暴風雨に曝された時には丁度そんな風に傘が壊れてしまう。

 そう考えると、彼は正に壊れたさし方をしているとも言える。

 けれど、彼はそれをさして気にすることもなく、ただ街の片隅で突っ立っているだけだった。歩行者用の道路上に傘をさしながら。

 私は誰か知らなかったけれど隣人の阿隅(あずみ)さんから聞いた話では、彼は猫を肩に乗せていたらしく、同時に壊れた傘をきちんと天に向かってさしていたと言うが……。

 これは素直に凄いと思う。何しろ壊れた傘には珈琲がなみなみと注がれる一方で、結果として傘の中には大量の珈琲が据えられるわけだから。支えられる傘も、傘を持っている彼も並の耐久力ではないだろう。

 肩にちょこんと乗っていた猫だけれど、どうやら傘から零れ落ちた珈琲を飲んでいたようだ。猫はカフェイン中毒にでも陥っているのかも知れない。

「珈琲が――降っているな――」

 彼はそう言った。それを観測していたのは勿論、隣人の阿隅さんその人なのだけれど、じゃあ彼に話しかけられているのは誰だったのかというのは、不明なのだとか。伝聞によれば、それは若い女性だったらしいが。

 なんでも彼女は彼を傍から見ているだけで、何もしていなかったのだそうだ。

「なんで珈琲なんでしょうか。私には分かりかねる、現実です」

 そんな受け答えをしたらしい。否、沈黙を諦め、苦し紛れに本音を言ったという方がいいか。

 彼は相も変わらず微動だにせず、暫くの間思惟した後、こう言った。

「分からなくてもいいんだ。現実なんてものは、そんなものじゃあないのかい――不条理で、不合理で、理不尽な、非情なる非日常」

「珈琲である必然性が、理解(わか)らないんです。現実(そんなこと)は、問題にはならない……」

 思いつめたような顔で彼女はそう言った。

「きっと意味などないんだ、そんなことには、珈琲であることに、さしたる意図も意味もない――」

「…………」

 彼らはその後も対話をし続けた、らしい。私は少なくともそう聞いている。真偽の程はよく分からないが。

 ――けれど。

 けれど、何故分かるのだろう……?

 阿隅さんも当然、屋外には出ていなかった筈――家の中から、窓などを通して、その情景は観察されていた筈。

 もしかすると、この二人の会話は単なる脚色なのかもしれない。人々の間を漂流することで生まれた、尾鰭という空想(フィクション)

 まあこれは、一つの可能性だ。ましてやこれは伝聞(ききづたえ)でしかないのだから、馬鹿馬鹿しいと言われても仕様がない。

 私は窓の外を覗いてみた。一応、確認してみたかったのである。現実と虚構が、どれだけ乖離しているのかを。

 案の定、珈琲など降っていなかった。これで安心して外出ができる。

 私は(フィクション)を買いに街へ繰り出す。繰り出すために、(ドア)を開ける。

 雨は降っていなかった。傘をさす必要もない。

 鞄を持って、歩き出す――が。

 その時。

 頭部で感じる、妙な感覚。

 雨が降ってきたのか? 確かに曇ってはいるけれど……。

 天を仰ぐと、ぽつぽつと、(しずく)が顔に当たった。しかしてそれは確実に、私を蝕み――。

 やがては私も幻想に溶けて――馴染んでいく。


 眼前には、傘を逆向きにさしている青年が、猫を肩に乗せ立っている。

「珈琲が――降っているな――」

 と、青年は『彼』と全く同じことを言う。

「なんで珈琲なんでしょうか。私には分かりかねる、現実です」

 と、私も『彼女』と同じ台詞を言う。

 一言一句、(たが)っていない。

 ――嗚呼。

 本当だったんだ、あの話は。

 そしてこの(くだり)は、永遠(とわ)に繰り返されて――



 珈琲(コーヒー)が降っていた。


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