第99話 東の森の攻防
天鎧の屋敷の東にある森林。
そこでも空間転移の予兆が現れていた。空より無数の閃光が森林へと落ちる。僅かな衝撃が木々の枝を揺らし、青葉を散らす。そして、空間が裂け次々と魔人族が姿を見せる。
第二、第三部隊総勢九〇〇の軽装の兵達は、武器を構える。
その先陣に立つ一人の若者は、鼓舞するように怒号を轟かせた。
「第二部隊! 俺が活路を開く! 俺に続け!」
若々しく猛々しいその声へと、兵達は声を轟かせる。
“うおおおおおおっ!”
けたたましい声が轟き、大気が震える。
その声に、この部隊の副隊長で、先程の声の主である龍馬が薄らと口元に笑みを浮かべる。灰色の長い髪を揺らし、背負った自らの背丈以上の長刀を音も無く抜いた。
弓なりに僅かに仰け反るその刀身は、艶やかに輝きを放つ。両手で確りと柄を握るが、それでも余るほど柄も長さがあった。
そんな熱血する第二部隊とは打って変わり、静けさ漂う第三部隊。その指揮をとるのは、若干十五歳の副隊長、秋雨だった。二本の脇差と二本の刀を腰にぶら下げ、腕を組み清らかな水の流れの如く静寂を守る。
穏やかに流れる風が彼の漆黒の髪を揺らし、耳の付け根から生えた小さな角が僅かに見え隠れした。秋雨は、龍魔族とのハーフだった。だが、龍魔族の力は受け継がれず、耳の付け根の小さな角だけが継承されたのだ。
魔族としても、人間としても半端な彼を引き取ったのは天鎧で、彼はこの若さで天命尽きるまで天鎧に仕える事を誓っていた。
部隊一丸となっての精神統一が終了し、秋雨は静かに瞼を開く。赤い右の瞳と黒い左の瞳がゆっくりと動き出す。
「皆の者。私達は水だ。川の流れの如く、緩やかに、それで居て激しく敵を討つ!」
腕を交差させ、右手で刀を、左手で脇差を無音で抜いた。刃同士が交錯し、火花が僅かに散る。そして、彼の動きにあわせる様に兵達も次々と刀を抜く。
炎の如く轟々と燃え盛る第二部隊に、川の如く緩やかで静かな第三部隊。対照的な二つの部隊は、ほぼ同時に動き出す。
隊を指揮する二人の副隊長の動き出しと共に――。
しかし、圧倒的な魔人族の数は、総勢数十万を超え、コチラも西の浜辺と同じく数的に不利な状況だった。
轟音が大地を揺るがし、次々と空から魔術が飛ぶ。炎が――、水が――、雷が――、風が――圧倒的な数な上、膨大な魔力を誇る魔人族に、付け入る隙など微塵もなかった。
「くっ! 全員! 臆すな!」
長刀を片手に兵を鼓舞する龍馬は、その長刀で次々と飛び交う魔術による攻撃を捌いていた。それは、後から続く自らの部下達を気遣っての行動だった。しかし、それが枷となり龍馬はそれ以上前に出る事が出来ないでいた。
一方で、秋雨も同じ状況に陥っていた。魔術による攻撃に防戦一方となっていた。
この第二、第三部隊は元々接近戦を重視した部隊で、機動力を活かし接近し敵を粉砕する、と言う戦術を得意とする。故に、遠距離からの攻撃に脆く、特に魔力に対する抵抗力が著しく低い。まさに、魔人族との相性は最悪だと言える。
魔術の直撃だけは防いでいる龍馬と秋雨の二人だが、彼らの部下は次々と直撃を受け弾かれる。その声に龍馬は奥歯を噛み締め、肩を震わせる。魔術の前に何も自分自身に――なにより、傷付く部下達の姿に、怒りが溢れる。
「くっそがぁぁぁぁっ!」
突然の咆哮に数十メートル右で、魔人族の攻撃を防ぐ秋雨が静かに息を吐いた。
そして、静かに左右に首を振るう。
「叫んでも、現状は変らない。強くなるわけでもない。私達に出来るのは、今もてる全てを力を出し切る事」
「うっせぇぇぇぇっ! 何余裕ぶっこいてやがんだ!」
静かな秋雨の声が聞こえたのか、それとも秋雨がそう言うと分かっていたのか、龍馬が怒鳴る。しかし、秋雨もその反応をよきしていたのか、表情一つ変えず小さく息を吐く。
「ならば、私が流れを変えよう……」
秋雨が静かに呟くと、龍馬が不適に笑う。
「バカ言うな。道を切り開くのは、俺の仕事だろ」
不適な笑みを浮かべたまま、龍馬は背丈を越える長刀を頭上へ振り上げる。
一方で、秋雨も両手に持った剣を下ろし、静かに佇む。
二人の行動で、明らかに場の空気が変った。
龍馬は足元から業火の如く熱気を漂わせ、秋雨はその体から波紋を広げ周囲全体を無音に変える。
対照的な二人の気迫に、魔人族も呑まれた。完全に沈黙し、魔術に攻撃が止む。
ニッと笑みを浮かべた龍馬の長刀の刃を、炎が螺旋を描き包み込んだ。
一方で、秋雨の握った刀と脇差は薄らと蒼い光を放ち、彼の周囲には水泡が地面から湧き上がっていた。
「紅蓮大刀――」
「静明流一の太刀――」
二人の声が合わさり、二人が同時に息を吸う。
大きく身を仰け反らせる龍馬に対し、秋雨は僅かに胸を膨らませただけ。そして、同時に動く。
「極炎!」
龍馬が炎渦巻く長刀を振り下ろす。
「五月雨!」
そして、秋雨は自らの周囲に浮く水泡を流れる動きで二本の刃で弾く。
轟々と螺旋を描く紅蓮の炎が一直線に魔人族へと突き進み、弾かれた水泡は水の刃となり炎の周囲を滑空する。
水の刃は木々を裂き、炎はそれを取り込み火力を上げる。炎は魔族を呑み込み、水の刃は魔族を切り裂く。対照的な二人の息のあったコンビネーションで、魔人族の数も幾分か減っていく。だが、その反撃ムードは急変する。
「――ッ!」
「――クッ!」
二人の表情が強張る。
突如、その場を押し潰す様な強烈な魔力の波動が広がったのだ。
振り下ろした長刀の柄を握る手に力を込めた龍馬は更に精神力を注ぐ。そして、秋雨も水泡を更に増やし次々と水の刃を飛ばす。
だが、直後に静かな声がまるで全ての音を掻き消したかの様に二人の耳に届く。
「ライトニング!」
巻き舌で告げられたその言葉と共に、全てを裂く雷鳴が轟いた。その場の空気も、音も全てを裂く一撃が、螺旋を描き直進する炎と全ての水の刃を相殺する。
火の粉が激しく降り注ぎ、霧状の水蒸気が辺りを包んでいた。
勢い余って地面に刺さった切っ先を抜き、龍馬はそれを肩へと担ぐ。
「マジかよ……」
表情を引きつらせる龍馬は、右肩を僅かに落とす。
そんな彼に対し、秋雨も静かに息を吐き目を伏せる。
「どうやら……アレが、魔人族の長……」
「レオル……か」
龍馬が呟き、秋雨は静かに瞼を開く。
その二人の視線の先に佇むのは、八会団が一人、魔人族レオルだった。赤黒い髪を揺らし、褐色の肌を緑色に染めたレオルは、赤い瞳を二人へと向ける。殺気が周囲を包み、張り詰めた空気だけがその場を支配した。
リックバードを包む異様な空気に、冬華は焦っていた。
西の浜辺からも、東の森林からも、強力な波動を感じる。冬華もそれなりに力をつけたからだろう。その強力な波動がどれ程のモノかハッキリと分かった。だから、心配だった。東の森林に行ったクリスや、西の浜辺に行ったレッドの事が。
「大丈夫……だよね」
南の港に向かう冬華は、左手で胸元を握り締め呟いた。クリスもレッドも強いと分かっているのに、何故だか胸の奥はモヤモヤする。
何か見落としている様な気がしてならない。それに、この攻め方にも違和感を感じていた。
「はぁ……はぁ…………」
緩い坂を下り終えた冬華は、両手を膝に置き呼吸を乱す。目の前には堅く閉ざされた鉄の門。この向こうが目的の港だった。
背筋を伸ばし、呼吸を整える。深呼吸を繰り返す冬華は、そこで気付く。場を包む静寂に。
(おかしい……強い力を感じたのに……なんで何の音も聞こえないの?)
怪訝そうにそう思う冬華は、息を呑む。何故だか、冬華の手は震えていた。この妙な静けさがそうさせていた。
固唾を呑み、ゆっくりとその手が門へと触れる。後は力を込めて引けば良いだけ。だが、その手が動かない。胸を打つ鼓動だけが、大きく冬華の体を巡る。
「大丈夫……大丈夫……」
何度もそう自分に言い聞かせ、冬華は深く息を吐いた。そして、門をゆっくりと引く。
重々しい鉄の軋む音が響き、門はゆっくりと開かれる。僅かに生まれる隙間から、激しい潮風が吹き、冬華の黒髪は大きく揺れる。
「ぐぅっ……」
突風に堅く瞼を閉じる。それでも、門を開く手には力を込め、引き続けた。やがて、門が完全に動かなくなり、潮風も大分弱まる。ゆっくりと門から手が離れ、冬華の瞼は開かれる。光が瞳を差し、視界はぼやける。
徐々にピントが合い、視界は開ける。そして、冬華は驚愕し、絶句した。目の前に映る光景に――