第98話 魔族の侵攻
リックバードの西の浜辺に、第四、第五部隊、総勢八〇〇人の兵士達が、陣取っていた。
第四部隊を指揮する若き隊長、葉泉は、腕を組み波一つ無い海を見据える。
「本当に……来るのか?」
静かな口調で述べる葉泉の黒髪と和服の裾が激しく揺れる。砂浜に草履で仁王立ちする葉泉は、その背に背負った弓を右手に取った。
葉泉は百発百中の命中率を誇る、この島一の弓の名手だ。弓での遠距離戦、矢を剣代わりにした近距離戦と、非常に器用な男だった。
そんな彼は弓の弦を弾き、静かに息を吐く。
「どう思う。雪夜」
葉泉は隣りに並ぶ、第五部隊の隊長の女性へ顔を向ける。長い水色の髪を揺らす雪夜は、大きく開いた袖口から一丁のライフルを取り出す。コチラも若く、歳は二十代半ば程の美しい容姿だった。
「せやねぇ……どうにも、腑に落ちんわな」
のんびりとした艶かしい声でそう告げる雪夜に、葉泉も小さく頷く。
「どうやら、考えてる事は一緒の様だな」
「せやねぇ……」
葉泉の言葉に艶かしく笑みを浮かべる雪夜は、海へと眼差しを向けその淡い青色の瞳を輝かす。
「いっちゃん最初に戦場になりそうやけど……」
「そうだな。海辺だし、一番侵入しやす――」
葉泉がそこまで口にした時だった。突如、空間を裂く白い閃光が空から降り注ぐ。一発目が砂浜へと落ち、激しく砂が舞い上がる。砂浜へと波紋状に円が何重にも描かれ、その中心に五人の魔族が姿を見せる。
空間転移だと葉泉も雪夜も気付き、すぐに声を上げる。
「敵襲だ!」
「敵襲や!」
二人の声が重なり、周囲の兵士へとその言葉が伝わる。だが、この予想外の侵攻に、全ての兵が反応に遅れていた。次々と空から閃光が降り注ぎ、空間が割れ魔族が姿を見せる。その数は予想外のおおよそ十万。島の人口とほぼ同じ数だった。
「な、何だ……この数……」
「多すぎや……この数は……」
葉泉と雪夜は絶句する。八〇〇人と言う兵で、十万近い数を相手にするなど、無謀に近い。
それでも、我に返った葉泉は声をあげる。
「小隊を組め!」
葉泉が右腕を伸ばし、左手に転送した矢を引き、放つ。鋭い矢が大気を裂き、一人の魔族の額を撃ち抜いた。その魔族の体は後方へと弾かれ、砂浜の上に二度三度とバウンドする。
その光景に、八〇〇人と言う兵士達は喚声を上げ、動き出す。
「ここを死守するんや!」
雪夜が怒号を轟かす。そして、その手に持ったライフルを次々と放つ。弾丸の装填は自動的に行われる為、連続して弾丸を放つ事が出来るのだ。
弾丸と矢が飛び交い、次々と魔族を撃ち抜く。鮮血が飛び散り、魔族の遺体だけが砂浜へと積み重なっていた。
数の割りに手応えが無く葉泉も雪夜も違和感を感じていた。空間を裂き、現れたのは獣魔族。間違いなく、身体能力では葉泉と雪夜の部下達を上回っているはずなのに、何故か動きが鈍い。いや、動きが鈍いと言うよりも、まるで葉泉と雪夜の部隊の動きを観察している様だった。
「葉泉……変やないか?」
「ああ……おかしい。相手は獣魔族……しかも、数はこっちの百倍近い」
「せやな」
訝しげな表情の雪夜が呟き、ライフルの引き金を引く。だが、そこで異変が起きる。今まで全く手応え無く、攻撃をかわす素振りすら見せていなかった魔族の一人が、その放たれた弾丸を左拳で相殺する。
轟音と衝撃が広がり、砂がその魔族の足元から激しく舞う。
「なっ!」
「相殺したやて!」
葉泉と雪夜が驚き声を上げる。そんな二人に対し、舞い落ちる砂の真ん中に佇む魔族の男が黒髪と獣耳を揺らす。ゆっくりと視線が上がり、その顔が二人へと向く。殺気に満ちた赤い瞳に、二人の体が硬直する。コイツは危険だと直感し、雪夜は羽織っていた純白の羽織を脱ぎ捨て、葉泉は和服の袖を捲くった。
「雪夜! アイツ……」
「八会団の一人……獣魔族領主の――ガウル」
息を呑み、雪夜はその手にもう一丁のライフルを転送した。
「本気で行くでぇ……」
「二人で一気に叩くぞ」
葉泉は弓を背負い、その手に一本の矢を召喚する。剣の様な鋭い刃を持つその矢を握り締め、左足を踏み出した。
町の中央、紅桜の大木の前。
張り詰めた空気の中、冬華は不意にその視線を西へと向けた。それは、偶然――いや、冬華の胸騒ぎが起こした必然的な行動。そして、その視線の先に映る。空を裂くただ一筋の白き閃光が――。
「クリス! アレ!」
思わず、冬華が声をあげ、西の空を指差す。その声にクリスとレッドは視線をその指差す先へと向ける。
「な、アレは――」
訝しげにクリスが叫ぶ。
「空間転移! まさか!」
レッドが険しい表情を浮かべる。
気付いたのだ。魔族がどの様にして侵攻してきたのかを。
レッドの言葉で冬華もクリスもそれを理解した。
「それじゃあ、魔族は海からじゃなくて――」
「空間を移動して侵攻してきたんです!」
「待て! そんな事、出来るわけが無いだろ?
そもそも、転移魔法なんて高度な魔法を扱える者など、そう多くは無い!」
クリスが声を荒げる。
正論だった。転移魔法は高度で複雑な術式で、現在扱える者は少ない。そして、もう一つ難点がある。それは、非常に魔力の消費が多いと言う事だ。少数の者を転移させるだけでも、大きく消耗し、魔力の少ない者が使えば、すぐに動けなくなってしまう。
そんな転移魔法の予兆が複数回空に見えた。幾ら魔力が高い者でもアレほど連続して転移魔法を使うなど不可能なのだ。
そう考えたからこそのクリスの発言。しかし、冬華の考えは違っていた。そして、その考えは、ここ最近起きた全ての事件を一つに繋げている事に、冬華は気付いた。
「くっ……そ、そうだったんだ……。だから……」
一人悔しげな表情の冬華に、クリスとレッドはただ訝しげな表情を向ける。
「冬華? どうかしましたか?」
クリスが思わず尋ねると、冬華は噛み締めた唇を静かに開いた。
「転移魔法じゃない……これは、きっとワープクリスタルだよ」
「わ、ワープクリスタル? そ、そんなはず無いよ! アレは、まだ試作段階で――」
「アレを作ってる国って何処?」
慌てるレッドの声を遮る様に冬華の静かな声が響く。その声に、クリスもレッドも目を見開いた。二人も気付いたのだ。全ての事件がここに繋がっている事を――。
「そんなバカな! じゃあ、緑の雨は――」
「ミラージュ王国の差し金……」
冬華がそう呟いた。確証は無い。だが、全ての事が、ミラージュ王国へと繋がる。
魔族が侵攻してきた方法が、ワープクリスタルなら――それは、ミラージュ王国で製造されたモノ。中立都市を手中におさめたのは、そのクリスタルを作る為の素材集めと、それを世界へ輸出する為。
そう考えると全ての事柄が辻褄が合う。ただ、何故、獣魔族がミラージュ王国に手を貸すのか、バロンはどうして王位を継承したのか、など疑問は残る。だが、一番納得の行く考えはこれしかなかった。
「まさか、ミラージュ王国が……」
クリスが拳を握り奥歯を噛み締める。しかし、レッドはすぐに気持ちを切り替え、真剣な顔で冬華とクリスを見据える。
「今は、黒幕が誰なのかは置いておこう。僕らのする事はこの国を守る事。
空間転移で侵攻してくると言う事は、恐らく、すでに東の森と南の港にも何らかのアクションを起こしているはずです!」
「こんな所で悠長にしている場合じゃない、そう言う事か?」
レッドの言葉に、クリスがそう呟く。すると、レッドは小さく頷き、言葉を続ける。
「恐らく、三箇所全てに主軸となる人物、各島の領主が存在するはずです。
龍魔族エルド。獣魔族ガウル。魔人族レオル。三人共相当のツワモノです」
真剣にそう言い放ち、レッドは不安げな表情を見せる。敵の策略がおおよそ理解出来ていたからだ。そして、その策略が戦力の分断だと言う事も、重々理解していた。だが、それでも、冬華達は戦力を分散するしかなかった。それしか、方法がなかったのだ。
「とりあえず、僕は西へ向かいます。東は――」
「私が行く。南は冬華、お願いします」
「う、うん。分かった……」
即決し、すぐに行動に移す。レッドが西へ――。クリスは東へ――。そして、冬華は南の港へと急いだ。