第97話 静かな町並み
リックバードでは、天鎧の命により、民の避難が行われていた。
屋敷に仕える兵達総動員で、安全かつ円滑に屋敷へと民を導いていた。
現在、リックバードには数十万を越える人が暮らしている。流石に、それだけの大人数を屋敷に入れる事は出来ず、老人と女性、子供を優先的に避難させていた。人間、魔族、関係なく。
入りきらない人は、なるべく安全な様に防具を着て、屋敷の周りの警備をさせられていた。屋敷に仕える兵だけでは警備に手が回らないと、天鎧が懇願したのだ。
もちろん、皆、その願いを快く了承した。
「自分達の国だ。自分達も戦う」
と。
それだけ、天鎧が信頼されているのだと、冬華は感じた。
間違いなくこの国――いや、リックバードと言う島はいい島だ。人間も、魔族も、協力的で、この世界の理想的な光景がそこには広がっていた。
人が居なくなり静まり返った町並みに、数人の兵の姿だけがあった。
町の中央にそびえる紅桜の巨木の前に、冬華達は居た。その根の上に胡坐を掻くシオは、頬杖をつき海を見据えていた。
まるで何かの前触れの様に全てが穏やかだった。海には白波一つ見えず美しいコバルトブルーだけが広がっていた。空も薄い雲のベールが掛かっているだけで、美しく青空が広がる。音も無く、静かな風だけが町中を駆け巡った。
だが、この光景にシオは違和感を感じていた。頭の上の獣耳は激しく動き、鼻は人知れずヒクッヒクッと静かに動く。吹き抜けた風が金色の髪を揺らし、薄紅色の花びらを散らせる。すると、シオはゆっくりと腰を上げた。
シオを横目で見据える冬華は、小さく首を傾げる。妙に真剣な表情のシオに、冬華は視線を正面に向けた。
「どうかしたの?」
静かに冬華は尋ね、周囲を警戒する様に神経を張り巡らせる。
しかし、シオは静かに息を吐き、左右に頭を振った。
「…………いや。なんでもない」
静かなその声に、冬華は「えっ?」と声をあげ、シオへと顔を向けた。
驚いた表情の冬華に対し、シオは頭の後ろに手を組むと、静かに歩き出す。
「どうやら、あの男の読みは外れた様だな」
「えっ? それって……」
冬華が訝しげな表情を浮かべると、シオは鼻で笑う。
「ふん。これだけ静かなら、敵襲なんて無いだろ?」
「で、でも――」
「オイラは散歩してくる。じゃあな」
そう静かにつげ、シオがトントンと軽快な足取りで緩い坂を駆け下りていった。
シオの背中を見据え、冬華は目を細める。何か隠している、そう感じたのだ。だが、冬華はそこから動けなかった。何故だか、その後を追ってはいけない。そう直感した。
小高い丘の上にある天鎧の屋敷。その一室で、天鎧は着替えをしていた。
紅桜の花びらを散らせた柄の入った真っ赤な羽織袴。これが、天鎧の戦闘服だった。最も気合が入り、何より、この紅桜の花びらが、自分がこの国を背負っているのだと言う事を実感させる。
重みのあるその羽織を着て、天鎧は深く息を吐く。
部屋の襖が静かに開き、白ヒゲを生やした執事が正座し深く頭を下げる。
「失礼します」
「ああ。それで、避難は?」
開かれた襖の向こう、廊下に坐する執事に対し、天鎧が帯を結びながら静かに尋ねる。
「避難の方は大方……。女性の方や、老人子供は一番安全な中央に。魔族が三割程」
「そうか……。それで、警備は?」
帯を結び終え、天鎧が執事の方を振り向く。すると、執事は坐したまま答える。
「港へと続く中央口に第一部隊、五〇〇人を配備。屋敷の東の森に第二、第三部隊、九〇〇人。屋敷の西の浜辺には第四、第五部隊、八〇〇人を配備しました」
「北はどうなっている?」
「はっ。最も、屋敷に近い、北の密林地帯には第六から第九部隊の一二〇〇人と、特殊部隊一〇〇人を合わせた一三〇〇人を」
執事が静かに告げると、天鎧はゆっくりと頷く。
天鎧の屋敷には第一から第十部隊が存在する。第一部隊は天鎧直属の部隊で、五人一組の小隊で構成されるこの国で最も力を持つ部隊だ。
第二、第三部隊は総合的には第一部隊と能力は変らないが、基本的に機動力に優れた兵で構成される。
第四、第五部隊は総合的に第一から第三部隊に劣るが、弓兵、鉄砲兵などの遠距離部隊で構成されている。
第六から第九部隊は守備隊。最も護衛に優れた兵が集まった部隊だった。
そして、第十部隊は通称特殊部隊と呼ばれ、所謂魔族が中心の部隊。人数が少ないのは、まだ認知度が薄いからだった。
「では、ここは任せるぞ?」
「はい。天鎧様。お気をつけて」
執事が深く頭を下げると、天鎧は小さく頷き一本の刀を腰へと差した。
屋敷の北――。
密林地帯は静まり返っていた。一三〇〇人の兵が配備されているとは思えない程に。
ただ一つの静かな足音だけがその場に響く。
右手に抜き身になった刀を持った和服の男だった。頭の後ろで結った長い黒髪を揺らし、不適に笑う。
「この程度か……」
男が呟き、右腕を振るう。すると、鮮血が草木へ散る。刀に付着した血を払ったのだ。ゆっくりとその刀を鞘へと納め、静かに足を進める。
不適な笑みを浮かべるその男の後ろ――彼の通った道は鮮血で染まっていた。そして、そこに散らばるのは、総勢一三〇〇もの兵士達の遺体だった。
その遺体を背に、歩みを進める男の前に、一人の男が姿を出す。紅桜の花びらが描かれた真っ赤な羽織袴を着た天鎧だった。
その姿に男は足を止め、口元へと薄らと笑みを浮かべる。
「領主様が、この様な所にお出ましとは……」
両腕を広げ、背をそらせる男の態度に、天鎧は真剣な表情で腰の刀に手を掛ける。
「我が愛刀、桜一刀が私に告げた。ここに、貴様が居ると」
「ふっ……そうだったな。俺の血桜とソレは、引き合うんだったな」
不適な笑みを浮かべ、男は自らの刀を見据える。そんな男に、天鎧は眉間にシワを寄せた。放たれる獣の様な殺気に、男は不適に笑みを浮かべる。
「ここで、貴様は死ぬ……」
「ぬかせ、小僧!」
両者が同時に刀を抜く。風を切る鋭い音が一瞬聞こえ、金属音が響き火花が散る。二人の刀が激しくぶつかり合い、弾かれる。
後方へと弾かれる両者の足元に僅かに木の葉が舞った。天鎧の巨体からは想像出来ぬ程の閃光一閃の居合いだった。だが、男の居合いもそれに引けを取らない程の一閃だった。
「くっ……これ程か……」
天鎧が表情を歪める。居合いの達人である天鎧だ。その一刀だけで、男の強さを悟った。
「くっくっくっ……さぁ、血桜。お前の兄弟もろとも、あの男を斬って、飢えを満たそうじゃないか」
不適に笑い、大手を広げる男の姿に、天鎧はゆっくりと刀を構えなおした。
静まる町の真ん中――
佇む冬華は、肩口で揺れる黒髪を掻き揚げた。
眉間にシワを寄せ、港の方へと目を向けていると、見回りをしていたクリスが紅桜の前へと戻ってくる。
「冬華。シオはどうしました?」
戻ってくるなりクリスがそう尋ねると、冬華は苦笑し頭を掻く。
「う、うん……。あの、ね……」
戸惑いつつも冬華はいきさつを話す。
「全く……アイツは何を考えてるんだ……」
呆れた様に腰に手をあて息を吐くクリスに、冬華はただただ苦笑する。
「アレ? シオさんの姿が無いですけど……」
丁度、そこに戻ってきたのはレッドだった。彼もまた見回りをしていたのだ。
紅桜の花びらが静かに散る中で、冬華は静かにため息を吐いた。違和感を感じていた。幾らなんでも静か過ぎると。
そして、考えていた。魔族は一体どうやってこの島に来るつもりなのかと。船で上陸すると目立つし、まさか泳いで渡るなんて言うのは流石に無理だろう。なら、どうやって――。
腕を組み考え込む冬華の横で、クリスは静かに息を吐く。
「しかし……本当に静かですね」
「えぇ……まるで、嵐の前の静けさ……。激しい戦いの前触れの様ですね……」
静かに口ずさむレッドが、渋い表情を浮かべる。
胸が妙にざわめき、レッドもクリスも何処か落ち着かない様子だった。
すでに、魔族が迫っている事を、直感的に二人は気付いていた。もちろん、冬華もそれを感覚で察知していた。だが、姿が見えない。それが、三人の不安を掻き立てていた。