第96話 王としての風格
冬華達は天鎧へと事のあらましを説明した。
緑色の雨が降った事。
魔族が雨に打たれ我を失った事。
すでに魔族がこの島に向かっている事。
簡潔に分かりやすく噛み砕き、全てを天鎧に伝えた。
天鎧は冬華達の話を、腕を組み黙って聞いていた。何も言わず、真剣な顔でただ頷くだけ。
静まり返った一室に、天鎧の吐くため息が響く。
息を呑む冬華は、ただ真っ直ぐに天鎧の顔を見据える。
止まっていた時が動き出す様に、天鎧の目が冬華・クリス・レッドの順に動いた。
高まる緊張感に、冬華は固唾を呑む。
冬華の右隣に座るクリスは、腕を組み深刻そうな表情を浮かべる。現状、天鎧に信じて貰える程の根拠が無い。幾ら、こっちが本当の事を話しても、信じられるわけが無い。緑の雨が降る事も、それが人を狂わせると言う事も。
冬華もクリスもそうだった。その目で見るまで、緑の雨など信じていなかった。だから、クリスは天鎧の協力を半ば諦めていた。
しかし、天鎧の言葉は意外なモノだった。
「それで、その侵された魔族はいつ頃、こちらに?」
真剣な顔で天鎧が尋ねる。思ってもいなかった言葉にクリスは驚き、眼を丸くする。まさか、信じてくれるなどと、思っていなかった。
驚愕するクリスの隣りで、冬華は嬉しそうに微笑み小さく息を吐く。
「どうかいたしましたか?」
ホッと息を吐いた冬華に、天鎧がそう尋ねた。
その言葉に冬華は苦笑し、慌ただしく両手を振った。
「い、いえ。た、大した事じゃないんです!」
僅かに頬を紅潮させる冬華に、天鎧は訝しげに首をかしげた。
冬華も、内心不安だったのだ。だから、天鎧の言葉を聞き、思わず安堵しそれが表情に出てしまったのだ。
その恥ずかしさから、冬華は顔を赤く染めていた。徐々に顔は伏せていき、最終的には俯いてしまう。よっぽど恥ずかしかったのだ。
沈黙する冬華に代わり、その左隣に座っていたレッドが静かに立ち上がる。
「失礼ながら僕の考えを説明させていただきます」
礼儀正しくレッドは小さく頭を下げた。天鎧の視線はゆっくりとレッドへと向く。組んだ手を腹の上に置き、「ふむっ」と鼻から息を吐いた天鎧に、レッドは息を呑んだ。
漂う緊張感に、レッドは僅かながら萎縮していた。天鎧が威圧的な空気を出しているわけではなく、レッドが天鎧と言う偉大な男を前に緊張していた。天鎧と言う男を知っている者ならば、それが普通の反応だった。
だから、全く緊張の色を見せない冬華とクリスに対し、レッドはただただ呆然としていた。
そして、その男と対面し、今、言葉を交わそうとしている。緊張から喉が渇き、唇は乾燥していた。喉を潤そうと、唾液を飲み込もうとするが、その唾液すら分泌されず、口の中はぱさぱさだった。
「え、えっと……その……」
緊張から完全に冷静さを失うレッドに、天鎧は穏やかに微笑する。
「そう緊張する事はない。貴殿の事は良く存じている。勇者、赤神君」
「えっ? あ、赤神?」
天鎧の言葉に驚き顔を上げた冬華が、思わずそう声をあげた。その言葉にレッドは慌てて両腕を交差させる。
その現状に天鎧は訝しげな表情を浮かべた後に、困った様に微笑する。
「もしや、言ってはいけなかったかのぅ?」
「い、いい、いえ! そ、そ、そんな事は――」
「レッド。どう言う事なのか、聞かせてもらおうか?」
冬華の右隣で腕を組むクリスが、僅かに顔を動かし鋭く睨む。クリスの視線に目を細めるレッドは、引きつった笑みを浮かべた。やがて大きく吐息が吐き出され、両肩が落ちる。
申し訳なさそうに苦笑する天鎧は、ゆっくりと腰を上げ深く頭を下げた。
「これは、申し訳ない事をした。赤――いや、今はレッドでしたな」
「い、いえ! 何れは……話す事でしたので……」
「そ、そうか……」
顔を上げた天鎧が眉間にシワを寄せ俯く。
同じくレッドも複雑そうな表情をしていた。
わけが分からず、冬華は頭を捻り、目を点にしていた。呆然とする冬華にレッドは鼻から息を吐き、苦笑する。
「すみません……実は――」
「い、いいよ! 別に、話したくないなら。レッドはレッドなんだし」
レッドの顔を見上げ、冬華はニコッと笑う。まだ、何処か戸惑いが見えるその笑顔に、レッドは小さく息を吐き「すみません」と呟いた。その目に僅かに滲む涙に、冬華の胸がチクリと痛んだ。
(昔……何処かで……)
冬華の記憶の中に幼い頃の記憶が蘇る。だが、その記憶が一部欠落し、冬華の胸はモヤモヤとしていた。何故、そんな現象が起こっているのか分からず、冬華は顎に右手を添え複雑そうな表情を浮かべる。
光景は鮮明に思い出せる。だが、その光景の一部が切り取られ、真っ黒に染まっていた。誰かが一緒に居た気がするが、一体誰なのか思い出せない。
(何だろう……。最近、こう言う幼い頃の記憶が……)
自分自身に起きている不可解な現象に、冬華は疑念を抱く。だが、すぐにその考えは消える。今はそれを考えている場合じゃないと、冬華自身が判断して。
小さく頭を左右に振り、静かに息を吐く。冬華のその行動をクリスは横目で見ていた。何を考えていたのかクリスには分からない。だが、一瞬だが冬華の顔が明らかにいつもと違う深刻そうな表情だったのを、クリスは見逃さなかった。
僅かに生まれる疑念と不安。それが、この先どう言う事になるのか、この時の冬華とクリスには知る由もなかった。
「左様か……」
レッドの予測を聞き、天鎧が深刻そうに呟く。
三つの島で起きた現象から立てたレッドの仮説。それは、操られた魔族がここリックバードに集まると言うモノだった。もちろん、あくまで仮説に過ぎない。
だが、天鎧は最悪のケースを考え、うなる。そうなった時、この町は戦場になり、多くの犠牲が出る事になる。そう考えると気が重い。出来るなら、この町を戦場にはしたくない。だが、どんな対策を講じようとも、ここが戦場になるのは確実だろう。
腕を組む天鎧が、深く息を吐き、静かに声をあげる。
「おい」
単発の声に、天鎧の後ろの戸が開き、一人の執事が小さく会釈し部屋へと入ってきた。
「お呼びですか? 旦那様」
「すまんな。緊急事態だ。町の者達を、この屋敷に避難させる」
「今すぐにですか?」
「ああ。時間が無い。屋敷にいる者総動員で頼む」
「はい。では、早速」
深くお辞儀し、執事は下がる。
呆然とその光景を見ていた冬華は、不安げに天鎧に尋ねる。
「あ、あの……あくまで仮説に過ぎないのに……いいんですか?」
冬華の言葉に、その仮説を考えたレッドは苦笑し右手で頭を掻く。
「す、すみません……頼りない仮説で……」
「あっ! いや、そ、そう言うつもりじゃ……」
レッドの言葉で自分が失礼な事を言ってしまったのだと、冬華は気付いた。だから、慌ててそれを繕おうと、冬華は両腕を振り乱す。
「えっと、その……べ、別に、レッドの仮説を――」
「いいですよ。仮説はあくまで仮説ですから」
微笑むレッドの顔に、冬華は申し訳なさそうに俯く。
そんな二人の様子に天鎧は大らかに笑う。その声で冬華は顔を上げ、天鎧へと視線を向ける。
すると、天鎧は穏やかな口調で告げた。
「いいんですよ。仮説でも。最悪のケースを考え、民の安全を守るのが、私の仕事。
それに、もしその仮説が間違っていたとしても、訓練になったと思えばいいんですから」
天鎧の言葉に冬華は王としての風格を感じた。これ程まで民の事を思っている天鎧に、冬華はなんとしても協力したいと思った。そして、この町を守りたいとそう思った。
拳を握る冬華の姿に、クリスとレッドも同じ気持ちを抱く。何としてもこの町の被害を最小におさえようと。